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中国に帰る少壮の学者(ジャーナリスト)との別れの茶会にて(下)

李海さんとの別れの茶会のひとときでの語らいと、そこから得たものを私風に再現してみよう。彼の日本への留学、滞在は19歳の年から18年に及ぶ。もともと四川省の地方都市・眉山で生まれ育った彼は、遠く離れた日本に憧れた。勉学を通じて自分の運命を変えたいとの志を持ち、日本留学に挑戦した。最初は日本の中国・広島県福山市で一年半の間、日本語を勉強し、その後香川大学で法律を学んだ。そして、名古屋大学で日中比較文学、ジャーナリズムを研究する。博士論文(『日本亡命期の梁啓超』=桜美林大学北東アジア総合研究所から出版)に挑む間に、香港衛星テレビで働くようにもなり、東京支局長となった。結婚もした。そんな彼にとって、日本における最大の思い出は、名古屋大学での恩師・楊曉文先生との出会いと別れだという。この人のもとで一緒に研究をしたいとの欲求が敢え無く先生の急逝(2014年7月 享年51歳)によって潰えた。彼が博士号を取得した僅か3ヶ月後のことだった▼実はこのほど駐日中国大使になった孔鉉佑氏は上海外国語大学で楊先生とは同級生だった。先般大使就任の際にお会いした李海さんはお祝いの言葉を述べた。話題は楊先生のことに及び「若くして彼は逝ってしまった。本当に残念だなあ」としんみり述べられたという。哀愁が漂う表情でのツーショットになってしまいました、と私にその時の写真を見せてくれた。写真の二人に見つめられた私は、瞬時に楊先生になり変わったかのような錯覚をしてしまった。彼はこれから中国の貴州民族大学に向かう。そこで何をするのか。日本文学と日本事情を学生たちに教え、語る。意欲満々の表情を漲らせた。彼の地での様々な民族の若者たちが日本について学ぶとは素晴らしい。日中相互理解に彼ほど見合う教官はいないと確信する▼私は実は中国に過去に二度ほどしか行っていない。創価学会青年部第一次訪中団と公明党第十三次訪中団の随行記者としてである。もう40年ほど前のことである。以来行っていない。なぜか。中国への贖罪意識が否定できないからとでも言えようか。江沢民氏の「反日教育」や習近平氏らの「中華民族の栄光」と云った言動を見聞きすると、大袈裟だが、どうしても「中国の報復」を意識してしまう。そう語った私に爽やかな笑顔で「そんなことはありませんよ。もう総て終わっています」ときっぱり。〝一知全解〟というわけにはいかないものの、彼の懐の深さと巨大な国家・中国の多面性を改めて知る思いであった▼日本についてどこがいいと思うかと訊いてみた。平和で比較的安全で、安心なところだと指摘すると共に、「製品やモノの出来具合い、サービスや人間の修行に至るまで、皆が極めているかのように見える」ととても嬉しい言葉が返ってきた。いささか褒めすぎのような気がする。もちろん、厳しい見立ても。「だけど、もはや日本人にはワクワクする思いが持てないように思われます。特に若者にエネルギーが感じられない。東北の大震災とりわけ福島第一原発の事故は、日本の国家イメージを決するような重大な関心事だけれど、どうこれを解決していくのか。再チャレンジ可能な社会作りに向けて若者のエネルギー溢れる社会になってほしい」との注文は私の耳に、中国の山あいからのこだまのように切れ切れに響く▼私は「日本社会40年変換説」を改めて彼に説いてみた。明治維新から日清・日露戦争の勝利を経て、敗戦からバブル経済へ。さらにそれの崩壊から少子高齢化の極みへと負の時代が続く、と。興隆を続ける中国を横目に、漂流する日本の現状を語ることは、同じ時期に政治家だった私には、多額の借財を突きつけられたかのようでとても辛い。平成の30年は結局日本にとって変革が望まれながら、ついに全て先送りした「失敗の時代」だったとの認識を示す他ない。では令和の時代はどうなるのか。これまでの価値観を改めて、軍事・経済力はほどほどに、文化、芸術、教育に一意専心する国作りが必要ではないかとの持論を語った。米国との同盟関係を堅持するのか、中国との新たな交流に身を委ねるのか。アジアにおける日本の選択について訊かれた。それには、どちらにつくか、つかぬかではなく、真の自立国家として、巨大な米中両国家の狭間で狡猾に生き抜く逞しさを持ちたい、と。こう語り合って、春秋に富むいい友人を中国に持った喜びをしみじみと実感する。近い将来彼の地に行ってみたい。だが、私には残された時間はもうあまりない。(2019-8-5)

