Author Archives: ad-akamatsu

二泊三日の上京で、「10番勝負」の充実の語らい

台風21号の直撃で、西日本各地を中心に大きな被害が出ました。とりわけ関西国際空港が水浸しになる被害でおおわらわのなかで、今度は北海道胆振方面でマグニチュード7にも及ぼうかという大地震が起こりました。全く、「大災害の時代」なる言葉が今ほどリアルに聞こえてくるときはないと言っても過言ではありません。そうした現状が起こる前の8月末に私は、二泊三日で上京してきました。主たる目的は、先週に報告した非常用電源設備点検のための一般社団法人設立を総務省消防庁に伝達することでした。ことのついでにあれこれと動いてきたことをここでは書いてみます■第一日目(8-30)。到着後直ちに横浜に行き、高校同級生の友人S君と実に54年ぶりに再会。高島屋での語らいは中々弾みました。地方銀行マンとしての彼の人生を聞くなかで、自ずと私は我が親父を思い出さざるを得ませんでした。16歳から定年後まで銀行一筋だった父。その時代は銀行マンにとって〝古き良き時代〟でした。メガバンク崩壊の流れ止まらぬ今日的状況をめぐり、しばし〝銀の花〟を咲かせました。ついで、根岸の「脳卒中・神経脊椎センター」へ。大学同期の親しい友人O君が不慮の事故で頭蓋骨に損傷をきたした、との連絡があったのが8月初旬。この五月に50年前に旅した同じ地を再訪しようと、彼を含む仲間4人で懐かしくも楽しい時を過ごしたばかり。とても心配しました。彼は脊柱管狭窄症の持病を持っていることも影響したと思えますが、事故当時の詳細を覚えてないというのも困ったものです。ただし回復は順調で大いに胸をなでおろしました。夜は東京・紀尾井町にとって返し、防衛省の新事務次官の高橋憲一氏と懇談しました。彼は私の現役時代に親しい防衛官僚でしばしば話し相手になってくれ、啓発してくれたのです。雑誌『選択』八月号によると、彼は「博覧強記の人」とのこと、この日も話題は宙を飛び交い、知的興奮をもたらしつつ、大いに盛り上がりました■第二日目(8-31)。朝早く鎌倉へ。映像制作者にして教育家の榎田竜路さん(アースプロジェクト代表社員・北京電影学院客員教授)に会うために。彼とはここ数年密な付き合いを深めています。高校生を始め地域の若者に対して、彼らの住む地の名士へのインタビューを通じて得たものを3分間の映像にする技術、思想を教えている人物です。この日は、私の取り組む「瀬戸内海島めぐり」観光へのアドバイスを貰いました。午後は国会へ。公明党の高木陽介代議士立ち会いのもと、消防庁鈴木予防課長らと種々懇談(先週に既報)しました。4時には、かつて自転車の駐輪場のIT化を巡って豊富なアイデアを駆使して同業界に一陣の風を起こしたO氏と会いました。今度は一転、崖崩れの未然防止のための予報機器の開発に取り組むといいます。防災・減災に効力を発揮することを期待して、大いに激励をしました。夜は、虎の門で、私が厚生労働副大臣時代に秘書官として支えてくれた宮崎淳文氏が課長に就任したことを祝うべく、当時の秘書チームの面々が集まりました。わずか一年だったものの〝貴重な時間〟を共有してくれた得難い連中です。この夜は昔話と共に、それぞれが今取り組む課題について抱負を聞き、激励しました。無性に楽しい夜でした■第三日目(9-1)。朝は阿佐ヶ谷で、観光人材育成のプロ・勝瀬典雄さん(県立広島大学客員教授)と会って、インバウンドをめぐる喫緊の課題について意見交換をしました。この人は日本中を自在に駆け巡り、地域おこしに懸命に取り組んでいる人です。この日も観光への深い造詣の一端を汲み取ることができました。昼は、中野区の後輩S君と久方ぶりに懇談。かつて大手建設会社に勤務していた彼は、公明党員としてまさに八面六臂の活躍を社内でしたといいます。その後脱サラ、起業に失敗してタクシー運転手をするなど、ひとかたならぬ苦労をしました。若き日に私はあれこれと彼を激励し、結婚式にも参列しただけに思い入れは深いものがあります。「生きてる限りは青春だ」との心意気で行こうと、励ましました。同時に、70歳を目前にしながら、少しも変わらぬその前向き姿勢に大いに教えられました。帰りの新幹線は新神戸で途中下車。友人と共催する「異業種交流会」に参加しました。今回私が誘った新しい友人は二人。一人は予備校経営から始まり、今各地で幅広く教育講座に取り組む人。もう一人は神戸市内の高校の副校長。二人は新たに独自の視点で独自の学校法人を設立しようという意欲的な起業家です。この日の会にはほかにも、シンガポールの金融機関に勤める若者(関西の支社)や、国交省から姫路市に出向してきている女性官僚、女性経営者、女性議員秘書など達者な面々が集い、ワイン片手に談論風発のひとときを過ごしました。結局帰宅は深夜に及びましたが、この二泊三日は、10もの意図した出会いがあり、充実した語らいができました。私は出発前に「正雄10番勝負」と勝手に銘打ち、自身を鼓舞しましたが、その甲斐あって手応えある成果を得ることが出来ました。
(2018-9-8)

