(100)真田幸村、後藤又兵衛らの「男の美学」に酔う

家康が死んで今年は400年になるとのこと。1615年のことだから、関ケ原の戦いから15年ほどが経っていたことになる。大阪冬の陣から夏の陣の二つの戦いが決着を見て、数年の後に家康は永遠の眠りにつく。信長、秀吉、家康と戦国末期を彩った3人の軍事・政治的天才を比べてみて、死後260年近くも徳川の時代を永らえさせた家康に強い関心を持たざるを得ない。先日たまたまNHKのETV特集で司馬遼太郎の小説『城塞』上中下3巻を、識者4人で読み解く公開番組をやっていたのを見た。司馬さんの小説はそれなりに読んできているのだが、この本は未読だった。番組に登場した女優の杏さんや建築家の安藤忠雄氏らの興味をそそる話につい魅せられて、この小説を読む羽目になった。その場で誰言うことなく語られた「主人公は人ではなく大阪城だ」という一言も大いなるきっかけとなった▼家康を描いたものは山岡壮八さんのそれを遥か昔に読んだことがある。印象に残っているのは、その権謀術数の展開と三河武士の団結の固さである。およそ考えられる手練手管の限りを尽くした家康の天下取り。そしてそれをも凌ぐ死後の徳川幕府の繁栄を考え抜いた打つ手の見事さ。企業、団体の組織運営を考えるうえでいつも参考にすべしと言われることが多いが、俯瞰的に見て自然に思われる。だが、個別具体に見るとおよそ嘘偽りのオンパレードであって、決して美しいものではない。『城塞』でもこのあたりの家康の描き方は露骨なまでにえげつない。ただ、歴史上で大をなした人間を見るうえで大事なことは、その人生のどの部分に焦点を当てるかだろう。信長に仕えて草履取りの身から天下取りをするまでの秀吉は、鯉の滝登りのように鮮やかだ。朝鮮出兵から死の直前までの晩年とは人がまったく別人のようだ。同様に、若き日の家康とこの大阪城攻めの頃の家康とは、大いに趣きを異にしている▼その点で、真田幸村、後藤又兵衛といった中堅のリーダーの描かれ方は一貫して男の美学に貫かれており、読むものをして大いに興趣をそそられる。真田幸村については来年のNHK大河ドラマで取り上げられる。かつて子供のころに杉浦茂さんの漫画(『真田十勇士』だったと記憶する)に血沸き肉踊らせたものだ。猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、筧十蔵、穴山小介、根津甚八、由利鎌之介、海野六郎、望月六郎らの名前が浮かぶ。今でも九人の名前が出てくるのだからよほど興奮して読んだに違いない。真田一族について書いたものでは、私は池波正太郎の『真田太平記』が好きだ。来年までに読み直してみたい。ともあれ、この『城塞』でも最後の最後まで数で圧倒的に優位な家康を追い詰める幸村はまことにかっこよく、胸すく思いがする▼もう一人のヒーロー後藤又兵衛も印象深い。人生最後の死に場所を得て縦横無尽に力を発揮する又兵衛はまことにすごい。ある意味で隠れた主人公はこの人かもしれない。黒田官兵衛に仕えながらも晩年はその息子長政との折り合いが悪く牢人となってしまう。その又兵衛が豊臣家のためにその軍事的センスを生かして死闘を尽くす姿ほど小気味いいものはない。この人物が播州・姫路の生まれであるということにも同郷者としての感情移入が当然あろう。官兵衛もいいが、又兵衛もいいのではとつい思ってしまう。家康の孫にして秀頼の妻だった千姫は、大阪城落城の後に姫路城の城主・本多忠刻のもとに輿入れする。このあたりも含め姫路ゆかりの歴史上の人物は悲劇に彩られた人が多いように思われるのだが、歴史散歩として十二分に楽しめて満足している。(2015・5・27)

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