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中国に帰る少壮のジャーナリスト(学者)との刺激的な語らい(上)

香港衛星テレビ東京支局長の李海さん(37歳)を私が知ったのは、現役を引退(2012年12月)して、大分経った頃だった。浅野勝人さん(元内閣官房副長官・外務副大臣=元NHK解説委員)からお誘いを頂き、同氏が理事長を務める「一般社団法人   安保政策研究会」に理事として加わった最初の会合で、初めてお会いしたと記憶する。その際に、故中嶋嶺雄先生の著作選集(全8巻)をまとめるお手伝いをしていると、打ち明けられた。私が慶大在学中に、東京外語大からの講師だった同先生の教えを戴いてより半世紀。急逝された先生とのご縁を持つ中国人ジャーナリストと知って、一も二もなく親しみを感じた▼それ以来、中嶋嶺雄先生の追悼の意も込められた著作選集出版会を始めとして、折に触れて会う機会を持った。私が尊敬してやまない荻巣樹徳氏(植物学者・ナチュラリスト)を東京で彼に取材して貰う機会も作ったことがある。今も中国の奥地(タイやヴェトナム、ミャンマーとの国境沿い)でフィールド調査をし続け、多くの中国人の知己を持つ同氏。その時の李海氏について「中国人の中ではかなり柔軟な思考の持ち主ですね」と印象を述べたものだ。また、李海氏は創価学会本部を初めて訪ねた時に「女性が凛としていることが印象的でしたね」と述べたことも忘れ難い。そんな彼と、創価学会の池田大作先生と作家・王蒙氏との対談集『未来に贈る人生哲学』の読後感を語り合ったことがある。この本には心底から感銘を受けたのだが、彼も両先生の学識の深さに感動したという。ただ私はひとつ気になったことがあり、それを彼に訊いてみた▼王蒙氏は、中国文化大革命で新疆にひとたびは飛ばされ、また復活して文化相になるといった毀誉褒貶があることについてである。こうした変遷が日常的に起こり得ることなのかどうか訊いてみた。彼は、「中国の政治は指導者が変わるとやり方も変わるから、それを予め察知して避難したりしていると思います。大臣にもなり、天安門事件の前に辞めるなど政治的に巧みです。今でも次々にヒット作を出していることを見ても、共産党と文学活動にうまくバランスをとる極めて聡明な人物です」との答えが返ってきた。さらに、私はこういう王蒙氏のような立ち居振る舞いが出来る人は珍しいのか、そうでないのかを訊いてみた。それには、「文学の社会性を保ちながら、中国共産党とうまく付き合う文人は少なくないです。中国で生き抜くには知恵が必要であり、巨大権力との戦いには様々な戦術が必要ですが、王蒙氏の例は決して特別ではありません」との反応だった。曇り空から太陽が一気に光を放った時のように、大いなる刺激を受けたものである▼こうした彼との対話は主にラインを通じて行ってきた。一度食事を共にしたが、東京、姫路と遠く離れているだけに、たまに「安保研」で会うぐらいだった。そんな彼から、つい先日、「8月25日に中国に帰ることになりました。貴州民族大学外国語学院で勤務します」という連絡があった。慌てて私は上京の機会を作って、久しぶりに会う段取りをつけることにした。というわけで、李海氏と私の二人だけの「送別の宴」ならぬ、〝送別の茶会〟は8月1日の朝、東京駅ステーションホテルの喫茶室で行われた。次回はその模様を伝えたい。(2019-8-4一部修正)

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衝撃の高校生パワーに期待ー徳島での観光教育大会に参加して

