同時代を別世界で生きた同年代ー星野仙一の「逆算」

新年早々に、元プロ野球選手(中日、阪神、楽天で監督)の星野仙一さんが亡くなったとのニュースが流れた。各紙の評伝は「熱血と愛情の闘将」「反骨の闘将」「燃える男」「厳しさの裏に厚い情」と異口同音に熱い響きで褒め称えた。万人共通の印象を私も抱いていた。彼とは生前に一度だけだが話を交わしたことがある。私が厚生労働副大臣時代。某製薬会社のパーティに招かれた。その会社のイメージキャラクターとしてイチロー選手と星野さんが来ていた。イチローさんとは別室でツーショットに収まり(その写真は今も私の机の片隅を飾っている)、星野さんとは同じテーブルを囲んだ■昭和40年代初頭、慶大で4年間を過ごした私はご多聞にもれず、六大学野球のとりこになった。春と秋の神宮球場に足を運び、手を叩き声をからした。当然ながら矛先は専ら早慶戦。当時の慶応には我がクラスメイトの藤原真、早稲田には谷沢健一、荒川堯らがいた。一方、法政には田淵幸一、山本浩二ら。そして明治には星野。後にプロ野球の世界で綺羅星のごとく輝いた連中だ。星野さんとは束の間だったが、当時の思い出を、共通の友人をあれこれと語った。さして興味を惹かなかったはずだろうに、彼はにこにこと相槌をうってくれそれなりに応じてくれた■かねて子どもの世界では「巨人・大鵬・卵焼き」が人気の定番とされてきた。が、反骨ならぬへそ曲がりの私など、南海(阪神でないところがミソ)や柏戸贔屓だった。要するに強いもの、皆が祭り上げるものに抵抗したい傾向があった。後に、「巨人・東大・自民党」に反発する思いから、就職先に公明党機関紙局を選んだのも無縁ではなかった気がする。この辺り大いに星野さんと軌を一にするものと自賛している。尤も、今や巨人に昔年の面影なく寂しい限りではあるが■星野語録で最も共感するのは、「阪神タイガースの監督を引き受けた時から優勝を大前提にし、何をやっていくかを考えた」(平成16年2月の大阪市内でのセミナー)というものだ。目指すゴールから逆に今なすことを考える方式だ。実は私の政治家としての大先輩である故市川雄一氏も、選挙の世界での「逆算方式」の大事さを何時も語っていた。当選するには何票必要かを目標として立て、そこから一切を逆に組み立てていくというやりかたである。当たり前のことに思えるが、これがなかなかに難しい。自身の一念に未来の結果を強く、深く、刻印してから、その後の具体的戦略と戦術を実行することなのだ。同時代を別世界で生きてきた同世代の死。見事な生き方を前に、我が逆算の答は未だ出そうにない。(2018・1・15)

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