Leave a Comment

Filed under 未分類

自家発電設備の点検を促す啓蒙活動に取り組む一般社団法人の代表に

9月1日の防災の日を前に、友人たちと共に、「全国防災・減災設備点検協議会」なる一般社団法人を立ち上げました。英語でAll Japan Disaster Facility Inspection
Councilというわけで、頭文字を並べて、略称ADIC(防減協)です。私が代表理事、会長を務めることになりました。大地震など大災害が起きると、発電設備が発動することが基本中の基本なのに、これまで、日頃のメンテナンスが出来ていないために、ややもするといざという時に動かないことがありました。このため法的に義務付けられている自家発電設備の点検を日頃からしっかり実施するように幅広く呼びかけ、現実にその方法をも伝授しようということを狙いとする団体です■さる31日に消防庁の鈴木予防課長らと会い、協議会の発足を報告する一方、意見交換をしてまいりました。その際に、改めて6月1日に改正された自家発電設備の点検方法についての4つのポイントが強調され、確認しあいました。それは❶負荷運転に代えて行うことが出来る点検方法として、内部観察等を追加したことです。これは以前は総合点検における運転性能の確認方法は、負荷運転のみだったのを新たに改正して付け加えたわけです❷負荷運転及び内部観察等の点検周期を、これまでの一年に一回を、六年に一回に延長したことです。これは予防的な保全策が講じられておれば、毎年やらずとも運転性能に支障は起こらないことが確認出来たためです❸原動機にガスタービンを用いる自家発電設備の負荷運転は不要となりました。今まで全てのものを対象としていましたが、ディーゼルエンジンを用いるものと殆ど差がないことが分かったためです❹換気性能点検は負荷運転時ではなく、無負荷運転時等に実施するように変更されました。これは負荷運転時における温度による点検は不必要と分かったことが原因です■これらはいずれも従来からの点検方法をのあり方を科学的に検証、そのデータを基に改正することになったものです。公明党の私の後輩である秋野公造参議院議員が5月末の参議院総務委員会でこの問題を取り上げてくれた際に、かねて進めてきていた改正の中身を総務省消防庁が明らかに示してくれました。「これで大きく非常用発電設備の点検の質的充実を図ることが出来ました」と言ってわざわざ私の元に連絡をくれたものです。私の友人達はかねてこの問題に関心を持っており、防災・減災の観点から、あってなきがごとき点検状況の実態を改善すべきだと問題提起してくれていました■私は現役時に総務委員長をしていました。姫路の後輩である飯島義雄元副市長(現在、関学客員教授)が同省の防災課長当時です。そんな関係からも、一般社団法人を作って、啓蒙活動をすることは必ず世のためになると確信しました。ここまで事が運ぶには、長年の友人である河田正興ビジネスファーム研究所所長の並々ならぬ熱意と尽力がありました。彼の直感ではビジネスチャンスにも活かせるとの確信があり、西濃運輸やコスモスベリーズなどの大手企業も同社団への理事に参画するよう働きかけてくれました。その結果、そうした企業関係者も新たに防災・減災の観点から、新規事業に参入を決断してくれたものです。ともあれ、新しい試みに誠心誠意取り組む所存です。(2018-9-2)

Leave a Comment

Filed under 未分類

縦横無尽に走り回った、この夏の終わりに

6月の大阪北部地震に始まり、7月の長豪雨、そして8月にかけての異常な暑さと、度重なる変な台風の襲来ーこの夏は異常気象の連続でした。8月の最終週を残して、総括するのはいささか早いかもしれません。ただし、暦の上ではとっくに秋ですし、子どもの頃からこの辺りの気分は、〝新学期〟に飛んでいますので、わたしのこの夏を振り返ります。まず、異常気象についてコメントしますと、わたしはかねてより、温暖化の原因はCO2などを主因とするものではなく、太陽の黒点がもたらすものとの「通説」にてるー立ってきましたが、益々その意を強めています。いずれまた科学的裏付けを用意して立論を強める所存ですが、今回は指摘するだけに留めます■さて、この夏に私が動いたなかで特筆出来るものは二つ。一つは家庭訪問です。地域の同志、仲間を一軒一軒尋ねました。残念なことに車を運転することは、不安を伴うとの家人の強い主張で叶いません。このため、親しい友人のご厚意に甘えて、車ごと運転と案内をお願いしました。父母の出身地である夢前町を中心に10日間ほど周り、多くの懐かしい出会いを重ねることが出来ました。私が訪問しますと、「赤松さんが来るって、選挙ですね?」と言われるのには、申し訳ないやら、嬉しいやら、感慨深いものがありました。議員を辞職してすでに5年が経つのですが、やはり政治家の印象が強いようです。もう一つは、友人との出会いの場を積極的に求めて出向きました。月一回定例の友人との共催の「異業種交流の会」に加えて、高校同期の懇親会、大学同窓の家族を交えての懇親会、そして船上での花火観賞会にも顔を出しました。また、初めて参加した新たな友人の主催する食事会では、色んな人たちと知り合うことが出来ました■例えば、ライオンズクラブのメンバーや、スピーチの仕方を研究する会の皆さん、そしてモデルを束ねる仕事をしながら、ご自身は某宗派の尼僧でもあるという変わり種とも知り合いました。主催する人が変われば、その人に応じた友も集まるー類は類を呼ぶと言うのでしょうか。改めて人間関係の妙とでもいうべきものを実感しました。また、徳島県の高校における商業教育関係者の会に、講師として呼ばれて、観光人材の育成について持論を述べました(その内容の概略は、前回上下で掲載済み)。ここではまた終了後に、参加された商業高校の校長や教頭、教諭の皆さんとあれこれと懇談し、刺激を受けることができました。翌朝、そのうちの一つの高校(徳島商)にお邪魔して、校長先生と懇談。ついでに三木武夫元首相の顕彰碑を見たり、その碑のそばでクラブ活動に励んでいた弓道部の高校生たちと懇談、写真撮影もしました■顧問業の仕事や、こういう会に顔を出す合間に、お葬式やお通夜、あるいは病気見舞いなどもする機会があったことにも触れざるを得ません。深刻な思いになったのは癌患者の多いことです。老化と共に癌が進むということは仕方ないとはいえ、本当に多いなあというのが実感です。たとえいかに強盛な信仰を身に帯していても、容赦無く病魔は襲ってきます。そのときにどう迎え撃つかという姿勢に重要な鍵があると思います。先日、その昔に中野区のわたしの家の近所に住んでいた後輩(50歳代半ば)に徳島に行った際に久方ぶりにお会いしました。医師から肺腺癌を宣告されたとのことでしたが、多くの友人、知人、仲間たちから激励され、絶対に治す、負けられないとの強い姿勢には圧倒されるばかりでした。生きてる限りは、生老病死は免れません。使命あるうちは絶対に死にはしない、君は大丈夫、頑張ろうって激励しました。必ず克服して来年の参議院選挙で兵庫に応援に行きますからとの嬉しい言葉を後に、別れました。ともあれ、暑い暑い夏でしたが、厚い厚い友情をいたるところで培い、深めることができた満足できる夏でした。(2018-8-25)

