公明党らしさはいつ見られるのかとの問いかけ

十六夜会と銘打っての毎月16日に開く高校同期(16回生)の連中との懇親会があり、神戸まで出かけました。話題はご多聞に漏れず健康のことから始まり、年金、働き方改革などとあれこれと拡散しましたが、私に対してはやはり政治の現状についての不満が向けられてきます。今回は安倍政権の「もり、かけ」問題対応について「いい加減にしろ」との意見があふれ出ました。安倍夫妻の振る舞いはどうみても庶民の感覚からは理解を超えているようです。執拗にこだわる野党への批判は勿論あるものの、第一義的には政府の失態を何とかしなければ、というものでした■公明党への注文は、一体いつまで安倍と付き合えば気がすむのだというものに集約されます。国会での質問も、あまりにも安倍首相に寄り添い過ぎていると非難されました。私にとってかわいい後輩たちが懸命に頑張ってるのを支援してやりたい思いは充分にあるのですが、いささか与党ズレが過ぎていないかとの指摘には苦慮せざるを得ません。先日の衆参の予算委での集中審議でも、某紙が識者の声として公明党質問への疑問を投げかけていましたが、当たっていると言わざるをえない印象を私も持ちました。「赤松が国会にいたら、もちっとはましな質問をするだろう」とか「安倍に痛烈な皮肉の一つや二つはかますだろうなあ」との声もあり、思わず悪乗りしそうになりました■またその翌日は地元で親しく付き合っている医師のM さんご夫婦と久しぶりに食事をしながら歓談しました。その際に「公明党は本来自民党と政権を組むに当たっては、内側から改革を進めるため、と言っていたはず」「一体今の場面で公明党は安倍さんや自民党をどう諫めているのですか」「改革とは名ばかりではないのですか」と真顔で突っ込んでこられました。「必ずその内には結果が出るはず」と言い返しはしましたが、「その内って、いつですか。一体いつになったら公明党らしさが見られるのですか」と追い打ちをかけられてしまいました。与党になって早いもので20年が経ちます。確かに現実政治に効力を発揮する建設的提言を盛り込んだ質問は合意形成に役立ちます。ただその一方で、政権を揺さぶるような本来の質問の醍醐味は見られなくなってしまいました■かつて私が公明新聞記者として国会を担当していた頃(昭和44年)は佐藤栄作首相でした。その後、私が初当選して政治家になった時(平成5年)の首相・宮澤喜一氏くらいまで、総理大臣という存在はそれなりに威厳もあり(例外は勿論ありましたが)、大げさに言えば質問者からの森羅万象のテーマに及ぶ問いかけに答えていたものです。それがいつの頃からか様変わりしてしまいました。小泉純一郎首相に至っては「俺がそんなことに答えられるわけがないだろう」と開き直る始末。変われば変わるものです。自民党もかつては「三角大福」といわれた時期に代表されるように、後継の人材が犇めいていました。今のような「安倍一強」といわれるようなリーダー不足が指摘される時代は稀だったのです。原因は、選挙制度から、時代そのものの変質などあれこれと指摘されましょうが、寂しいものです。自民党でいえば、私の大学後輩にあたる石破茂氏に反主流派としてもっと頑張ってもらいたいし、公明党にも政権与党内野党として、目の覚めるような活躍を望みたいと思うことしきりです。(2018・5・19)

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