Author Archives: ad-akamatsu

二足の草鞋の作家と多芸、一芸に秀でた人との出会い

このところ親しさを増して付き合っている知人、ペンネーム・諸井学さんこと伏見利憲さんが先ほど姫路文化賞・黒川緑郎賞を受賞された。この人については、既に『忙中本あり』でも取り上げた(『種の記憶』)が、電器店を営みながら小説を書いている作家である。長年にわたって姫路の同人誌『播火』に作品を発表し続けてきており、このほど姫路市で優れた文化活動を展開する個人や団体に贈られる同賞受賞者に選ばれた。それを祝おうと、石川誠先生の呼びかけで、姫路賢明女子学院短期大学の森本おさむ先生と私の3人が集まって、先日姫路市内で会食懇談を行った▼諸井さんはポストモダニズムに依拠したユニークな小説を発表する一方、『夢の浮橋』という意欲的な古典文学評論を同誌に発表し始めている(現在二回分)気鋭の作家。石川誠先生は、本業は医師ではあるが、源氏物語から馬術(国体選手)に至るまで文武両芸、諸事百範に渡って悉く極めておられ、とりわけ文学にはうるさい。このお二人の凄さはそれなりに理解しているつもりだった。そこへ森本先生という文学博士の登場である。この人、川端康成の研究において並ぶものなき存在と聞き、もはや戦意喪失したと言う他ない▼諸井さんの受賞記念を祝う会はのっけから、古典から近代文学へとお三方の話す領域は熱っぽく広がっていった。こういう場合、下手に口を挟むと怪我をする。私は専ら美味しい料理を頂きながら、時折相槌を打つことに専念した。私の実態をご存じない森本先生が「政治家でありながら、読書通で知られる赤松さんは‥‥」と水を向けられたが、「いえいえ、私ごときは‥‥」とかわすのが精一杯であったことを告白せざるをえない▼ただそんな私でも、唯一「参戦」できたのは川端康成の自殺を巡る問題であった。芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫らと並んで小説家の自殺の中で、川端康成のそれはいささか異なっている。第一に自殺時が高齢(実は今の私とほぼ同じ)。第二に自殺の原因説が複数に分かれる。私は、自殺について持論を持っているので、つい口を出した。川端研究の大家を前に、である。結果は‥‥。これまで議論、懇談の場面で沈黙は屈辱とばかりに、駄弁を弄することが多い私だが、黙って人の話を聞くことの大事さを改めて知った。「九思一言」とはよく言ったものである。ともあれ、一芸に秀でた人、二足のわらじの人、多芸に通じる人といった三者三様の優れものとのひとときは貴重な経験となった。(2019-2-6)

