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「新型肺炎」の陰で見過ごされてはならないもう一つの疑惑

参院選挙の運動員への買収疑惑発覚から四ヶ月が経って、このほど広島地検は、河井案里参議院議員の公設秘書を公職選挙法違反の疑いで逮捕したと報じられました。新型コロナウイルス問題で、日本はおろか世界中が大騒ぎとなっていますが、これも見過ごせないテーマなので、少し問題の所在を明らかにさせたいと存じます。実は河井克行氏とは私が外務委員会に所属していた時に、同委で一緒に理事を務めていたことがあります。与党筆頭と二番手の理事ということでそれなりに接触する機会が多かったのです▼私自身実害はそう受けたことはないのですが、関係の職員や官僚の一部には滅法きつく当たる、際立って強引な議員ということで、あまりいい評判は聞かなかったということが記憶に残っています。この評判の悪さは、私だけの思い込みや単なる噂ではなく、広島の政界に詳しい人の間では共通の認識だったようです。その人物が安倍首相側近の一人として重用され、とうとう法務大臣にまで上り詰められたことに、正直皆が驚きました。とりわけ与党関係者は事の成り行きに懸念を持っていたものと思われます▼今回の事件報道を追っている限り(勿論未だ当局が操作中の案件ですから断定的に言えないまでも)、自民党内部の勢力争いが背景にあることは否定できません。その間隙を縫って河井氏が夫人起用に執心し、遮二無二当選を果たすべく、周りを巻き込んだもののようです。巨額の選挙資金を自民党が投入、それを惜しげも無く使ったとの舞台裏の報道を見るにつけ、さもありなんとの思いが募ります。この問題について、安倍首相は任命責任者として大きな責任があります。また、自民党の総裁として、官房長官と政調会長間での選挙における分裂騒ぎにも、我関せずとはいかないはずです。同党関係者は、本人の説明責任を指摘するばかりですが、それは当然のこととして、問題の背景にはもっと根深いものがあるように思われます▼公明党の山口代表も3日の記者会見で、「河井議員夫妻は捜査に協力して実態を解明すべきだ」と述べていますが、当然のことでしょう。新型肺炎を巡っての安倍首相の野党への協力呼びかけの場面を見ていて、山口代表や斎藤幹事長が同席する姿に改めて「自公一体」を痛感しました。「桜を見る会」の問題にせよ、いわゆる「もり、かけ」疑惑にせよ、公明党の追及を疑問視する向き(弱すぎることに)が少なくありません。身内意識が強く、手心を加えているのでは、ないかと。勿論、政治腐敗追及に熱心だった野党時代と同じようにすべきとまでは言いません。衆参の選挙を通じて両党はほとんど一体化しているだけに、難しいものがあるでしょう。しかし、政治腐敗を見過ごすことはたとえ同じ党であっても許されません。「公明党の自民党化」の悪い実例に、新たなカードを加えることは御免被りたいものです。(2020-3-7 一部修正版)

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長い空白期を経て、心肺蘇生法の実践講座に参加

新型コロナウイルスの蔓延で、とうとう政府が大規模な催しの開催の「2週間自粛」(新学期までの小中高の休校も)を呼びかける事態となりました。近くは大阪での大相撲春場所の開催、遠くは東京五輪の実施が気になるところです。そんな状況を前に先週二つのささやかなイベントに参加しました。一つは、「AED を使用した心肺蘇生法普及500人講習会」(播磨町総合体育館)。もう一つは、「中小企業の経営革新と事業承継」セミナー(神戸市産業振興センター)です。共に、講師の先生との個人的関係から行く意思を固めました。前者は、AED導入に貢献した医学博士の河村剛史先生。後者は関西学院大学の兼任講師で、中小企業の在りようを熟知する勝瀬典雄先生(6次産業化中央サポートセンタープランナー)。この二つは、一見無関係に思える講義でしたが、人の生き死にと、企業の存続と、実は底流でしっかりと繋がってることを実感しました▼このうち、今回は心肺蘇生法についての報告をします。河村先生と知りあった20数年前から、私は大いにこれに関心を持ち、国会でAED 導入に関する質問も一番早い段階で行いました。しかし、胸や心臓の発作、あるいは脳の異常からか、現実に倒れ込んだ人に遭遇する機会はこれまでなく、いつの日かAEDを操作することもないまま歳月は流れ去りました。心肺蘇生法についても結局は耳学問のまま、その手順についても遠い彼方に消え去ってしまっていました。AEDの設置場所については今でこそ至る所で目にしますが、どこまで活用されているか、疑問なしとしません。そんな折、心肺蘇生法を強力に支える手段としての補助機材がドイツにあることを知りました。手を使うだけではそれこそ手応えが分かりません。そのうえ、女性の胸に、着服のままにせよ触ることへの抵抗があるので、それを避けるために作られた機材だと言います。そこで神戸のクリニックを訪問、同機材を巡って河村先生と意見交換をしたのです。手技によることが唯一最高と確信される同先生は補助機材導入には否定的でした。その代わりに帰り際に、同先生の主宰される講演と実技の会への出席を要請されたのです▼河村先生はこれまで数限りない機会に、数万人にも及ぶ人の前で講演をし、心肺蘇生の手ほどきをしながら、実際にご自身がそれを披露する機会は一度だけしかなかったとのこと。交通事故は日常茶飯事ですが、目の前でぶつかることはほとんどないのと同様でしょうか。講演で印象に残ったのは、救急救命に対する日米の対応の差です。米国では直ちに救命に立ち向かうケースが通常なのに、日本では尻込みする人が多く、見て見ぬ振りをする人さえ珍しくないとの比較には、今更ながら胸に痛みを覚えました。そんな現実を打開するために、帰国後心肺蘇生法の普及に従事することになったとの話は痛烈に響きました▼日本人は倒れた人を前にして大きな声を出して助けを求めることすらしないという指摘には、そんなものかと呆れました。そのせいもあって、私は実技に際して誰よりもでっかい声を出したものです。尤も、すぐさま実行できたのはそれくらいで、人体のモデルを前にして、意識の有無の確認、心肺蘇生のための胸骨圧迫、気道の確保、口からの息の注入、AEDの操作に至る一連の手順には困難さを覚えました。人の生死に関わる場面に直面すると、誤って死を早めたりすることを恐れるあまり、狼狽するのも無理ないことかも、と思ってしまいます。不測の事態を前に日本人社会での対応をどう価値あるものにしていくか。心肺蘇生の補助機材はどのような威力を発揮するものか。あれこれと検討する必要があるのではないかと考えるに至っています。(2020-2-28=一部修正)

