(178)定評が根底的に覆される面白さー原田伊織『大西郷という虚像』を読む➀

つい最近のこと。「靖国神社に西郷隆盛や新選組、白虎隊などを合祀すべき」だとして、石原東京都知事らが申し入れをしたことがニュースで報じられた。西郷がいわゆる「賊軍」とされてきたがゆえに、「明治維新」を通じて「官軍」側に依拠する同神社に祀られることは難しい、とされてきた。西郷隆盛をめぐっては様々な見方があるが、今の時点で大筋は明治維新を導いた大功労者であり、勝海舟とともに江戸城無血開城を実現させた真の英雄であるという見方が定着している。ところがそんな見方に大いなる疑念を向ける本が出た。原田伊織『大西郷という虚像』である。以前にも取り上げた同じ著者による『明治維新という過ち』『官賊と幕臣たち』に次ぐ第三弾。共に知的興味を惹きつけてやまぬ大いに満足できる内容だった。三部作シリーズはこれで完結するというのでむさぼり読んだのである▼世に定まった見方を根底的にひっくり返すというのは何であれ興味深い。既に井沢元彦氏による『逆説の日本史』シリーズも世に出て(現在22巻が既刊)、大いなる反響を得ているように、深く静かに「逆説」なるものは浸透し続けている。ここでの「正説」は明治維新によって日本の近代は始まり、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允らの功績は大だというもの。いわゆる薩長史観に基づくものだ。一方、「逆説」の最たるものは、それら薩長の行動は所詮は「テロリズム」であり、「反幕のクーデター」に過ぎない。江戸幕府を構成した官僚たちの優位は動かず、「維新政府」が結局は今日の日本の低迷をもたらしたというものである。いやはやここまで正反対だと、爽快感さえ漂ってくる▼「はじめに」で著者は、「官」と「賊」を往復した維新の巨魁との見出しをつけている。「維新最大の功労者として『大西郷』の名を以て幕末維新史に君臨する西郷隆盛の飾りを排した実像に迫り、その真意を問いかける」という。西郷が薩摩の人間でありながら、薩長「維新政府」に満足せずに結果的に「官」と「賊」を「往復」したがゆえに、分かり辛さが付きまとう。著者は「大西郷」を「虚像」と断定するのだから、自ずとそのスタンスははっきりしているのだが、「それでもなおかつ」微妙に遠慮している風が垣間見えるところは面白い▼先日、私が尊敬してやまない姫路市の元医師会長と懇談した。私は以上に述べたような指摘を踏まえたうえで、同氏の西郷観を問うてみた。一言で言えば、様々な変遷を繰り返す西郷の人生のどこを拾い出し、捉えるかで評価は自ずと分かれるというものであった。残念ながらその答えは、ありきたりで満足できない。たとえば、豊臣秀吉のように前後半でくっきりと分かれる人物なら評価もしやすい。しかし、西郷は禍福ならぬ正反「あざなへる縄のごとく」に見えるがゆえに、その全体を貫き底流に流れるものを見定める必要がある。片や「南洲翁遺訓」と褒め称えられ、片や単なる「軍(いくさ)好き」と位置付けられるーこの本を読み解きながら、どちらにより真実があるかを見極めてみたい。(2016・10・21)

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