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北方領土交渉などで意見交換ー久し振りに安保研へ

台湾から帰国した翌朝、私は友人が成田山の参道で営むカフェに立ち寄りました。京都風の雅やかな佇まいは中々の人気で、朝も早いのに観光客がぜんざいや葛きりを食べたり、外国人が写真撮影に訪れていました。数日間の外国旅の疲れをとり、気分転換するのに最適の機会でした。関空に向かわず成田に降り立つ選択をしたのは、ちょうど翌日に一般社団法人「安保政策研究会」の例会があったからです。久方ぶりに正午過ぎに会場の日本記者クラブ10階の会場に赴きました▼この会は、外務省、防衛省出身の元官僚や元新聞記者、政治家OB、中国人留学生やジャーナリストたち10人ほどが月一回集まって、時々の安全保障、外交関連の話題を巡って雑談するものです。主宰は元NHK解説委員で内閣官房副長官などを勤めた浅野勝人氏。昼食をとりながら出入り自由で拘束なしの放談会と言うものの、外交・防衛の専門家たちの見方や若い中国人の考え方が聴ける一方、ほぼ隔月に発刊される「安保研リポート」に原稿を書ける魅力に捉われてきました▼この日は私が帰国したばかりということもあり、若干の訪台報告をさせて頂きました。中国が「観光」を台湾経済のコントロールに使いつつ、台湾国内の隅々にヒタヒタと浸透していること。日本がかつての濃い関係から後退し、関心を急速に失ってきてるかに見えることなど、現地で交歓した古い友人たちから得た情報を披露しました。一年後に迫った総統選挙での民進党と国民党のせめぎ合いやそれに絡む米中の神経戦などについても話しました▼この日の本題は韓国海軍駆逐艦による火器管制レーダー照射問題と対ロシア領土交渉。韓国との一件は、栁澤元官房副長官補が解説。通常の国家としては完全に逸脱した驚くべき対応に次々と呆れ果てたとの感想が発せられました。今の韓国は無視するのが一番との見方が大筋でした。一方、ロシアとの北方領土交渉をめぐっては、浅野氏が、新聞の一コマ漫画での❶ロシアには二本指を出しながら、国内向けには四本指を出している日本政府❷日本が短距離走でいるのに、ロシアは長距離走と思ってるという両国の食い違い❸ロシア国内では、北方領土を日本に差し出すなら、プーチンを差し出せという世論ーなどを紹介。笑いを誘っていました。一方、元外務省官僚が、河野外相が国内に対し、交渉内容に一切触れずだんまりを決め込んでることに大いなる不満を表明していたのが印象に強く残りました。このテーマでの論考を近くまとめるつもりです。(2019-1-31)

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旧正月前の台北で「観光戦略」の重要性を実感

21日から3泊4日の日程で台北に飛んできました。主たる目的は「瀬戸内海島めぐり協会」の専務理事として、現地の旅行会社にインバウンドを巡る商談をするためです。朝から夕刻まで、仲間2人と二日間で合計11社を訪れ、あれこれと意見交換をしました。旧正月前の慌ただしい季節。予想に反した肌寒い気候でコートの有難さを痛感しました。夜は日本台湾交流協會の沼田幹夫所長(大使)と公邸で懇談したり、旧知の毎日新聞台北支局長と面談。帰国直前には総統府を表敬訪問して政府高官と会談するなど充実した旅となりました▼日本への外国からの観光客はいよいよ3000万人を超えて目標の4000万人に近づきつつあります。ただ数は増えても、その内実はおそまつで、真に喜ばれているものになってるかどうかは疑問符がつきます。私の今回の訪台は、台湾人のニーズは何かを探り、彼らが満足する旅行プランを彼らに考えさせて、その実現に向けて支援する狙いを込めました。従来の日本仕立てのものの押し付けは止めることに主眼を置いた新たな試みです▼これは兵庫県と観光庁の地方創生交付金を原資にした、日本版DMOの具体的展開で、大いに注目されるものと自負しています。今回の訪問先のうち2社からは具体的なオファーがありましたし、残りの企業からも、これからの詰めを期待させる手応えを感じました。いくつかの旅行社は今春の瀬戸内芸術祭に興味を持っており、中四国や近畿圏とを繋ぐエリアに足を伸ばして、日本の魅力を満喫してもらうことが出来そうです▼沼田大使との語らいでは、具体的に彼が台湾富裕層の一行と共に四国を訪問した際の経験談を聞くことが出来ました。高松空港での入出国時の手際の悪さが指摘される一方、台湾旅行社が同行させた台湾人ガイドの見事な仕事ぶりには敬服したと言うのです。訪問先の地域的特徴は元より、詳しい歴史的背景に至るまで熟知した上で、見事に解説してくれたと聞き、日本の受け入れ方の貧弱さに身がすくむ思いがしました。また、台湾政府要人からは、日本からのアウトバウンドが昨今少ないことへの注文がつけられる一方、中国が「観光」を戦略的に使って、台湾経済の浮沈をコントロールしていることへの苛立ちが披瀝されました。両者の話から日本の「観光」政策の戦略性のなさが浮かび上がってきました。(2019-1-25)

