(260)現代の独裁者と民衆の距離ー鴨下ひろみ『テレビに映らない北朝鮮』を読む

今日や明日食べることに事欠く深刻な台所事情のはずなのに、核実験にうつつを抜かしミサイルを飛ばす。平気で政府高官を粛清し、白昼堂々と異国の地で人さらいや時に抹殺さえも。そのくせ国際社会でいかに制裁を受けようとも懲りずにしたたかに渡り合う。恐怖政治が展開されているのに、最高指導者は意外に大衆に親しまれている一面もありそうーまさに群盲象ならぬ狐狸を撫でる感がするのだが、これが北朝鮮の一般的なイメージではないか。そこへ、米朝首脳会談がシンガポールで行われ、テレビ映像で金正恩という人物をまじかに見る機会を得た。「素晴らしい人柄で頭がいい。両方兼ね備えている」ーついこの間まで、互いに派手な罵り合いをしていた一方の当事者が褒めちぎった。これまでの伝統的な米国指導者とは全く異質で、ツイッター的思考の持ち主であるトランプ氏の発言に改めて戸惑いを覚えた人は少なくないと思われる■私はこれまでの人生で、朝鮮半島問題を専門とする学者と数多く付き合ってきた。古くは、神谷不二氏から始まって、小此木政夫、伊豆見元、古田博司、磯埼敦仁といった錚々たる面々だ。またジャーナリストでは東京新聞の五味洋治、フジテレビの鴨下ひろみ記者とも。鴨下さんは『テレビに映らない北朝鮮』をつい先程出版したばかり。彼女と私が初めて会ったのは市川雄一秘書をしていた頃だった。市川氏がしばしば彼女のことを鋭い視点を持った優秀な記者だと評価していたことを思い起こす。30年に及ぶ北朝鮮ウオッチャーが満を持して解き明かした本を読み終えた直後に、金正恩委員長の文在寅韓国大統領との〝抱擁シーン〟やトランプ米大統領とのツーショットを見ることになった。北東アジアに真の意味で平和が訪れるかどうかの瀬戸際に立って、我が頭の中を去来するものは甚だ多い■北朝鮮でやはり気になるのは恐怖政治の内情である。「不機嫌な独裁者」とのタイトルの第1章では、2万人にも及ぶ粛清があったとの韓国脱北者組織の発表を挙げている。数の多さもさることながら、金正恩に異見を述べたとか、会議で居眠りをしたからとか、姿勢が悪いからとの理由で、高射機関銃で銃殺されたというのには呆れはてるとともに、戦慄を覚える。最終章の「北京で見たノースコリア」では、北朝鮮のエリートの脱北が後を絶たない例をあげ、太英浩在英公使ら10人近い外交官の亡命(16年夏までに)を韓国メディアが報じていることに触れている。これが体制崩壊につながるかどうかは、未だ分からないとしているのだが、大いに興味をそそられるところだ■この本では、今述べたように厳しい政情を暴く1章と5章に挟まれた2-3-4章に、北朝鮮におけるさまざまな実態が映し出されている。超豪華なホテルやスキー場。シェルター役を兼ねた地下の奥深いところを走る地下鉄。街の随所を覆う太陽光パネル。エリート教育の光と影など興味深いものが次々と。そんな中で、鴨下さんが一貫して追い続けているものが庶民大衆の実像だ。彼等の真実を見抜こうとする著者の目は、純朴そのものの表情を見逃してはいない。組織の永続にとって怖いものは外からの批判、攻撃ではなく、内側からの腐敗、叛逆だと見るのが歴史の鉄則だろう。その点で、金正恩委員長は米国と対等に渡り合う外交に狡知の限りを尽くしつつ、内政における不満や批判を早期に摘み潰す姿勢であることは間違いない。〝人権抑圧〝という砂上ならぬ〝氷上の楼閣〝の上に立つ異常極まりない政権。今回の米朝会談および声明を巡って、今後の展開に様々な憶測が飛び交う。朝鮮半島に平和が字句通り構築されるのか、それとも再び一触即発の危機的状況に逆戻りするのか。真反対の見方が存在する。ただ少なくとも、厚いベールに包まれた状態から指導者が飛び出してきたことだけは明瞭である。鴨下さんの続編に期待したい。(2018・6・15)

 

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