観劇中のあくび連発の本当の意味は?

落語家殺すに刃物はいらぬ。あくびの一つも見せりゃいいーどこかで聴いた言葉だ。私自身も演説会やらちょっとした会合で話している際に、あくびをされると、喋る気持ちが萎えてしまい、げんなりしてしまったものだ。ことほど左様にあくびの持つ力は大きい。つい先日、そのあくびを自らが連発してしまった。しかも二つの催しで続けざまに。一つは、舞台公演『炎立つ』を鑑賞しているときのこと、もう一つは、宝塚創立100周年を記念する展示会での学芸員の説明の場でのこと▼『炎立つ』は、20年前のNHK大河ドラマは観ていないが、高橋克彦の原作は印象深く読んだ覚えがある。このたび東京を皮切りに全国各地で舞台公演されることは不覚にも知らなかった。様々な面で、何かとうるさい友人がフェイスブック上でまさに絶賛していたこともあり、決して安くない前売り券を購入した。兵庫県立芸術文化センターの阪急中ホールのS席。前から8列目だった。前半はそれなりに惹きつけられたのだが、真ん中あたりからはいけなかった。片岡愛之助、平幹二朗をはじめ大熱演だったし、音楽効果も舞台芸術も意匠が凝らされていた。が、どうにも話の展開が平板すぎると私には思えた。平和の楽土を東北・奥州の地に作りたいとの思いのみが先行し、3・11を連想させられるのもわざとらしい。ついに二部の最終盤あたりでは居眠りをする始末▼『宝塚100周年展』は、県立美術館で開催中。こちらは招待券を頂いていたので、特段「宝塚びいき」ではないのだが、西宮からの帰り道に足を運んだ。展示そのものはわたし的にはとくに目を惹かされるものもなく、これまた退屈だった。宝塚のスターは3人を除いてあまり知らない。3人とは扇千景、但馬久美と松あきらである。それぞれに私とは因縁浅からぬものがある参議院議員だった。ところが、この3人が殆ど登場しない。あまりにもスターが多すぎるのか、政治家への転出が好ましく思われていないのか。彼女たちの栄光の過去を覗き見たい思いがあったのに、それが観られなかったのは残念だった。加えて、学芸員による45分間の内容説明は、早口で内容に乏しかった。なんと25回もあくびをしてしまった。▼舞台で演じる側や演台で喋ってる人に観られてはまずいと思いながらも、ここまで連発すると,遠慮も何もなくなってしまい、もう止まらない。自分だけがおかしいのではないかと思わざるを得なかった。周りの観客も聴衆も一所懸命に聴いておられたから。とりわけ芸術センターでは、カーテンコールでアンコールを求める人たちの盛大な拍手は鳴りやまなかった。総立ちになって。要するに、疲れているのではないか。毎朝の10キロ走の見返りがこういうかたちででてしまったのかも。愛之助君、御免ね。目線があったので気づいた?(2014・9・16)

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