前議員の会で熱い論争や画期的提案をした後に……

14日から二泊三日で上京しました。顧問先の仕事をこなすことが主たる目的でしたが、偶々最後の日に、恒例の「前議員の会」が行われるとの案内がありました。これは年に二回開かれており、毎回、議員会館で学者の講演を聴いた後、衆議院議長公邸で懇親会があります。私は議員を辞めてから3年が経ちますが、今回初めて参加しました▼今回の講演は、京都大学名誉教授の中西輝政氏の『危機に立つ日本の安全保障』でした。外交安全保障の分野に長く携わってきましたから、この人の著作はそれなりに読み、講演も幾度か聴き、言葉も交わしたことがあります。『大英帝国興亡史』など胸躍らせて読んだものです。講演のなかで「私は歴史学者でした。ベルリンの壁の崩壊後、激動する国際政治の渦中に巻き込まれてしまい、ようやくこの2~3年は元に戻りました」と述べられたのが印象に残りました。かつて、中西さんが産経の「正論大賞」を受賞された際のパーティの席上、「先生は最近過激すぎますね。以前とは変わられましたね。少々ついていけないとの声がありますよ」と直接話しかけたことが懐かしく思い出されました▼5~60人が参加した懇親会ではオールド・ポリティシャン同士での昔話に花が咲いていました。私も多くの人と会いましたが、元官房副長官や元外務副大臣を経験したA氏とは熱が入った対話をしました。というのは、安保法制をめぐって「公明党は二の字に二の字の下駄のあとですね」、と挑発してこられたからです。山口那津男代表が連立離脱はないと決めて交渉に臨んだことを主に指しているようです。私はそれがあったからこそ安倍首相の譲歩を可能にしたのではないかと反論する一方、「それよりも自民党内に全く論争が起こった風に見えないのはどういうことですかね」とやり返しました▼大島理森議長には、衆議院議員を辞めたら名誉衆議院議員との名称を考えるべきでは、と提案をしました。大学の名誉教授のケースを習って、と言いかけたときに、会場に新たに福田康夫元首相が入ってこられたので中断してしまったのは残念でした。様々な思いを抱きながら会場を後にしました。それから二日後の18日。森本晃司元建設相が亡くなったとの驚くべき報が飛び込んできたのです。あの日顔を出されており、言葉も交わしました。「奈良の観光案内をするからぜひお出でよ」との温かい言葉も頂き、こちらは「近く仕事で橿原に行きますよ」と報告したものでした。お元気そうに各テーブルを回って、多くの人と挨拶を誰よりも熱心にされていた姿が目に焼き付いています。亡くなられたなんて今なお全く信じられません。天を仰ぐのみ。人の命の無常さを改めて実感します。(2015・12・21)

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