「死に姿で生き方が分る」ことの大事さー「生死の研究」(2)

「死期を悟って、死を受け入れたと思える人の遺体は、みな枯れ木のようで、そして柔らかな笑顔をしています」-映画「おくりびと」の基になった「納棺夫日記」の著者である青木新門さんの「死を語る」(読売新聞1・22付け)は非常に読み応えがありました。いつの頃かぶよぶよした遺体が増えており、それが延命治療を受けてきた人に多く、それは「死を受け入れず、自然に逆らった結果のようにも感じられます」と述べた後に、冒頭の言葉が続くのです。そして「体や心が死ぬ時を知り、食べ物や水分を取らなくなり、そして死ぬ。それが自然な姿なのではないか」と続けています▼志村勝之氏も彼の母上の延命治療が極めて不本意だったことを述べていて印象深いものがあります。ご本人がそれを望まなかったにも関わらず、結局は最後の段階でそうなってしまったことを悔いているのです。私の親しかった従姉は70代半ばで倒れて、もう意識不明のまま3年近く病床に横たわっています。これはもうむごいとしか言いようがありません。本を読むことが大好きで、あれこれと本の読後感を交わしていた彼女が今のような事態になるなんて。しかし、延命治療を放棄せよなどとはとても言えません。ひたすら耐えるしかないのです。青木さんのいうような死に方をしたくても出来ない。辛いことです▼生きてきたようにしか死ねない、っていいます。しかし、これも残酷な云い方です。意識不明のままで寝たきり状態が続くという、死への道程を誰が元気な時に想像できるでしょうか。私の従姉の生き方にどんな咎があったというのでしょうか。この状態を目の当たりにし、じっと看病を続ける夫の義従兄を思う時に、本当に辛いのは本人ではなく彼だなと思います。そういう老妻を持ち、悩み苦しむ宿命を実感するということで。仏法では「宿命を使命に変える」、と教えています。「悩むより挑む」のだとも。愛するひとが死もままならぬ事態にじっと堪えて寄り添う姿に、多くのひとが感銘すると捉えるしかないと思っています▼私は小学校へ入学する少し前、5歳くらいの時に、祖母と一緒に叔母(祖母にとっては娘)の家に行き、そこで祖母の死に直面した経験があります。初めてひとの死を目の当たりにしました。いらい65年余り。あの時にみた祖母の遺体から流れ落ちた一筋の液体が目に焼き付いて離れません。今私には6歳と3歳の孫がいますが、この子たちに感動を与えるような死に方をしなければ、と思います。勿論、どのように生きてきたかを知ってもらいたいとは思いますが、それを直接分からせるのは、今の歳では無理だろうから、取りあえずは死に方を通じてでしかない、と決意しています。(2017・1・25)

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