【138】いろはかるたから学ぶ繰り返しの大事さー鶴見俊輔『読んだ本はどこにいったか』

タイトルに惹かれた。『読んだ本はどこへいったか』という。昨年83歳で亡くなった鶴見俊輔さんの「今まで読んだ本の、自分の中でののこりかたの記録」である。私も今日までそれなりに本を読んできたつもりだが、このタイトルを最初は鶴見さんとは正反対の意味にとってしまった。つまり、本は読んだが何も残っていない、との意味に。妻から先年「本を読んでいても貴方は何も身についていない」と揶揄されたことがずしんとこたえているからに違いない。大いなる反省と新たなる旅立ちへの参考とするために興味深く読んだ▼鶴見さんはこの本を⓵自分の読み直しのメモ⓶京都新聞の山中英之記者へのはなし⓷記者の記録への手入れーの手順で作ったという。ご自分の体内に80歳までの人生で読んだ本がどう残っているかを書き残された。その読書生活の全容をこの本が要約しているものとらえることが出来る。「『老い』というフィルターで濾過され、なお残る本は何か」と自身に問いかけ、「私にとっては、これまで実現したことのない著作の形である」と言われる。随所に魅力溢れる様々な本のエキスが抽出されており、あれもこれも読みたくなる▼「哲学のもう一つの入り口」「生活語を求めて」「大衆小説の残したもの」の三章からなるが、「かるた」について書かれた第二章がお正月の今最も読むにふさわしい。「かるたは単なるゲームではなく、人生のいろいろな状況の中から、自分がとれることわざをとる不思議な文学です。遊びでありながら、実人生と相互乗り入れになっている」と持ち上げる。更に島崎藤村と岡本一平(絵)が作った『藤村いろは歌留多』について「(藤村の全著作の中で)最高のものだと感じるのは、七十八歳になった今の私の評価です」とまでいう▼思えば「かるた」に日本人は多くの思いを託し、様々な教訓を学んできた。私など「犬も歩けば棒にあたる」を読んで「人も歩けば票に出くわす」と想起して、選挙への意欲を高めたり、「猿も木から落ちる」から苦手なことよりも得意なことが失敗の因につながることを戒めたものだ。ここで言えるのは繰り返しの重要性だ。子どもの時から何度も何度も口にして覚えたことだから身についてきたのだろう。「好きこそものの上手なれ」である。読んだ端から忘れてしまう読み方から脱却するために、今年は気になったくだりや興味を持ったところを繰り返し読み直したり、更にその中身を人に語ることで身につけていこうと思っている。(2015・1・6)

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