公明党への「安保法制批判」はなぜ強くないのか

「安保法制は憲法違反である」との憲法学者らの指摘が今一つピンとこないのはなぜでしょうか。それは、自衛隊の存在そのものが憲法違反の疑いが強いと言われ続けてきたこと、しかもそれを声高に叫んできたのが当の憲法学者の皆さんだったということと無縁ではないように思われます。つまりは憲法9条に関しては、とりわけ見方が大きく分かれており、合憲、違憲の判断基準が極めてあいまいであることに起因しています。ある意味で、国民の耳は違憲の疑い云々には慣れっこになっているといえましょう。合憲というお墨付きが望ましいことは間違いがありませんが、違憲だと言われても現実とのかい離は如何ともしがたく、むしろ違憲と合憲の狭間をどう埋めるかという問題が私のような人間にとってはずっと関心事でした▼公明党の外交安保部会長、憲法調査会座長をやり、長年国会議論に携わってきた人間として、今の事態にもっと突っ込んだ意見の開陳をせよという仲間がいます。恐らくは、公明党の山口代表がしようとしてることなのだから、間違いはないはずなのだが、どうも安倍首相の言動には胡散臭いものを感じる、一体真実はどこにあるのか、お前の考えをはっきり言え,ということなんでしょう。本当は憲法を改正して対処すべきことを、ギリギリの憲法解釈ですませようとしているところから、混乱が起こっています。これは、仮に今のままだと、もっとひどいことになる恐れがあります。公明党が頑張ってあれこれと歯止め策を講じたことで、実際には「悪い方向には動かない車」になってるとの指摘が最も適切でしょう▼今回の国会論議を見たり聞いたりしていて気づくことは、与党・公明党への批判があまりないということです。本来ならば安倍自民党と一緒になって安保法制の具体化に取り組んでいる、小なりとはいえ与党なのだから、攻撃の矛先は十分にむけられて当然なのですが、あまりありません。なぜでしょうか。三つほど理由があげられます。一つは、あまりに安倍さんのやり方がひどいので公明党が見えない。二つは、公明党が懸命に歯止めをかけているので攻撃するのに忍びない。三つは、公明党なんか叩いてもしようがない。恐らくはこの三つがない交ぜになっているというところが真実でしょう。よく考えてみると、自衛隊憲法違反論をぶってみても事態は変わらないどころか、現実的には日本の国際貢献にとって、自衛隊は大いに役割を果たしてきてくれました。私が自衛隊という存在を考える時に思い出すのは、日本共産党の議員が自衛隊の駐屯地を視察に訪れながらも、栄誉礼には応じようとせずにバスの中でじっと隠れるようにしていたことです。「なぜ降りないのですか」と聞くと「自衛隊は憲法違反の存在だから」と言われたのには呆れたものです▼憲法違反だから集団的自衛権は一切ダメという、オールオアナッシング的態度ではなく、限定的ではあっても憲法9条がギリギリ許すと見做される範囲での対応努力が必要です。公明党が主張して盛り込まれた歯止め策は1⃣自国防衛のための新3要件2⃣相手国を破滅させる兵器の保有は認めないで、専守防衛を堅持3⃣任務遂行型の武器使用は認めても、治安維持行為はしない4⃣後方支援は、活動中を通じて戦闘行為がない地域でのみ実施するーなどです。日米同盟の絆のもとに、今の国際政治の現実はあるのです。アメリカの青年が血を流す時に、せめて日本の青年は汗を流すぐらいはしようというたとえは甘いでしょうか。一国平和主義で何もしないまま平和を安閑として享受するのではなく、精一杯「行動する国際平和主義」の実を結ばせようとしているのが公明党だと思います。(2015・7・15)

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