こんなことも、私はやってきた(下)

さて次に七月。私が現役の頃から関わっている骨粗しょう症ネットワーク(高石佳知代表)のセミナーの例会があり、参加した(三日)。これには大阪市大の医学部や大阪歯科大の関係者が毎回講師として来られ、高齢者に様々な面で参考になる話をしてくれて好評を博している。高石代表とはもう15年近く親しくしていただいている。歯に骨密度が象徴的に表れ、骨粗しょう症の予兆を見て取れるとの仮説を立て、それを解明するソフトを考案されたひとだ。他方、議員を辞めてから顧問をしている(株)クレスの社長・小田桐将彦氏が創価学会に私のいざないで入ることになった(六日)。この会社は、放置自転車などで崩されがちな都市の景観を、自転車のシェア化を進めることで大いに高めようと、全国の自治体に働きかけている意欲的な企業だ。自転車の活用促進に熱心な国会議員や地方議員に紹介したりしてきた。最初は苦戦したが、最近になって大きく脚光を浴びだしている。創造性溢れるダイナミックな小田桐氏が正しい信仰を得て大いに羽ばたくことを心底期待している▼八月。瀬戸内海の観光振興の一環として(株)ジェノバがこの夏兵庫県の南と北でクルーズを展開した。私はここの相談役を担っており、七月の淡路島・小豆島クルーズ(20、21日)に続いて、八月は但馬海岸でのシーカヤック体験(27、28日)に参加した。新温泉町の沿岸部から初めてジオパーク見学にも挑み、大自然のもつ威力の壮大さに圧倒された。瀬戸内海を日本海との比較でとらえようという試みだが、作家の石川好さんを中心に展開されて既に観光振興に大きな威力を発揮している「北前船寄港地フォーラム」との連動も考えられる。海原を目前に様々な思いを巡らせる旅になった▼九月。AKR共栄会の河田正興専務理事と一緒に兵庫県庁を訪問し、石井産業労働部長らと懇談した(25日)。AKRとはオール小売り連合の頭文字をとったもの。「共同仕入れ、共同搬送、共同保険」で、中小零細市場を大手スーパーから守る戦いを展開してきた実績を持つ。この日は、兵庫県下の中小企業信用取引の現場で,この仕組みを応用して使うことによって、売掛債権の重圧に悩む人びとを救済できると、政策提案した。後日、井戸県知事にも直接説明(10月22日)、大いに共感を得ることができた。今後のライフワークにしていきたいと決意する▼十月。現役時代に私は、衆議院予算委員会分科会でカイロプラクティックにまつわる誤った認識を糺せと、厚生労働省に迫ったとがある。一般社団法人・日本カイロプラクターズ協会(JAC)の統合医療顧問を現在している村上佳弘氏から厚労省副大臣時代に要望を頂いたことがきっかけだった。長く悩んできた私自身の腰痛も完全に治してもらった恩人だ。この村上さんらと厚生労働省医政局医事課長に会い、JACが公認するカイロプラクターズの名簿を届けることができた(16日)。いい加減なカイロプラクターのせいで、世間では危険なイメージが漂っている。その愚さを正していきたいとの思いを共有する私にとって、ささやかな一歩だが安堵することができた▼十一月。尼崎市公明党の土岐良二市議からの要請で党員支部会に出席した(6日)。彼が支部長を務める小田支部は、公明党支持者の密度が濃いところで、ある意味日本最強の地域だ。姫路以外でのこうした会合に出るのは引退後は珍しく、貴重な機会だった。彼は、私が初めて衆議院選挙にでた平成2年の選挙(次点で落選)で遊説隊長(当時姫路独協大生)をしてくれた頼もしい男だ。この日の講演で、私は衆議院解散の可能性に触れ、およそありえないと述べてしまった。わが身の不明を恥じるのはそれから10日もかからなかった。常在戦場をあらためて肝に銘じる▼十二月。総選挙投票日の14日まで、一気呵成で夜に日をつぎ走り回った。主に兵庫2区の赤羽かずよし候補を支援する戦いだった。彼は母校慶応大の13年後輩で、わが弟分になる。自民党代議士の応援を度々受けたが、小泉進次郎氏を迎えたJR新長田駅前は寒い中大勢の聴衆が集まってくださった(5日)。彼の演説は衆議院本会議で初めて聴いて以来だが、ひとの心を掴むのに長けており、ひょっとすると父親純一郎氏を既に上回っているかもしれないと思わせた。さらに、神戸国際会館での大集会開会前の名刺交換会には石破茂地方再生担当相がきてくれた(7日)。控室で20分ほど二人だけで懇談したが、今後の政局展望にとって味わい深い彼の考えを引き出すことになった。もちろん、これは明かせない。「先輩,先輩」といって、いつもおだて、たててくれる彼の前途に幸多からんことを祈る。(2014・12・31)

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