Leave a Comment

Filed under 未分類

観光人材の発掘、育成は高校生からー徳島県での私の講演要旨(下)

観光とは、自分たちの住む地域を改めて見直し、誇りに思うものを抽出して、それを内外の知らない人に知ってもらうことが基本だと思います。「おもてなし」ばかり先行していますが、まずはその前に、他の地域、他の国の人々に、自分たちの何を伝えるかをしっかりと把握することが大事だと思うに至りました。瀬戸内海を巡っては、いにしえの人々が、そこの何に感動したかを追体験し、それをどう表現するかだ、と。そんな折に、私は、3人の強烈な個性を持つ教育関係者に出会いました。3年ほど前のことです。ひとりは、榎田竜路さん。音楽家にして映像製作者。北京電影学院の客員教授でもあります。彼は各地の高校生に地元の様々な著名人へのインタビュー形式での取材を通じて、地域に生きるその人物の実像を3分ほどの映画にするべくその制作、指導に当たっています。その作業から高校生ひとり一人が自分の住む地域に誇りを抱くようになり、ひいては自分とは何者か、何をこれからすればいいかに気づくということを強調しています■二人目は、鈴鹿剛さん。ご当地の徳島商業の先生です。彼とは淡路市で出会いました。徳島商業の男女生徒数人を連れてきておられました。いかにして淡路島を観光地として宣揚するか、そのために何をお土産ものとして売りに出すかを真剣に皆で討議する場に出くわしました。その時に女子高生から貰った名刺には驚きました。「校内模擬会社コムコム社長」とあったのです。高校生世代が自分たちの故郷、阿波・徳島地域の前に横たわる淡路島を動かすことで、徳島にも観光客を呼び込みたいとする積極姿勢には感動しました。我が兵庫・淡路島の高校生がそれに呼応して立ち上がって欲しいものと心底から思ったものです■3人目は、ここにおられる勝瀬典雄先生です。県立広島大学の客員教授をされています。この人は地域おこしの達人とも言える人で、私が以前に関わった企業で顧問をされており、富士吉田市で初めてお会いしました。そこには織物産業の低迷を打開するために、関東各地から高校生、大学生から始まって、デザイナーや企業人たちが集結していました。その後彼らの何人かと一緒にフランス・パリに飛んだり、また八幡平や塩谷、島根、広島と全国各地の地域おこしに携わっておられます。彼が徳島商業と神戸山手大学を教育連携で結びつけ、我々「瀬戸内海島めぐり協会」を観光人材を育てる実践の受け皿にすることに着眼して、焚きつけられました。私はこの人のマジックにかかって今ここに立っているというわけです■高校生世代の若者が地域を売り出すために、その地に住む人々を知り、その地域の遺産に目を配る、そこから全てが始まることをこうした人たちとの出会いから私は知りました。観光に従事することは、自分探しに繋がる。その人材を育み、育てることの重要さを発見しました。茫漠たる知識を何となくわかったように思ってるというだけでは、テレビで今話題のチコちゃんから「ぼーっとしてるんじゃあないよ」言われるのが関の山です。イギリスのリンダ・グラットンという女性の学者が『LIFE SHIFT  100年時代の人生戦略   』という著作の中で、面白いことを言っています。これからの時代は、生まれたのちに、教育を受けて、仕事をして、定年退職後の老後を趣味で過ごす3ステージという固定的な生き方ではいけない、と。5-6年ぐらいでひとつの仕事をする期間が続いたら、一旦大学や別の教育機関に入って数年間、新たな知見をそこで培って、また別の仕事をすることだと言っています。あたかも探検家のように、様々な仕事を次々と取り組む一方で、色々と教育を受けて自己を磨くというのです。そんな生き方から、大きい組織に一生しがみついて生きていくのではなく、自分自身で事業を起こす起業家となったり、いくつかの仕事を同時にこなす顧問業のようなものに従事するようになるというのです■人生100年時代の生き方はそのように自在に教育と労働を繰り返すようになるのかもしれません。知識と知恵の充電期間を持ちながら、その間に自分の新たな労働・仕事を展開するというのは、誠に面白い時代の到来とも言えます。ただ、漫然と3ステージを生きる時代は終わりました。高校生の時から、具体的な職業に関心を持ち、在学中から、考え動いているからこそ、次にくる仕事、行動も自ずから見えてきます。そういう意欲旺盛な高校生世代に刺激を与え、そしてこちらも刺激を受けながら、一緒に切磋琢磨することで、私はこれからの20年を生きたいものと考えています。体験談を交えた私の決意の披瀝になり、皆さんのご興味に役立ったかどうか。徳島の高校生を羽ばたかせる先生方の発奮に、何よりも期待しています。(2018-8-21  一部修正)

