浪速の〝ロシア風〟とりかへばや首長選

大阪があれよあれよと言う間に市長、府知事のダブル選挙になった。まさか、と思う向きが私も含め大方だったと思われるが、予測を裏切る展開である。これまでの経緯を追うと、「大阪維新の会」の常軌を逸したと言う他ない「都構想」への思い込みがある。府と市の二重行政が住民にとって不利益をもたらすとの認識には同調出来る。だが、自分たちの案がベストで、それへの様々な対論、異論があるのに、結果として無視してしまう運び方には賛同出来ない。何よりも、2015年に705585人もの大阪市民が住民投票で反対の意思を示した「民意」をあまりにも軽く考えすぎていることには納得がいかない▼維新の掲げる「構想」とは、一言で言えば、今の大阪市をひとたび解体して、5つの特別区に分け、東京23区のようにそれぞれが行政府として自立しながら、大阪府のもとに集約される枠組みである。東京都と似たものなので都構想というわけであろう(府構想と言えばいいのに)。これに対して公明党は、政令市の行政区を「総合区」に格上げし、区の権限を拡大する総合区制度(総合区案)を掲げてきている。現在ある24の行政区を人口20万人程度の統合区に再編するとともに、市議会議員を現行の86から65に減らそうとしている。市を解体せずに、現行の不備を整頓しようというものだが、主にこの2つの案が対立してきている▼こうしたぶつかり合いの解決には、時間をかけての話し合いと妥協、調整しかないと思われる。住民投票の結果と首長選挙の結果とを混同してはいけない。後者での勝利は前者を覆すに足る選択を導くものではないのだ。大阪の隣に位置する兵庫県から見ていると、まるで別世界のように思えてならない。自分たちの意のままにならないからと言って協議を打ち切り、合意を得ぬまま、府知事が市長に、市長が府知事にと、たすき掛け立候補で選挙戦に持ち込むというのは呆れはてる。プーチン大統領が首相になり、メドベージェフ首相が大統領になって選挙戦に挑んだロシアを連想させる。大阪はいつのまに〝維新王朝〟になってしまったのか▼こういう事態になった背後には、維新の中に公明党は選挙で脅かせば、必ず靡いてくるとの読みがあるとされる。衆院選での候補者調整をちらつかせれば、折れる、と。合従連衡は政治の世界の常だが、有権者の総意を睨まずに、庶民大衆の心から遊離した判断は、政党の私物化であろう。「維新」は、西欧風のイデオロギーを連想させない党名である。だが、その名の由来を探ると、水戸藩の藤田東湖が中国の「詩経」の一節(「周雖旧邦 其命維新」)からとったものとされ、東洋風イデオロギーが臭ってくる。日本の政党の中で、その党名にイデオロギー的残滓を残さない唯一の党・公明党の支持者からすると、 その自己中心のゴリ押し的振る舞いは危険極まりないものに写る。いいところもそれなりにある党だけに残念というほかない。(2019-3-16)

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