北海道から沖縄県まで全国の高校の先生たちの代表が徳島に集まって、観光教育を巡って学び合う機会がありました。7月25-26の二日間、四国大学交流プラザで開かれたのですが、私も「(一社)瀬戸内海島めぐり協会」の一員として初めて参加(兵庫県からは洲本実業高校の先生が初参加)してきました。今年で24回目と云います。有志の先生たちが集まって出来上がったネットワークはなかなか強固なもので、そこから育った生徒たちの観光現場での成長が大いに期待される、との実感を持ちました▼最も注目されたのは高校生たちの発表でした。徳島商業高校の女子生徒が中心になって❶カンボジアでの交流(PalmSugarStory)❷レジ袋削減作戦❸美波町の地域おこしーの3つの報告は見事なものでした。カンボジアのヤシの実からアイスクリームを作り、日本で販売する。この行程に深く高校生が関わっている実態はまさに驚異です。また美波町椿谷でのジップラインを軸にした地域おこしに取り組む姿にも強く惹きつけられました。発展途上にある国と日本の限界集落のひとつを共に蘇らせようとする若者の試みには、率直に感動しました。指導に当たった鈴鹿剛先生は「観光を通じて子供たちが自分で考え、何ものかを創造するようになる成長過程が大事なんです」と語ってくれました▼アースプロジェクトの榎田竜路氏と日大教授の宍戸学氏の講演も大いに聴かせるものでした。榎田氏は若い人たちの自己肯定力を高めるための「術」を幅広い観点から語ってくれました。この人は映像を作る行為を通して、今そこにいる場所とひとを輝かせる手立てを語り、全国各地において実績を積み上げてきています。「観光の伝道師」とでもいうべき人だけに刺激溢れる話でした。一方、宍戸氏は国際関係論における観光学の先達。同時にこのネットワークの構築に初期の頃から携わっている熟達の士でもあります。インバウンドに沸き立つ現状の光と影を過不足なく語ってくれ、大いに参考になりました。私は世界各国の相互理解に対して、観光が果たす側面に大いに関心があります。中国やイラン、北朝鮮などクセのある国々がどう自国を自由に世界に開き、見せてくれるかが「世界平和」のカギを握ってると思うのですが、果たしてどうでしょうか▼二日目のパネルディスカッションは、この分野(観光と地域おこし)の第一人者というべき勝瀬典雄氏(関学大兼任講師)の司会のもと、実に聞き応えのある討議になりました。これには観光庁から榎本通也政策調整官も参加。専門的立場から多彩な意見を開陳すると共に重要なアドバイスをしてくれました。会場参加者に意見を求められたので、私は観光人材としての高校生たちを受けいれてくれる地域の受け皿とのマッチングの難しさを語りました。日本中で今、シャッター街の存在が悩みのタネである現実。これを観光人材としての高校生たちが解決に役立つことが出来たら、どんなに素晴らしいか。まるで夢のような非現実的な〝無い物ねだり〟をしてしまいました。来年は北海道ニセコで開かれます。早くも関心が高まってきます。(2019-7-29-改訂版)

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無党派・浮動票層にどう働きかけるかー参議院選を終えて

長かった参議院の選挙戦が終わりました。いきなり解散に持ち込まれるケースの多い衆議院と違って、予め見通しが立つ分だけ、準備に相当な時間がかけられるため、長く感じられます。私の地元の兵庫県では今回も全国屈指の激戦区と云われましたが、予想通り厳しいものとなりました。結果的には、維新の候補者がトップ当選し、自民党の候補が3位で、公明党の新人は2位に食い込みました。得票こそ3年前に4万票ほど及びませんでしたが、堂々50万票を獲得できたことは、嬉しい限りです▼ここでは表層的な捉え方になりますが、3年後の次期参議院選に向けて、どうしたらいわゆる浮動層と見られる有権者の支持を得られるかについての考察をして見ます。まずその前に「維新」の躍進をどう見るかです。これは大阪での都構想を巡る一連の動きにおける同党の人気が兵庫にも押し寄せた、つまり「維新」にとって追い風が吹いたと見るものです。その側面は確かに否定できません。ですが、それだけでしょうか。私はこの党の躍進は日本におけるもう一つの保守政党への待望論と重なって見えてなりません。単に大阪や兵庫における特殊な現象と見ない方がいいように思われます。尤も「維新」の方に全国的な政党としてことを構えるゆとりがあるかどうかというと覚束ぬところはあるのですが▼ただ、今の時点で浮動票がそれなりに取れる「維新」は侮れません。自民党から共産党までの老舗の政党で唯一と言っていいくらい背後に組織がないのに、票が取れる政党に見えてなりません。浮動票がなぜ取れるか。いくつかの点がありますが、最大のものはリーダーの物言いがはっきりしていることでしょうか。橋下、松井と続く首脳の言動はそれなりに明確な意思が読み取れます。彼らのいうところの、しがらみのなさとでもいうべきものでしょうか。憲法を巡る態度でもそのあたりの姿勢は明確に伺えます。保守二党を待望する世論が、安倍自民党の独走気味が目立つほど、反比例して強くなるように思われます▼そうした状況下で、公明党が自民党との距離を縮め、「公明党の自民党化」(神戸新聞)を強めているとの見方が専らです。本来、私のような古い公明党の政治を知ってるものからすると、「自民党の公明党化」を目指して、連立を組んで自民党の内側からの改革を目指したはずなのですが。自民党にもの申す場面が少なく、寄り添う場面ばかりが目立つのは不本意と云うほかありません。ミイラ取りがミイラになったというのでは困ります。参議院選挙は3年後にやってきますが、その際にどれだけ浮動票を集められるか。党としての〝らしさの発揮〟と、団体、組織票とは別に、候補者個人の魅力を高めるかだと思います。かつて公明党が野党の頃に政府を批判する力が目立ちました。先日亡くなった草川昭三さんや、市川雄一さん、そして今も健在の黒柳明さんらは個人の質問力で名を高めました。与党になってからそうした迫力を持つ公明党議員が少なくなったため、一段と人気を持つ人が少なくなったように思えます。参議院自民党の西田昌司氏のように与党でも大向こうを唸らせる質問をする人もいます。公明党もそうした力のある個人票を持つ政治家を育てていかねばと思うことしきりです。(2019-7-23)

