瀕死の小さな命を救った大きな医力

「未来ある幼い命を救うことが出来て本当に嬉しい」「過去のすべての手術で最も難しいものだっただけに、今正直言ってほっとしている」ー昨24日肺区域移植を国内最年少肺移植患者(2歳児)に施行して、実質的に世界で初めて成功させた岡山大学病院の大藤剛宏准教授の言葉だ。嫌な暗いニュースが飛び交う中で、飛び切り明るい話題をなまでお届けする。実は、この患者の父(H・Tさん)と私は、議員引退後に仕事を通じて付き合ってきており、親しい仲だ。その彼から息子が「特発性間質性肺炎」というとても難治性の高い病気に罹ってしまい、困っているとの連絡を受けたのはこの7月初めころだった。いらい、2か月近くの紆余曲折を経て、8月31日に移植手術実施、そして冒頭に紹介したような担当医による記者会見を迎えることができた。ささやかながら支援をさせていただいた私にとっても心和む場面だった▼実は昨日の岡山大学病院での肺移植チームのチーフである大藤先生の記者会見を前にしたレクチャーを、現場でH・Tさんと一緒に聴かせていただいた。約一時間の懇切丁寧な説明はまことに分かり易く、感動を誘う素晴らしいものだった。何といっても手術実施に至るまでがスリリングだった。意識がなく、気管内挿管・人工呼吸器でようやく呼吸を保つという瀕死の状態だった患者を、当初入院していた埼玉の小児医療センターから岡山まで運ぶねばならない。自衛隊機を使って緊急搬送したものの、感染を併発し一刻の猶予もならず、移植予定日を繰り上げて緊急生体肺移植に踏み切ったという。勿論そこに至るまでには肺という臓器を提供するドナーが必要だ。小さな乳幼児にはそれに見合った小さな肺が相応しいのだが、残念ながらそういうものはない。家族内で探した結果、母親のものだけが適合するということになった▼患者の小さい胸に大きな母親の肺の袋を入れるには区分けするしかない。ドナーの母親の体内で一つの袋(下葉)を二つの区域の塊に分断し、それを息子の両肺に移植する手術だ。数ある血管や気管支を傷つけないように区域の境を電気メスで切り離す作業は、想像を絶する難作業だったに違いない。この辺りは医療知識も乏しくかつ手先が全く不器用な私など解説する資格も何もないので、詳しく立ち至ることは勘弁してほしい。大藤先生以下30人を超えるチーム・スタッフの懸命の戦いは聴いていてもハラハラどきどきするほどであった▼この場に私が臨もうと思ったのは、親しい知人の息子の世界初という手術の実際を知りたいということもあったが、もう一つは現職時代に導入された臓器移植法に強い関心があったからだ。乳幼児の脳死ドナーからの臓器提供が全くない日本にあって、乳幼児患者への肺移植は不可能とされてきた。実際に多くの患児が命を落としている。そういった現状にあって今回の手術が画期的なのは、肺として機能する最小単位である一区域(18分の1)を切り出し、移植・生着させることが示されたことだ。これはこれで世界に誇れる偉業だと思われるが、一方で乳幼児の脳死ドナーをめぐる問題をどうするかが残る▼臓器移植法の採決に当たって、私は反対した。脳死を人の死とみて臓器を取り出すことには、他人の死を期待する風潮を助長するし、そもそも他人の宿命を帯びた臓器が全く異質の体内で機能するかどうか疑問だと思ったからだ。この考えには今も根本的には変わりはない。しかし、今そこで失われようとしている小さな命を救うためには、なんらかの手が施されなければならない。今回の手術の成功は新たに違う道を切り開く大きな意味がある。それゆえに、私のような主張者にとってもホッとする出来事だ▼この子の胸に入った母親からの移植肺が、体の成長に連れてそれ相応に見合うようになるのか心配する向きもある。大藤先生は成長の度合いにもよるが、再移植は必要はないと激励してくれていた。尤も、その必要が出てきたら、今度は父親の出番だと私は言っている。これは内緒の話なのだが、父親がなぜドナーたり得なかったか。実はコレステロールが高すぎたからだというのが真実(笑)らしい。個人情報だから伏せられたようだが、本人には体をコントロールして子どもと一緒に父親も伴走することが大事だと強調しておいた。そして岡山大の医力をはじめ多くの方々のお世話になって貴重な命を授かった子どもに、そのご恩を忘れてはいけないことも。立派な青年に育つよう私も他人ながら見守っていこうと誓っている。(2014・9・25)

 

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