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依存派とゼロ派、どちらにリアルがあるか「原発考」❷

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結局はいつか来た道に迷い込むー「原発考」❶

平成23年3月11日午後2時46分。東日本大震災の発生した瞬間、私は新幹線車中にあった。横浜を過ぎて間もなく。当然ながら列車は停止したが、10分ほどで何事もなかったように目的地に向かった。かなりの混乱に陥った東京をその寸前に脱出していたのだ。さらに、それを遡ること16年前。平成7年1月17日午前5時17分。阪神淡路大震災の当日は神戸から西に約50キロ離れた姫路の借家で寝ていた。グラグラっと揺れる最中に瞬時、不謹慎にも「この家潰れても俺の家じゃない」と呑気なことを考えたことを覚えている。後者は衆議院議員に当選してのち2年。前者は勇退する2年前のことである。要するに20年間の議員生活のほぼすべてが大地震と共にあった。今や”大災害の時代”といわれる特筆すべき時間の流れの中に生きてきていることを改めて痛感する■地震のリアルは歳月と共に揺らぐ。直撃を受けず被災の当事者たることを免れたものは、ややもすれば悲惨な現実から目を遠ざけがちなのは否めない。だが「福島第一原発事故」がもたらした事態は、本来そうした身勝手を許さないはずである。事故発生直後ー経済最優先でしゃにむに生きてきた姿勢を改め一端立ち止ることが求められているとの論調が支配した。しかし、それから7年。結局は元来た道に戻ろうとしてはいないか。「原発」に向き合うことは、現代社会をどう生きるかを考えることに直結する。私は事故前まで、徹底した安全管理のもとに原発依存は止むを得ないという立場だった。だが今では、できるだけ早いうちに依存体質を解消し、早急にゼロに持っていくべしとの態度に変わった。国会議員としての現役最後の2年間は党の内外での様々な場で「原発ゼロ」に向けてどう政策展開をしていくかについて発言していったのである■外交・安全保障分野の党の政策責任者として、核抑止力は必要悪だとのだとの立場を堅持しながら、エネルギー政策にあっては原発依存から脱却していくべしとの態度を取った。これは「核」をめぐって一見矛盾するようだが、その実矛盾しない。前者は直ちに核廃絶は無理だが、必ずや将来において実現できる可能性はある。一方、後者も直ちにゼロは無理だとしても、その意思を持てば必ず実現できる。どちらも端から無理だと決めつけないことではないか。ところが原発にあっては、最初から最後までゼロは無理だとして「依存」を前提とする姿勢を崩さない人びとがいる。原発「ゼロと依存」と。この立場の違いをかつてのイデオロギー的「左右対決」という不毛のものにしてはならない■公明党内部でも後半2年、政調の議論の場で幾たびか論争した。経済力向上の立場からゼロには出来ないという人たちと、ゼロに持っていくべきだというものたちがぶつかり合った。原発依存の立場には、嵐が過ぎればやがてもとに戻せるという気分がそこはかとなく漂う。しかし、それを変えなくては元も子もない事態になるのではないか。衆議院予算委員会の場で、野田首相(当時)枝野経産相(当時)とも議論した。また外務委員会で、自らの原発事故の始末をつけぬままに外国に原発技術を輸出する民主党政府の姿勢に疑問を投げかけた。今は崩壊してしまった政権との論争を振り返ることには虚しさが残るとはいえ、議論の本質は色褪せない。これから数回にわたって国会での自らの議論の軌跡や、昨今の議論の流れを追いながら、これからどうこの問題に向き合うべきかを考えていきたい。(2018・3・11)