 

 

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米中対決の狭間で日本はどう生きるかー大阪での時局講演会から(下)

一方、国際政治における最大の問題は、中国の膨張です。ある雑誌の「独裁国家中国という今そこにある脅威」という特集では、「習近平が目論む中国未来年表」なる、これから30年の中国がアメリカを越えて、世界の覇権を目指すタイムスケジュールが掲載されています。それによりますと、

2019年に科学技術の研究費が世界一位になります。

2020年には中国版GPS「北斗」が世界で運用開始となります。

2022年には有人宇宙ステーションを運用開始。

2025年には国防費が米国を抜いて世界一位となり台湾に軍事侵攻。

2029年には人口が14・5億人のピークになります。

2030年にはGDPが世界一位になり、AIで世界をリードします。

2035年には中国海軍が米海軍に並ぶ。国民一人あたりのGDPが世界一位に。

2049年には中国の夢ー中国民族の偉大なる復興ー実現する、というのです。この年は中華人民共和国が建国100周年となり、中国が経済・軍事・文化のあらゆる面で世界の支配者になるといいます。

また中国は、要衝と呼ばれる世界の港をことごとく抑えようとしており、その手法は、かつての大英帝国が香港をアヘン漬けにして、戦争に勝ち奪い取ったものですが、それを見倣い、発展途上国等を借金漬けにして、そのカタに港を奪おうとしています。因みに、中国が牛耳る世界の主な港湾は以下の通りです。

ハリファ港(アラブ首長国連邦)、ピレウス港(ギリシャ)、セーブルージュ港(ベルギー)、チャオビュー地区(ミャンマー)、ハンバントタ港(スリランカ)、ダーウイン港(オーストラリア)、グワダル港(パキスタン)、ドゥクム港(オマーン)、ジプチ港(ジプチ)、ティバサ地区(アルジェリア)

さらに、2015年には、IMFを中心にしたアメリカ中心の国際経済秩序によるアメリカの影響力を排するためにアジアインフラ投資銀行を創設するなど、60カ国に及ぶ国々を傘下に組み込んでいます。

こうした流れを見ると、かつて「米ソ対決」のもとでの「スターウオーズ」を思い出します。米ソ超大国が軍事力競争が嵩じて地球上から宇宙にまでその〝戦場〟を広げたことに似てなくもありません。これは結局、財政負担にあえいだ上での「ソ連の崩壊」を引き出して、アメリカの勝利に終わりました。ただ、ソ連と違って中国はそのやり方・手法が半端じゃないことから、そう簡単に勝敗は決しないとの見方があります。もちろん、同時に中国における共産主義中央集権に翳りが生じて、いくつかの連邦国家に分裂するとか、あるいは国家崩壊の危機に瀕するとの見方も根強いことも否定できません。

こうした状況下に、今トランプ米国大統領が、就任以来事あるごとに持ち出すのが日米安保破棄という問題です。米国がいざという時に、日本が守らない同盟は不平等だというわけです。米国大統領は1973年に制定された「戦争権限法」によって議会の許可を得ないと戦争は大統領といえども勝手にやるわけには行かなくなっています。ただし、条約は締結時には議会の了承が必要ですが、破棄については、大統領の権限で出来るので、注目を浴びています。

これに関して、日本が米軍基地を提供していることや〝思いやり予算〟などの経済負担を口にするだけでは持たない時が来るとの見方もあり、トランプ大統領の提案を真剣に考えるべしとの主張もあります。これは巨大な財政負担を伴うだけに、根底的に日本の在りようが問われる選択です。もちろんこれは日本の真の独立とは何かという問題と絡み、簡単には答えが出せない課題です。

