軍師から革命家へ、姫路より萩路に想う

黒田官兵衛から吉田松陰へ。舞台は姫路から萩へと移るといえば、NHKの大河ドラマのこと。少し気が早いが、来年は松陰の妹をヒロインにすえた『花燃ゆ』が登場するという。私はそうしたことをまったく意識せずに、今年の夏休みの旅行先に、萩から津和野といったコースを選んだ。その地に足を運んで初めて街中に林立する幟で知ったのである▼姫路から佐用を経て、中国縦貫道を飛ばすこと4時間余り。秋芳洞に立ち寄った。先日、日経新聞土曜日付けの折込み「プラスワン」に日本で最も人気の高い鍾乳洞として挙がっていたのがこの地。以前から一度は行きたいと思っていたのだが、ようやく今頃になって実現した。3億年前にタイムスリップしたと思わせるに十分な大自然の妙味をたっぷりと味わえた。その地に足を運ばねば見られないというのが観光地の醍醐味だが、まことに迫力があった▼ところが、此の地はこのところ観光客が漸減していると言う。恐らく自然美よりも人工美に関心のある若い人々に、今一歩人気がないのだろう。地上から見る秋吉台の展望台の寂れようはなんとも痛ましかった。それに比べて萩市内はなかなか魅せた。萩は小京都が通り相場とされるが、萩八景と呼ぶばれる船中からの風景は小ラインを思わせるほど豊かな水量を誇っていた。山また山の中国縦貫道の行きついた先の、川と海は大いに目を和ませたのである▼松陰神社は二度目なのだが、一度目に比べて松下村塾の小ささが気にならず、むしろ堂々として見えたのは不思議な思いがした。こちらの松陰研究の進歩ゆえかもしれない。29歳でこの世を去った巨人は、今やいやましてその存在感を高めている。次に訪れた津和野も森鴎外、西周から安野光雅まで、この地が生んだ偉大な先達を宣揚する施設に事欠かない。それに比べて黒田官兵衛さえも訪れてみる記念の建物がない姫路はいったいなんなのか、と残念な思いを持った。どこへいっても姫路との比較をしてしまうのは、過去の職業柄とはいえ因果なことだ(2014・8・6)

Leave a Comment

Filed under 未分類

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です