ゴルフ練習を10年ぶりに再開して

オリンピックの種目にゴルフが入る一方で、最近ゴルフ人口が下降線をたどっているとの報道も目にした。その理由の一つに挙げられるのが、上達が難しいこととあった。勿論、かかる費用も依然として高価なこともある。それだけではない。集団的自衛権問題がかまびすしく論じられていた6月下旬だっただろうか、公明党の幹部が安倍首相とゴルフに興じている様が報道され、痛くない腹をさぐられるかのごときの批判を蒙っていたこともある。またつい先ごろ、広島の集中豪雨禍が報じられる最中に、夏休みでゴルフをしていた首相が、中断しただけで、再開したことにも非難が寄せられていた。ことほど左様にゴルフは庶民生活からは程遠いものとしての地位を得ていることとも無縁ではなさそうだ▼地方の安月給取りだった我が父も御多聞に漏れず、昭和30年代にゴルフに熱中していた。家の小さな庭に特製のネットを張り、廊下にはパター練習用の”装置”が施されていた。平日は麻雀で徹夜に近い時を過ごしていながら、休みになるといそいそとゴルフバッグを担いで出かけるのが日常的風景だった。後年、大学に入って創価学会の門を叩き、宗教活動に余念なく勤しむ息子の姿を横目にして、我が父は「我が家は親子の関係が逆転している」と嘆いたものだ。普通は、若い方が麻雀、ゴルフに打ち込み、年老いた親父が宗教に熱心なはずなのに、と▼父に意図的に反抗するつもりはなかったが、麻雀は時間のロスに、ゴルフはお金の無駄に思えただけに過ぎない。一緒に酒を酌み交わすことも殆どなく、同じ趣味に興じることもなかった私は思えば親不孝だったかもしれない。銀行マンでありながら、株式投資にも目を離さなかった父に比べ、公明党という「株はご法度」の政党に永年、禄を食んできた私。父の方こそ、”子不幸”ではないかと思い込んできた▼そんな私がゴルフを少しだけだが嗜もうとした時期がある。当選して5年程が経った頃だったか。高校時代の友や大学時代の連れに誘い、誘われ、ほんの一時期ウッド、アイアンを振るなど”芝を刈った”ものである。七人の高校同期と軽井沢に行った日のことは忘れがたい。一人とびぬけた存在の私のせいもあって、しばしば二組が鉢合わせする羽目になった。あれこれ余計なアドバイスの声を浴びながらの私のスイングに七人の眼が注がれた。まさしく先進七か国会議(G7)に入るとか入らないとかと言っていた、ロシアの境遇のようであった▼いつまでも上達しない私のこと、いつの日かゴルフは遠ざかっていった。庶民の真っただ中で生きることを身上とする政治家。師匠も兄弟子もしないものを門下生がするわけにはいかない、とかなんとかあれこれ理由はつけていたが、要するにいつまで経っても高血圧状態(上が150を超える血圧)を脱することが出来なかったからだ。そんな私だが、先日旧友に誘われ、実に久方ぶりにグリーンに降り立つこととなった。10数年ぶりにクラブを持つとあっては、仲間に迷惑をかけてはならないとの思いと、そこはやはり、あわよくばいいスコアを残したいとの下心もあって、市内のゴルフ練習場に出かけ、打ちっぱなしを試みた▼60球では物足らず120球ほど打ち込んだ。わき目もふらずただ闇雲に。その結果何が起こったか?左脇の下が猛烈に痛むことに。整形外科に行ってレントゲンを撮ったところ、肋骨の六番目部分が疲労骨折している、との診断が下った。医師曰く、「急に同じ方向に腕と上体を振る行為を繰り返せば、何が起こるか解りそうなものを」と。「全くろくでなし」とはさすがの先生も口にしなかったが、いいたそうだった(2014・8・24)

 

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