塾歌の由来から破天荒な青年期に再会ー福沢諭吉『福翁自伝』を読む

先日、姫路慶應倶楽部の新年会があり、そこで慶應福沢研究センターの都倉武之准教授のミニ講演を聴く機会があった。その中で、慶應塾歌の冒頭部分にある、「見よ風に鳴る 我が旗を 新潮(にいじお)よする 暁の 嵐の中にはためきて 文化の護り 高らかに 貫きたてし 誇りあり……」という歌詞の由来を知った。実はオランダがナポレオンのフランスに敗れ、世界中から後退した時に、唯一長崎出島においてのみその国旗がはためいていたという史実に基づいているというのだ。『福翁自伝』に書いてある、と。これと、幕末動乱のさなかにも揺るがず学問に傾倒した福沢・慶應義塾の姿を、作詞家の富田正文さんがリンクさせたのだ、という。不覚にも全貌を知らなかったのを恥じ、実に50年ぶりに『福翁自伝』を紐解いた。ぐいぐいと引き込まれてしまった▼改めて福沢諭吉というひとがいかに自由闊達な青年時代を送ったかについて知った。酒好きが半端ではない。青年期における乱暴狼藉の場面の連続には呆れるばかりである。そうしたところだけを読むとおよそ後の”教育者”らしからぬ振る舞いに驚く。近代日本を代表する真面目な思想家といったイメージには程遠い。「開国か攘夷か」と、まなじり決した「テロ」まがいの風潮が横行した幕末激動期。そんな時に一方に押し流されぬ無類のバランス感覚で、ひたすら未来に目を向け、洋学を学び続けた。ところが、福沢はそんな自分を「臆病」ものに描く。夜道。向うから怪しげな人物が歩いてきてすれ違う際の心理描写の巧みさ。すれ違った後、お互いに一目散に逃げたというのだから。随所にこうした漫画チックな福沢諭吉が現れ、滅茶苦茶に面白い▼漢学、儒学一辺倒だった時代から洋学へと流れが変わる転換期に、先駆けの役割を果たしたひと。洋学への異常なまでの関心、傾倒ぶりを除けば、本当に親しみやすい普通のひとだったということが分る。学問の師・緒方洪庵に対する敬愛の念は、ひとの世における師弟の重要性を気付かせられる。家族に対する並々ならぬ思い入れも大いに胸を打つ。惜しむらくは、大いに端折って書かれていること。たとえば結婚からこどもを授かられた辺りが出てこないのは物足りぬ。また、差別用語が平気で書かれているあたりも、「天はひとの上にひとを作らず。ひとの下にひとを作らず」との名言を編み出したひとにしては、いかがなものかと首をひねってしまう▼我が青春の曙期に、この本を読んでそれなりに感動した。その後、『学問のすすめ』から『文明論の概略』へと読み進んだものだ。「政治の実際」には背を向け、新聞を出し、評論を書き、大学を経営して青年を訓育した福沢。そんなひとに憧れた頃から半世紀が経った。とっくに福沢の歳を超えてしまった。彼が生きた「慶応」から「明治」という時代の持つ意味を、今ごろになって改めて真剣に考えようとしている。「そんなことして何になるんや、もう遅い。あほか」との声が聞こえてくるのに。(2017・2・19)

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