【104】3-② 手取り足とり秘伝を公開━━丸谷才一『思考のレッスン』

◆読み方、考え方、書き方のコツが披瀝

 作家で文芸評論家だった丸谷才一氏が20年ほど前に出版したこの本は、全部で6つのパートに分かれており、前半三つがご自身の体験で、「丸谷自伝」的読み物である。後半三つは、「本の読み方」「物事の考え方」「書き方」のコツが披瀝されている。まさに、秘伝公開の趣きがあり、若い人たちがこれを読み、実践に移せば、たちどころにレポート、論文はスラスラとかけるはず、かもしれない。

 私は、後半から読み、最初に戻り、そして鹿島茂氏の「解説」へと進んだ。フランス文学者の鹿島氏は丸谷さんのこよなき「後継者」である。そう私は勝手に思ってきた。〝異流派のすぐれもの〟による見事なまでの手ほどきは、鮮やかというほかない。学生との対話形式で、この本の「使い方」を伝授してくれている。ものぐさな読み手は、この解説を読めばそれで事足れりと思うに違いない。「どんな本を読めばいいか」「読書感想文と論文との違い」から「良い問いかけ」「仮説の立て方」に至るまで、全部で10個の作法を本文の頁付きで提示している。まさに手取り足取りの「思考のルールブック」なのだ。

 丸谷流の「読書のテクニック」は、実にユニーク。本はバラバラに破って持ち歩け、索引から読み始めろ、人物表、年表を作れ、と。図書館通いの私はコンビニでコピーをとるという禁じ手を犯し、あとがき、中程から読み始め、本の見返しや、しおりの裏に登場人物を書き出そうとするも、書けない仕様ぶりに悩まされてきた。「考えるコツ」で、真っ先に挙げているのは「謎を育てる」こと。時間をかければそのうち何かが発見できるなどと、悠長なことをおっしゃっている。本は慌てて読まず、散歩しながら思案し、お風呂に入りながら考えよう、とまで。私など、〝下手な考え休むに似たり〟とばかりに次から次へと本を読んできた。〝考えない人〟の典型かもしれない。恥ずかしい限りである。

 「書き方」については、谷崎潤一郎の文章の一番すごいのは、「英語の文章の書き方と日本語の文章の書き方を丁寧に対応させた上で得たコツをうまく生かして書いている例」だと絶賛する。また、「漢語と大和ことばを上手に混ぜて文章をつくる。片仮名ことばはできるだけ控える。そうすると文章が落ちつく」との指摘も得難い。このくだりに触れる前段で、鳩山由紀夫元首相の話し方の不味さぶりを例に、政治家の言語責任を問うてみたり、漢語がやたらに多い官僚の文章の問題点を槍玉に挙げたりしている。確かにその通りだったなあ、と我が身の拙さを棚に上げて、納得してしまうのである。

◆実例としての『日本文学史早わかり』

 実はこの本のなかで、著者は、『日本文学史早わかり』なる著作を紹介、「思考のレッスン」の具体例を示している。日本文学史については、政治に偏重した時代区分では、どうも面白くないと思い続けてきたが、「自分の心の中の謎と直面して、ああでもない、こうでもないとあれこれと考え直し続けていく中で、従来の通説と違う新説に突き当たった」といわれるのだ。

 これは、全体を五期に分け、第一期→八代集以前(?──9世紀半ば)  平安遷都後約50年の頃までで、宮廷文化の準備期。第二期→八代集時代(9世紀半ば──13世紀初め)    菅原道真誕生の頃から承久の乱の頃までの宮廷文化の全盛期。第三期→十三代集時代(13世紀──15世紀末)承久の乱から応仁の乱の頃までで、宮廷文化の衰微期。第四期→七部集時代(15世紀末──20世紀初め)応仁の乱の頃から、日露戦争の直後あたりまでの宮廷文化の普及期。第五期→七部集時代以後(20世紀初め──?)日露戦争の直後(自然主義の勃興)から今に至る宮廷文化の絶滅期、としている。丸谷さんは「第四期がむやみに長いのは気になるけれど、しかし、これが日本文学史の実態なのだから仕方がない」と述べている。

 確かに斬新な感じはするが、しかし分かりづらいことは否めない。ご本人はいいと思っておられるようだが、あまり人口に膾炙していない。そもそも八代集、十三代集と7部集という括り方が一般受けしないのではないか。せめて、頭に和歌、俳諧の2文字をくっつけて欲しいと思うのだが。丸谷新説をあらためて眺めてみると、明治維新以後の西洋文明の影響に関心が向かわざるを得ない。日本固有の文学史は、明治期を境に、短詩型中心の時代が終わりを告げ、西洋風の小説、長詩中心の時代が到来したということだろう。尤もこれは、早わかりならぬ、早とちりだと言われるかもしれない。

【他生の縁 桐朋学園創立50年の集いでの大爆笑】

 20年ほど前、桐朋学園創立50周年のお祝いの宴に、同学園を卒業した私の妻と一緒に出かけました。その際のご挨拶に登壇した同学園を卒業した指揮者の小澤征爾さんが、「私は在学中に英語を丸谷先生に習ったのですが、おかげで一向に英語が上達しないのです」と、暴露話をされて場内は大爆笑となりました。

