(189)燃えて生きた思い出だけが命に刻印ー志村勝之『こんな死に方を…』老化編を読む➃

生きている人間の体を構成する細胞が瞬時、新たに生まれたり、死んだりを繰り返しているとの科学的事実は凡愚の身においてさえ想像を膨らましてくれる。夜中に目が覚めてしまい、その後なかなか寝付かれないことがしばしばあるが、そういう時はやはり後ろ向きな考えに陥りがち。一方、早朝のウオーキングの際などは沸々とやる気が充満して来る。これって生の細胞と死にゆく細胞の比率に関係するのか、などと思ったりしてしまう。今の一瞬に死を覚悟する生き方をせねば、ということをわが身に言い聞かせる一方、生きて生きて生き抜こうと不老長寿を祈って見たりする。あい矛盾するこの姿勢の共存も細胞の生死に無縁ではないのかもしれない▼先日、ドイツから友人夫妻(日本人)が新たなドイツ人の友二人を伴って来日された。姫路城天守閣に登城したあと、西隣にある好古園に誘った。奥の方にある入口に入った瞬間、赤く燃えたつような紅葉が目に入り、みな思わず「おーっ」「素晴らしい」と声を上げた。一本だけだが見事に紅葉したモミジの木が遠来の友を出迎えてくれた。北陸路から京都、広島を経ての彼らの紅葉狩りの旅路の果てに出くわした姫路のモミジの歓迎ぶり。長く記憶にとどめて頂くようカメラのシャッターを切った。今朝ほども、その庭園からほど近い「千姫の小径」なる堀端を歩くと、幾本ものモミジが見事に紅葉しているのを発見した。カメラを向けている通りがかりの人と「本当にきれいですね」と言葉を交わし、お互いほっこりした気分に浸ったものだ▼我が人生の師・池田大作先生は写真においても卓越した能力の持ち主だが、先日も見事な紅葉の姿とともに、万人の詩心をとらえて離さない言葉を私たちに下さった。「燃えて生きたその刻(とき)だけが色褪せぬ今生人界の思い出となる」と。我が誕生月である11月が来るたびに思うのは、「この一年、燃えて生きてきたか」との自らへの問いかけだ。年々歳々出会う人も直面する仕事も違ってきているが、向き合う姿勢には、わくわくとしたり、燃えるというよりも、よく言えば淡々とこなす、厳しくみればやり過ごすという感が強い。気になる新聞記事やら映像場面やらを、切り抜いたり録画をしたりしても、頭に叩き込むことなく結局は棚ざらしの末に廃棄してしまいがちなことが多い。この人生の思い出となるような明確に命に刻印する生き方をせねばとの思いだけが空回りする▼昨日、志村勝之氏と夕刻から姫路で懇談する機会を持った。定年後のほぼ10年、臨床心理士として日々具体的な心のやまいや悩みを持つ人々と向き合う彼の姿はまぶしいほどに光っていた。彼の個人的な課題(いわゆる悩みめいたもの)はブログを通じて熟知しているのだが、それを包み込む大らかさに感嘆するばかりだった。当方は、衆議院議員を辞してちょうど4年。大学なら卒業の時だし、”石の上に坐る”時期も1年を超えた。日々多くの友との語らいをわが身に課し、新たな仕事に情熱を込めてはいるものの、まだまだ激しく燃えるところまでは至っていない。今日11月18日は、創価学会創立記念日だ。2年後に目標を定め、燃え上がる気概で大いなる出発をしていきたいと心に誓う。(=この章はこれで終わり。次回以降は「忙中本あり」のコーナーから「後の祭り回走記」に移します。2016・11・18)

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