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熊が出たぁ!越後の里は大騒ぎー「熊森協会」の懸命な闘い

「越後の山には熊が棲む。冬ごもりの前や雪解けののちには、餌を求めて里に現れることもしばしばであった。中には獰猛な人食い熊もいるという」ー江戸と越後を舞台にした無類に面白い時代小説『大名倒産』を読んでいて出くわした一節です。思わず唸ってしまいました。今私が直面している課題を連想させたからです。一般財団法人『日本熊森協会』の室谷悠子会長から、「新潟県南魚沼市の里に三頭の親子熊が出てきて、騒ぎになっている。地元では保護と殺処分の二説があります。何とか助けてやりたいので、応援を」との連絡を貰ったのは昨年の暮れのこと。いらい、私なりに地元の公明党議員団と連携したり、環境省への働きかけなど、あれこれとサポートの手を打ってきました。現在のところ、まだ自治体や関係者との間で調整が続けられているようです。熊は本来はおとなしく優しい野生動物なのですが、人間の側の過剰な防御反応が時に変身させることもあり、冒頭の浅田次郎さんの小説の一節のような表現を生み出してしまうのでしょう。熊にとってはいい迷惑なのですが▼さて、新潟県南魚沼市で昨年暮れに起こった事件とは?全国的に報道されたためご存知の向きもあるかもしれませんが、12月8日朝のこと。同二日町にある萌気園二日町診療所で、親子熊三頭が発見されたのが事の発端です。恐らく山の木ノ実(どんぐり)の不作で、お腹をすかした親子は、餌を求めて人里まで降りてきたに違いありません。たどり着いた先が診療所だったとは、ホッとする思いですが、慣れぬひとたちにとっては驚きです。さてどうするかで地元では意見が分かれました。偶々、熊森協会の企業会員である(株)マルソー(三条市の運送業者)の渡邊雅之社長がとりあえず引き取ることを申し出てくれました。南魚沼市とは百キロほど離れているのですが、熊森協会との連携をとった上で、越冬期間の保護管理をしてくれることになったのです▼「熊が暴れ出したらどうするつもりか」ー北海道を始め全国各地で熊と人間のトラブルが起こっているため、様々な反応があります。もし、少しでも人間に危害が及ぶような事態が起これば、申し開きが出来ないとばかりに、どうしても自治体の責任者は対応に神経質になりがちです。南魚沼市でも当初は保護することに懸念する動きもあったようです。しかし、熊森協会本部の積極果敢な動きもあって、なんとか殺処分はしない方向が選択されたようです。実際に現地に飛んで熊を見たうえで、周辺関係者の意向を聞き説得に当たった水見君は「通常なら母熊は50-60キロあってもおかしくないのに、30キロほどしかなく、子熊共々栄養不足の状態が顕著です。マルソーさんのお陰でこの冬を越すことが出来て、元気になったら、春には奥山に放してやりたい」と言っています▼先日、「熊森協会」の本部(西宮市)で、姉妹団体の「奥山保全トラスト」の理事会があり、私も出席しました。こちらの方は、公益法人化されて今年でちょうど5年になります。その前身時代から着実に取得されてきたトラスト地も今では全国で18箇所、約2290ヘクタールにも及びます。日本全国のトラスト地のうちこれは14%ほどを占め(全国で三番目)ます。荒廃が懸念される日本の森林。熊が里山に出没するのはひとえに、奥山が食糧不足で住み辛いからです。つまりは、熊の出没が森の荒廃の予兆となっているわけです。その因果関係を無視して、熊は人間にとって危険だから、人里に出てきたら殺処分するのが適当とばかりに安易な動きをしてしまうのは、人間の身勝手です。これは結局森の荒廃を許してしまうことにもつながります。広葉樹林の豊かな森林と大型野生動物のシンボルとしての熊の生息を可能とする奥山保全。これこそ次代に残すべき人間の貴重な遺産ではないでしょうか。(2020-2-20=一部修正)

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合意形成へ行動をー憲法調査会発足20年・毎日新聞インタビューから