 そのすぐ後に、私は個別にご挨拶に向かい「先生、厳しいこと言われてましたね」と水を向けたのですが、なんだか妙に嬉しそうだったのが印象的でした。

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【103】今なぜ「日蓮本仏論再考」か━━創学研究所編『創学研究Ⅱ』を読む(下)/11-21

 池田先生が霊山に旅立たれて初7日が経つ。『創学研究Ⅱ』についての読書録上編を公表したのが14日だったので、下編までの7日間が不思議な意味合いを持つように思われる。我が人生における永遠の師との今生の別れという劇的変化を受けて、身も心も引き締まる。質量ともに圧巻と言っていい読み物(講演)は、松岡幹夫所長による第2章「日蓮本仏論再考━━救済論的考察」である。全体の半分以上の分量(時間)が当てられて「信仰の証明学としての日蓮本仏論史」が語られている。中身を大胆に要約すると、鎌倉時代の宗祖・日蓮大聖人より後継の祖・日興上人を経て、江戸期における中興の祖・日寛上人から近・現代に続く日蓮仏法の系譜が、創価学会の今に至るまでの正当な流れとして見事に解明されている。同時に、800年の時間的経緯の中で、袂を分つことになった身延山久遠寺を始めとする諸々の日蓮宗系各派の位置付けやら、富士大石寺系統の現・日蓮正宗及びその異端としての顕正会に至るまでの側・裏面史も表裏一体のものとして整理されている◆これがこの講演で私が理解した核心部分なのだが、そこに至るまでの議論の腑分けに必要な幾つかの道具立てが用意されている。「史実論と救済論」「護持の時代と広布の時代」などは、文字だけで大まかに推測出来るが、「準備」「予型」「過程」「真意」といった「四つの原理」は字面だけでは解りづらい。イメージ的には、過去に学んだ仏法理解のツールとしての、小中高大の教育段階での役割分担や、建設作業での足場のようなものと言えば、少しは身近に感じられよう。ともあれ、世界広布の時代の民衆救済という観点に立てば、過去に意味を持ったものも、小さくて身体に合わなくなった古い時代の衣服として捨てるしかないということである。誤解を承知の上で杜撰な理解ぶりを披歴したが、読み終えた今、複雑怪奇な迷路から脱して眺望晴れやかな高台にたどり着いた時のような爽快感を味わえたことだけは確かだ。松岡さんの労作業に、それぞれ自身の力で挑戦されることを薦める◆この松岡講演(第2章)を挟んで、前回の仏教的観点の議論(第1章)に続き、佐藤優、黒住真両氏によるキリスト者の論議がまた読み応えがある。文献学や神学といった学問に取り組む学者が、人々の生活する世界から離れていった事実を、黒住さんは挙げる一方で、生の人間の生き死にの場面━━戦場での傷病者や癩病患者の治療の場など━━で献身的に寄り添う司祭たちの姿を描いているくだりが注目された。この描写に続き、彼が「創価学会は法華経の研究者を輩出しただけで終わっていません。それ以上に、人々の生活世界そのものに飛び込んで応対していった。実際に、創価学会は多くの苦しみ、絶望した人々を救ってきています」と述べて、東西を問わず「現実世界での宗教、それと文献、言葉とが結びつくことが必要で大事」と強調しているのです。佐藤優さんは一貫して創価学会員の仲間たちの民衆救済に取り組む姿を礼讃してくれています。この本でも随所で、その視線は宗教の差異を超えて、学会員と完全に一体化しているかにみえます。私はこれらに接するたびに、その期待を裏切らぬようにと、祈る思いになるばかりです◆最終章の2本の寄稿(羽矢辰夫創価大名誉教授と関田一彦創価大教授)は、共に強いインパクトを受けます。前者は「『創学研究Ⅰ』の書評に代えて」との体裁をとっており、そのなかで、池田先生、創価学会が提唱する「人間主義」は、ヨーロッパ由来の概念としての「人間主義」との区別をすべきだと主張しています。これまで「凡夫を人間の唯一のモデルとしてきた(ヨーロッパの)人間主義」と「ボサツを人間の新しいモデルとする人間主義」を区別せよと言われるのです。これには私も全く我が意を得たりです。私風には、これまでヨーロッパのものは、自然をも含む生きとし生けるものへの畏敬の念がないため、「人間中心主義」と呼んできました。「人間主義」だと、羽矢さんが指摘されるように誤解を招きます。私自身は「人間主義」との表現を避けて、敢えて「人間主義(生き物主義)」と面倒な表現をするように心がけてきました。最後に関田さんの「仏法から見た協同教育━━十界論から授業を観る」には感動を禁じ得ませんでした。「学校が子どもたちを苦しめるいじめや不登校の温床になって久しいにも関わらず、未だ解決できないのは仏法の生命論なかんずく十界論の観点から子どもたちの学校生活を考えるという発想が乏しいから」だとの指摘には目からうろこです。公明党の人間としても今ごろになって気づきを得て、恥ずかしい限りです。(2023-11-21)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【102】「日蓮本仏論」の興味津々たる展開━━『創学研究Ⅱ』を読む(上)/11-14