やがて米国と中国とどっちを同盟国として選ぶのか、日本が迫られる時が来るとの見方もあり、他人事ではありません。しかも、米国は民主主義国家ですから、曲がりなりにも自主性を重んじた同盟関係で収まってきましたが、共産中国の場合は、周辺国を属国化してくる手法が露骨なだけに、事は極めて重大です。今は21世紀に入って20年。やがて日本が戦争に負けて100年が経ちますが、その頃には真の意味での独立を勝ち取るものと、私などは堅い決意と共に未来予測をしてきました。そのためには、地球民族主義の旗印のもとに、国連中心の国際政治を培うというのが公明党の考え方ですが、それと真っ向から対立する動きが起きてきているのが今の世界です。

こうしたことを真剣に考えていく時があっていいのではないか、との金光さんの講演での問いかけが深い意味を持って響いてきます。(2019-7-16)

 

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自公連立政権は何をもたらしたかー大阪での時局講演会から(上)

参議院選挙の最中に、企業関係者が多数集ってくださった大阪での時局講演会(7-11)に私も、伊藤孝江参議院議員と共に出席、高橋光男支援を訴えてきました。主催者は、宮沢喜一元総理の後援会副会長を務めた 金光亮典氏(R.D.M.サポート21代表)。この日の同氏の講演は自民党と公明党の連立政権の歴史と背景を整理した上で、現時点における政治経済の状況を適確にまとめ、今後の国際政治の展望を述べる画期的な内容でした。加えて質疑応答の中で、膨張する中国の存在を前に、日米関係をどう捉えるのがいいかとの観点での重要な問題提起もなされるなど、大いに刺激的な内容で、出席者からは大変に勉強になったとの賞賛の声が聞かれました。

このうち、私が強い関心を持って聞いたのは、自公連立政権の役割と、米中対決の狭間で日本はこれからどう生きるか、との二つの点でした。ここでは金光氏の講演をベースに、私の考え方も織り込んで上下二回に分けて整理・再現してみます。(これは金光氏にも確認していただきましたが、文責は全て私にあります)

まず、自公連立政権の評価については、ズバリ「政治の安定」をもたらしたことに尽きます。昭和期最後の宮沢政権で、自民党単独政権は終焉し、細川政権から10代続いた自民党主軸の連立政権は、ひとたび麻生政権で潰えます。その後3代続いた民主党政権は、見るも無惨、聞くも呆れる体たらくで、「悪夢のような」政権と言わざるを得ませんでした。それが、安倍晋三第2期政権の誕生で、日本は立ち直り、今日までの約6年間は様々の問題ははらみながらも、政治経済は落ち着いてきたと云えます。

もちろん、平成の30年全体としては、「失われた時代」との指摘もなされており、それは経済だけでなく、政治にあっても同じと云えましょう。ただ、自民党政治の足らざるを補い、矯正する役割を担ってきているのが連立政権のパートナーとしての公明党だとは衆目の一致するところです。政治家の失言やら不始末が後を断たない事態が続きますが、それに苦言を呈し、あるべき方向を示唆してくれているのが山口公明党だと云えます。

日本の前途は楽観は許されず、問題山積です。自民党政治の中核で長く携わってきた金光氏と、公明党の私とは立場こそ微妙に違えど、宮沢喜一氏、市川雄一氏という類まれな政治家にそれぞれ秘書として支えてきた共通点があります。その二人が強く実感するのは、困難な中でも日本の地平を切り開いてきた自民党と公明党がこれからも手を携えて課題に立ち向かうしかないということです。

自公連立は20年を経て、益々確たるものになってきました。政権の構成に関して云えば、公明党はこれまで国土交通、厚生労働、経済産業行政などの分野で力を発揮してきました。あの東北大震災に関連して起きた福島の原発事故の処理にあっても、公明党所属の副大臣や政務官らの目覚ましい働きは特筆に値するものです。

自公連立政権で安定した政治をさらに充実したものへと改革することが今求められています。それには「小さな声を聞く政治」を続けている公明党の役割が重要です。「大衆福祉の実現」を掲げて55年前に誕生したのが公明党です。福祉が求められる領域が、学校教育の現場や家庭のただなかでのいじめや引きこもりなど、こころの病へと広がってきています。これに立ち向かって、課題解決への道筋を立てることこそ今公明党に求められている大きな問題だと思われます。(2019-7-16)

 