今年は、衆参両院に憲法調査会が設置されて20年になります。現在は、憲法審査会と名前を変えて、国民投票法の改正法案の審議などに当たっています。このほど毎日新聞が各党代表にインタビューを試みたものが同紙に掲載されました。1回目が発足当時の衆議院憲法調査会長の中山太郎氏。2回目が元民主党の江田五月氏。そして3回目(2-8付け)が私でした。(最後の4回目は自民党の高村正彦氏)。私はここで「合意形成へ行動を」との見出しで❶憲法調査会20年への評価❷与野党が国民投票法改正案を巡って対立していることをどう見るか❸公明党が04年にまとめた「論点整理」では、自衛隊明記案も含まれていたではないか❹公明党の山口那津男代表は慎重姿勢を崩していないことをどう見るかーの4点を記者から問われて答えています▼一つ目については、中山太郎会長のもと、各党が世界観の違いを乗り越えて、自由に議論が出来たこと。政治改革の機運が強く、自民党も民主党も丁寧な議論を心がけた結果、国民投票法が成立したことを高く評価しています。二つ目は、与野党対立の流れを作ったのが、17年5月の安倍首相の自衛隊明記案や改正憲法20年施行などの「フライング連発」にあると断じました。三つ目は、安倍首相が加憲の対象に「自衛隊明記」を掲げたのは、公明党がかつて「論点整理」(04年)に同じことを挙げていたことがあるとしています。ある意味で変化球といえ、これを見送りしないで、ファウルでもいいからバットを合わせる努力をすべきだと述べています。つまり、公明党内で議論をしたり、自民党とも議論を交わすべしという提言です。四つ目は、山口那津男代表が、安保法制が成立を見たため、今のままの憲法9条でも差し支えがない、として、加憲ではなく、護憲に戻ってしまったことを嘆いています▼これについて、様々のご意見をいただきました。憲法をめぐる議論について、普段からあまり知らなかった人からは、これを読んでもよくわからないとの意見を頂きました。確かに、いきなり憲法調査会や憲法審査会などでどういう議論がされてきたと言っても訳がわからないかもしれません。今話題の国民投票法改正案についても、野党がなぜCM規制を求めているのか自体がわからないと指摘されました。この辺りは、メディアの報道の仕方について、もっと工夫を求めるべきかもしれないと思うと共に、政党、政治家ももっともっと有権者に分かりやすく語る必要を感じた次第です▼関心の高い識者からは、赤松は合意形成を言うが、どこに持っていくのか方向性がはっきりせぬまま、合意を得ようとすることは危険ではないかとの疑問を向けられました。これには、私は反論があります。予め方向を決めるからこそ、議論ははなからデッドロックに乗り上げてしまうと思います。お互いの基本姿勢をひとまずは棚上げして、白紙状態から虚心坦懐に憲法論議をすることこそ、迂遠の道であるように見えて合意形成の直道ではないでしょうか。更に、赤松は評論家だ、政治家としてどうすべきかが見えないとの意見を投げられました。これには、私は既に産経新聞のインタビュー(昨年8月)で、❶予備的国民投票法の実施で、国民の憲法についての考えを聞く❷学者、文化人ら有識者の意見を求めて、憲法改正原案を形成する❸政局から離れて純粋に憲法をどうするかの議論をするために専門チームを作って、2年間ほど缶詰めにして議論をし、成案をまとめるーなどの提案をしています。今回も産経新聞の時に続いて、大筋では、多くの方からよくぞ言ったとの評価を得ましたが、これは、憲法というよりも、現在の政治状況全体における安倍与党の政治に対する不満があるゆえだと思われます。もっと、公明党は自民政治にノーというべきは言え、ということでしょうか。(2020-2-12)

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〝後進国〟の「福祉」論が問われるー公明党の二枚看板を検証する❻

「生活保護」をめぐる攻防

政治家の日常的仕事の最大のものは、支持者や地域住民の要望を聞くことー住民(市民)相談である。公明党の所属の議員にとっては、かなりのウエイトを占めるのが生活保護の受給をめぐる問題だということは今も昔も変わらない。かつて自民党のあるベテラン代議士が、当選直後の私に対して、「共産党と公明党の両党議員が生活保護の道筋を積極的につけるものだから、財政が厳しくなる。困ったものだ。公明党のみなさんも、相談を受けても直ぐに頼らせず、自立する生き方の大事さ、自己責任を分からせて欲しいよ」と言われたことが鮮明に記憶に残っている。共産党の専売特許の雰囲気があったこの分野に、後発の公明党が参入して以来、両党が競い合うので、政府・自民党は迷惑すると言いたげだった。
元々究極の生活困窮者の救済の手立てとして、生活保護は位置付けられ、それなりに運営されていた。しかし、高度経済成長の頂点としてのバブル崩壊を経験する前後あたりから、徐々に風当たりが強くなっていく。市民にとって生活保護の対象となり、公的機関から助けを受けることは恥ずかしい、自らの努力で解決すべきだとの考え方の台頭である。生活保護は最後の手段、出来うることなら貰わずに済ませたい。尾花打ち枯らし、ニッチもサッチも行かなくなってから受給するものと、多くの人は思っていた。それがいつ頃からか、生活保護を取り巻く状況が変わってきた。「生活保護を貰っているくせに、派手な生活をしている」とか、「生活が苦しいのはお互い様。それをすぐお上に頼るなんて」などの声に代表されるように、生活保護者が一般の市民から攻撃を受ける対象になってきた。加えて、生活保護を受けて暮らす人を横目に、歯を食いしばって生きながら力尽きてしまい、将来への不安から自殺の道を選ぶ人が後を絶たないという現状も取り沙汰されてきている。つまり、本当に生活保護を必要とする人は誰か。何が障害になっているのかとの疑問が起きてくるのだが、明確な答えが出されぬまま、自公政権下で、生活保護費の切り下げだけが着実に進んできているのだ。