 待望の2巻目が出た。1巻からの熱心な読者のひとりとしての私には特別な思いがある。日蓮大聖人と出会った、つまり創価学会の信仰に帰依した大学1年の4月頃(1965年/昭和40年)は、公明党結成後半年ほどの時であり、それいらいずっと「政治と宗教」を考えることが人生の主たるテーマになってきた。創価学会の信仰を体内に取り入れ、その魅力を人に発信する行為と、公明党を理解し世に喧伝する営みが〝人生自動車〟の車の両輪になってきた。そんな私にとって、創学研究所による、信心、信仰に学問的な考察を加えようという挑戦は、実に魅力あふれるものである。あたかも目の不自由なマラソンランナーが優秀な伴走者を得た思いがするからだ◆「信仰学」をテーマにした1巻に続き、2巻目の主題は「日蓮大聖人論」。ありていに言えば、仏教は釈迦でなく、日蓮大聖人が究極の仏だという「日蓮本仏論」への推移と帰着を追求している。釈迦が創始した仏教において、日蓮が本仏とは如何なる帰結なのか。日蓮という人物は「4箇の格言」で、他宗派への断定的評価付けをあらわにしていったのはなぜなのか──今になお曖昧さが消えない古くからの命題を大事な物入れから取りいだすように、懸命に頁を繰っていった。国際社会がロシアの仕掛けたウクライナ戦争に四苦八苦していたところに、ハマスのイスラエル攻撃に端を発したパレスチナ戦争の再発という複合的悲劇。今や、世界は第三次大戦へと向かいかねない様相で、不気味な恐怖と不安が一段と漂う。その時だからこそ、「宗教再発見」であり、「仏教再考」が求められる──いやそんな悠長なことでなく、「日蓮仏法」の現代的展開である「池田思想」を直ちに広めなければならない。そんな思いが募る。この本の第2章での松岡幹夫さんの「日蓮本仏論再考──救済論的考察」は上下2段組み169頁にも及ぶ大部なもの。門外漢には詳細を究めた議論の連続的展開で、極めてマニアックなものに思われる。だが、あたかもこんがらがった糸をみごとにときほどくような、微に入り細を穿った表現ぶりは、注意深く読めば不思議なほど面白さに満ちている◆今回の試みでまず私が注目したのは、蔦木栄一さんと三浦健一さんという気鋭の若手論者による小説『人間革命』と『新・人間革命』についての考察であり、それに対する佐藤弘夫氏、末木文美士氏という2人の外部学者による講演とそれを踏まえた討論である。とりわけ、佐藤、末木両氏による率直な問題提起や提言は、身内だけの紅白戦に突如外部から武者修行者の挑戦を受けたかのようで、緊張を孕むと同時に面白い議論が期待された。例えば、佐藤氏は、日蓮本仏論について、特権的な宗教的権威を日蓮ひとりに集中させる論理では、「教祖の権威が絶対化され、一人歩きして非常に危険な事態を招きかねません」とし、更に後段でも「誰か特別なひとだけを絶対視するような権威を作らない」ことを望む意向を繰り返している。明らかに、これは宗祖だけでなく、創価学会の側にも向けられた忠告だと思われる。さらに、同氏は、後半の「総合討議」の場で、地球上の全生命が生き残れるかどうかが問われる厳しい時代に入ったにもかかわらず、「創価学会の教学は相対的におとなしく見えてしまう」と、率直な見解を述べている。これは創価学会そのものがウクライナ戦争などや破壊が進む地球上の自然環境の現状に対して強い発信をしていないことを意味していよう。この2点について、研究所側からは直接の答えが読み取れないように思われる。前段の指摘にはノーコメントだし、後段については、〝生々しさの意味〟を取り違えているように私は見てしまう。ここは、もっと世界の現実打開へ発信すべきだとの佐藤氏の指摘だと思われる◆一方、末木さんは、鎌倉時代の仏教について、「仏教の総合化が図られていき」、「宗派対立の仏教ではなかった」とする一方、「従来は『鎌倉仏教は一つを取ったらほかは全部否定する』という考え方が広がっていました」が、「これはまったく間違っています」とした上で、「日蓮についてももう一遍考え直す必要があるだろう」と述べている。これは私のような〝従来的考え〟にとらわれた人間にとっては、強烈なインパクトで響く。しかし、このくだりについて噛み合った議論が見られないのはどうしてか。私が見落としているのかもしれないが、ぜひ、突っ込んだ議論が聞きたかった。他方、末木さんの「創価信仰学はキリスト教の神学をモデルにして作ろうとしている」との質問に対し、松岡さんは、世界192ヵ国・地域に広まっているSGIの世界布教を本格的にやろうとすると、「世界宗教であるキリスト教をどうしても参考にせざるをえません」と述べ、現状の取り組み状況を率直に明かしているのは納得できる。これまでキリスト教神学=佐藤優風神学をモデルにされ過ぎてるのでは、との意見も散見されるだけに、大事なやりとりであると私には思われる。ともあれ、思索の波音が高まり聞こえてくるような貴重な研究の所産にめくるめく思いを禁じ得ない。(以下続く 2023-11-14)

 

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【101】「代議制民主政治」に取って代わる仕組み━━ジェレミー・リフキン『レジリエンスの時代』(柴田裕之訳)を読む/11-11