 

Leave a Comment

Filed under 未分類

地域おこし、自分起こしは「観光」からー徳島県での私の講演要旨(上)

明後日21日に徳島市内で高校の先生たちを前に(昭和30年度「商業教育研究大会)」)、講演することになりました。ここではその内容について、予め考えていることを公表します。

私は衆議院議員を20年ほどしていましたが、5年前に引退。今は「一般社団法人 瀬戸内海島めぐり協会」の役員をしています。この会は万葉集学者の中西進先生を代表に、冒険家の堀江謙一さんらを副代表にした、船で日本の原風景である瀬戸内海をぐるっと回る観光を推進することを狙いにしています。当面は、瀬戸内海の東の玄関に位置する淡路島へのインバウンドを目標に、その仕事を推進する観光人材の育成に取り組もうとしています。先ほど締結された徳島商業と神戸山手大学との教育連携の延長線上に、観光現場としての瀬戸内海、淡路島があり、その実践フィールドの受け皿に当協会がお役に立ちたいと考えているわけです。私は、現役時代には主に外交や防衛の分野にばかり熱心で、あまり内政、ましてや観光に関心を持ちませんでした。国政をやるなら「外交、防衛」しかない、それ以外は地方議会でも出来るとの勝手な思い込みからでした。しかし、その私が在籍した1995年から2014年は、ちょうど「失われた20年」と言われる時期とダブります。その間に長期デフレで経済は低迷。東京一極集中のおかげで、全国の地方都市は消滅の危機に瀕するようになってしまいました。人口減、少子高齢化の流れは津波のように押し寄せています。その事態を打開するには、どうすればいいか。悩んだ挙句に「観光」と向き合うしかないとの結論に行き当たりました。これからその辺りに至った経緯を語らせていただきます■さて、明治維新から150年の今の日本の立ち位置はどういうものでしょうか。改めて過去を振り返り、これから迎える新たな時代への展望を考えてみたいと思います。世に「日本社会40年転換説」なるものがあります。この150年を捉え直すにはとても便利な枠組みなので、当てはめて見ましょう。まず1865年前後から1905年前後までの40年間は、富国強兵の名の下に懸命の軍事国家作りでした。日清、日露戦争の勝利に酔いしれたその後の40年は一気に下降線を辿った結果、1945年には一国滅亡の危機に瀕してしまいました。そこから今度は、経済至上主義に基本姿勢を改めて40年。1985年頃にはバブル経済の頂点を極めてしまいました。富国強兵ならぬ富国強経の結果です。そして、今はやはりそれから40年後の2025年頃の高齢化のどん底目指して真っしぐら。あと7年ほどです。先ほど述べた「失われた20年」が30年から40年へと伸びる勢いで、社会の奥深いところで漂う不安は隠せません■そんな大状況の下で、最近こんな話を聞きました。ある大学の名誉教授がこういうのです。自分の周りにいる文科系の大学卒業者やその親たちの嘆きや愚痴は只ならざるものがある。大学を出ても自分にマッチした仕事に出くわさないし、大学で学んだことは何も役に立たない、と。皆が深い悩みにある、とも。その大学教授はそういった状況を述べた上で、自分の息子さんを5年も浪人させて歯科大に入れたというのです。これでなんとか食っていける、と。先日来、文科省の高級官僚が自分の息子を医科大に不正入学させたことが話題になりましたが、ことほど左様にただ大学を出ても世の中で役立たないとの不安感が社会全体を覆っていると言えましょう。極端な例を挙げましたが、世のエスタブリッシュメントと言われる人たちのこの異常な感性こそ時代の空気の象徴と言えましょう。人口減社会という世界で未曾有の厳しい事態を目前にして、社会全体をどういう方向に舵取りすればいいのか。また個人個人はどう生きていけばいいのかが今ほど問われているときはないといえます■私は人口減の時代にあっては、富国強兵、富国強経の次には、富国強芸というように、文化・芸術にみんなが価値を認め、ひとり一人が自分の人間性、活力を磨くことに熱心な時代が来ると、いや来させないといけないと思っています。国全体の取り組みとしては、世界中の観光客を日本各地に呼びあつめる「観光の産業化」ということになります。デイビッド・アトキンソンという英国人でありながら日本の各種国宝や重要文化財の修復を仕事にしている小西美術工藝の社長がいます。『新・観光立国論』って本を書いた人です。この人がこの間淡路島のフォーラムで、観光こそこれから人口減社会に向かう日本を浮上させる鍵だとのインパクト強い講演をしていました。観光とは、自分たちの住む地域を再発見し、その町の価値に誇りを持つことから始まります。自分たちの国を知ってるようで知らない、わかってるようでわかっていない日本人。この自覚から全てが始まるのではないかと思うに至りました。(2018-8-19)

