野球とサッカーとを対比した政治改革の時代、今いずこ

4年に一度の統一地方選挙の告示を前に、春の選抜高校野球に続いて、プロ野球も開幕しました。いよいよ本格的な春の到来です。そんな春本番を前にしたある日、阪神から、南海、広島などの球団を経て活躍した元プロ野球選手の江夏豊さんが姫路にやってきました。場所は市内北部の大寿台にある善教寺という浄土真宗本願寺派のお寺。元フジテレビのアナウンサーで今はそのお寺の住職をやっている松倉悦郎氏(僧名 結城思聞)が企画した講演会です。題して「江夏の21球」。友人を誘って行ってきました。語りつくされている話ではあるものの、実物見たさ、聴きたさには勝てません。とはいうものの時期からいっても、場所からしてもいささかの抵抗感はありました。しかし、野球好きを連れ出すには絶好の機会です。楽しいひと時と語らいの場へのプレリュードになりました▼高校野球については、去年の夏に甲子園球場に足を運んだことがあります。球場近くに住む友人を誘って猛烈な暑さのなか観戦に汗を流したものです。炎天下ビール片手の野球観戦はせいぜい一試合を見るのがやっとですが、昔は一日中見ました。小学校時代に父が入場券(全日程分が一枚のシートになった豪華版)を取引先から貰ってきてくれたので大手を振っていきました。準々決勝戦など4試合がありますが、かちわりの氷水をチューチュー吸いながら、スコアブックをつけつつ、ひなが一日観戦に興じたものです。プロとアマチュアと。それぞれの持ち味を存分に発揮するのが野球というものでしょうか▼私が政治家になったばかりの頃はサッカーJリーグの誕生で世間はもちきりでした。当時は政治改革論議が花盛りで、新党ブームが勢いを増していました。古い自民党中心の政治に替えて新しい政権の受け皿作りが大きなテーマになっていたのです。そんな折、私は野球は「55年体制」を象徴するスポーツだが、サッカーは新しい時代の幕開けに相応しいものだと主張したのです。つまり、攻守がさいぜんと分けられて進む野球に比べて、サッカーは瞬時に攻守が入れ替わります。また、監督のサインを常に気にしてお伺いをたてるかのごとき野球に比べて、サッカーはプレイヤーが自分でとっさに判断を下さねばなりません。そのあたりが、派閥の領袖に支配された古い政治と、個人プレーが我がもの顔になった新しい政治とに対比されて面白いと思えたのです▼あれから20年余りの歳月が経ちました。自民党の単独政治が終わりをつげ、連立政権が常態となる事態が続いています。一時は二大政党が適宜交代をするやに見える状況もありました。しかし、このところ自民党が圧倒的な議席を得て、元の木阿弥になったかのような感じがしないでもありません。つまり一強の横暴を許しかねない事態の再来です。過去と違うのは公明党の存在が政権にしっかり根付いていることです。断じて自民党政治をチェックする役割を公明党が果たすよう監視を続けねばなりません。「江夏の21球」に見る駆け引きを聴きながら、改めて野球やサッカーというものと政治との対比に身を焦がしていたころを懐かしく思い返していました。そして地方から新たな政治の風を起こす役割を、公明党が原点に立ち返って果たす必要性を痛感しています。(2015・3・29)

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