 「再野生化する地球」にあって、人類が生き残るための大転換の必要性を強調してやまない、今話題のジェレミー・リフキン氏の『レジリエンスの時代』━━ここでの「代議制民主政治が分散型ピア政治に道を譲る」という一章がとりわけ私には興味深く迫ってくる。民主政治の行き詰まりを指摘する声はあまた満ちていても、それに代わりうるものとなると、直ちには思いつかない。そんな中で著者が注目する「分散型ピア政治」なるものは、世界各地で効果を上げていて興味深い◆そもそも「レジリエンス」とは何か。そして「ピア」とは。著者(訳者)は、効率を重視する「進歩」の時代から、今世紀後半には「適応」を重んじる「レジリエンス」の時代へ移行すると、表現している。あえて訳語を与えていないのだが、一般的には「回復する力」を意味する。私としては「蘇生」の意味合いを持たせて理解したい。また「ピア政治」については、「対等者政治」との訳語をあてている。これも聴き慣れぬ言葉でイメージしづらいが、ギリシア語に由来する民主政治(デモクラシー)を踏まえた英語の造語である。裁判における陪審員制度が近いかもしれない。市民の中から、選挙ではなく、無作為に選び出された人たちが、統治に関わる意思決定を能動的に行うというのだ◆ピア議会で最もポピュラーなものとして導入されてきているのは、「参加型予算編成」と呼ばれるもの。自分たちで予算を組むとは魅惑的ではないか。ことの発端は1989年にブラジルのある州でのこと。労働者党がこの地の主導権を握ったことから始まった。地域内のコミュニティ組織を中心に新たな予算提案を募る一方、代表者を選んで「ピア議会」を開催し、皆で話し合って合意を得ていった。もちろん最初からすんなりまとまったわけではなく、あれこれと試行錯誤を繰り返したようだが、それなりの成功を収めた。その結果、上下水道の普及率、医療と教育に回される予算の割合、学校や道路建設が飛躍的に増えていったと報告されている。「ピア議会」の市民参加者数は約10年で、40倍になったという。入れ替わり立ち替わり、普通の市民たちが統治を議論する場に出ていったというわけだ◆現時点で、こうした仕組みを用いて、世界各国の地方自治体で参加型予算編成が積極的に行われているケースは、ニューヨークやパリを含めて一万を超えているというのだから驚く。今や、教育、公衆衛生、警察活動に関するコミュニティの監視、インフラ計画などへと対象は広がっているともいう。市民社会組織の時代の到来として大いに注目されよう。選挙で選ばれた政治家に任せて当たり前だと思っているばかりの日本社会では考え辛い事態だが、自分たちが選んだ政治家の酷い現実にぼやいているだけではいけない。こうした市民参加型統治の仕組みをわれわれも取り入れない手はない、と思われる。(2023-11-11)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【100】熱い思い伝わるも虚しい実現性━━斎藤幸平+ 松本卓也編『コモンの「自治論」』を読む/11-2

 『人新世の資本論』以後の斎藤幸平氏の著作に注目してきた。資本主義の次にくるものは何かをめぐる考察について、である。環境危機や経済格差が一層広まって、国家も大衆も今や危機に喘いでいる。それにつれて崖っぷちに立たされたといえる民主主義の危機を乗り越えるにはどうすればいいのか。破壊されゆくコモン(共有財と公共財)を再生し、その管理に市民が参画していく中で「自治」を育てていくしかない、というのが斎藤氏の目論みであろう。その第一歩を踏み出すための実践の書だと銘打って、松本卓也氏ら6人と共同で書いた本に大いに期待した。刺激的な内容ではあったが、実現への道筋は果てしなく遠いというのが実感だ◆我々は身の回りで「資本による略奪」とでも言うべき事態が静かに進行していることになかなか気づかない。公園などの公共の場を、市民の反対の声を排除しながら商業施設に変えてしまおうという大資本の動きがあったり、公営事業としての水道事業の民営化を持ち込み、そこに利潤獲得の道を開こうとする大資本の試みがあるのにもかかわらず。そうしたコモンが直面している危機的な事態を打開し、逆に蘇らせていくには、ひたすら自治の力を磨きゆくしかないという。コモンを耕し、それを管理する方法を模索するなかで、私たちの「自治」の力を鍛えていくべきだ、と。資本の浸透は、放置していると、全てを乗り越え迫りくる。対抗するには万人が立ち上がるしかない、と◆この本では、斎藤氏以外の6人が、それぞれ大学、商店、区役所、市民科学、精神医療、食と農業といった、現場における「自治」の現状について興味深い問題提起を展開している。とりわけ、白井聡氏の大学における「自治」の危機についての言及には、呆然とするほかない。「教授会自治」も「学生自治」も形骸化は歴然としており、かつての「産学共同反対」はどこへやら、「産業界の意向を受け入れ、他大学と競争しながら予算を獲得することが自明視されて」おり、「『稼げる大学』といったスローガンさえもがはばかりなく語られる」ほどだという。しかも、学生たちのものの考え方も大きく変化し、権力に対して批判的な視点を持つことが当然だとの常識はもはや通用しないとまで。人材育成の要・教育の現場がこれでは、心許ない◆こう書いてくると、「コモンの自治」は前途遼遠で、何を言っても絵空事の感は免れないのだが、斎藤氏はめげずに、最終章で自治実現への手立てを説く。「垂直型の政治や運動に代わる新しい形の参加型『自治』に向けた、21世紀の理論と実践の可能性です」とし、「そのカギとなるのが、万人が〈コモン〉の再生に関与していく民主的プロジェクトです」と力説する。ただ、残念ながら、いかにもわかりづらい言い回しである。「これはユートピアではなく、世界でも、日本でも萌芽の出てきている二十一世紀のコミュニズム(コモン型社会)のプロジェクトです。そして、そうした自治の実践こそが、資本主義の暴走から民主主義を守るための道なのです」というのだが、虚しく聴こえてくるのはいかんともし難い。事態打開への熱い思いは伝わってくるものの、空回りは否めないのである。(2023-11-2)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【99】境家史郎『戦後日本政治史』を公明党をめぐる「老若対話」で読む/10-22

