新聞社と大学との連携への熱い期待

新聞社と大学。この二つが一緒に地域貢献をしたいという連携協定が結ばれました。どちらも社会の木鐸、つまり先駆的に牽引する役割を担う集団ですから地域社会にとって非常に結構なことだと思います。友人からそれを記念してのシンポジウムがあるから、行かないかと誘われたので、二つ返事で承諾しました。具体的にはさる五日に神戸新聞社と関西学院大学の間で結ばれました。神戸を根城にする両者が生き残りをかけて世に問う試みと大いに共感をしました▼新聞社は今や存亡の危機にあると私は思います。世にいう「活字離れ」から、紙の文化は絶滅寸前です。新聞に代わって電子媒体が隆盛を誇っています。大学も象牙の塔に籠ってるうちに、もはや無用の長物と化しつつあります。知識や知恵を得る手立てはあまた満ち溢れており大学に頼る必要性はあまりないというのが現状なのです。そういう現状を覆すために、神戸新聞は「もっといっしょに」という地域パートナー宣言を打ち出しました。地域社会の皆さんと「もっと近く、もっと深く」付き合いたいとの願いを込めたキャッチです。よくわかります。これまで「遠く、浅かった」し、一体感とは遠かった関係を変えたいという思いです。一方、関学は理工系の産官学連携だけではなく、文系の地場産業との連携や学生の活動での地域活性化の推進をうたっています。「社会に開かれた大学とするために」、「大学における研究成果や人材等の知的資源を地域社会に提供する」というのです。そうでしょう。あまりにも大学と地域社会は迂遠な関係にあったのです▼この日のシンポジウムでは基調講演に村尾信尚関学大教授(ニュースゼロのキャスター)が登場。テロ後のパリで、これからの世界の行く末について考えたことを披露されました。少子高齢社会に突入する日本が、GDPが世界のなかでわずか4,3%しか占めていない状況で、海外ともっとつながることが大事だと強調、聴きごたえある問題提起でした。新聞社も大学もグローバル社会の中で国際化にどう対応するかが問われています。その一方で、どちらももっとローカル社会で個別の課題への対応力が問われているのです。いわば遠心力と求心力の双方が同時に求められているのが現状でしょう。村尾さんが海外ともっとつながることを強調されましたが、大学と新聞社の関係者はもっと地域社会との連携を密にすることが大事だと訴えていました。見事に基調講演とは反対の方向を向いたパネラーの主張には笑ってしまいました。恐らく時間がなくて、グローバルとローカルの両方向を見据えた話には及ばなかったのです▼事前の打ち合わせ不足も原因だったかもしれません。せっかくの機会だったのだからもっとかみ合った議論が聴きたかったというのが本音ですが、まあご愛嬌でしょう。私からいわすれば新聞社は記者ではなく幹部が一般大衆の中にもっと入ること、そして大学は学生だけではなく、教授が率先して社会の渦の中に入れば、かなり一般の受け止め方は変わると思います。そのあたりの壮絶な撃ち合いが聴きたかったのですが。まあこういう催しは一回だけではなく、引き続きおこなわれるべきでしょう。次回に期待したいと思います。(2015・12・11)

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