本当の弱者とは誰なのか

かねて、社会的弱者を救済する党という言いぶりで、公明党は福祉の分野での第一人者、第一党の名を欲しいままにしてきた。確かに、大衆福祉という言葉を政治のど真ん中に押し上げ、多彩な政策を縦横無尽に展開してきた。いかにバラマキ福祉と詰られ非難されようとも、「地域振興券構想」などそれなりの手応えはあった。だが、民主党政権3年から安倍政権が7年続いている今、果たして十全たる対応がなされていると言えるのか。
実は、かの55年年体制下でも、自民党は当時の野党・社会党や公明党の提起する弱者救済の具体的方向を事前にキャッチし、それを先取りしてきた歴史がそれなりにある。2000年以降、公明党の連立与党化に伴って、政権の政策決定過程に組み入れられ、よりスムーズに福祉政策が陽の目を見てきた。その動きは、民主党に政権の座を奪われて以降の3年間がピークとなった。政権交代劇のもと、現与党と前与党の間で、福祉政策を互いに競い合うという側面が際だったのである。どちらが先に手を染めたか、との政党間の実績争いは時に激しくぶつかり合う。尤も、勝負は渾然一体化し見極めがつけ難いというのが偽らざるところだ。
例えば、2017年の衆議院選挙で、幼稚園、保育所を無償化するためや、大学や高校の授業料の軽減に消費税を使うとの主張を自公政権が掲げた際に、当時の民進党が政策のパクリだと指弾したことを思い出す。与野党が真剣に有権者の生活の安心・安全に意を注げば、自ずと道は重なり合おうというものだろう。どっちが先に言いだしたか、どっちが体系だった主張かというのは聞き苦しい。もはや、生活の保障に向けての政党間の争点は殆ど区別がつかなくなってきている。
かつて私自身、本当の弱者とそうでもない弱者を区別し、線引きすべきだとの主張をした記憶がある。その当時は、それが可能だと思い込んでいた。が、よく考えれば、それは至難の業に違いない。膨大な予算の投入を講じないと難しい。有り体にいえば、弱者の位置付けを茫漠と曖昧にしたままで、実際に必要としているところには救済の手が届いていなかった。それなのに見て見ぬ振りをしたのではなかったかとの苦い思いが蘇る。

既成政党の枠組み超える動きが急浮上

既成の政党(公明党も今や立派な既成政党だ)が、福祉政策を巡ってツノ突き合わせている現状の間隙を縫って、「れいわ新選組」なる新しい勢力が不気味な動きを見せている。昨年夏の参議院選挙で、身体に障がいを持つ人たちを候補に立て、当選させた。これは大衆の声が十分に届いていないと見る国会に向けて、機能していない代議制への根源的な挑戦だと思われる。山本太郎氏の特異なパフォーマンスに過ぎぬと切り捨てていると、意外なしっぺ返しを受けかねない。安倍自民党が、伝統的な政治家の犯罪に加えて、「桜を見る会」や「統合型リゾートIR」などの汚職事件を繰り返しながらも、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。その状況に対して効果的な攻撃を加えられない既成野党のだらしなさに大衆はうんざりしている。そこに、付け入ってくる可能性は高い。
山本氏は、野党に対して「消費税5%切り下げ」による共闘を呼びかけ、叶わぬなら「消費税ゼロ」を、と訴える構えだ。消費税でなく、大企業の法人税や大金持ちの所得税から代わりにとればいい、との議論である。これはもう既に言い古された論法の蒸し返しだ。その実現のためにはかなりの高税率が求められよう。しかし、今や経済・社会の時代状況が一段と厳しくなっているだけに、人々の胸に深く入り込んでくる可能性なしとしない。消費税をどれくらいあげるか、それともあげないかとの議論が次の衆議院選挙の争点にまたぞろなりそうだ。その際に、改めて財政論の根本にまで立ち至って「税と社会保障のあり方」を問い直す議論がなされるべきではないか。経済成長が半永久的に期待できず、「日本はもはや先進国ではない」との指摘も、特段耳新しくは聞こえない様相を呈してきている。今までの延長線上ではなく、後進国となった日本の福祉をどうするか。既成の与党目線ではなく、新たな大衆目線で公明党は福祉に再挑戦、再起動すべきでないのか。政権の主体者が遠い昔の成功体験に酔ったままではならない。旧態依然とした福祉論では、新型コロナ禍で大きく動揺する社会、経済状況に太刀打ち出来ない。格差はさらに拡大し、真の弱者は置き去りにされたままの事態が続くほかないと、懸念される。(この項終わり)

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小手先の手直しでは追いつかないー公明党の二枚看板を検証する❺

選挙時に掲げる政策公約と暮らしの向上

任期4年を待たずに、ほぼ平均3年で解散されて行われる衆議院総選挙。そして着実に3年ごとにやってくる参議院選挙。その合間に行われる地方議員選挙。その結果、地域の最前線では、ほぼ毎年のように選挙に追われる。公明党の場合、その都度、議員たちが当選後に働いて挙げた実績が語られ、次に向けての政策、公約が掲げられる。とりわけ大衆福祉の党・公明党は、庶民の暮らしをどう守ったかが、大きく問われる。昨年夏(2019年)の参議院選挙では、「小さな声を聞く力」のキャッチコピーのもと、「経済の好循環」を着実に推進し、景気に力強さを与え、軽減税率の実施などで、景気を下支えしつつ、その実感を「家計」へ届けることだと、訴えた。また2017年の衆議院選挙では、公明党は「教育費負担の軽減へ」を掲げて闘った。政治改革の嵐が吹き荒れた平成の始め頃や、政権交代の突風が渦巻いた10年前頃とは大きく違う。より細かな政治・経済課題を掲げて公明党は闘ってきている。その結果、教育費負担軽減や軽減税率の実施による恩恵は明確に生活を潤し、痛みを和らげている。

しかし、それで、庶民の暮らしは大きく好転したといえるのだろうか。政治腐敗で荒れ狂った30年前。自民党と社会党という世界観を異にする政党同士が窮余の一策で組んだ25年ほど前。更に、毎年のごとく首相の首がすげ替えられたすえ、およそ杜撰な政権へと交代した10年前。こうした過去の時代よりも、政治は安定してきたかに見える。確かに、政治課題としての福祉に対する各政党の取り組み姿勢は一段と強まってきた。だが、いつまで経っても楽にならない暮らし。明らかに質的に落ち込んだ生活実態を前に、多くの人はなにか根本的なところで歯車が狂ってしまってると考えざるを得ないのではないか。そういう時に、改革よりも安定を叫ぶ選挙は明らかに目的を取り間違えていると私には思われてならない。