 この本は、占領期から今に至る戦後日本政治の77年余を振り返ったものである。著者が「コンパクトな通史」と規定しているように、政治についてよく知らない若い人びとむけに書かれたものだ。全体の流れを掴むには重宝だろうが、より玄人的な日本政治論を好む向きには、ふさわしくないかもしれない。憲法9条を変えたがってきた自民党だが、その憲法のお陰で「軍事力強化」の是非をめぐるイデオロギー対決が続き、結果的にその地位が安泰となっているとの逆説の効用を説いている。憲法論争ある限り「日本の戦後」は終わらないというわけだ。この本での公明党に関する記述をめぐって、結党当時を知る古い世代(叔父=70代)と、自公連立政権の有り様に関心を持つ若い世代(甥=40代)との対話を試みてみた。

           ◆                                    ◆                                  ◆

甥】この本は、日本が戦争に負けて米国に占領されてから、今に至る戦後77年余の政治の歴史がよく分かって、随分ためになったよ。ただ、公明党に関する記述がほとんど無くて、ちょっと寂しい気がした。こんなにも戦後政治史において公明党は存在感がないのか、と。

叔父】 確かに著者は殆ど公明党を無視しているように見えるね。党結成、PKO 法制定、新進党結成、自公連立あたりのところでほんのちょっぴり出てくるだけ。君と同じくらいの歳の気鋭の政治学者の本なので、世の中で注目されているだけにとても残念だよ。尤も、自民党以外の政党への眼差しも似たようなもんだけど。

甥】そんなに気にしなくてもいいんじゃないの?政権の中軸の動きから公明党はどうしても傍流に位置してると見られるけど、自公政権が長続きしているのは、「政治の安定」という観点からすると、それなりに評価されていると思うよ。ところで、叔父さんが悔しがるのは、公明党のどういう役割が見えてこないからなの?

叔父】そりゃあ、「55年体制打破」に青春を賭けた身からすると、現実に自民党一党支配にピリオドを打たせた公明党の役割が評価されていないことは悔しいね。その上、40年ほど経って結局は「ネオ55年体制」という形で、「日本政治は『元いた場所』に戻っただけなのか」と、問いかけ、〝元の木阿弥〟だというのはねぇ。

甥】いえ、それって当たってるよ。かつての社会党が様々の紆余曲折を経て、いまの立憲民主党になってるし、旧民社党はまるで現在の国民民主党そっくり。あの頃「維新」はなかったといっても、今はなき日本新党に似てなくもないしね。尤も著者が言いたいのは、憲法をめぐる対立が変わらんということなんだろうけど。

叔父】確かに、昔の55年体制と今の政党分布のありようは違うと言っても、通用しないとは認めるよ。自民党が再び野党を圧倒しまくっている現実が甦ってきていることに疑問はないからね。かつてこの本でいう「改革の時代」に、公明党は野党の中核として頑張ってたのに、今では与党の一角を厳然と形成してるんだからね。いわば菓子箱の包装は同じだけど、中の饅頭の味は違うと言ってるようなもんで、わかりづらいだろうね。

甥】今の例えからいうと、中身の饅頭の味が向上してれば、良いってことじゃあないのかなあ。公明党がかつて外から自民党政治を壊そうとしてあれこれやったけど、うまくいかず、内側から変えようとした努力が認められていないと、叔父さんは言うんだろうけど、僕らから見て結構公明党は、子育て政策や若者政策の分野で、頑張ってきてるよ。携帯電話料金の引き下げ、出産一時金の増額、奨学金制度の拡充など中々いいよ。例えとしての饅頭の味はかなり良くなっている。こんな味じゃあ不満?(笑)。

叔父】君のような若い世代が公明党の現状を肯定的に見るのは意外に思うよ。あまりに野党がだらしないからだろうね。私の世代は、もっと激しく世の中を変えていかないと、日本は益々ダメになってしまう、と自分たち世代の無責任がもたらした現状を棚上げして、焦ってる感なきにしもあらずだけど。

甥】ん?我々世代も、改革志向はあるよ。与党公明党の現状に100%は満足していないけど、必ず、今の政治を一歩ずつでも変えてくれるものと、信じてるよ。もし、公明党が与党から外れてしまうと、自民党政治のチェックをどの党がするのか?昔のような政治腐敗が一段と強まってしまうのはごめんだね。

