高校卒業50年の同期会の席上考えたこと

先日、高校を卒業してことしは50年になるので記念の同期会があった。わが母校は兵庫県立長田高校。旧制でいうと神戸三中。昭和39年の卒業だ。後輩たちの頑張りで今や兵庫県下でも有数の受験校として知られているのはうれしい限りだ。しかも運動や文化活動にあっても決して他校の後塵を拝するばかりではなく、結構有名をはせている。その卒業の年は、いうまでもなく東京オリンピックが行われ、東海道新幹線が開通した。そしてわが公明党も結党された。文字通り食べるのにも事欠いた戦後に一区切りがつき、高度経済成長への道を驀進し始めたばかりの頃といえよう。同世代の歴史家・松本健一氏に言わせると、「1964年(昭和39年)は日本社会が転換した年」だ。我々の親からすれば戦後16年が経って子どもたちを高校に進学させ、3年後に卒業させたということで、本当にホッとした時期だったと思われる▼生まれた年はまさに先の大戦のただ中で、その数たるや少なかった。少し前の世代が産めよ増やせよの世代で、すぐ後が団塊の世代というわけで、ちょうど瓢箪のくびれ部分のような少子化の年代である。それだけに競争という観点からすると、かなりゆっくりした世代であったといえる。つい先ほど世代論を取り上げていたNHKのテレビ番組「オイコノミア」によると、1950年代からはしらけ世代,新人類世代、そしてバブル世代と続き、1970年代からは団塊ジュニア世代、1975年ぐらいから10年間ほどは氷河期世代といわれ、その後はゆとり世代から、この20年ぐらいに生まれた子どもたちはさとり世代と呼ぶようだ。要するに、生まれたときから不景気続きで、「世の中そんなものと悟っている世代」だというのだ▼そうした若い人たちの苦労を横目に、右肩上がりの経済成長のただ中で生きてきた我々世代はまことにラッキーだったというほかない。私は今年の前半期に、小中高大の同期の友人たちとの対談を電子書籍として出版した。そのうち、小学校の竹馬の友で、現在住友ゴムの会長をしている三野哲治君とは『運は天から招くもの』というタイトルで対談をしたが、要するに我々の生きてきた時代は幸せだったということを、関西経済界を代表する一人の経営者として語っていた。また、長田高校時代の同期の高柳和江さん(笑医塾塾長、元日本医大准教授)と、飯村六十四君(内科医)とは『笑いが命を洗います』との題で鼎談をした。ここでも3人は高度経済成長期と重なる躍動感に充ちた青年前期を語り合った。そんな世代と比べると、後に続く若者たちはまことに経済的には苦労が多いように思われ、先輩世代は彼らからすると、罪深く映るはずだ▼時代の甘い汁だけをたっぷりと吸い尽くして,遅れてきたる世代に何も残さないとすれば、確かに問題は少なくない。少し前の総合雑誌での世代間討論が妙に記憶に残っている。それは、そこそこの年金を貰って退官しようとする団塊世代の大学教師に、年金に将来期待が持てない今の大学生が「先生、逃げるのですか」と厳しい追及の矢を放つという中身だった。ともあれ恵まれた時代の子としての我々世代も、ついに齢70を迎える。その時代の意味を自覚したものたちが遅れて来るものたちに何を残すか。その真骨頂が問われるなあと、50年ぶりの再会場面で考えた。(2014・10・25)

 

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