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大衆的人気博した気骨ある保守政治家の終焉

「こんなかに公明党の人はおるか?俺のこと応援してくれんでもええで」ー12年前の選挙だったろうか。自公選挙協力で、お互いに支援をしようという申し合わせがあったのに、当の自民党の候補者が街頭演説で、公明党支援はいらない、と公言したのである。いささか驚き、慌てた。自民党所属の政治家は、普通は喉から手が出るほど欲しいはずの公明党票。それを断るという全国の自民党議員でも珍しいタイプだった。つまり、票欲しさに自身の節を曲げたくないとの強い意志が伺えた。鴻池祥肇参議院議員のことである▼この18日に神戸で葬儀があった。公明党の県代表として現役の頃に、幾たびかの交流があった懐かしいひとである。最も思い出深いのは、私が鴻池氏の応援演説で、彼と比較してこう述べた。神戸高(旧神戸一中)卒と長田高(旧神戸三中)卒。早稲田大卒と慶應義塾大卒。派手さと地味さ。垂直思考と水平思考。ことごとく相反するものを持つ二人だが一点だけ共通するものがある。それは何か。それは二人とも日本共産党が大嫌い、民主党なんかに負けたくない、この一点は二人に共通するのだ、と▼この時の演説は私の20年に及ぶ政治家生活で、秀逸のものと勝手に思っていた。ある時に、鴻池議員の部屋に行ったことがあり、あれこれと歓談した。その際に、彼曰く、君と俺との根本的違いは憲法観が違うことだよ、と諭すように言われたことを思い起こす。その時、私は面白おかしくその場しのぎの演説をするだけで悦に入っていた自分を恥じた。確かに、憲法9条を巡っては、鴻池氏と私の考え方は、改憲と加憲という風に大きく違った。自由闊達なもの言い中にも、自身の政治信条では一歩も譲らぬ気骨を持ったひとであった▼私の娘がかつて、一番好きな政治家として鴻池祥肇氏の名前を挙げた。その時には軽い嫉妬を抱いた。ご本人にいうと、「おう、俺は若いのから年増まで女に人気があるんや。キミ知らんかったんか」とご満悦だった。青年商工会議所のリーダーとして名を馳せた、政治家として酸いも甘いも嚼み分けた練達の士であった。糟糠の妻ならぬ、兄弟船の舎弟分を失って、麻生太郎元首相(現財務相)の落胆ぶりは想像するに余りある。(2019-1-19)

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「安定」にも限度あり、との自覚ー兵庫での新春年賀会から

毎年恒例の公明党兵庫県本部の新春年賀会が11日の夜に兵庫・新神戸のホテルで開かれました。例年にも増して大勢の皆さんで場内は溢れんばかり。公明党の地方統一選候補者(70人)や、参議院選の候補者(高橋みつお氏ら)が紹介され、意気天を衝く勢いでした。首長や自民党の関係者の姿もいっぱい。今年に懸ける人たちの息吹きの総和で、一種独特のあつい雰囲気を醸し出していました▼その中で注目されたのは山口那津男党代表の挨拶。「しっかりと自公で議席を確保して、安定した政治を継続させる」と強調するとともに、「公明党が政権の安定に果たす役割は重要」だと力説しました。新年早々のNHK総合テレビ『日曜討論』でも、同様の訴えをしていたことを思い出します。キーワードは「安定」。仮に、公明党が政権から離脱したり、あるいはそこまでいかずとも、事あるごとに横やりを入れるような姿勢であったら、たちどころに政権は「不安定」になることは目に見えています。「安全、安心」と並んで「安定」は、今の政治に不可欠の指標なのです▼ただ、一方で、世間一般に、今の安倍自民党政治への「不安、不満、不信」が鬱積していることも事実です。昨年の国会で野党からの攻撃の的になった森友、加計学園と首相との不可解な関係は未だ曖昧なまま。そして、広がる一方の経済格差も庶民の生活基盤を脅かしています。過去の同政権に比べれば、相対的にましではあるものの、そこはかとない影が漂うのも否定できません。自民党内に〝安倍一強〟を牽制する動きが全く見えない中で、ブレーキ役としての公明党への期待が高いことを強く感じます▼山口代表も勿論、そのあたりは重々意識していて、「憲法改正」に向けての総理周辺の先走りを戒めつつ、〝幅広い合意〟作りをしばしば強調しています。また、消費税上げへの軽減税率の導入の持つ意味やプレミアム商品券の効果を繰り返しています。野党勢力がリアルな政策立案を示さない現状では、公明党が政権内にあって改革を着実に実行しながら、時に自民党を厳しくチェックする役割は極めて重要なのです。「安定」を呼号するあまり、庶民とかけ離れてしまう安倍自民党を無批判に許してはなりません。言い換えれば、「安定」にも〝超えてはならない一線〟、つまり限度があり、その自覚が大事ということでしょうか。安倍首相には公明党の〝寸止め〟を意識してもらいたいものです。(2019-1-13)