全世代型社会保障の構築に寄せる期待

安倍第二次政権も、私が議員を引退したあと直ぐに誕生したから、はや7年が経つ。この間国際経済のグローバル化はグイグイ進み、米国でのIT、デジタル産業は超スピードでの巨大化を成し遂げ、僅か1%の企業が残り99%を支配する。また、中国における経済成長も著しく、ビッグデータを駆使する産業展開は米国さえ脅かしつつある。後に〝失われた20年〟と呼称される経済の停滞で始まった、日本の平成時代後半は、GDP世界第2位の座から滑り落ちたことに象徴される。今や低開発国並みの経済状況下にあり、近い将来、日本人が中国に出稼ぎに行く日が来るとの噂話がまことしやかに伝えられるほどである。
日本の社会、経済の構造が深く静かに変化してきているにもかかわらず、旧態依然とした対応で米中の狭間に呻吟している。加えて庶民の生活実態は、巨大企業の内部留保の陰で、厳しさは募る一方。所得格差の拡大化の中で、将来生活の不安は日増しに激化している。そんな中で、政府は全世代型社会保障の構築を掲げている。人口減少と少子高齢化が進む中での新たな社会保障のグランドデザインを作ろうとの試みである。公明党はこれにいち早く、中間提言という形で、昨年末に安倍首相に注文をつけた。
このうち、年金では、高齢者や女性の就業率上昇を踏まえた上での対策を強調し、パート労働者への被用者保険適用拡大を提唱している。また、在職老齢年金制度をめぐる諸課題の検証も呼びかけている。医療分野では後期高齢者の窓口負担割合について、負担能力に応じた対応という観点で慎重な検討を求めている。介護では、介護予防に取り組む市町村への支援拡充と、介護支援専門員(ケアマネジャー)の処遇改善を要望している。その一方で、認知症基本法案の成立にも全力を尽くすとしている。子育て支援にあっては、幼児教育・保育無償化の着実な実施や待機児童の解消に向けての多様な保育の受け皿整備を要請している。こうした提言が福祉向上に向けて有力なものでないと言うつもりはないが、今一歩迫力に欠けると言わざるを得ない。台風が押し寄せているのに、雨戸につっかい棒や補助板を打ち付け、植木鉢を移動させているようなものではないか。

中間提言への懸念

加えて、連立政権なのに、当事者ではないかのような記述が見受けられることは訝しい。例えば、中間提言の冒頭に、「年金・医療・介護等、将来の社会保障のあるべき姿を示す中で、開かれた議論により、安心の全世代型社会保障を構築すべきであり、財政論のみから給付と負担の議論を進めても、将来に対する国民の不安は募るばかりである」とあるが、いささか他人行儀の言いぶりに聞こえる。国民不安が募るばかりだから、何とかして欲しいと言うのが庶民大衆の偽らざるところなのに、これでは政府を構成している自覚を疑ってしまう。開かれた議論、財政論を云々する言い回しは、公明党がスポイルされているのか、と疑念を抱く。揚げ足取りをするな、ケチをつけるな、お前も厚労副大臣経験者だろうとの声が聞こえてきそうだ。杞憂ですめば結構なことだ。しかし、公明党は連立20年の歴史を誇っている。厚生労働省には坂口力大臣いらい、副大臣を12人も送り込んできている。うち、私のように引退したものが3人で、あと9人は衆参両院の現役議員である。塊としてぶつかっていって欲しいものだ。もはや、中心は自民党で、公明党との間で合意が得られなかったとの10年前の反省のような言い草は通らない。

全世代型社会保障という名称を聞くにつけ、これまでの社会保障は、高齢者向けに偏っていて、青年世代、子育て世代、子どもたちには目が向けられていなかったのかと、改めて思いが及ぶ。言葉の響きに、国民総活躍社会と似たようなものを感じる。全人間型社会保障とか全生活型社会保障とでもすべきなどと言葉遊びをするつもりはない。包装紙を変えたことで気分が変わるほど事態は甘くないからである。今の自公政権の取り組みでは小手先の福祉政策に思えて仕方がない。(つづく)

 

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政権から脱落した10年前の反省ー公明党の二枚看板を検証する❹

前号(Vol  26)で、公明党の二枚看板のうち、「平和」の擁護についての検証を行いました。今回は、もう一枚の看板「大衆福祉」の実現について検証します。この原稿を書き終えたのちに、新型コロナウイルスが世界に蔓延して大きな被害をもたらしました。コロナ禍のもたらす影響は各国経済に計り知れないものがあると予測されます。そうした状況の変化はあるものの、検証の視座は変わらないと判断して、ここに(下)をお届けします。

時代を覆う暗雲へのまなざし

「気掛かりなのは、IR問題とイラン情勢です」ー2020年のお正月が明けたばかりの7日に神戸のホテルで開かれた恒例の公明党兵庫県本部の新年賀詞交換会で、山口那津男代表は挨拶の締めくくりで、こう語り、通常国会での厳しい論戦と対イラン外交への真摯な取り組みを約束した。この二つが現下の内外の政治課題であることは衆目の一致するところではあるものの、もっと根本的なところで時代を覆う暗雲は、経済格差がもたらす分断社会の現出であろう。気掛かりは、「庶民大衆を覆う生活不安です」と、言って欲しかった。今、わたしの周りでも普通の人々が生活の苦しさを訴える呻き声が聞こえてくる。公明党は立党いらい長きにわたって、大衆福祉の党として、面目躍如たる闘いを展開してきた。政治が取り組むべき課題として、政策のど真ん中に「福祉」を掲げて、存分にその成果を挙げてきた実例は枚挙にいとまがない。しかし、昨今の社会状況にあっては、必ずしも庶民大衆のニーズに応えていないのではないのか、との指摘も無視できない基底音をなしているものと思われる。

この連載下では、「福祉」編として、第一に、この55年間の公明党が培ってきた福祉の党としての実績が初めて揺らいだ10年前の民主党との政権交代時における総括を振り返る一方、次には、時代の変化の中で、変わっていかなければならぬのに、旧態依然としたままの対応がもたらす弊害もみていきたい。また、最後に、どうすればこの事態を打開できるかについて考察をこころみたい。

