黒澤組の職人が作った私好みでない映画

映画『蜩ノ記』を観た。観る前に、あまり感動しないのではないかとの予感がしていたが、案の定と言えなくもなかった。というのはこの原作小説がわたし好みの映画には向かないと思っていたからである。映画は、一にも二にも激しい動きを持って是とする、というのが持論。活動写真というのに、静かな映像で理屈が多くては相応しくないと思う。加えて映画にはカタルシスが不可避だ。辛い、苦しい、怒りに震えるような映像の連続が続き、途中でそれが一気にはね返されてスッキリするといった流れがないとつまらない。それはお前の好みだろうと言われればそれまでで、まったく違う好みの人もいよう▼残念ながら、これはもうわたし好みの映像ではなかった。ある罪のために10年後の切腹と自宅での藩史執筆を命じられた侍・戸田秋谷とその監視役として送り込まれた若侍・檀野庄三郎。静謐そのものの物語りの展開。主人公の役所広司は凛としており、助演の岡田準一もきちっとしすぎの観が強い。全体的に悪役が充分に描かれておらず、抑圧されたものが一挙に解消されるという筋書ではない。もっともっと理不尽な状況がしつこく前半で描かれないと、後半のスッキリ観が薄れてしまう。中途半端が否めない映画であったというのが私の率直な印象である▼尤も、先日の日経新聞の特集によると、この映画は黒澤明のまな弟子であった小泉堯史の6年ぶりの新作らしく、本物志向を貫く職人たちによる黒沢組のDNAを引き継いだ作品だそうだ。登場する家譜や日記の類は、すべて本物の書家がきちっと書いた。そう指摘されてみると確かにきれいな文字の羅列が印象深い。役所、岡田の二人が並んで書を書いている場面も幾度かあるが、書道の練習が課せられたというだけあって様にはなっている。それはそれで結構なことだが、肝心要の筋書がドラマティックな運びでないと、苦しい。というか、そうしたものが生きてこないのではないか▼原作について私は登場人物が眩しいほど立派すぎるというような感想を持った。映画はその原作に引きずられすぎたのではないか。確か、黒沢組には橋本忍という類まれな脚本家がいて、原作を大きく書き換えてみるといったような試みがなされたことが大きな役割を果たしたと記憶する。偉そうなことを書いてしまったが、あくまで私の視点だ。この映画にケチをつける気持ちはないのであしからず。黒澤映画に欠かせなかった三船敏郎や仲代達矢らの印象が私にはあまりにも強いからなのかもしれない。(2014・10・13)

 

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