叔父】  ウーン。その辺の現状認識がかなり違うね。我々世代の友だち連中は、公明党って、自民党との間で、選挙協力とか政策の合意などにとどまらず、もっとこの国をどういう方向に持って行くのかについて、与党内議論をやって、国家ビジョンを明確にすべしという意見が多いね。現状では、自公政権の方向性が見えないとの声が強い。東京から東北か信越北陸方面に行くのか、はたまた飛行機に乗って、九州、北海道に連れて行かれるのか分からん。まるで行き先の定まらぬまま旅行会社でああだこうだと言ってるだけみたいだ、と(笑)。

甥】「政治はよりマシ選択だ」って、叔父さんはいつも言ってるよね。理想には遠くても、現実政治を見た時に、野党は勿論、自民党に比べても公明党がよりマシだと思うよ。その辺を選挙戦では訴えていきたいね。(2023-10-21)

 

 

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【98】「脱成長コミュニズム」の由来を探る━━大澤真幸/斎藤幸平『未来のための終末論』を読む/10-17

 斎藤幸平の『人新世の「資本論」』を読んでから、世界を見る目が変わったという人が多い。私も様々の気づきを得た。とりわけ、資本主義の後に来るものとしての「コミュニズム」の存在、捉え方に新鮮なものを感じてきた。冷戦の終了と共に、社会主義が後衛に退き、資本主義の栄華が続くと見たことが、いかに単純で脆いものであったかを痛切に自覚する。そんな折に、大澤真幸との対談をベースにした『未来のための終末論』はとても読みやすくて、刺激に溢れた本だった◆若き俊英・斎藤に比べ、ほぼ30歳年上の大澤の礼を尽くした大人の姿勢は、実に好感がもてる。大澤自身の学問上の師である見田宗介の思想との類似点と相違点を持ち出しての議論は中々わかりやすい。前述の斎藤の本には幾つもの論点があるが、最大のものは「脱成長はいかにして可能か」であろう。斎藤は資本主義に代わるシステムとしての「コミュニズム」を提唱しており、見田は「資本主義の内的な転回によって脱成長は可能」との立場である。両者は似て非なるものだが、大きな違いはない◆「成長至上主義」とでも言うべきものが横行する現状の日本社会にあって、「脱成長コミュニズム」を導入するしか、気候変動、自然環境破壊に対応するすべはないとの主張は明快そのものである。斎藤は、人類はいまウクライナ戦争の泥沼化と共に、❶経済成長を優先させるために2050年までの脱炭素化を諦める❷原発を再稼働させようとしている━━がそれは誤りで、「脱成長」しか本当に進むべき方向はないとしている。だが現状はどうか。「世界を見ていると希望を感じることはあります。それに対して、日本の現状は少し寂しい」(大澤)し、「海外のような発火点になる運動には(日本は)なかなか発展しません。悲観主義に陥らず、新しい運動に繋がるような言説をどうつくっていけばいいのか、考えどころです」(斎藤)というあたりが残念ながら実態であろう◆ここでカギを握るのは公明党だと私は思っている。「人間主義」を掲げ、〝自然との共生〟を基本に据える政党が、旧態依然とした「経済成長一辺倒」的態度に凝り固まっているのは時代錯誤ではないか。例えば、神宮の森を伐採する動きなどに真っ先に反対する動きをなぜ見せないのだろうか。自民党を始めとする既成の勢力に与党として、気兼ねしている場合ではないと思うのは私だけではないはず。かつて、党創立者が提唱した「人間性社会主義」(「新社会主義」)なる言葉の実体こそ、斎藤のいう「脱成長コミュニズム」を先取りしたものだったに違いない。その理論構築を怠ってきた党人としての怠慢を心底から後悔しつつ、そう思う。(敬称略 2023-10-17)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【97】冷戦期から冷戦後への橋渡し━━『大統領から読むアメリカ史』から考える③/10-10