10年前の敗北時の検証結果

公明党の歴史は当然ながら、20年前の連立政権入りの前とあとで大きく異なる。与党に入ってその主張が形を伴うケースが一気に増えた。ただ、忘れられないのは10年前のことである。その年の夏に行われた衆議院選挙で、民主党が大勝し、自民党と公明党は大敗した。自公両党は、政権の座から転がり落ちたのである。公明党は選挙直後から直ちに、社会保障と安全保障の両分野(私は後者を担当)で、何故に負けたのか、全党挙げて検証を試みた。そのうち、社会保障制度調査会(坂口力会長)がまとめた検証報告は、極めて印象深い。「家計が悪化する中で社会保障の自己負担増を強いられることになった生活者の声を政治に反映するという公明党に期待された力を十分に発揮することができなかったことは反省しなければならない」としている。その上で、長きにわたる自民党政治の課題・問題点に対して公明党の立場から改善を求めてきたが、「大枠の改革を実現するまでは至らなかったことも確かである」と総括しているのだ。今から見ると、ちょうど折り返し点における貴重な検証になる。

具体的には、年金、医療、介護、障がい者の四つのテーマを巡って、その改革への取り組みの検証が試みられているのだが、「失敗である」「反省する」との文言がいくつも目立つ。年金の制度改革(2004年)では、負担増に歯止めをかけ、持続可能な制度にしたことに一定の評価はなされるものの、 根本的課題については問題先送りとの批判もあることを認めざるを得なかった。とくに国民年金加入の高齢者の不安解消に向けて、「自民党との合意に至らなかったのは残念である」としている。

後期高齢者医療制度では、保険料負担を巡って「個々の自治体や所得の相違から大幅に保険料が上昇する事態について十分把握されておらず事後的な対応に追われたことは失敗である」とすると共に、「新たな保険料負担が生じたという批判を受けることになったことは事前の国民に対する説明が明らかに不足しており政府・与党の失敗である」と結論づけた。

介護保険制度についても「『予防重視』の名のもとに、要介護認定が厳しくなるなど、給付を抑えることのみに目が向き、国民の意向に応えられない結果となったことは失敗である」と率直な捉え方をした。障がい者対応については、「わが党に恒常的に障がい者問題に取り組み、反映させる機関が不在であった(05年まで)」こともあり、「現場の声がキャッチできなかったため、大きな制度改正の論議に耐えきれず、役所に主導権をとられた」と極めてリアルな表現で反省している。

その後の目覚ましい実績

敗北の惨めさを噛みしめながらの総括。政党が自らに下した鉄槌はあまり類例を見ない。あれから10年。年金に関しては、無年金者救済法の成立に尽力した。受給資格期間(公的年金受給に必要な保険料納付期間)が25年と極めて長く、それに満たない人は無年金になっていた。それを一気に10年と縮小したのである。これによって困窮する無年金者は大幅に減ったことは間違いない。医療については、高額療養費の改善が挙げられる。限度額を引き下げ、中低所得者約4000万人の負担減を図ったことは大きい。病院の窓口支払いの高額負担の恐怖から解放したのである。介護にあっては、家族の介護を理由に離職せざるをえない人が後を絶たない状況の中で、企業に行動を促す「介護離職防止支援助成金制度」の創設を始め、介護報酬上げ、介護休業取得の円滑化などに力点を置いた。障がい者問題では、自立支援法成立および改正に伴う過程での懸命の努力が特筆される。

政権脱落時の背景にあった福祉政策の綻びを償うために、もう一度原点に立ち返っての公明党の闘いぶりはめざましく、挙げた実績はまことに数多い。(つづく)

 

 

 

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この10年ー見て見ぬふりをしない生き方を(下)

「余命5年」ー私が最近個人的に強く意識している言い回しです。75歳を今年の誕生日で迎える私にとって、これから5年経つとほぼ平均的日本人の寿命になります。かつて私は「後期高齢者」という言葉を使い出す(2008年・平成20年に後期高齢者医療制度がスタート)ことに承認を与えた関係政治家(厚生労働副大臣)の一人です。当の本人がその歳を迎えるにあたり感慨深い思いを持ちます。いよいよ自分もあちらの世界への順番待ちに入った、と。前回見たように、地球・人類はひょっとすると、「余命10年」を宣告された「死に至る病持ち」なのかもしれません。そう覚悟を決めておかないと、「10年後が分岐点」との表現だけでは、結局、大した対応もせぬまま「座して死を待つ」無力な患者のように、終末を無為に迎えてしまうのです▼そんなことで、個人・赤松正雄も終わりたくない、かつ地球・人類も終わらせたくないーたまたま個人の死と世界の終わりとが重なる可能性なしとしない世代の一人として、強い想いが胸中に渦巻いてきました。そこで私は今、一つの運動を起こす主体者たろうと準備を始めています。それは、心臓(脳も含むケースも)の障害を突発的に起こし倒れた人を救う行動です。もっと具体的に言いますと、AED を使用するまでの緊急の時間に、必要な胸部圧迫を適切に行おうとするものです。すでに心肺蘇生法の名の下に、両手を使って呼吸を蘇らせ、AED に繋ぐ行為として確立し、各地の現場で実績を残していることは周知の通りです。その方途をさらに拡充し誰もがどこでも倒れた人を蘇らせることに貢献しようという狙いを持つものです▼これはドイツで考案された器具を、倒れた人の胸に当て、上から圧力を一定回数加えることで、両手で心肺蘇生法を講じるのと同様あるいはそれ以上の効果を発揮します。いざという場合に、胸をはだけさせ、素手でやることに躊躇する人でも、上衣の上から器具を押し、その都度器具から上がる音を確かめながらやることには、抵抗がぐっと少なくて済むものと思われます。全ての人々がすぐ目の前で、自分の真横で倒れている人に、手を差し伸べることからまずは取り組もうという運動は極めて重要だと私には思われます。そういうみじかなことが出来てこそ、地球・人類が抱える課題解決の道に立ち向かうことも出来るというものではないでしょうか▼この運動の大事さを世に訴えることを手始めにし、今世界中を覆う格差拡大による社会の分断に対抗することに、日本人も立ち上がるべきだと考えます。僅かな富める層が益々栄え、貧しい大多数の人々が辛酸を舐める社会を終わらせて、公正で希望あふれる社会にするにはどうすればいいか。資本主義と社会主義のイデオロギー対決による対応や、民族、宗教間論争で争う時代は過去のものとせねばなりません。皆が共通の価値観に立ち、狭い人間中心主義ではなく、大自然を包み慈しむ生命の尊さを強調する思想のもとに協力しあうことが大切です。これは、一見無関係のように見えて、その実深い関わりがあります。日本の分断を防ぐ一歩を踏み出す運動です。皆が一つの生命を救う実感に手応えを感じることが、ひいては社会全体に活力をもたらし、分断の分岐点を迎えるまでの雄々しい生き方を培います。2030年までのこの10年間に、皆が出来ることから取り組もう、との運動の一環と位置付けていきたい。皆さまのご関心を頂きたいと心から思っています。(2020-1-22)