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領域保全に限定した自衛隊ーわたしの考える憲法9条改正案

憲法を改正するとしたらどうするか。これまで現役の時から私がずっと主張してきていることは、「憲法改正」の国民的大論争を起こそうということです。つまり憲法論議をタブーすることなくオープンにすべきだ、と。更に、どこを変えて、どこを変えずとも今のままで良いのかも、はっきりさせようと言ってきました。それは、「憲法改正」ではなく、取りあえずは「憲法改革」とでもいうべきものではないのかとも。日経新聞社に同名の本がありますが、あえて私はこの社の姿勢に賛意を表明し、その本をまとめた現・論説委員長にも会って、それなりに意気投合したことを認めます■で、今話題の核心である憲法9条に限って言えば、私は三項に自衛隊を位置付ける項目を加えればいいという考えを公表してきました。昨年、安倍首相がほぼその線での改憲姿勢を表明したため、若干の驚きを抱いたことも包み隠さずに書いてきました。今、国会の内外でこれをめぐって意見が百家争鳴の様相を呈してきています。私が議員を引退してから所属している一般社団法人「安保政策研究会」でもこのほど憲法論議を開始しました。この会は東京で月に一度開催され、できるだけ上京をその開催日時に合わせるようにしてきましたが、このところ難しくなっています。憲法論議の一回目もやむなく欠席してしまいました。現時点で、同研究会の浅野勝人理事長(元衆議院議員、元外務副大臣、元内閣官房副長官)から次のような試案が提起され、それに対する意見を求められています■「第2章戦争の放棄 第9条1項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2項 前項の目的を達するため、国の交戦権はこれを認めない。但し、我が国の存立を危うくする明白な事態に対応するため自衛隊を置く」というものが理事長試案です。これに加えて、いくつかの註が挙げられています。➀平和憲法の根幹は堅持する➁国の存立を担保するために、自衛隊保持を明記する➂集団的自衛権の行使は厳しく制限する。手直しは最小限度に留め、国情および現下の国際情勢に合致するものが望ましいと考えるなどといったものです■これに対して、➀概ね賛同➁異論(手直しすればOK)➂慎重ないしは反対ーの見解を次回までに提示してほしいと求められています。私はこれに対して、➁と提示するつもりです。そして、具体的な手直しについては、第2項の但し以下を、我が国の存立を危うくする明白な事態に対応するため、領域保全に限定した自衛隊を置くとの案を提起するつもりでいます。つまり、領土、領海、領空の領域に限定しての自衛隊です。公明党がこれまで認めてきた自衛隊は、海外に派兵するものではありません。先の安保法制でも我々が認めたのはあくまで領域保全に限定したものです。ここらは自民党との間で見解の差異が存在することは認めざるを得ませんが、改めてここは譲れぬ一線としておきたいと思っています。(2018・3・4)

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国連への期待寄せるSGI提言の重みー「テロとの戦い」の時代は終わらない➄