 ニクソンの失敗のリリーフ役だったフォードの後に登場したカーターは、本格的な政治信頼構築への立て直しを期待された。しかし、この人は国内的な問題処理というよりも、国際政治での活躍が記憶に残る。「人権外交」の展開で知られるが、補佐役として歴史学者のブレジンスキーの活躍があった。最も著名なのは、エジプトとイスラエルの和平合意への尽力であり、米中国交正常化やソ連との戦略兵器削減交渉の前進に寄与したことだ。のちに、ノーベル平和賞を受賞するものの、対イランでは、アメリカ大使館を占拠される「人質事件」を起こし、救出作戦でも失敗してしまい、大統領の権威は完全に失墜した。こうした過程を通じ、著者はこの人物には「世論を妄信し、支持率の上下に右往左往する傾向」があったと指摘している◆ついで、登場したレーガンは、俳優出身であり、テレビ番組の司会をも務めた。大統領になって、「小さな政府を核とする『新自由主義』のもと、『サプライサイド経済学』を実践」し、投資や雇用を活性化することに努めた。と共に、「悪の帝国」とのレッテルを貼ったソ連に勝利すべく「SDI(戦略防衛構想)」を推進し、ソ連の国防予算を拡大させ、最終的に〝軍拡戦争〟に巻き込むことに成功、財政破綻に導いたとされる。彼は、「俳優に大統領は務まるか」との批判に「俳優でない人に大統領が務まるのか」と反論した。「自らの政策をわかりやすい言葉で伝えて世論を形成し、市民の力を結集しながら国家の威信と繁栄を担保」して、「強いアメリカを復活させ、冷戦の終焉に道筋をつけた、傑出した指導者であった」と筆者は讃える。これについて、私はそうならしめた参謀役は誰だったのか。また後のトランプはレーガンを真似ようとしたはずと見てしまう◆ブッシュ(父)は、歴史上2組目の親子大統領だが、筆者は、彼をして「東西冷戦後の激動期に、民主・共和両党の利害関係に配慮し、中道政治を追求した保守政治家」で、「伝統的な〝共和党らしさ〟を体現した最後の指導者である」と高く評価する。既に見たように、後に続く息子も、トランプも惨憺たる存在ぶりが明確なだけに自然に首肯できよう。この人の実績は国内的には、ADA(障害を持つアメリカ人法)の制定で、従来の公民権法に含まれていなかった「障害」について、雇用差別を禁じ、あらゆる施設の利便性を法によって保障したことだ。外交では、「湾岸戦争」で優れた指導力を発揮し、クウエート解放を実現した。こうしたこともさることながら、私は前任者のレーガン大統領が道筋をつけた「米ソ冷戦の終焉」を、彼がゴルバチョフソ連大統領とのマルタ首脳会談で実現させた功績も大きいと思う◆次のクリントンは、「内政にあっては、制度改革や規制緩和で経済を立て直し、外交にあってはポスト冷戦後期における国際秩序の安定に寄与したリーダーだと位置付けられる。具体的には、ゴア副大統領の提唱した「情報スーパーハイウエイ構想」を後押しし、IT産業の勃興に寄与し、重化学工業重視からの転換を可能にした。また外交面では、中東での「パレスチナ暫定自治協定」の成立を主導したり、NAFTA(北米自由協定)の締結や、IAEA(国際原子力機関)の査察を拒否する北朝鮮に、カーター前大統領を派遣して、重油の提供と引き換えに核開発を凍結させるなど一連の実績をあげた。しかし、再選後に、前代未聞のスキャンダルが発覚した。ホワイトハウス内で女性インターンと性的行為に及んでいたというのだ。これによって、米史上2回目の大統領弾劾裁判にかけられることになった。辛くも罷免は逃れたものの、拭い難い政治的汚点を残した。これには、ケネディを深く尊敬していた彼が、著名な女優と浮名を流した先輩の負の側面を見倣ったのかと思わざるを得ない。また、彼が罷免されて、ゴア副大統領が後を継いでいた方が面白かったのではないか、との「歴史のイフ」に思いを馳せてしまうのだ。(2023-10-10)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

【96】占領期から冷戦の同盟者として━━『大統領から読むアメリカ史』から考える②/10-3

 2回目は、第二次世界大戦後の冷戦期の前半。日本がアメリカとの戦争に敗北した時の大統領はハリー・S・トルーマン。実は、戦争の間中は、4期にもわたってずっとフランクリン・D・ルーズベルトが第32代大統領だったが、1945年4月に急逝し、副大統領だったトルーマンが昇格した。彼は苦労人で大学も卒業していない、庶民出身の大統領であった。私のこれまでの印象は、彼が原爆投下を決断した点と、日本人に人気のあった連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサーを更迭したことの2点で、あまり芳しいものではなかった。だが、著者は、原爆投下でソ連の侵攻に伴う日本の分断国家化を防ぐに至ったこと、大戦の早期終結で、日米間に抜きがたい怨恨が残らなかったことなどをプラス材料にして、高い評価を与えている◆日本は1952年(昭和27年)まで米国占領下におかれるが、この占領政策の直接の最高責任者はマッカーサーであった。トルーマンと次の大統領のドワイト・D・アイゼンハワーとの間に、筆者は戦後の日本社会に民主主義を確立したリーダーとしてマッカーサーを挙げ、それを番外のコラムに詳しく書いている。そこでは「後期の占領政策には、戦争の勝者が敗者に強いるような一方的な押し付けは見られなかった」などと、持ち上げていることは特筆に値しよう。「敗戦を奇貨として変革に取り組み、アメリカと手を携え、時には対立しつつも、したたかに戦後復興に注力した」日本だったからこそ、との側面はあるものの、日米両者による共同作業によって、奇跡が起こったと見ても言い過ぎでないかもしれない◆一方、トルーマンに代わって大統領になったのは、軍人として欧州戦線で大きな功績のあったアイゼンハワーだった。彼が1953年から8年間大統領を務め、現代アメリカを完成させたと言われるが、マッカーサーといい、アイゼンハワーといい、軍人出身の人材に恵まれたことが日本との違いだったと言えるかもしれない。その後がジョン・F・ケネディである。「キューバ危機の13日間」や、黒人の政治的権利を大幅に拡大する「公民権法案」の提出など光の面と、ベトナム戦争への介入など影の面が交錯するものの、「アメリカをよりよい方向へと前進させた類まれな指導者」だったと見るのが素直なところだろう。狙撃死したケネディに代わって副大統領から昇格したリンドン・B・ジョンソンは、前任者から受け継いだ「偉大な社会の建設」にはいい結果を出したものの、戦争継続という負の遺産に押し潰されてしまう◆この後、リチャード・ニクソンは、ウオーターゲート事件で辞職に追い込まれる(1974年)までは、国際政治学者のヘンリー・キッシンジャーを大統領補佐官に抜擢し、電撃的訪中で米中接近を図ったり、米ソデタント(緊張緩和)に貢献するなど幾多の実績を上げた。だが、最終的には政治不信の元凶として最悪の烙印を押されることになった。日本ではドル価値下落に伴う衝撃などと併せて「ニクソンショック」の名で呼ばれることになった。途中で大統領職を受け継いだのが、ジェラルド・フォード。この人は前任者の汚辱という「前代未聞の状況からアメリカを救った」大統領として、筆者は高く評価している。トルーマンといい、ジョンソンといい、フォードといい、副大統領からのリリーフ役に恵まれるアメリカは凄いと言うほかない。(2023-10-3)