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分岐点としての2030年と、そこに至る10年間(上)

2020年は、カルロス・ゴーン被告(元日産自動車社長)のレバノン逃亡という事件で幕を開けました。何が起こるかわからない、という時代の空気をそのまま反映させた衝撃が日本中に走り、今なお余韻が燻っています。国際社会では、昨年来の「米中衝突」や「北朝鮮の暴発」に加え、「イランと米国との一触即発」など相次ぐ不安要因が顔を覗かせています。内外共に先行き不安だらけというのが実態です。こんな年の初めに、あらためて聴こえて来るのが、2030年は地球と人類がこのまま存続出来るのか、それとも滅亡の一途を辿るのかの分岐点だということです。つまり、あと10年が生き残りへの対応策を講じる最後の10年間だとの認識です▼「持続可能な社会」(SDGs)に向けての国連の試みは、本格的には2016年から(問題提起的には20世紀最終盤から)始まり、2030年までの15年間に人類が取り組むべき課題解決に向けての17の目標を掲げてきました。しかし、この問題設定(代表的なものは❶気候変動❷貧困❸人口爆発❹テクノロジー❺食料、水不足など)は人々の胸にうまく届いているでしょうか。これまでのところ、ノーとしかいえないような状況が続いてきています。その原因の一つは「持続可能」という言葉にあるように私には思われます。ここは「滅亡する地球・人類」とストレートにいった方が分かりやすいといえるに違いありません。その意味で、新年早々のNHK総合テレビのNHKスペシャルが放映した『未来への分岐点』は、観た人々の心に確実に届く衝撃的な響きを発信していました▼「今地球が不安定化する瀬戸際にあることは科学的に明らかです。これからの10年間が地球と人類の未来を決めるのです」(科学者 ヨハン・ロックストローム)「世界は限界に近づいています。今すぐ行動に移さなければ手遅れになってしまいます」(ジャーナリスト トーマス・フリードマン)ーこの番組の冒頭を飾った二人の言葉は極めて印象深いものがありました。とりわけ地球温暖化による気候変動は、北極と南極の氷の融解による気温上昇と海面上昇によって、地球が〝灼熱地獄〟への待った無しの危機的状況に追い込まれることを見事なまでに物語っていました▼スタジオのコメンテイターたちのうち、私が耳をそばだてたのは、シニア世代を代表した宇宙飛行士・毛利衛さんの「高度成長時代を牽引してきたシニア世代を攻撃しようとしているのでは」との冗談めかした本音発言でした。今のシニア世代すなわち団塊の世代の老人たちは確かに高度経済成長時代に苦労はしたものの、美味しい果実をそれなりに享受して後衛に退こうとしています。一方、その子どもや孫たちであるジュニア世代は、とんでもない希望なき不安を押し付けられつつ前面に立たされようとしているのです。若者を代表した20歳の青年がこれからの10年をどう生きるかと問われて応えた言葉がとても印象に残りました。あらゆる事態に「見て見ぬ振りをしない」といったのです。これこそ、これからの10年のキーワードだと同感します。この言葉は、今私が行動に起こそうとしていることと、文字通り共振したのです。(続く=2020-1-16)

 

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仏教への誤解がもたらす「平和」像ー公明党の二枚看板の検証❸

「平和安全法制」成立に見る到達点

前回に見た変遷を経て、平成27年(2015年)9月に「平和安全法制整備法」が成立した。これは私が議員を辞して約2年後のことであった。憲法第9条が禁ずる集団的自衛権を「容認」するに至ったとして、内外各方面から批判が巻き起こった。しかし、この「容認」は、「発動新3要件」として❶日本または他国に対する武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがある❷ほかに適当な手段がない❸必要最小限度の武力行使にとどまるーこの三つの条件を満たす場合ににのみ集団的自衛権の行使は容認される、との厳しい条件付きのものであった。安倍首相自身からすれば必ずしも満足出来ないものであったと云えるものの、花より実を取ったと云えなくもなかった。公明党からすると、個別的自衛権の延長線上ものであり、憲法が許容する限度ギリギリの範囲内と見ることも出来た。自公の直接交渉役としての高村正彦副総裁、北側一雄副代表両氏の弁護士コンビの知恵が功を奏したとの見方が玄人筋の通り相場だと思われる。