世界の歴史を振り返ると、キリスト教と切っても切れない関係にある西欧哲学のもとヨーロッパ近代が世界を席巻して百数十年が経つ。世界は今や進むべき道に迷い、羅針盤たる思想を見失っているかに見える。一方で、「続・新冷戦」の核心とでもいうべき「大国間核開発競争」が再燃、もう片方でイスラム過激主義が西欧文明への報復の一環として自爆テロを繰り返す。そんななか、核開発に躍起となり、ミサイル攻撃をもちらつかせる北朝鮮を非難することは容易なことかもしれない。だが、大国の核保有が認められて、小国のそれが認められないのはおかしいという主張を、いわゆる大国の論理だけで論破し斥けることには無理があるように思われる。核と人類は共存できないということを、事実として推し広める行為の裏付けがあってこそ、北朝鮮を正しく導けるのではないか■国家サイドで一触即発の戦争の危機が新たに高まり、民衆レベルでは自爆テロのもたらす悲劇が跡を絶たない。世界が行き詰ったかのごとくに見える今、真に打開の道はないのだろうか。昨年7月に122か国の賛成のもと、国連で採択された「核兵器禁止条約」は市民社会の圧倒的な声が後押ししたと言われる。採択いらい50を超える国が署名をし、条約が発効すれば、生物兵器や化学兵器に続く、大量破壊兵器を禁止する枠組みが整う。この動きを決してお座なりに見てはいけないのではないか、「国連無力論」が世を覆って久しい。しかし、世界平和の原点に立ち返って改めて人類は国連にもう一度思いを託すべきではないのか。核廃絶、核軍縮、テロ撲滅など、所詮絵に描いた餅にすぎぬとの各個人の胸の内に巣くう思いーこれを打ち破ることに「今再び」の情熱が傾けられるべきではないのだろうか。世界で唯一の被爆国たる日本が、核保有大国米国と歩調を合わせることに腐心し続けているだけでいいのか。「恐怖の均衡論」や「核抑止論」に翻弄され続けてきた年老いた世代は、もはや後裔に退くことが求められている■今年は世界人権宣言採択70周年の節目に当たる。難民や移民の子どもたちの教育の機会の確保を始め、世界の人権確立に向かってやるべきことは数多い。かつて日本で「ベトナムに平和を!市民連合」の動きが盛んであった時代に青年期を過ごした世代は、他国における惨状を放置する自身が許せなかった。支援の手を差し伸べよう、でなければ、悪の側に加担することと同じになるのだとの自責の念があった。今はリベラルを自称する人々の間にさえそういう機運があまり見られない■創価学会SGIの池田先生がこの1月26日に、43回目のSGI 提言を発表した。ここには大乗仏教の粋としての法華経を基盤にした確固たる思想が横たわっている。今日までの半世紀近く営々として発表されてきた提言の数々。と同時にICANなどと共同した市民活動の展開も。国連への期待を寄せる平和確立に向けての具体的な提言に、世界の識者たちも注目度を高めている。「大国の論理」に押し流されるだけでなく、市民の側からの澎湃とした潮流を起こす機縁といくために、この提言の価値は実に重く、深い。日本でももっと真剣に受けとめられるべきではないのか。(2018・2・24=この項終わり)

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核戦略を転換する米トランプ政権ー「テロとの戦い」の時代は終わらない④

近年、「明治維新見直し論」が盛んになってきている。一言で分り易く言えば、いわゆる「司馬史観」なるものが維新を美化しすぎているとの批判が背景にある。吉田松陰が作ったとされる松下村塾の実態はなく、彼は単にテロの首謀者だったとの作家・原田伊織氏の『明治維新という過ち』説は興味深い。いささか極論の誹りはまぬかれないにせよ、この辺りをしっかりと史実に沿った形で吟味する必要はあろう。松陰の思想と行動をつぶさに追えば、確かに「テロ礼賛」と見るのもあながちオーバーとは言えないかもしれない。尤も、司馬遼太郎さんも原田伊織さんも共に行き過ぎで、「真実は中間にあり」というところだろうが■いささか議論は横道にそれたが、ここで私が言いたいのは日本にもテロの伝統が厳然とあるということである。言い換えれば、テロを認める気分が国民のうちに内在しているということと無縁ではない。例えば、核兵器を弄ぶ北朝鮮の指導者の横暴ぶりに業を煮やした人々の間で、彼を亡き者にすればすべては収まるといった議論がある。また、およそ常軌を逸した言動をする米大統領を前にして、彼さえ倒れればと、まことしやかな議論を口の端に登らせる向きもあろう。これらは単なる井戸端会議や床屋談義かもしれないが、であるがゆえに一層国民の間に広く内在する「テロ容認論」と言えるかもしれないのである。超軍事大国米国が自己中心主義に陥り、世界の盟主たる自覚も何処へやら、ひたすら内向きになっているかに見えていたが、ここへきて冷戦時とはいささか趣きを異にした核軍拡競争にふたたび邁進しようとする姿勢を見せ始めた■2月2日に発表された「核戦略見直し(NPR) 」は、オバマ前政権の目指した「核なき世界」を事実上放棄したものである。ここでは、非核攻撃への報復にも核を使うことがあり得ると明示したほか、「使える核」としての小型核兵器を開発することもうたった。この米国の一大方針転換に至った背景には「前回のNPR発表時に比べて、世界の安全保障上の危機ははっきりと高まっている」との現状認識がある。失墜した一方の旗頭の座に復権したロシア。そして一世紀ほど前に味わった屈辱からの復讐の念に燃える中国。確かに、この両国は今や着々と世界に地場を固めている。とりわけ中国の権益拡張的振る舞いは眼をみはるばかりである。また、ロシアも新たな核兵器開発を進めており、「魔神はすでにランプから解き放たれている」(サラ・クレプス米コーネール大准教授)と見る向きが専らである。尤も、ここにきて、ネパール、ミャンマー、パキスタン、タイなどで中国が進めてきたダムや高速鉄道建設工事などが中断されたとの報道が相次ぐ。各国がその巧妙で悪辣な手口に気付いたとされるが、果たしてどうだろうか。背に腹変えられぬ貧しき国家群はいつなんどき、遅れてきた侵略国家の毒牙の深みにはまるやもしれないのである■こういう状況下にあって、米国がまたぞろ核の役割を拡大させる方針に転換するということは、予期されることではあったものの、「非核推進」陣営にとって、まことに気が重い。世界唯一の被爆国家日本の政府は、いち早く米国の方針を高く評価するむねの河野太郎外相談話を公にした。米国の核の傘に入っているがゆえに、やむを得ぬ選択というのでは陰影がなさすぎないか。核抑止力維持と核軍縮推進は矛盾しないとのいいぶりには、やはり無理がある。オバマ前大統領の示した核軍縮姿勢に世界が共鳴した事実を思い起こしたい。核の傘のもと核に依存する日本政府の与党の一員として、当時はこれを核軍縮への流れを一気に加速させる好機ととらえた。ノーベル平和賞を彼が受賞したことにも素直に喜んだものだ。前政権の政策を悉く覆すトランプ政権の決断に、異議を唱えぬ日本の安倍政権では失望を禁じ得ない。公明党も物言わぬ政権与党であってはならないのではないか。(2018・2・18)

