(297)百年前の日英と今とー夏目漱石『倫敦塔』『幻影の盾』など英国ものを読む

夏目漱石が英国に滞在した二年間ー近代日本が経験した「ヨーロッパ文明の闇」を凝縮させたものとして、私にも胸迫るものがある。遅れることほぼ100年後に二回だけ、しかも駆け足で私はかの地を訪れた。最初は、衆議院税制改革特別委員会の一員として、もう一回は英国の防衛事情を調査するために。漱石全集読破を身に課したものとして気になっていた『倫敦塔』『カーライル博物館』『幻影の盾』の英国もの三部作を取り上げて見る▼『倫敦塔』は、リズミカルなタッチで記された見物記である。最後のところに、大分時間が経ってるので主観が先に立ち、読みずらかろうとの読者への断りがある。確かにそういう側面はあるものの、この英国・ロンドンを代表する建築物を見事に料理していて読み応えはある。私は現場に行ったものの中には入らず、ブリッジの前で、役人時代に英国駐在経験のある伊吹文明氏(元衆議院議長)の説明を聞いた。漱石についての言及はなかった。二度目は石破茂氏(自民党総裁候補)と一緒の旅だったが、会議の連続で観光をする時間はなし。日英双方の「幻影の盾」ならぬ「現実の盾」をめぐる議論ばかりしていたと記憶する▼『倫敦塔』も『カーライル博物館』も、実際に両所を見聞したあとの現実との落差を描き、それなりのオチをつけてるのが切なく感ぜられなくもない。一方『幻影の盾』は、前二者と違って、英国に伝わる英雄譚をあれこれと思い描いたものだが、私的には一番最後の「時間」に関するくだりが最も印象深い。「百年の齢ひ(よわい)は目出度も有難い。然しちと退屈ぢゃ。楽も多かろうが憂もながかろう。水臭い麦酒を日毎に浴びるより、舌を焼く酒精(アルコール)を半滴味はう方が手間がかからぬ」と。単なる長生きでなく、充実した時が大事との極めてまっとうな結論だが、漱石に言われると何だかストンと落ちる▼漱石が英国に代表される欧州文明への劣等感に苛まれた後で書き上げた、これらの作品を読むにつけて、100年後の日本は果たして漱石が抱えた問題を超えたのかと問いたくなる。これは、英日、彼我の差は更に広がってるとの見方と、いや、日本はかつて日英同盟で肩を並べ、今では日米同盟のもとに、追い越したとの相反する見方があるように思われる。前者の代表格は先に取り上げた『なぜ日本は没落するか』の森嶋通夫氏を代表とする英国通の人たち。後者は具体名はともかくとして結構我々の周りには多いものと思われる。私自身は、恥ずかしながら未だ英国はよくわからないというのが偽らざるところである。(2019-2-16)

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