Leave a Comment

Filed under 未分類

続・米朝外交の新展開と日本

世界中を賑わせた金正恩北朝鮮労働党委員長とトランプ米大統領のシンガポールでの会談から二ヶ月余りが経った。米国の中間選挙を意識したパフォーマンス対応が色濃かったトランプ氏の振る舞いに比べて、金正恩氏の国際政治の表舞台への初デビューぶりは、なかなか鮮やかなものであった。米朝共同声明の粗雑さが喧伝され、結局は元の木阿弥ではないかとする見方が錯綜する中で、いま米朝関係は奇妙な静けさが支配している。中間選挙への影響を最大限気にするトランプ氏とそれへの最小限の配慮を示す北朝鮮側の睨み合いが、例年を激しく超えた暑さのせいもあって、大いに弛んでいるようにも見える。改めて米朝関係の展開と日本の立ち位置を見つめてみたい■まずは、会談後の経緯を追う。共同声明にもうたわれた朝鮮戦争の米兵の遺骨55人分が、首脳会談の後にハワイの米軍墓地に改めて埋葬されたことは周知の通りである。一方、日米韓の共同軍事演習は会談直後に中止説が出回った通り、ひとまずは見送られた。こういった展開は型通りのもので、非核化に向けての両者の基本的な姿勢は一歩も変化を見せていない。つまり、どちらが先に手をつけるかを巡って譲り合う呼吸は微塵も伺われないのである■ここで改めて確認すべきは、先の首脳会談以前と以後で北朝鮮への世界の見る目が変わったことについてである。北朝鮮のこれまでのいわゆる「瀬戸際外交」と軍事力の相関関係について、一般的には国内政治上の問題を解決するためや国際環境が悪化した場合に軍事行動をとり、それを外交に繋げてきたと見られがちであった。だが、道下徳成氏(政策研究大学大学院准教授)によると、彼らが政策目的を達成するための合理的手段として軍事力を用いてきたことが明瞭であり、興味深い。北朝鮮の瀬戸際外交を巡っては、政策目的として、時代とともに、野心的かつ攻撃的なものから限定的かつ防衛的なものに変化してきたと捉えられる。その目的に合致する軍事行動は、局地的な軍事バランスなど構造的要因によって促進され、あるいは制約されてきた。北朝鮮の指導者たちは、過去の経験から教訓を学び、時とともに軍事行動と外交活動を巧妙に結びつけるようになってきているとの分析が、真実味を帯びて見えてくるというのが、偽らざるところではないか■彼らの外交姿勢において、抑止力が不可欠の役割果たしてきており、法的な要素も用いながら、時に奇襲的行動によって対象国に心理的ショックを与える手法をしばしば用いてきている事実を冷静に見抜く必要があるとの道下氏の分析は鋭い。日本の世論には、長きにわたり、北朝鮮の指導部の政策形成能力を疑問視し、暴発的行動への不審感を募らせてきた趣きがある。今回の米朝首脳会談に至る流れを見ると、それ相応の冷静な判断力や分析力が背景にあるものと見ざるを得ないのではないか■こうした北朝鮮の対応について、背後に中国の存在が欠かせぬとして、今回も対米折衝の合間に金氏の数度の中国訪問をあげる向きがある。勿論、中朝関係は過去の歴史に鑑みて、時々の変貌はあるものの、基本的には唇歯の関係にあることは論を待たない。これまでの、あたかも「北朝鮮無能論」とでも言えるような対北認識が、シンガポール会談以後「中国の操り人形」であるかのごとき論調にジワリ変わったとみられなくもない。こうした世界の対北認識には表現の違いはあれど、北朝鮮は真っ当な力を持っていないと見る点で共通している気がする。だが、そんな認識で事足れりとしていいのだろうか■日本は長い歴史の中での中国や朝鮮半島との関わりを通じて、とくにこの150年の近代史において、北東アジアの盟主として自認してきたことは否めない。つい先ごろまで、日本のみが近代化に成功し、ポスト近代の立ち位置にあり、中国(韓国も)はまさに近代化の只中で悪戦苦闘を続けているとの捉え方があった。北朝鮮に至っては、プレ近代にあるとの認識が専らだったのである。確かに、時代状況全般については大筋間違ってはいない。国民一人あたりのGDP比較を持ち出すまでもないだろう。しかし、巨大な人口と面積を誇る中国は既に大都市部中心に「ポスト近代」を走っている。その事実を真正面から認めたくない日本は、対中認識のズレを対北認識にもそのまま持ち込む傾向なしとしない。つまり、中国については思考停止させ、北朝鮮には、遅れた国に何が出来るかとの蔑む見方があるのではないか■「米中貿易戦争」とも言われる状況下で、日朝が差配できる選択肢は限られてこよう。だが、見方を変えれば、そういう状況だからこそ、より両者の独立度が推し量られるともいえる。「宗主国」「同盟国」をどこまで気にするかは、ある意味で国家としての近代化の目安である。日本は戦後73年という「維新後」の時間軸の半分にほぼ立ちながら、アメリカの呪縛から逃れられないでいる。少し立ち至ってこの我が身の現状を考えれば、中国を気にする北朝鮮をとても笑うことは出来ないのである。(2018-8-13)