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参院選の焦点の一つとしての「憲法9条」

参議院選挙が4日に公示となりました。この日はアメリカの独立記念日です。日本がアメリカを主たる相手として戦った戦争に負けてから70有余年。未だにその支配から完全に抜けきっていない被占領国であるとの自覚を、私はいつもこの7-4が来るたびに持ちます。特に理由はありませんが、1945年の8-15(終戦記念日)や、9-2(降伏文書調印式)や1951年の9-8(サンフランシスコ講和条約調印式)などの記念日よりも、こっちの日に感慨を抱くのです。若干の皮肉を込めてはいるのですが、やがていつの日か日本も本当の独立をせねば、と思うのが7-4なのです▼さて、平和な時代の「陣地取り合戦」たる国政選挙が始まります。様々な争点がありますが、一つは「憲法」をどうするか、です。安倍自民党は結党以来、憲法改正を真正面に掲げ続けてきた政党です。今回の選挙では、9条に自衛隊の存在を明記する項目を加えるとしています。それに対して、公明党は「多くの国民は自衛隊の活動を理解し、支持しており、違憲の存在とは考えていない」としており、わざわざ改めて明記せずとも、事足りるとの立場を鮮明にしています。つまり、9条改正に慎重で、出来るだけ多くの政党の合意形成が図られるように努めることが先決だとしているのです。主要野党は「維新」を除き、「安倍政権下での改憲」に反対する姿勢(国民民主は弱いですが)です。政党のこうした立ち位置は、私が現役だった頃と大筋は変わっていません。残念なことに憲法審査会での議論が遅々として進まないのです。日常的な予算にまつわる国会審議や法律制定の議論とは別に、憲法は国の根幹に関することですから、時々の政局に流されずに議論すべきなのに、頑なな与野党対決の姿勢が災いしているのです▼安倍自民党は全面改正を選挙公約には打ち出さずに、随分と殊勝な態度に見えます。本音をさらけ出して公明党との関係などが壊れては元も子もなくなるからなのでしょう。言うまでもなく憲法9条については、実に様々な議論や立場があります。冒頭に述べたように、日本は未だアメリカの実質的には支配下(独立国とは疑わしいような状態)にあり、首根っこを押さえられています。それが証拠に、「沖縄」を持ち出さずとも「横田空域」に見るように、首都の空さえ自由に飛べないままなのです。アメリカの大統領から、日米安保条約体制の不平等性をちらつかされ、「対等な関係」になろうと理不尽な脅かされ方をして、尻込みする国柄なのです。ここらを整理・整頓して、自前の憲法を持つことがない限り、いくら付け焼き刃的にいじくりまわしても、ダメだというのが恐らく公明党の本音であり、ここはじっくり議論をしようという立場です(いつまで経っても進まないのにさすがの私も苛々感が募りますが)▼ところで、話題の映画『空母  いぶき』を封切りと同時に観てきました。漫画家のかわぐちかいじ氏の原作をもとに作家の福井晴敏氏らの企画立案で出来た映画ですが、自衛隊という存在を的確に描いて見応えがありました。日本の領土・領海・領空の領域を保全するために、侵略してきた外部勢力を水際で防御するために現行憲法下で許される渾身の力と知恵を振り絞る場面。総理はじめ政府が憲法9条のもとに最小必要限の力を行使するべく、国連との連携をもとに腐心する姿。これらは、日本防衛のシュミレーションとして、大いに参考になります。国会議員も、普通の市民のみなさんも、自衛隊がいざという時にどう振る舞うかを事前に検証する役割を果たします。現実に、戦闘で人命を失ったことがない自衛隊ーこの映画では、自らも犠牲者をださず、敵にも出させないという、涙ぐましいまでの努力と思いが伝わってきます。たかが漫画、たかが映画という勿れ、ここには憲法9条議論のイロハが詰まっているように私には思われます。(2019-7-5)

 

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「政治の安定」に続くものは何か?