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地下鉄サリン事件の忌まわしい記憶ー「テロとの戦い」の時代は終わらない➂

テロとは、「政治的な目標を達成するための暴力的戦略」とされる。かつて明治維新前夜には我が国内でも横行したことを記憶にとめておられよう。だが、テロに対する現代日本人の感覚はどちらかといえば、疎いという他ない。それでもある程度呼び覚まされたのは、23年前のオウム真理教の起こした地下鉄サリン事件によるところが大きい。「9・11」よりも前に、日本社会を根底から覆そうとした大掛かりな事件だったが、当初はこれがテロだとの認識が弱かったように思われる。阪神淡路の大震災が発生したと同じ平成7年に起きた故か、その影に隠れた側面はなきにしもあらずだ■オウムという特殊なカルト宗教団体への生理的嫌悪感とでも言おうか。あまりに荒唐無稽で唐突な事件だったことも手伝って、リアルさが希薄だったのかもしれない。真正面から事の本質が日本転覆をねらった「テロ」として受け止められなかった気がする。当時ある参議院議員が「これこそテロだ」と予算委員会だったかで、力説していたことが思い起こされるがあまり共感を呼んでいたとの印象はない■オウム真理教をめぐるすべての刑事裁判は、このほどようやく終結することになった。最初の公判が始まってから22年半。192人が罪に問われ、うち13人に死刑が言い渡されている。このオウム教団は自分たちが勝手に思い描いた「救済」を、一般大衆に向けて実行しようとした。そのための手段を選ばず、独善そのものの狂信的行動に走った。そこにはIS が自らの王国をつくるために、「異教徒」を全て敵とみなし、攻撃の対象としてきたことと、本質的に違いはない。尤も、オウムとIS とを比べると、普通の人間との差異ばかりが目立って、テロの依って来る根本的原因が見えにくくなるやもしれない。むしろ150年前の日本を思い起こす方がよりテロの本質が分るように思われる。「維新の志士」という美名で語られることが多いが、その実、彼らは自分たちの目指す政治的信念を貫くために邪魔になる存在はことごとく倒すべし、とテロ行為に走ったと言えなくはないのである■近年、「明治維新見直し論」が盛んになってきている。一言で言えば、いわゆる「司馬史観」なるものが維新を美化しすぎているとの批判がその背景にある。吉田松陰が作ったとされる「松下村塾」の実態はなく、彼は単にテロの首謀者だったとの作家・原田伊織氏の「『明治維新という過ち』説」は興味深い。いささか極論のそしりはまぬかれないにせよ、この辺りはしっかりと史実に沿った形で吟味される必要があろう。松陰の思想と行動をつぶさに追えば、確かに「テロ礼賛」と見ることもあながちオーバーといえないかもしれないからだ。尤も、司馬遼太郎氏も原田伊織氏も共に行き過ぎで、「真実は中間にあり」というところだろうが■ここで言いたいのは、日本にもテロの伝統が厳然とあるということである。言い換えれば、テロを認める気分が国民のうちに内在していることだ。例えば、核兵器を弄ぶ北朝鮮の指導者の横暴ぶりに業を煮やす人々の間で、彼を亡きものにすればすべては収まるとの議論がある。また、およそ常軌を逸した言動をする米大統領を前にして、彼さえ倒れれば、とまことしやかな議論を口の端に登らせる向きもあろう。これらは単なる井戸端会議や床屋談義かもしれないが、であるがゆえに一層国民の間に広く内在する「テロ待望論」と言