Leave a Comment

Filed under 未分類

【95】没落の兆し漂う超大国と日本━蓑原俊洋『大統領から読むアメリカ史』から考える/9-28

 

 いま、超大国アメリカはおかしくないかとの懸念がつきまとっている。それを言い出すなら、英国も、中国も、もちろんロシアもとっくに狂ってる、そして我が日本も、との声が聞こえてこよう。つまり地球全体、全人類にそこはかとない不安が漂っている。その問題意識の上に立ち、まずアメリカという国の歴史をつぶさに見てみたい、と思った。そんな折、『大統領から読むアメリカ史』を手にすることになった。建国の父ジョージ・ワシントン初代大統領から46代のジョー・バイデンに至るまでの46人を6つの章に分けて解説している。順序よく「建国期」からスタートせず、最後の「冷戦後」から読み始めた。なぜ「分断」が常態になったのかを探るために◆ドナルド・トランプ前大統領の登場がもたらした「危機」に至る「転換点」となったのは43代のジョージ・ブッシュ(息子ブッシュ)だと、著者は見る。学生時代は、殆ど勉学に背を向け、酒に溺れていたことはつとに有名だが、結婚を機にキリスト教メソジスト派の妻の献身的な働きで立ち直る。といった家族や周辺の努力もあり、大統領になったものの、本人はいたって凡庸な指導者だったことが描かれる。しかも2001年9月の同時多発テロの勃発以降、政権内のネオコン(新保守主義者)に主導権を握られ、急速に自由主義世界のリーダーとしての矜持を捨て去り、単独行動主義へと邁進することになった。著者は、「ブッシュの最大の過ちは、建国の父たちが希求した崇高な理想を蔑ろにしたこと」と断じ、「かつてのアメリカの輝きはブッシュの時代に一気にその明るさを減じた」と言い切る◆実はその背景に、深く横たわるのが、カナダのジャーナリスト・ナオミ・クラインいうところの「ショック・ドクトリン」の蔓延という問題があると思われる。これは、テロや大災害などの恐怖で国民が思考停止している最中に、政治指導者や巨大資本がどさくさ紛れに過激な政策を推し進める悪辣な手法のことを言うのだが、ブッシュの時代に一気にこれが広まったと見られる。「ハリケーン・カトリーナ」への対応の中で、この魔の手法が被災地を蹂躙したことなども、国際ジャーナリスト・堤未果の解説が詳しく暴いている。この辺りについては、既にこの欄の89回(「特筆すべき民衆からの反撃」)で書いた通りだ。このあと、44代のバラク・オバマがブッシュの残した禍根を払拭するべく、果敢に改革に挑戦する。ただ、オバマは変革の風を吹かせたのだが、多くの実績を残した半面、同性婚の容認などリベラルな価値観をいしずえとする変革の動きが、畏怖の念を抱く保守層の反動の機運を一気に高めることになった。さらにオバマはシリアによる化学兵器の使用や、ロシアのクリミアへの侵略・併合といった肝心の場面で、弱腰な姿勢に終始し、口先だけの指導者との印象を内外に与えてしまう。黒人のリーダーであるが故のリベラルなスタンスも逆に作用し、一部白人の経済的苦境をベースにした、貧富の差への被害者意識を助長したのである◆つまり、トランプが登場する前に、ブッシュがアメリカ国内に「悪魔的手法」が跋扈するのを放置し、次のオバマが、アンバランスな形で「人種差別の空気」や、共和、民主両党の過激な差異化をもたらしてしまった。そんなお膳立ての上に、45代のトランプが自由勝手な大統領として君臨し、米国内の「分断」を決定的なものにしたというのだ。現在のバイデン大統領に、その「分断」を根底的に是正する力は、トランプとの直接的対決の当事者だけに、望めそうにない。それよりもむしろ、プーチンのウクライナ侵攻から始まった世界の「分断」という、もう一つの攻めに喘いでいるのが米国の現実だといえよう。著者は、これからの世界が、応仁の乱以後の日本の戦国時代のようになるのか、ナポレオン戦争終結後の「ウイーン体制」のように、超大国が不在でも大国同士の連携が進むのか、という二つのシナリオを想定している。その上で、後者への道が日本の積極的関与で可能になると希望的観測を述べ、それこそ「意味をなす国家」日本の生き方だというのだが‥‥。(2023-9-28)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類