(339)「江戸」の終末を〝お笑い味〟たっぷりにー浅田次郎『大名倒産』上下を読む

いやあ面白かった。これぞ小説、その醍醐味を満喫しきった思いがする。浅田次郎の『大名倒産』上下2巻である。漫画的過ぎるとか、中弛みが気になる、一巻で終わりにして欲しかったとの注文はないわけじゃあない。だが、こんな豊潤な世界に長く浸かることが出来て、幸せ。ケチつけたり、贅沢いうと罰があたるというものだ。この作者のものはかつて『鉄道員』『天国までの100マイル』『壬生義士伝』など、読書録にも取り上げた。ここのところご無沙汰していたが、先日ある友人との会話の中でこの本のことが出た。そこで、彼から借りることに。引っ越し後、なるべく本は買わないとの習慣が身についてしまい、図書館通いが主流なのだが▼時は幕末。江戸期260年の長い長い時間ー明治維新から150年と比べるとよくわかるーに、すっかり弛緩しきった武士の世界を縦、横、斜め、表から裏まで縦横無尽に、〝お笑い味〟ふんだんに散りばめつつ惜しみなく描く。積もり積もった借金25万両。利息の支払いだけで年に3万両。ところが収入は1万両。これを踏み倒す算段として、「倒産」を選んだ先代と、膨大な負債を押し付けられたご当主の息子。財政改革のあの手この手に必死に取り組む。奇想天外な筋立てと絶妙の話運びでグイグイと読むものは引きずりこまれていく▼明治維新の引き金となったのは「黒船来航」だが、その背後に〝熟柿〟となった「武家社会」があった。いわゆる維新を扱った読みもので、幕府を倒す側の視点に立ったものは数多あるが、倒される側に連なるものは比較的少ない。その分新鮮さを感じる。だ洒落の連発、ユーモアの山盛りで、大いに笑える。愉快なことこの上なし。随所に織り込まれた人情話と人生の機微にも、そのつど心しびれる思いになる。為になることこの上なし。著者と同じ高みからの目線で登場する七福神と貧乏神の繰り出す手練手管に、翻弄される人間の哀れさ。それに打ち勝つ強さとは何なのか。少しばかり考えさせられもした▼読売新聞の読書欄(1-19付け)に、橋本五郎氏がこの本を取り上げていたことを思い出し、古新聞の中から取り出した。同紙特別編集委員のこの人は名うての読書家で、評論家。書評を書くにあたって『二回半読む』(同名の著書あり)というから凄い。彼のここでの書評は、「凡庸でも誠実であり続けることの大切さを教えてくれ」るとしたうえで、最後に「悪意が満ちあふれている今日日、これほどの『性善説』小説にお目にかかるとは大いなる驚きである」と結んでいる。「一回しか読まない」(同名の著書はない)私としては、ご隠居様の生き方に強い共感を覚えた。ある時は百姓与作、ある時は茶人一狐斎、またある時は職人左前甚五郎や板前長七といったように多面的なキャラを使い分ける。退職後に、野良仕事をしつつ茶道に勤しみ、陶芸に打ち込み、料理教室で腕を磨くといった人は珍しいが、いなくはないだろう。かく言う私も、恥ずかしながら違った性格を持つ7つほどの顧問職をこなし、ちょっぴり真似事をしている。橋本さんの言うように確かにここでの『性善説』は驚きだが、ご隠居の存在あってこそ光るというものだろう。凡庸、誠実さよりも、英邁、狡智さに長けた人間に魅力を当方は感じてしまう。この本の後半で悪戦苦闘してるはずの若殿・息子の登場は極端に少なく影も薄い。本当の主役はご隠居と思われる。と、書いてきて気が付いた。橋本さんは皮肉を込めた表現をしたに違いないと云うことに。 (2020-2-18)

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