合理的手段としての軍事力ー道下徳成『北朝鮮 瀬戸際外交の歴史』を読む

この本の存在を知ったのは、礒崎敦仁慶大准教授の「北朝鮮の交渉術」と題する毎日新聞のコラム(「今週の本棚」6-3付け)だった。彼はこの6-12の米朝首脳会談でメディアに登場した専門家の中で、恐らく最も若い部類に入る。私が現役時代だから10年ほども前に、駐日米国公使邸での日米懇談会で初めて会った。私の慶應での同級生・小此木政夫氏の後継の一人ということで、親しく言葉を交わしたことを覚えている。今回の一連の出来事を北朝鮮の側から解説する論者として、最もシャープな語り口調だったとの印象を持つ。その礒崎氏が近年、日本人研究者によって生み出された優れた北朝鮮研究の書のひとつとして選び、過去から今に至る核・ミサイル外交を「ひとつの文脈で捉え直すことに成功している」と評価したのが道下徳成『北朝鮮 瀬戸際外交の歴史』である■道下さんは、戦略論や日本の防衛政策の専門家で政策研究大学大学院准教授。柳澤協二氏の対話集『抑止力を問う』で巻頭を飾っており、二人の間で最も骨太な議論がなされていたとの思いが強い。北朝鮮の外交を巡っては、まともな意味では今回初めて広範囲な人びとの口の端にのぼった感がするが、この書は北朝鮮の指導者たちが「その政策目的を達成する合理的手段として軍事力を用いてきたこと」を明らかにしている。瀬戸際外交とは、緊張をギリギリまで高めることで相手の譲歩を迫る手法を指す。昨今では北朝鮮の十八番のように見られているが、歴史上有名なのは、1938年のナチス・ヒトラーがミュンヘン会談の場で、英仏にズデーデン地方の割譲を迫ったもの(両国の宥和政策を引き出すことに繋がる)と、1962年のキューバ危機に際して、ケネディ米大統領がソ連に核戦争も辞さない姿勢をとったケースが双璧だろう。北朝鮮としては、1968年の米海軍情報収集艦プエブロ号を乗員丸ごと拿捕した事案がほぼ最初のものになるわけだから、もうこの手法も50年の年季が入ってるのだ■この書の序章で、道下さんは、北朝鮮の瀬戸際外交の特徴として❶北朝鮮の政策目的は、時代とともに、野心的かつ攻撃的なものから限定的かつ防衛的なものに変化してきた❷北朝鮮の軍事行動は政策目的に合致していた❸北朝鮮の軍事行動は局地的な軍事バランスなどの構造的な要因によって促進され、あるいは制約されてきた❹北朝鮮の指導者たちは過去の経験から教訓を学び、時とともに軍事行動と外交活動を、より巧妙に結びつけるようになってきたーの4点を挙げている。精密な分析を通じてこうした結論を引き出してくる道下さんの手際はまことに鮮やかなものである。さらに、歴史的に分析をすることで❶北朝鮮の瀬戸際外交において抑止力は不可欠の要素であり続けてきた❷法的な要素が重要な役割を果たしてきた❸奇襲的行動によって対象国に心理的ショックを与える手法をしばしば用いてきたことなどが明らかになったとしていることも興味深い■一般的には、北朝鮮が国内政治上の問題を解決するために軍事行動をとってきたとすることや、国際環境が悪化した場合に軍事行動をとる傾向があるとの分析がなされがちだ。しかし、道下さんは明確にこうした見方は誤りであり、正しくないと明言している。そうした結論への導き方は極めて冷静で信頼するに足る。勿論こうした分析を示しているからといって彼は別に北朝鮮の瀬戸際外交を礼賛しているわけではない。「短期的には成功を収めた場合でも、周辺諸国の対抗措置を促進することによって、中長期的には否定的な結果を招くことがあった」とすると共に、「北朝鮮は軍事力を合理的に使用してきたのは事実であるが、政治目的の達成という点からみると、五段階評価の『三』程度の成績であった」としている。つまり、中ぐらいなのだ。しかし、これとて、一般には合理的どころか極めて感情的、恣意的な外交・軍事政策だと見られがちであった北朝鮮を結果的に大いに持ち上げていることになろう。国際社会の場に初めて登場したといっていい金正恩氏。その背景をなす外交姿勢の分析が示す意味は、限りなく大きいと言えるのではないか。   (2018-6-19)

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