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日本に住む我々の隣にも危険がー「テロとの戦い」の時代は終わらない➁

海外における日本人のテロ被害者も散発的ながら後を絶たない。近過去で最大のものは、バングラデシュ・ダッカでのテロ事件であろう。2016年7月1日に、イスラム過激派によって22人もの人が殺害されたが、そのうち7人が日本人だった。事件から1年が経ち、忘れ去られようとしていた昨年7月、NHKスペシャルで放映された『謎の日本人テロリストを追え』という番組には衝撃を受けた。この事件では、30歳代半ばのバングラデシュ人が容疑者として浮上した。この男、サイフラ・オザキは19歳で立命館アジア太平洋大学に留学したのちに、日本国籍を取得した。テロ事件で重要な役回りを果たしたこの人物のことを番組は克明に追っており、見るものは釘付けになったのである■彼は日本が好きで好きで仕方がないと言っていたという。2001年9月の訪日以来、大学で指導に当たった教授は「極めて優秀な学生で、勉学に励む姿は真剣そのものだった」とほめそやしていた。日本人女性との間に4人の子どもを授かり、やがて准教授にまでなった。その男がいつの日か、バングラデシュの若者を次々と誘い、テロを主導するISの一員になっていった。この謎にあふれた経緯には息を吞む思いでテレビ画面に引きつけられた。ヒンズー教徒だった彼は、イスラム教徒に改宗。やがて「日本人が一人でも殺されると大変なニュースになるのに、イスラム教徒が何千人殺されてもニュースにさえならない」と憤り、「日本に失望し、嫌いになった」と述べていたというのである■対テロ国際研究所長のボアズ・ガノール氏はテロを起こすものを➀ローンウルフ(一匹狼)型➁ローンウルフが集まったローカル・ネットワーク型➂組織型ーと言う風に三つに分類している。10年ほど前までは、圧倒的に組織型が多かったが、今や拡散しているとされる。「領土」を持ち、地域住民を支配するハイブリッド(混成型)テロ組織と見なされるIS は、表面的にはシリアやイラクで「領土」を失い、古典的なテロ組織に戻りつつある。アメリカ・トランプ政権としては、ISはもはや壊滅した、恐るるに足りないと言いたいところだろうが、油断は禁物だ。いつなんどき地下に潜伏したIS の逆襲が始まるとも限らない。中東地域を中心にヨーロッパからアジアへとテロ組織やらテロリストの暗躍は半永久的に続くと見るしかないのである■日本においては未だイスラム過激派による本格的なテロは起きていない。しかし、東京オリンピックがその標的にならない保障など全くない。国民が意識を変えて日常的に警戒心を持たねばならない。先に触れたオザキのような人物がどこからか現れるかもしれないからである。先年の国会でテロ防止に主眼を置いた法律を作るに当たって、野党から猛然と反対の声が上がったことは記憶に新しい。事前に防止を防ぐことが、国民の自由を脅かすことにつながるとの観点からのものだった。勿論、運用には十分な注意が必要だが、起きてしまってからでは遅い。先に挙げたガノール・対テロ国際研究所長も国内外の治安機関や安全保障の専門家が一堂に集まり、情報や課題を共有し、一緒に解決するインテリジェンス・センターを設立すべきだと主張している。各国がエゴを乗り越えて協力し合うことの重要性を強調しているのだ。広範囲に国民的意識を高めたうえでの万全の態勢作りが必要とされよう。(2018・2・4=一部修正2.5)

