最後の官選沖縄県知事・島田叡の叫び声(49)

NHKの朝ドラ「花子とアン」で、空襲を逃げる場面を見ていて、亡き母から聞いた戦争体験を思い起こした。大きなお腹を抱えるようにして(私は昭和20年11月生まれ)防空壕に逃げ入ったり、竹やりで敵を迎え撃つ訓練をしたなどということを。日本中で無差別空襲を受け、こうした対応を余儀なくされたものの、地上戦には至らなかった。たった二つの県を除いて。一つは、沖縄であり、もう一つは北海道だ。後者は、8・15以後のどさくさまぎれの中でのソ連の侵攻であり、戦争の性格が違うのでこの際は省く▼沖縄での日米戦の激しさは様々な機会に語り継がれてきており、私も現場に幾度となく足を運んだ。ただ、このたび読んだTBSテレビ報道局『生きろ』取材班『10万人を超す命を救った沖縄県知事・島田叡』ほどの胸打つ記録は未だ知らない。読み終え,深く為政者の使命を考えさせられた。次々と県庁から職員が逃亡してしまったり、前任の知事さえ東京に行ったまま戻ってこないといった事態の中で,敢然と赴任してきた島田知事。その半年足らずの決死の知事としての職務遂行ぶりは心底から感動を呼ばずにはいられない▼この本は昨年8月7日にTBS系で全国放送した報道ドラマ『生きろ~戦場に残した伝言~』の放送原稿とそのベースになった取材メモで再構成されたもの。島田知事役には緒形直人が好演した。併せて知事とまさに二人三脚で最後まで頑張りぬいた沖縄県警の荒井退造警察部長も忘れがたい。いやそれどころかこの人ありての知事とすら、思わせる心かよったコンビぶりだ。私はあの日の放映をしっかりと観た。本当に感動した。普通では見落としかねなかったが、旧知のTBS記者から、このドラマの制作裏話をそれなりに聴いていた。その記者も私同様兵庫県人とあってかねて懇意だったが、「兵庫二中(現在の兵庫高校)の著名な出身者を教えて欲しい」との依頼を受け、武揚会(兵庫二中、同高校の卒業生で構成される同窓会)の中心者を紹介した経緯があったのである▼今まで島田叡の存在は知っていた。沖縄県を訪れた際にその慰霊の碑にも参拝したこともある。私が二中・兵庫高校に隣接する三中・長田高校の出身者ということもあって、長く尊敬していた。しかし、一般的には残念ながらあまり知られていない。何故だろうか。恐らくは、彼や警察部長を宣揚することが多くの敵前逃亡者を辱め、貶めることになるとの沖縄人特有の優しい心配りだったのではないか、と勝手に推察している。だが、もういいのではないか。強くそう思う▼国会に20年在職した私には、自身にとって数々の忘れられぬ場面がある。そのうちのベストワンとも言えるのが、沖縄県はこのままで行くなら独立する道しか残っていないとの趣旨の演説をしたことだ。誰しも心に去来するがそれを口にはしない。それを敢えてすることで、事態の深刻さを訴えたかったのだが、反応はいまひとつだった。普天間基地の辺野古移転を巡って賛否二分される中、この11月に沖縄県知事選挙が行われる。誰がなるにせよ、選挙ではなく、官によって任命された最後の沖縄県知事・島田叡の思いを胸に、県民の心をくみ取ることでしか、真の解決策はないように思われる。勿論、それにはすべての日本人の共感があってこそだが。(2014・9・15)

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