「文明開化」の成れの果てー山本義隆『近代日本150年ー科学技術総力戦体制の破綻』を読む

「山本義隆」という名を見聞きして、どういうひとかを分る人は今や少ないだろう。現在の肩書は駿台予備校に勤務する科学史家だが、元東大全共闘代表といった方が早い。尤も全共闘に関心を抱く人ももはやそう多くはいないのではないか。だが、団塊の世代にとっては様々な思いを抱かせる懐かしい人だ。この人私より4歳年上だから、60年安保闘争時には19歳だった。当時、一世風靡した連中の多くは転向したり、その戦いの戦線から消えてしまった。そんな中でこの人は、若き日の思いを深く沈めつつ、きちっと生き抜いた数少ない人のように思われる。新聞書評で『近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻』を見てすぐ様に読んでみたいと、買い求めた。理由は二つある。一つは明治維新から150年を科学技術の面から総括した視点に興味を抱いたこと。もう一つは、全共闘の闘士の”この50年”に興味を持ったことである■率直に言って見事な出来栄えだと推奨したい。「対西洋」の観点で、科学技術の分野での立ち遅れへの取り組みが日本近代150年のすべてだったといって過言ではないと私は思ってきた。裏返せば、哲学思想の分野での東洋の立ち位置を見失わせてきてしまった。その罪は大きい。そう考える人間にとって、科学技術総力戦体制は近代日本の別名であり、それが「3・11」(福島原発事故)で完全に破綻したとの捉え方に全く異論はない。この本では明治以降の科学史の流れをきちっと追いつつ、当然の結果としての行きついた果てを克明に記している。これまでの様々な日本近代150年を整理したものの中でも極めて分かりやすく著者の意図が直ちに理解できる。これがしかし、残念ながら「岩波新書」だという事もあり、先入観を持たれ、非現実的な理想主義の流れをくむもの(伝統的左翼思想)として遠ざけられることを憂える■明治維新からの40年で日露戦争に行きつき、更に40年後にかの大戦の敗北に至った。近代日本の前半は、概ね「富国強兵」の時代と位置付けられる。軍事力と資本主義の二人三脚といえようか。しかし、それは「もともとは欧米資本主義の経済活動のなかから生み出された科学技術研究は、戦時下の日本の総力戦体制の下で、国家の機能と一体化していった」のである。つまり、科学技術への要請は常に軍事力、資本主義と裏表をなしており、庶民の生活は一貫して顧みられなかったということでもある。これは戦後も続く。つまり近代日本の後半は、「富国強経」とでもいうべき経済至上主義が国を覆ってきたのだが、結局は科学技術での欧米への遅れを取り戻す戦いの延長戦に過ぎなかったと言える。すなわち明治維新からずっと日本は科学技術で西欧に追いつくため遮二無二走ってきたが、結局それで大事なこと(日本独自の思想哲学の樹立)をし損なったということではないのか。それはまた「文明開化」の名のもとに、西欧文明にただひたすらひれ伏してきたことの行きついた果てのように思われる■あの福島の原発事故の経験をしながら、原発を視野に置かぬ国造りは「(国の)浮沈にかかわる」との捉え方を未だにする政治家が公明党の中にもいるのは誠に残念だ。「問題の本質は、政権・経済産業省・原子力ムラ・原発企業等からなる(日本株式会社)の失敗にある。東芝凋落で示されたのは安倍政権の成長戦略の危うさ」であり、「経済成長の強迫観念にとらわれた戦後の総力戦の破綻である」との著者の主張は首肯できる。これを旧左翼的考え方、岩波文化人の流れをくむものとしてステロタイプ的に決めつけ、無視するのはいささか早計にすぎないか。既にかつての首相経験者二人が反原発運動の先頭に立っていることを見ても分るように、旧来的な「左右対立」ではない新たな対立軸が浮上している。それは恐らく自然を人間が支配するものとして捉えるのではなく、経済成長や科学技術を万能と見る生き方でもなく、人間と自然とが共生する世界、スケールは小さくとも心豊かな国を目指すものであるに違いない。(2018・4・25=修正)

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