奥深き国・タイのとば口に立ってみて……

先週明けの17日からタイのバンコクに三泊四日で行ってきました。今なぜタイなんでしょうか?これまでの人生で行く機会がなかったのでここらでなどというありきたりの理由やら、仕事絡みということもありました。しかし、行ってみると色々と考えさせられることが多く大変に貴重な旅となり、私が今行くべき必然性があったような気さえします。タイにしばしば趣味と実益を兼ねて行っている友人にあらかじめタイの印象を聞くと、「とっても優しいひとが多いけど、『暑い、汚い、臭い』ところだ」というのが答えでした。私としては、「爽やか、賑やか、したたか」な印象が率直なところです▼タイの一月は暑すぎることもなく、もちろん寒くもなく、ちょうどいい感じでした。亡くなられたプーミポン国の喪明けと重なり、どこもかしこも観光客と喪服姿の人々や旧正月を祝う地元民とでごった返していました。そしてツクツクという三輪車風の乗り物の若い運転手は、暴走族さながらで乗客の私たちの肝を冷やさせたうえ、ぼったくりの運賃請求をしてきたのです。タイ式マッサージ師の女性の豪快そのものの揉み方と共に、優しさよりもしたたかさが上回る印象は否めませんでした。建設ラッシュで超高層ビルが林立、真新しいビルには欧米の専門店が軒並みオープンしており、よほど注意していないと、ここがアジアの一角だということを見紛いかねないぐらいです▼今回のタイ訪問での私の密かな狙いは、西欧風民主主義の黄昏に直面して、仏教の哲人政治の伝統を持つタイから学ぶことがあるのかという問題意識でした。軍政と市民政治をクーデターを挟んで交互に繰り返すこの国の政治の歴史的伝統は、単なる民主主義の遅れということだけで切り捨ててはならないとの指摘があります。故岡崎久彦氏が駐タイ大使時代に書いた著作で力説しているところです。また、大乗仏教の王たる法華経を身の内に取り入れて50年の私としては、三島由紀夫が自決の直前に書いた豊饒の海第三巻『暁の寺』における輪廻転生の生死観は長い間の判じ物的課題でもありました。小説の中に描かれた寺院とメナム川(チャオプラヤ川)の風景に身を置いて、その辺りのことをじっくり考えてみたいと思ったのです▼かの地では、佐渡島志郎大使と大使公邸で2時間足らず、ランチを頂きながら歓談した際に意見交換しました。また帰国直後に偶々姫路にやってきた外交評論家の宮家邦彦氏と、夕食を食べながら2時間余り話し込みました。共に濃度の差はあれ、私が現職時代にお世話になった間柄の外交官です。ひとの身体のことは医師に訊いたら分かるように、国と国の間のことについては外交官に訊くと疑問が解けることが多い。専門家らしいいい意見を聞くことが出来ました。これらは追々明らかにしていきたいと思いますが、結論はそう簡単には出ません。当然でしょう。言えることはただ一つ。タイは奥深いということでしょうか。(2017・1・22)

Leave a Comment

Filed under 未分類

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です