Leave a Comment

Filed under 未分類

「変な外人」の素晴らし過ぎる洞察力ー第19回アジア太平洋淡路会議から

毎夏に淡路島ウエスティンホテルで行われるアジア太平洋フォーラム淡路会議が今年は8月3日〜4日に開かれました。これで19回目。引退後のこの5年、私は毎年参加しています。尤も第一目だけで、二日目の分科会は出たことがありませんので、ほんのお付き合いかもしれません。ですが、それでも味わい深い中身で、いつも満足しています。まして今年は、テーマが「都市は競争するー創造性と多様性」で、メインの記念講演が株式会社小西美術工藝社社長のデービッド・アトキンソン氏による「都市の魅力を高めるために日本で取り組むべきこと」とあれば、おのずと興趣は高まったというものです。といいますのも、この人は国宝・重要文化財の補修を本職として手がける一方、『新観光立国論』で山本七平賞をとったり、財界「経営者賞」をはじめ、日本ファッション協会「日本文化貢献賞」や総務省の「ふるさとづくり大賞個人賞」などを次々に受賞。しかも政府へのさまざまな提言をしながら、観光振興のために奔走するというマルチタレントぶりで、「変な外人」(この日のコーディネーターの村田晃嗣前同志社大学長の紹介による=ただし、この人は「変な日本人」かも)と讃えられる人でもあるからです。先年に二階俊博自民党幹事長から勧められて読んだ『イギリス人アナリスト 日本の国宝を守る』も面白かったと言わざるをえませんでした(私の『忙中本あり』で紹介済み)■さてさて、彼の講演は、案の定極めて刺激的な内容でした。一言でその主張を表現すると、世界史上未曾有の人口減に直面する日本は「観光で生きるしかない」というものでした。前段では日本の人口減に対する対応がいかに危機意識がないものであるか、と指摘。輸出小国である実態を自覚せず、未だ輸出大国だとの思い込みの大きさなど具体的で、かつ迫力がありました。外貨の稼ぎ頭としての観光をめぐっては、漸く日本も本気の取り組みを見せて、2013年には1000万人強だったインバウンドが、わずか三年で2.8倍になり、明年には4000万人になろうかとの勢い。観光収入ランキングでベスト10入りしている現状は隔世の感だ、と。かつて彼が観光の重要性を指摘した際に、乗り気ではなかった識者たちが、今頃になって手のひら返すが如く、「自分の指摘した通りだ」と言ってる、と皮肉たっぷりに。これには、身につまされたと思しき場内からも失笑が漂っていました■ただし、確かに日本の観光は伸びはしたものの、未だ未だ本当の力を出し切っていないとの指摘も重要でした。一つは、自然、気候、文化、食事と、観光に必要な4条件を全て満たす稀有な国であり、最大の強みが「自然」であり、最強の伸び代だという点です。日本ほど「自然」に多様性がある国は滅多にないこと、文化に「自然」を足すと、観光に呼びこめる層が広がること、自然観光は長期滞在になるので、多くのお金を使ってもらえることなどは、いずれも盲点といえるものでしょう。二つは、観光地の作り方において、付加価値に対する意識が大事なことです。アクティビティー、解説案内の有無から始まり、座る場所、カフェ、食事の中身などに至るまで、事細かな付加価値の大事さなど私は気づきませんでした。三つは、5つ星ホテルの数が極めて大事なことです。観光戦略の成否は5つ星ホテルによって決まるのに、アメリカ755を断トツに、イタリア176、フランス125、メキシコ93、インドネシア57などに比し、日本はわずか28という実態すら認識していませんでした■この講演を受けて行われたパネルディスカッション「都市の国際競争力を支える成長戦略」も興味深いものがありました。中でも面白かったのは、佐々木雅幸同志社大特別客員教授がリンダ・グラットンの話題の著作『LIFE  SHIFT』を持ち出したこと。これからの「人生100歳時代」にあっては、生涯教育が大事だとの引用をしたのです。仕事は単一なものだけではなく、いくつかのものを渡り歩くことが大事だとして、人生の途中で新たな知見を有するための勉学の期間を持つことの重要性に言及。そのためにも公的支援の必要性を強調していました。佐々木さんは、アトキンソンさんの言う観光力だけでなく、グラットンさんの生涯教育にも力を注ぐべしと言いたかったのでしょう。この議論、私が最近こだわってることと同じです。それだけに我が意を得たりの気分でした。尤も、D・アトキンソン氏も、L・グラットン氏も二人とも英国人。英国人に言われないと、我が立ち位置が分からない我々日本人の悲哀を感じないわけにもいきませんでした。(2018-8-5)