    通常国会が閉幕し、来月4日の参議院選挙の公示まで1週間足らずとなりました。この選挙では「政治の安定を!」が与党側から問いかけられています。それは野党主導の政治が間違いなく「政治の混乱」を招くに違いないことから当然と思われます。3年前の参院選には存在した民主党が自分たちのしでかした大失政を顧みず、今度は立憲民主党と看板を変えただけで、ほぼ同じ陣容のもとに今度の戦いに挑もうとしています。私は、与党に対立する健全な野党の存在は民主主義の政治にあって当然必要だと思います。しかし、立憲民主党主軸の今の野党共闘体制では「混乱の再生産」だけで、到底賛同出来ません▼では、我々は「政治の安定」だけ叫ぶことでいいのでしょうか。選挙戦略上の大方針としてはそれでいいと思いますが、同時に庶民大衆にはそれだけでは足りないと思います。私たちが「高橋みつお」候補を頼む闘いをしていく中で、相手と話し込むと必ず出てくるのは、安倍首相の一強政治に対する不満と、これからの私たちの暮らしに対する不安です。それに対して「政治の安定」を掲げることだけでは、今の政治の全肯定になってしまい、不満も不安も解消されないのです。もとより政治は「よりマシ選択」であって、「完全無欠な選択」はありません。今の「野党連合」よりも、自公政権の方が「よりマシ」であることは大方の人はわかってきています。問題はそこだけに終わらずに、次にこれからの政治が、経済が、社会がどうあるかを訴えていくことの重要性です▼私は「経済の安定」に加えて「社会の安定」を皆が待望していると思います。確かに安倍政権は近過去のどの政権よりも、経済をよりマシに運営してくれています。色々言い分はあっても、です。ただ、その一方で社会全体における貧富の差がそこはかとなく広がってきていることは認めざるをえません。(蛇足ですが、だから野党の方がいいとはならないことは強調しておきます)そのため、消費税上げへの不安や老後の生活にいくらかかるかといった問題に敏感にならざるをえないのです。その時に、野党の主張を頭ごなしに否定するだけでは十分ではありません。野党側が財政、金融、消費の全体像を見据えず、目先だけの問題にとらわれて、不安を煽ってることに対し、きめ細かく批判を加えることが大切です。老後の生活は一般論として豊かであるのがいいに決まっていますが、問題は千差万別であり、人の生き方とも関わる複雑な問題なのです。問題をすり替え、年金問題に不安の矛先を持って来ようとする野党の戦略の狡猾さを見定めることが重要でしょう▼そこで、強調したいのが政権与党としての公明党の役割です。今年は公明党が結成されて55年になります。早いものです。大衆福祉を、平和を掲げ、個人の幸せと社会の繁栄が一致する社会を目指しての歳月でした。今私たちの生活全般は、確かに55年前よりも、全体的にも個人的にも豊かになってきてはいます。しかし、同時に富めるものはますます富み、貧しいものはより貧しくなってきている状況は否定できません。また、社会福祉の面でもかつてはあまり浮上していなかった、心のやまい(引きこもりや小児虐待に見るような)に悩む人々がぐっと増えて来ているのです。こうしたことも含めて 新たな社会不安にどう対応するか。これこそ公明党の真価が問われるテーマだと思います。55年前の結党当時と本質的には全く同じ状況が我々の目の前に広がっているのです。〝今再び〟の公明党の本格的出番です。(2019-6-28)

 

 

 

 

 

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生き方の革命的転換こそーAKR兵庫支部会でのミニ講演から(下)

間違っていない自公政権の方向性

自公政権は、「一億総活躍社会の実現」を掲げる一方、人生再設計の必要性を強調しようとしていることは先に挙げた通りです。この方向はあながち間違っていないと思われます。言葉を変えると、こういう社会とは、国民一人ひとりが楽しく生き生きとした生活を目指すことに通じます。これは、音楽、美術など芸術や文化全般に親しむことを含め、人間力を磨くための教育の重要性なども視野に置いた国作り、人作りに向かうということをも意味するものと思います。かつてのような軍事力を優先させたり、経済的に社会を富ませることにばかりに国が力を注ぐのではありません。個人の充実、伸長に注視した国作りです。問題はその具体的中身でしょう。スローガンだけに終わらせないで欲しいものと思います。

それは例えば首都圏、東京一極集中ではなく、地方、田舎への分散、拡散を目指すものだと云え、あるいは、経済成長にのみ価値観を置くのではなく、人間の成長に価値観を置くと云うような、国民生活のシフト転換を意味します。

大型野生動物と人間の共生から

国民生活のシフト転換の例として、私がこれまで取り組んできた豊かな森林を取り戻す闘いをあげてみましょう。これは、日本の森林が荒廃している証拠として、森に棲めなくなった熊などの大型野生動物が里山に降りて来ているという問題と繋がってきます。この問題を考えるときに、つい「人間中心主義」という理念が妨げになります。人間を守るため動物の殺戮を許すのが「人間中心主義」でしょうか。それは誤りだと思います。それはむしろキリスト教を軸にした西欧近代の考え方で、日本は仏教を重んじる国柄として、人間と野生動物の共生を尊んできたはずなのです。それを勘違いする向きが多いのは、まことに残念です。

しかし、これは極端な考え方で、とても直ちに大向こうの賛同を得られるとは思いません。ですが、それぐらいの観点を持って来ないと、結局は人類のエゴで地球が破綻しかねないといえるのです。国益、人類益から動物、植物との共生を視野に納めた地球益を求めて、徐々に方向転換を図る必要があるのです。

