(236)わからずとも受け入れることの大事さー佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』を読む

年末を迎えて今年も多くの友人知人からの「喪中はがき」を受け取った。今日現在、全部で25通。昨年交換した年賀状が250枚ほどだから、ほぼ1割の方に今年ご不幸があったことになる。このうち90歳を超えて亡くなった方は4人。長寿時代になったとはいえ、やはり90歳を超えることは中々稀だということだろう。今朝の新聞で今年のベストセラー第一位が佐藤愛子さんの『九十歳。何がめでたい』であることを知った。同じ新聞で知った私の好きな作家だった葉室麟さんは66歳で亡くなった。残念な限りだ。90までには程遠い。佐藤さんのこの本、だいぶ前に読み終えており、ここで取り上げるにはいささか気おくれがしていたが、多くの人が読んでいる事実を前に取り上げることにした。佐藤愛子さんは大正12年大阪生まれだからもう94歳か。甲南女子高卒業というから小池東京都知事の先輩にあたる。『戦いすんで日が暮れて』で直木賞をとったということでその存在を知って、『血脈』を人から勧められ、『晩鐘』を本屋で手にしたが、結局何も読まずに初めて読んだのがこの本。正直言って年寄りのユーモアあふれるエッセイ集としか読めなかった。恐らくこの本が今年のベストセラートップになったというのはひとえにタイトルのせいだろう。間違いなく連載を掲載した「女性セブン」の発刊元小学館が考えたのだろうと思っていたらあにはからんや、ご本人の閃めきからでたものだとか。何もすることがなくご飯を食べるのも面倒くさく、娘さんやお孫さんにも喋る気がしなくてただムッと坐ってるだけの「老人性うつ病」になっていた時に、連載の依頼を受け、隔週を条件に引き受けたと言う▼「ヤケクソが籠った」というタイトルのお蔭で90歳を優に超えてこれだけ売れると言うのは、ただ者ではない。佐藤さんは、さる8月から9月にかけて朝日新聞夕刊に15回にわたって『語る 人生の贈り物』を連載していた。中でも「私の人生はつくづく怒涛の年月だった」との書き出しで始まる最終回は、読みごたえがあった。二回めの結婚相手との壮絶な日常から離婚への経緯をもとに、88歳で長編小説『晩鐘』を書き始めた。小説で書くことで元夫の変貌を理解しようと考えたという。「人間を書くということは現象を掘り下げること。一生懸命に掘れば現実生活で見えなかった真実が見えてくる」と思って書いたのだが、何もわからなかった、と。だが、いくらかわかったことは、「理解しようとする必要はない、ただ黙って『受け入れる』、それでいい」ということだったという。なかなか含蓄に富んだ言葉だと妙に感心したものである。今回のエッセイ集には、こういった小うるさいことが書いてあるのかと思って読んだ自分が可哀想に思えた。それほど他愛無い老いの日常、年寄りの怒りが面白おかしく書いてあるだけ。なぜこの本を私自身は黙って受け入れることができないのか。それにしても66歳という若さで逝ってしまった葉室麟さんに想いは募る。50歳を超えて本格的に小説家として出発したこの人は常日頃「残された日は多くない」といってせっせと執筆に励んでいたという。わたし的には黒田官兵衛をしてキリスト教国家を目指した人物として描いた『風渡る』『風の軍師』が最も印象深く、好きだ。もっともっと生きて色々と書いてほしかった。また、つい先日82歳で亡くなった私のかけがえのない先輩は小説を書くことが夢だったのに、その願いをついに果たせなかった。十二分に人生における仕事をされたことはその死を悼む各紙の「評伝」の充実さで分るが、ご本人はこれからが本番だと密かに小説の構想を練っておられたはず。こう追うだけでも「90歳、これほどめでたいことはない」ものと思われる。(2017・12・24)

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