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仕事始めは、神戸での地域おこし戦略会議

私の仕事始めは、7日に神戸で開いた、地域おこしのエキスパートたちとの戦略会議が皮切りでした。勝瀬典雄広島大客員教授と榎田竜路ボイスアート代表社員と西山しほり(株)plug078社長の3人との顔合わせ及び議論です。これまでもしばしば触れてきたメンバーですが、私の見る限り、3人とも特筆すべきこの分野での〝手練れ〟です。私風のネーミングで紹介すると、勝瀬さんは「地域おこしの仕掛け人」。榎田さんは、「地域おこしの伝道師」。西山さんは、さしづめ「起業家作りの先導者」といったところでしょうか▼この日は榎田さんの「映像制作」を通じての地域おこしの具体的展開のさらなる発展をどう図るかが主なテーマでした。全国各地で彼は、具体的な身のこなし方やコミュニケーション力のつけ方などを通じて、自己肯定感と美意識を培う理論と具体的作法を、高校生、中学生、一般社会人らに伝授しています。それらを踏まえて、彼らに地域の著名人らへのインタビューをします。それを2分間の映像にまとめて制作するノウハウを教えているのです。ユニークな技術の在り方、展開は今や深く静かに広がって成果を上げてきています。彼のこの試みをさらにメジャーなものにすることが私の今年の課題です▼この日の会場は、新神戸駅前にあるホテルの3階。このホテルのロビーより下の各フロアーはかつては大変に賑わっていましたが、殆どのテナントが出てしまい、今や閑古鳥が鳴く寂しい場所になっています。いったいどうなってしまってるのか、というのが率直な疑問です。そういえば、三宮駅構内の「オーパ」も閉店してから随分時間が経ってるのに、塀囲いがされたまま。「神戸」の玄関口がこれでは元気が出ません。駅前再開発の流れの途上なんでしょうが、そういう説明が一切なく、街全体に勢いが感じられないのは問題です▼神戸を始めとする兵庫県の観光、とりわけインバウンドが不調なのは種々の原因があろうかと思います。ここではいちいちあげつらいませんが、今春に行われる統一地方選での各候補者の政策公約の披瀝にはここに着目したいと思います。とりわけ神戸市議選候補者、兵庫県議選の神戸選出議員の皆さんの主張には耳と目を向けてみたいと思います。地域起こしの議論をしていながら、肝心要の足元の神戸の現状に大いなる憂いを持ったまま、この日の会議を終え帰路についたしだいです。(2019-1-8)

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年賀状を書き、各紙「対談」読み比べ(下)

