死にゆく流れの革命ー帯津良一『かかり続けてはいけない病院 助けてくれる病院』を読む

歳を取ると、「きょうよう」と、「きょういく」が大事という。「教養と教育」ではない。今日用事があるか、今日行くところがあるか、ということを揶揄って云うのだが、その重要な要素として、医者通いがある。老人にとって病院は、用があり、行くべきところのベストワンなのだ。御多分に漏れず、私も病院に行く機会が滅法増え、薬局で薬を貰うことが重要な〝しごと〟になってしまった。帯津良一さんのことは数年前に国会議員のOBの集まりで講演を聴く機会があり、その名声の寄って来たる所以が分かったものだ。今回のこの本は我が親友が推薦してくれたもので、飛びついて一気に読んだ。だけでなく、老義母、老妻と家族3人がそれぞれ手にして、それぞれの読み方をした▼私は国会議員を引退する少し前に、脳梗塞を患った。お陰様で10日ほどの入院、点滴治療だけで、大事には至らず、後遺症もないまま無事に退院できた。それは良かったのだが、その原因には長年の糖尿病罹病があげられる。血管に関する〝兇状持ち〟とも云え、今に至るまで医者、病院との関係が絶えない。どころか、東京在住から兵庫県に転居したため、主治医が変わった。それから7年。現在では、セカンドオピニオン、サード、フォースと続く。やがてファイブにも及ぶかもしれない。それぞれの医師は良い人たちなのだが、私を次々と襲う症状になかなかマッチする治療、アドバイスはしていただけない。そんな私にとって、帯津さんのような医師がそばにいてくれたらと思うことしきりである。第1章の「現代の医者、病院の問題点11カ条」から、第5章「『寝たきり長寿』にならない、最強養生12カ条」まで、全て大いに頷ける内容だ▼そんな中で、私が最も興味深く読んだのは、第4章「誰もがうらやむ『死』を迎えるための8カ条」だった。特に、人が死にゆく流れとして、❶食物を受けつけなくなり、穏やかなまどろみに入る❷水分を欲しがらなくなり、意識低下の状態からボンヤリする❸酸欠状態になって、意識がボーッとしてくるーという死のメカニズムを述べたくだりである。この流れに逆らって、延命をしようとするところから様々な問題が起こってくる、との指摘は極めて重要だと思われる。これに付随して、「ふだんから死生観を養うこと」、「死は敗北ではない」、「人間には『死にどき』があり、それは自分で見つける」のだ、といった論考はまことに参考になる。ただし、死にどきのタイミングを見つけることが至難のわざだから困る。その辺りについてはイマイチ読み取れないのは残念だ▼この本における圧巻は、死は大いなるいのちの循環のなかのワンシーンだと述べているところだろう。ただ、「いのちのエネルギーをどんどん高めていって、死ぬ日が最高のエネルギーになるように持っていく」と言われているところには、いささか矛盾を感じざるを得ない。前述したような死に至る流れにある人間にとって、どうしてそんな芸当が出来るのか。意識が朦朧としている人間に「スペースシャトルが大気圏外に飛び出すように、向こうの世界にバーンと飛びだしていく」ことはできるはずがない。「そのためにはどんどん人生に『加速度』をつけていかなければなりません」と言われても、困るだけ。恐らく、大きく言って、死にゆくパターンは二つあって、平凡な穏やかな死と非凡な激しい死とに別れるのだろう。帯津さんは後者を目的にしているはず。「一人ひとり三百億年の軌道を生きる同志です」とまで言い切っておられて小気味いいばかり。さて、どっちを選ぶか。今のところ私はギリギリまで、帯津的死に方を志向して、最後の最後は平凡な死に方をするのだろうと思っている。(2019-9-10)

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