Leave a Comment

Filed under 未分類

ブラジルと日本を繋ぐ二人の男の確かな出会い

7月の初頭。公明党の明年の参議院選挙における兵庫選挙区の新しい候補者が決まった。高橋みつお(光男)氏、41歳である。つい先月末まで、ブラジル駐在の外務省の一等書記官だった。公明党兵庫県本部の前代表である私としては、正式に後援会が発足するまでは、後見人の立場にたたざるを得ない。現県本部執行部から要請を受けて喜んで引き受けた。2日に県庁記者クラブでの出馬会見にも立会い、同日午後に二人だけでじっくりと懇談した。これからの公明党を担うに相応しい大物新人であることを実感。なんとしても当選させたいと強く思った。彼は大阪外語大英米語学科4年在学中に、外務省の専門官試験に合格、中退を余儀なくされた。入省後は、ポルトガル語の担当を命ぜられ、習得。ブラジルを始めとする関係国を中心に30カ国もの国々を飛び回った■私は彼の経歴を知るにつけ、ブラジルと日本の友好関係構築に取り組んできた、一般財団法人「日伯協会」に思いを馳せた。嬉しいことに、現在の同協会の理事長は私の竹馬の友である三野 哲治氏(本年、兵庫県功労賞を受賞)である。彼はつい先年まで株式会社住友ゴムの会長職にあった。京都大を出て住友電工に勤務していたが、常務取締役を最後に、住友ゴムの副社長として栄転。社長、会長と上り詰めた。現在の関経連会長の松本正義氏の住友電工での一年後輩になるが、かつて川上関経連会長当時の秘書長をするなど、関西経済界でも活躍をした。私と彼とは神戸市立塩屋小学校で同期。中学、高校は袂を分かったものの、少年期を共有した得難い友である。今に至るまでの共に抱いた夢を巡っては、電子本『運は天から招くもの』(キンドル)で縦横に語り合ったものである■ブラジルが結びつけた縁で、私は高橋候補と三野理事長とに面談してもらうことにした。まずは下検分にと、「海外移住と文化の交流センター」の中にある日伯協会の事務所を11日に訪れた。元町駅から北に向かって歩くこと15分ほど。神戸港を遥かに臨む高台にそれはあった。兵庫県を地盤とする選挙区で長年過ごしながら、この協会を訪れたことは今までなかった。ブラジルを説明する展示物(「不毛の地セラードを巨大穀倉地帯に変えた日系パワーの挑戦」)などを見ていたら、同協会の移住ミュージアムの天辰充幸専門調査員と出会った。私が初めての訪問だというと、彼は最上階の部屋に案内してくれ、神戸港を眺めるように勧めた。110年にも及ぶ日本からの移民の歴史の中で、数知れぬ人たちがこの窓から遠く海の向こうの地をどんな思いで見てきたか考えてほしいと言われた。移民についてほぼ無関心だった自分を反省せざるを得なかった■17日に高橋候補と一緒に、住友ゴム本社に三野・同社相談役を訪ねた。冒頭、ゼクシオなど同社のゴルフ用品を愛用しているとの高橋候補の話で初対面のもたらす二人の間の壁は一気に崩れた。共に仕事上欠かせぬ趣味ということだが、要するに二人とも私とは違ってゴルフが好きなのである。住友ゴムの工場進出の背景に始まり、ブラジル国民気質、移民の歴史の中で培われた日伯関係など、時間が経つのを忘れた。三野さんは、「誠実な人柄に加え、豊かな国際感覚と各国の利害が交錯する交渉の舞台で積み重ねた経験知が光ってる」と、公明新聞の22日付けに期待の声を寄せてくれた。また、私には後日、「立派なひとだね」との感想も。どちらかとえいえば寡黙な彼ゆえの万金の重みを持つ一言だった。激しい闘いが想定される明年の参議院選挙の初っ端の闘いで、私は一足早い滑り出しをすることが出来て満足感に浸っている■思えば2年前の伊藤孝江さんの参議院選挙でも、彼女の弁護士事務所の所長・蔵重信博氏が私の長田高校同期であることが幸いした。彼が動画の中でくれたコメントは秀逸だった。お陰で終始気分良く闘え、最終的に未曾有の得票を得ることが出来た。〝今再びの闘い〟で「伊藤超え」の票を得ることが来年の至上課題だが、三野さんを引き出すことで、密かに二人目の〝強力助っ人〟をゲット出来た喜びを心から味わっている。(2018-7-27)

Leave a Comment

Filed under 未分類

「老人ホーム入居」という厳かな選択

先日、新聞の「人生相談」にふと目が止まりました。普段から特にこうしたものを読む習慣はないのですが、偶々好感を持っている作家の高橋源一郎さんが回答者だったことが大きかったかもしれません。相談内容は、夫が亡くなったら、家族も友人も殆ど周りにいず、どのように過ごせばいいのか不安だという59歳の女性のものでした。源ちゃんの答えは、その女性と似て非なる自らの「不安」を赤裸々に語ったうえで、それを不安と思わない自分は、考える余裕がないからか、それとも鈍感なのかと述べつつ、他人の相談に答えている場合ではないのかも、と結んでいました。これを読んで、他人事ながら大いに身につまされてしまったのです■実は、私の60年来の友人がつい三ヶ月あまり前に糟糠の妻を亡くし、ひとりになってしまいました。たったひとりの息子とその家族は遠く離れた地にいて、殆ど交流(日常的に役に立たないということ)はありません。彼は最愛の妻への数年にわたる看病と最後の看取りを献身的に尽くしました。これからの人生をどう生きるかー彼は髪の毛がすっかり白くなってしまうほど徹底的に考え抜いたようです。その結果、全てのものを断捨離して、老人ホームに入る決断をしました。過去を引きずらず新たな人間関係のなかで生きると決めたようです。なかなか出来るものではありません。尤も、老人ホームといっても、今流行りの高級なものです。入居に一定のまとまったお金を払って権利を取得し、厚生年金支給額ほどのものを月々払えば、全て賄ってくれるのです。若き日より今に至るまで多くの時間を共有してきた親友の選択に、大いに考えさせられているしだいです■十日ほど前に、入居一週間あまりの彼のホームに行ってきました。先入観は多少ありましたが、いやはや驚きました。開けてビックリ玉手箱ならぬ、行ってビックリホテル並み、でした。筋力強化のためのスポーツジム風のものから、温泉並みのお風呂、ゆったりとした食堂、ビジター用の宿泊室(私が行っても泊れる仕組み)もあります。ただ個人の住居部分はいわゆるビジネスホテルのシングル仕様でした。といったハード面はともあれ、圧倒的な凄さはコンシェルジュの存在をはじめ、職員の丁寧さと優しさ極まる対応、つまりソフト面の充実ぶりでした。職員数も多いようで、至れり尽くせりのサービスをして貰えると友も満足しています■実はこの施設は、大阪府下にある「スーパーコート」のひとつです。関西エリアに50もあるとのこと。すでに定評のある「スーパーホテル」ー5つ星のおもてなしを一泊5120円で実現するとの触れ込みで有名ーが手がけているものでした。ホテル業界からの新規分野開拓です。山本梁介会長の著した『スーパーホテルの「仕組み経営」』によると、顧客満足も生産性もどちらも高めようという仕組みづくりは、半端ではありません。お客の快眠と健康促進についての科学的な研究を進めるために、大阪府立大の健康科学研究室と提携して「ぐっすり研究所」という機関まで設立したというのですから。快眠のための枕の研究をする一方、快眠の度合いを数値で実証しているというのです。眠れなければ宿泊料金は返金すると云うのですから、とことん徹底しています■このようなスーパーホテル(1996年に新規参入いらい、現在は全国で126店舗、海外にも3店舗)は実績十分ですが、スーパーコートの方はまだまだこれからかもしれません。と言いますのも、この分野は今まさに本格的な競争が始まったばかりだからです。他と比べたわけではないので、なんとも言えないですが、やはり〝上見りゃキリない、下見りゃキリない“というところかもしれません。我が友の決断は私からすると、どうしても〝早すぎた選択〟と言わざるをえず、独り身の面白さを満喫すべく、もっと娑婆世界でやることあるだろう、と思ってしまうのですが‥‥。冒頭の源ちゃんの人生相談の回答と同様に、独りぼっちになった時の選択は、いざとなるとなかなか難しいもののようです。(2018-7-20)