年賀状を書くのはなかなかしんどい。12月に300枚ほどを購入して書き始めたものの、結局年内に投函したのは半分程度。あとは頂いたものへの返事と決めていた。このため、正月三が日は勝負となってしまった。年賀状も色々。私が毎年貰う人の中で、経済評論家の大前研一さんのものは、細かい字で400字ほどびっしりと印刷されていて、読み辛いものの、読み応えがあります。今年のものには「三十年前に『平成維新』を書いて、何事も成就できずに、いよいよ平成とはおさらばします。自分自身の力の足りなさを反省すべきですが、同時に国民の平均年齢が五十を超える二〇〇五年までに改革しないと、数百年はずるずる落ちるという予言だけは当たりました」とありました。「反省すべきですが」と書いてるのは、なかなか殊勝げですが、すぐその後に、数百年先の予言をわずか15年程度で、当たったといいきるのは自信家のこの人らしいです■さて、昨日に続き新聞各紙読み比べをやっていきます。今日は、対談の読み比べです。一番注目されたのは、讀賣。かの小泉進次郎衆議院議員と橋本五郎特別編集委員の組合せ(3日付けは山尾志桜里氏)。ポスト安倍の将来の首相候補のひとりとしての呼び声が高い小泉氏と、私と同世代で、親しい五郎さんとの対決です。「問われる日本の生き方」がタイトルですが、落語、天皇、トランプ、農業、国会改革と話題はとび、面白い中味でした。小泉氏は、トランプ大統領が登場した時に、「わくわくする」とコメントしました。世間的には悪評だったようですが、私はそこに彼らしさを感じ、いい評価をしてきました。彼は改めてこの対談で発言の背景は「日本がどう生きていくか問われる時代になると確信」したからだというのです。そういう時代の主役足らんとする意気が伺え頼もしい限りです。この対談はここにもう少し焦点を絞って欲しかった気はします■もう一つ注目したのは神戸新聞恒例の新春知事対談。今年は劇作家の平田オリザ氏。この人、15年から豊岡市にある城崎国際アートセンターの芸術監督を務めるなど、この地域で芸術文化の力を生かした地域おこしに携わっています。先年読んだ本の中に、彼は「若い女性に好まれない自治体は滅びる」(『人口減社会の未来学』)と述べており印象に残っています。「文化による社会包摂」を目指すとしています。兵庫県が2年後の開校を目指す「国際観光芸術専門職大学(仮称)」の学長に予定されており、この8月には豊岡市に引っ越されるとのこと。「深い教養を備える人材育成を目指す」平田さんに対して、「4年制大学の開校は地域の悲願」という知事とのやりとりは、大いに期待感が高まります。淡路島での観光人材育成を目指してこの数年取り組んできた私は、対抗心を燃やしつつこれから見守っていきたいものと思いました■最後に、公明党の機関紙公明新聞の一面トップの対談にも注目せねばなりません。山口那津男党代表と作家の佐藤優氏との対談です。冒頭から佐藤氏は「平成という時代を思想面から整理すれば、中道主義が勝利した時代と言えます」と切り出し、「社会が変容し、公明党的な中道の価値観が周縁から中心に移ってきました」と断言しているのは嬉しい限りです。東西冷戦崩壊を資本主義の勝利としか見ない世の識者たちは目を丸くするでしょう。ここに佐藤氏の真骨頂があります。一気に読ませます。山口代表はこの対談だけでなく色んな場面で、公明党はもっと安倍自民党批判をとの声に、ひたすら「政治の安定を」と説き、幅広い民意との合意形成をと強調しています。 公明党を「人間主義の価値観で政策を創造し実現できる」党として持ち上げてくれる佐藤氏を、全国の公明党議員は裏切ってはならないと思うことしきりです。この人は、かつて私が衆議院外務委員会で鈴木宗男同委員長(当時)に対して発言(平成21年11月18日)したことを、ほぼ5年後になって著作上で取り上げました。その昔衆議院の証人喚問の場(平成14年3月11日)で、私が鈴木代議士を揶揄したこと〝詫び〟を入れたうえ、鈴木宗男、佐藤優の二人の盟友関係を称賛したことについて、です。佐藤氏は私の発言の背後に、創価学会や公明党が持つ「組織の文化」があり、「国家が何か策動しているときに一歩引いて状況を観察する。国家権力の論理とは別の価値観で動いている」(『創価学会と平和主義』)からだと評価してくれました。有り難いことです。彼についてはまだまだ触れたいのですが、今回はこの辺で。(2019-1-3)

