「維新」をめぐる親子の葛藤と日本文明

父と息子ー亡くなって三十年ほどが経つわが父を,最近は思い起こし、息子たる自分と比較することが多い。何かにつけてうるさかったことや、ささいな仕草に至るまでそっくりだと家人に指摘され苦笑してしまう。そんな次元に止まっているうちはいいが、このところ少し妙なことに気づいた。両の手のひらに、しこりやきわめて小さなこぶのようなものができて皮膚がひきつる。これって晩年の親父が気にしていた症状とまったく同じ。幾度か手のひらを見せられたものだ。先日、整形外科にいくと医師が「デュピュイトラン拘縮」との診断をしてくれた。ひどくなると、切開手術をするという。「遺伝」の二文字を思い出し、切開するかどうかは寿命との競争だなと考えざるを得ない。明治43年(1910年)生まれの父は私が生まれた昭和20年(1945年)には35歳だった。その前年に赤紙が来た。”遅すぎる応召”に敗戦必至を予感したという▼こういった私的な出来事を書き記すきっかけとなったのは、安部龍太郎『維新の肖像』を読んだからだ。直木賞受賞となった『等伯』を、友人で法華経学者の植木雅俊さんから勧められて読んで以来、すっかりファンになった。総合雑誌『潮』に連載中は気になりながらも読めず、今頃になって手にした。それは「明治維新」の位置づけを,最近しきりに考え出している自分の問題意識の影響と無縁ではない。朝河正澄(前の宗形昌武)と朝河貫一という実在の親子の物語を、二人の克明な対比をしつつ描いた小説は、「維新」の表と裏を浮き彫りにして、まことに読みごたえがあった。戊辰戦争における二本松藩の壮絶な戦いを改めて突き付けられた。父・正澄の若き日の戦士としての姿を小説で描く息子・貫一は米国・イェール大学で学ぶ歴史学者。著者の安部さんの今の主張と貫一の想いが二重写しになって迫ってくる▼息子・貫一は「明治維新は大化の改新とならぶ叡智に満ちた革命だと信じて疑わなかった」から、父・正澄の戊辰戦争に加わった「行動は時代の流れに逆行するものだとしか思えなかった」。この貫一の考え方が、日露戦争以後、満州事変、上海事変の流れを通じて日本の破滅へと向かう中で誤りだと気づく。学問的解明から小説を書くことへと気持ちを切り替える。このあたり、息子・貫一と著者・龍太郎の意識の一体化がうかがえて面白い。二人に共通する意識は「日本はどうしてこんな国になったのか。何がどこで間違ったのか……」である。薩長史観と反薩長史観はこれまでも幾度かぶつかり合ってきた。これまでの結論は、日本の近代化にとって明治維新政府の強引な進め方は、それあったらばこそアジアで抜きんでた地位を築くことが出来た、というものであろう。功罪相半ばするが、功が上回っているとの受け止め方が通り相場だった。しかし、その流れが今激しく逆流しつつある。少なくとも私の体内では▼こういったとらえ方を一段と高めてくれる役割をこの『維新の肖像』は果たしてくれた。関東軍の他国侵略の姿を「薩摩や長州が戊辰戦争においておこなった所業を、判で押したように繰り返している」ととらえ、「明治維新を美化し、彼らの自己正当化を許した史観や教育や世論が、こうした過ちを継続させる温床となった」と、息子・貫一は語る。それは即、今の世に続いているというのが著者の警告に違いない。この本を読んで改めて、維新前と維新後の日本文明の変容という問題に想いを致さざるを得ぬ。偶々『潮』八月号の「戦後七十年を問う」というシリーズ企画に、国文学者の中西進先生が「詩心と哲学こそが国を強くする」という小論を寄稿されている。「日本はアジアの文明をすべて受け取ってきて拒否せず、たくましい創造性を発展させてきた」のだから、アメリカ型グローバリズムに劣ったりはしていないと言われる。確かにそうだと思いたい。しかし、維新以降怒涛のように入ってきた西欧文明に対しては、創造性を発展させて変貌させてきたのかというと、心もとない。このあたり読者としての私が引き続きこのテーマを考え抜き、ささやかながらも行動を起こさねば、と思うゆえんである。私が物心ついた頃は高度経済成長の真っ只中。銀行員としての父はかりそめの良き時代を謳歌していたとの記憶だけが、今鮮明によみがえってくる。(2015・7・21)

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