Leave a Comment

Filed under 未分類

伊藤博文から井戸敏三へ、兵庫県の150年

明治維新からの150年は、同時に兵庫県政の150年でもあります。7月12日にそれを記念し祝う式典が神戸国際会館で開かれました。初代知事は、のちに初代首相となった伊藤博文。この日の式典で最も私が感動したのは、五百旗頭真さん(兵庫県立大理事長)の「近代日本と兵庫の150年」と題する記念講演でした。時間の関係もあり、現実には昭和42年から今に至る50年に絞った兵庫の歩みでしたが、深い洞察に充ちた聞き応えのある中身でした。バブル経済崩壊、リーマンショックなど打ち続く経済低迷の中で、阪神淡路大震災、東日本大震災に襲われながらも懸命に頑張り抜いて、創造的復興から共生の舞台へと開き行く県政ー兵庫県人として誇りを持つに足りうるものでした■五百旗頭さんは、この50年を❶高度経済成長とそのひずみへの対応❷円高不況を超えて、生活文化重視のこころ豊かな兵庫、科学技術立県❸創造的復興へ全力投球、大震災後10年の復興❹災後の時代と行財政構造改革ー21世紀兵庫の創生を求めてーの4つに分けて、筋立てて鮮やかに解説。それによると、この50年の前半においては、日本全体の高度経済成長の中で、県内総生産も全国5位でしたが、後半は、大震災や、首都圏への生産集中の影響もあって、7位に後退しています。とくに印象に残ったのは「創造的復興」という言葉を県が掲げた背景には、一つは、将来構想を常に持ってきた県であること。二つには、強い意志のあるリーダーシップがあったことを強調されていたことです。「失われた20年」という呼称で悲観的に見られがちな時代状況にあってもしぶとく生き抜いてきた県政が浮かび上がってきました。彼の立場上、贔屓目の捉え方であることは割り引いても、賞賛に値するものだと感じ入った次第です■この講演の前に、佐渡裕(県立芸術文化センター芸術監督)指揮による管弦楽団の記念演奏がありました。ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、デーレ(編曲:宮川彬良)の「すみれの花咲く頃」、J.シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」の3曲に参加者は酔いしれました。立ち込める弦楽器の響きの中からホルンが聴こえてくる様子は、あたかも鬱蒼と木々が生い茂る森の情景が浮かび上がらせました。宝塚歌劇団ゆかりのすみれの花咲く頃は、兵庫に生まれ育ったものにとって懐かしい思い出を髣髴とさせました。圧巻は胸高まる華やかな響きのラデツキー行進曲。佐渡さんの場内に向かっての指揮に、会場からの手拍子が一斉に鳴り響き見事な調和を見せました■式の前半を飾った映像「2030 君が輝くひようご」や「兵庫の未来を創る」での小中高の子供達の発表もなかなかのものでした。とくに、我が地元の兵庫県立姫路工業高校の「ホタルを通じた地域交流プロジェクト」(ホタルの飛び交う地域を目指して)には胸打たれました。学校内のビオトープにおけるホタルの養殖に取り組み、ホタルを媒介にした地域交流の場を設けているのです。船場川にホタルの幼虫を放流するので是非見てほしいと、地元の岩成城西連合自治会長から毎年のホタルシーズンたびに強調されてきていましたが、その本源が姫路工業高校の生徒たちにあったとは。「姫路城周辺地域にホタルを溢れさせたい」とは、郷愁に満ちた試みをする粋な高校生たちです。4時間近くの長丁場でしたが、充実したひとときを過ごせ、皆満足げに会場を後にしました。(2018-7-14)

Leave a Comment

Filed under 未分類