働き方の根源的なシフト転換

団塊世代は、別名〝食い逃げ世代〟とも云われます。経済至上主義時代の旨味を味わうだけ味わって、それなりの年金を貰って一線から消えようとしているからです。それに比してその子供たちの世代ー団塊第二世代ーは就職氷河期からバブル崩壊を経て、失われた30年を強いられてきました。

これからの令和の時代は、社会の下降線を上向きに変えねばなりません。そのためには国も個人も価値観の転換が求められているのです。教育期から仕事期を経て「定年後」を迎えるという決まり切った人生コースを後生大事に抱え込むのではなく、知恵あるフリーター、積極的な起業家、複数の仕事への関与などといった新たな生き方、働き方が求められているのです。そうした人生の価値への革命的大転換があってこそ、これからの時代に生き残れることを銘記するべきでしょう。

社会を停滞させてきた責めを負うべき政治家から、そんなこと言われたくないと思われるかもしれません。ですが、その反省もあり、これからの流れを変えたいと念じるが故の必死の提言だと思って聞いてください。

食品が新鮮さを保ち得てない、賞味期限切れだからといって、皆さんの職場でも平気に捨てています。そうなる前に少しでも消費者の食卓に届ける手立てがあるのではないか。一軒一軒ごとの消費者個人と、みなさんの市場をどう直結させるか。まさに革命的な市場のあり方の転換が求められます。これを考える時に、巻き返し策も見えてくると私は確信するのです。(2019-6-16)

 

 

 

 

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「ロス」社会の時代をどう生き抜くかーAKR兵庫支部でのミニ講演から(上)

神戸市東灘区にある甲南食彩館の会議室で、AKR兵庫支部(オール小売連合)のメンバーを前に、10日の午後、懇談的に話す機会がありました。以下それをもとに大幅に付け加えたものを記します。

失われた30年と食品ロス

今の30歳代半ばから40歳代半ばの皆さんはーちょうど私の娘の世代ですがー「ロストジェネレーション」と云われます。これはバブル崩壊後の「就職氷河期」に新卒採用のレールから外れ、安定した職場につけなかった人たちのことを指します。先日新聞を見ていますと、安倍政権の諮問会議は、先にこの世代を「人生再設計第一世代」と呼び、職業訓練などの支援策をまとめたといいますが、「失政の責任を個人に押し付けている」として、評判は良くないようです。

確かに、この30年の平成時代は、「失われた10年」から始まって、20年そして今や30年と、まるまる失敗した期間だと捉えられています。ちょうど同じ時期を政治家として過ごしてきた私としては反省するところ大なるものがあります。今日お集まりの皆さんは食品を消費者に提供する小売市場の最前線で働いておられるわけですが、そこでも「食品ロス」が今大きな社会問題になっています。食品と人間とを一緒にするな、と怒られそうですが、意外に関係しているとの話をしてみたいと思います。

「日本社会40年転換説」の迫真性

まず、私たちが生きている時代は、どういう流れの結果として今があるかを考えましょう。ここでは「日本社会40年転換説」なる一つの仮説を参考にします。これは、明治維新から約150年間の時の流れをほぼ40年づつに分けると、見事に興隆と下降とが、山頂型と谷底型として交互に表れてくるのです。維新から40年後に、明治日本は日露戦争に勝利して国力の増大ぶりをアジアに、世界に宣揚します。富国強兵政策の所産としてです。しかし、その後もその政策を続けた結果、40年後には無惨にも一国滅亡の憂き目に合ってしまいます。1945年のアジア太平洋戦争の敗戦という結果です。全てを失ってしまいました。

さて、それからの日本は軍事力を必要以上に持つことはやめ、それはアメリカに任せて、自国はひたすら経済の分野に邁進する方途を選択します。高度経済至上主義です。その結果、ほぼ40年後には世界第2位の経済大国にのし上がり、バブル絶頂の時を迎えます。しかし、それもつかの間、バブルは崩壊して今や経済においても中国に追い抜かれ、下降線を辿る一方です。この分だと、2025年ごろの少子高齢化のピークと云われる頃までその流れは続きそうです。つまり、経済至上主義を続けた結果、前半40年は良かったが、後半40年は真逆になってしまったというわけです。

さてどうするか。こういう仮説に立つとすると、あと6年ほど指をくわえて、落ちゆく先を呆然と見てるしかないのでしょうか。この流れを変えるには、今までと全く違った価値観を持って、国も個人も新たに立ち向かうしかないと云えると思います。自公政権は、「一億総活躍社会」なるものを掲げる一方、「人生再設計」を呼びかけています。私はこの方向は間違っていないと思います。(2019-6-12)

 

 

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