徒労に終わった13年後の仇討

先日、親しい先輩から「なかなか良かったよ」と勧められたこともあって『柘榴坂の仇討』なる映画を姫路市内で見に行った。平日の3時過ぎに入場したこともあったが、観客はわずか5人くらい。おかげでホームシアターを満喫できた。この映画は、浅田次郎の同名の短編小説から脚本を書き起こしたもので、日経映画欄などを見る限り前評判は悪くない。中井貴一、阿部寛、広末涼子、中村吉右衛門らが出演している。警護の役割を持ちながら主君井伊直弼を暗殺され、自害も許されぬまま13年間にわたり、宿敵水戸藩の刺客の生き残りを探しゆく一人の彦根藩士の物語りだ。井伊大老暗殺事件そのものは明治維新の夜明け前の一大事として広く知られており、私も吉村昭の小説『桜田門外ノ変』で読んだ。襲撃後に、真っ白な雪の上に真っ赤な血とともに、指や鼻など人間の体の一部がむやみに残されていたとの記述が妙に印象に残っている▼その後日談ともいうべきものを描いた映画がこれだが、本の方は未だ読んではいない。『五郎治殿御始末』の中に収録されているというので近く読むつもり。映画と本はどちらの出来栄えも良いというのは意外にお目にかからない。その伝でいうと、本は面白いかもしれない。つまり、この映画は、一言で言うと「静かで、暗すぎる」というのが私の見立てだ。二時間ほどの上映中、”どっと”きたところは僅かに一か所、”くすり”ときたのが二か所ぐらい。笑いが少ない映画というのはいかにも寂しい。まあ、仇討がテーマだから仕方がないのだが、暗すぎるというのは好みではない▼この映画は深刻ぶらずに、ブラックユーモアの味だと見るといいかもしれない。というのも、13年間も追い続けてきて、ようやく仇討の相手を見つけたその日が太政官令によって仇討禁止となったというのだから。これを笑うのは不謹慎だろうか。最後に追い詰めた場面で、「殺せ」と開き直る相手に、亡き大老の言葉を持ち出して主人公は諭す。死んではならぬと説得をする場面には、変におかしな感じがこみ上げてきた。そんな大事な言葉を思い起こすのが遅すぎないか、と▼260年続いた江戸幕府下のおよそ封建的な侍の生き様と、明治維新後の大いなる生活の変革との対比は、極めて興味深い主題ではある。笑いを誘った唯一の場面の前段に感動的なくだりがある。消えゆく侍魂を維新後も持ち続ける男たちが、理不尽なやくざもののある侍への罵倒に耐えられず、次々と加勢に名乗りでていくところだ。このシーンは忘れがたい。あのあたりをもっと強く押し出すほうがわたし的には好ましい。惚れた夫にどこまでもついていく妻の愛しい姿勢や男女のからみよりも▼ところで、13という数字は何故か鋭い響きを伴っていて、小説的なふくらみを連想させるのに合うのかもしれない。山本周五郎の主従の絆の深さを描いた小説『蕭々13年』、高野和明のミステリー小説『13階段』、池上彰一郎の傑作脚本『13人の刺客』などが思い浮かぶ。そういえば、”江沢民の13年”というのもあった。彼がかの国のトップにあって半日教育に執念を燃やした歳月を指す。これは日中両国にとって本格的な悲劇の始まりだった。(2014・10・3)

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