例えば、ジャーナリストの田原総一朗氏は、「公明党は現実とギリギリ妥協しながら『戦争をしない国』としての日本の姿を守ろうとした。これは僕は〝ブレーキ役〟として実に見事な態度だったと思います」(『宗教問題』vol28 季刊2019年秋季号)との高い評価を与えている。また、御厨貴東京大客員教授は、「自民党の当初案に相当厳しい制限を加えた形で平和安全法制が成立しました。自民党とケンカすることなく、冷静に法案の問題を指摘し、ギリギリのところで妥協点を見出す。与党化の歩みを進める歴史のなかで、公明党は初めて『統治する政党』としての自覚を強く持ったのです」(『潮』2020年1月号)と、これまた鋭い認識を示して注目される。

私が厚生労働副大臣の拝命を受けた平成17年(2005年)のこと。実は舞台裏を明かすと、私は当時の冬柴幹事長とのやりとりを通じて、防衛副大臣を希望したのだが、国家の中枢のポジションを公明党には渡せないとして、自民党中枢からは受け入れられなかった経緯がある。御厨氏の発言の背後を読み解くに際して、ここでもまさに隔世の感がしてならない。「統治する政党」としての公明党を、初めて自民党が認めたと云う意味で。

私は仲間たちの選択と決断に際して、当時も今も高い評価を下すのにやぶさかではないのだが、一点だけ云わせて貰っているのは、自公両党の間での交渉経緯を公表すべきだという点である。国家の安全保障の基本をなす法制定に当たって、与党内の議論であるにせよ、いやそうであるからこそ、議論の中身を知りたいと思う。かつての安保論議が不毛の与野党対立の温床であっただけに、新たな時代にあっては、合意を得た交渉の全貌が明らかにされるべきではないのか。立憲民主党に〝先祖帰り〟の気配が漂うだけに、世界観を同じくするもの同士の健全な安全保障論議を天下に示して欲しい。

仏教・維摩経に見る菩薩像の意味するもの

こうした「平和安全法制」に対して、一般的には、つまり素人筋的には、「『平和主義』の公明党の名が廃る」とか、「看板が泣く、もうそれを降ろせ」と云った様々な批判が寄せられた。先に見た高い評価との落差はどこから来るのか。

既に見たように、現実的安保観と理想的安保観の違いとの説明が出来ようが、より根本的には世の中に定着している仏教の平和主義に対する誤解が影響しているものとも見られる。すなわち、「十字軍戦争」の例に見るように戦争と深い関わりを持つキリスト教や「聖戦」と常に裏表にあるイスラム教などに比べて、戦いにまつわることを一切否定する宗教としての仏教観がある。しかし、それは本当に正しいと云えるのだろうか。

実はNHKのEテレの人気番組『100分de名著』に登場(昨年再放送)し、法華経を解説した仏教思想家の植木雅俊さんの近著『今を生きるための仏教百話』を読むと興味深い仏教の「戦争と平和の行動論」に出くわす。『法華経』のサンスクリット語全訳に続いて、『維摩経』の現代語訳をも成し遂げた植木さんは、同経では、菩薩の積極的で具体的な利他の行動が列挙されていると指摘しており興味深い。疫病、飢饉、戦争などの現実問題に対して、座して瞑想に耽るのではなく、行動に立ち上がる菩薩像が綴られていると云うのである。特に「戦争の際の行動は目を見張るばかりだ」とまでも。

サンスクリット語の鳩摩羅什訳では、「当事者のところを行き来して」「和平の締結を目指す」として、「積極的な平和行動に取り組むことを述べていることが注目される」と。結論的には「原始仏典から帰結されることは、仏教は本来、平和主義的性格であり、国王に対しては戦争の放棄を勧めるものであった」と、仏教学者・中村元氏の言を引いてまとめている。

こうした記述から、日本のかの「戦国時代」にあって、対立する両陣営相互間を行き来する僧侶を想起するのにさほど時間はかからない。本来的には「行動する平和主義」「積極的平和主義」とでも呼べるものは仏教に固有のものであった。しかし、現代日本では、戦争と平和の相克の中で、戦争にまつわることはいかなることにも手出ししないのが仏教だとの見方が定着しているかに見える。明らかに誤解だといえよう。

「憲法改正」にどう挑むか

令和2年(2020年)の幕開けを飾る新聞各紙を見ると、国内政治的には「憲法改正」に向けて安倍首相がどう動くかが関心を集めている。昨年産経新聞のインタビューに答えて、私は今の国会議員による憲法論議の停滞に幻滅を感じるとした上で、❶憲法改正に向けての事前の国民投票の実施❷有識者による憲法改正草案のまとめ❸国会における2年間の限定付き特別憲法議論チームの結成ーなどを提案した。こうしたことでもしなければ、結局は安倍首相の強行突破を招きかねないと思うからである。公明党の山口代表は、憲法改正への機熟さずとして、さらなる議論を求めている。私があのインタビューで云いたかったのは、公明党が自民党と野党の間に立って、合意形成に向けての汗をかくべきではないのかとの一点だった。安倍首相が9条3項に自衛隊の存在を明記する加憲を提起してきたことを受けて、更なる議論をと云った風に結論をただ先延ばしにするのではなく、積極的に妥協点を探るために動くべきではないのか、と。

憲法については従来から、全面的な改憲論に立つ自民党と、一切触らせないとの旧社会、共産党などの対立があった。今は、野党第一党の立憲民主党は安倍自民党の元では改憲はしないとの含みを持ったスタンスである。そうした立ち位置を放置しているのではいたずらに時が経つだけである。今こそ憲法のどこをどう変えるか、あるいはどこについては変えずとも済ませられるかの詰めの作業を、公明党こそ党内議論の中で推し進める使命がある。その一方で、改憲に前向きな自民党や日本維新の会と、後ろ向きな野党との間に立って、本来の役割を果たすべきだろう。

「平和安全法制」で見せた合意へのギリギリの知恵を、憲法についても公明党が発揮して貰いたい。護憲に戻るのではなく、加憲にこそ、膠着状況を切り開くチャンスがあるのではないか。そこにこそ中道主義の本領発揮を見たいと云うのが私の本意である。(続く=2020-1-4)

 

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