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初日の出を拝み、各紙読み比べ(上)

平成最後の年が明けました。おめでとうございます。私は元旦の朝7時前に家を出て、姫路城のすぐ西にある男山の山頂に行きました。初日の出を拝むと共に、写真撮影をするためです(写真集に掲載)。ここには千姫天満宮があります。千姫は徳川秀忠の娘で、信長、秀吉、家康の三英傑と姻戚関係にあるという日本史最強の血筋の女性ともいえます。その千姫ゆかりの神社です。この山頂に登るにはいくつかのルートがありますが、私は108段ほどの石段を登って行きました。到着時には数百人の人々が鈴なりで今や遅しと日の出を待っていました。よろつきながらの私を追い抜いた青年が「自転車で30キロほど走ってきた」と言いますので、どこからって聞くと、「小野からです」と。「オーノー(Oh!No!)」(笑)と思わず叫んでしまいました。そこまでして来るひとがいるのですから大した場所です■初日の出をカメラに収めたあと、姫路城周辺をジョギングして私の新年は幕開けしました。帰りにコンビニで新聞を買って帰り、早速私が毎年習慣にしている各紙元旦号読み比べをしました。以下、その感想です。新聞社として新年号作りは総力戦ですが、一番力が入ってると思われるのは日経。「ニュース羅針盤」と銘打って6頁ほどにわたって、経済、社会、政治など各テーマごとに深掘りしていました。1面トップのニュース性で目を引いたのは讀賣。中国によるサイバー攻撃からインフラ機密を守るために、14分野の電子データの国内厳守を、政府が関連企業に要請する方針を固めたというものです。企画ものばかりの他社に比べて、唯一ニュース性が伺える中身でした■最も興味深く読んだのは朝日の昭和天皇の直筆原稿252首(晩年の歌など)が発見されたというトップ記事。特にその関連で、作家の半藤一利さんの社会面の解説には惹きつけられました。「國民の祝ひをうけてうれしきもふりかえりみればはずかしきかな」と「その上にきみのいひたることばこそおもひふかけれのこしてきえしは」の2首には特に考えさせられました。前者には天皇の尽きせぬ悲しみを感じた半藤さんですが、後者には、岸信介元首相の死に寄せられたこの歌に、評価を感じて複雑な感情と驚きを表明しているからです。いかにもリベラリストらしい半藤さんならではの書き方です。毎日では大阪府知事、市長の出直し選挙をめぐる記事に強い関心を持ちました。とりわけ公明党の今後の動向について「14年衆院選挙の際、公認候補がいる小選挙区に維新が対抗馬擁立をちらつかせたため住民投票容認に転じた過去があり、方針転換の可能性は残る」としている点です。ここは、維新の党利党略に引っ掻き回されぬよう公明党大阪府本部の頑張りに注目したいものです■毎日の小松浩主筆の「未来へつなぐ責任」と、産経の乾正人論説委員長の「年のはじめに」は、ご両人とも旧知の記者だけに大いに関心を持って読みました。前者の「平成の30年は戦争のない平和な時代だった」との記述には少し違和感を持ちます。戦争は確かになかったのですが、巨大災害の時代であったことに触れて欲しかった、と。戦争はなくとも安全・安心・安定が脅かされた非平和な時代だったからです。一方、後者の「この国自らが厳しい選択をその都度迫られる新しき時代こそ、日本人は戦後の呪縛から解き放たれる、と信じたい」とのくだりは、少し安易な結論に思われました。日米安保に依存しきってきたのが戦後の呪縛だというのでしょうが、支配のあり方が「菊から星条旗」(白井聡)へと移行した日本はそう簡単に「永続敗戦」状態からは抜け出せないからです。(続く=2019-1-1)

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天皇誕生日を京都で過ごし、対話したあれこれ

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冬の吉野で見た地域振興と高校生たちの芽生え

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