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前門にも後門にも待ち受けるー「テロとの戦い」の時代は終わらない➀

 27日午後アフガニスタンの首都カブールで自爆テロとみられる爆発があり、100人を超える市民が犠牲となった。世界各地でテロが日常茶飯事となっているにもかかわらず、アメリカはテロへの対応にひと区切りをつけ、むしろ大国間軍拡競争に回帰しようとしているかに見える。転換期を迎えた「テロとの戦い」の時代を考える。
 2001年9月11日ーアメリカでの同時多発テロで、いわゆる「テロ戦争」と言われる、「テロとの戦い」の時代が幕を開けた。あれから16年余り。相変わらずテロの横行がやまぬ中、アメリカでは「テロとの戦い」の時代認識を変えようとしている。恐らくその変化の背後には、イラクのイスラム国(IS)拠点壊滅という事態が影響しているものと思われる。それだけではない。北朝鮮、中国をめぐる北東アジア情勢や、シリア、ロシアを中心とした中東情勢など、世界の焦点と思しき地域での伝統的な軍事大国の復権が関係していることも無縁ではない。2月2日には「核態勢見直し(NPR)」を公表、新型の小型核兵器と核巡航ミサイルを導入するとした■前世紀末にソ連の崩壊によって、「米ソ対決」の冷戦の構図は終焉を迎えた。新たな「米国一強」の時代の到来で、国際情勢に大きな変化が訪れるかに思われたが、それは長続きしなかった。21世紀の幕開けと共に、「フラット化する世界」(トーマス・フリードマン)と呼ばれるように、国家から企業、企業から個人へと、経済主体の大転換が始まった。国境を越えて移動するヒト、モノ、カネの動きは、戦争の形態まで国家主体から共同体や個人主体のものへと劇的な変化を促してきたのである。1990年代から今日までの25年ほど低迷を続けたソ連崩壊後のロシアは、今や昔年の雄姿を彷彿とさせるまでに回復したかに見える。そしてほぼ同じ時期に、軍事力を蓄え続けてきた中国は、今や名実ともに経済大国にのし上がってきた。テロとの戦いにかく乱され続けてきたアメリカは、今やテロという前門の虎と中露という後門の狼というように、新旧取り混ぜた戦争要因に囲まれる自身を自覚せざるをえないのである■なんのことはない。冷戦から新冷戦の時代を経て、今や世界は大混乱の時代を迎えたという他ないのではないか。私が現役時代に国会にテロ対策特別委員会が設けられた。国家間相互の戦争に代わって、テロ組織グループや自爆テロによる国家への挑戦といった動きが顕著になってきたことへの対抗措置であった。全く新たな形態を持つ戦争にどう対応するか。毎国会ごとに論議が交わされた。とりわけアフガンやパキスタンなどの地でのタリバンをめぐる動きに、多国籍国家群によるインド洋における給油活動をどう進めるかなど、多くの時間が割かれたものであった。またソマリア沖での海賊活動をどう取り締まるかについても激論が交わされた。そして2014年に過激派組織ISが「建国」を宣言するに至って、その戦いは頂点に達した■日本にとって、「テロ戦争」の主戦場は遠く離れた地だとの認識が一般である。中東、欧州は言うに及ばず南アジアでテロが発生しても対岸の火事と見る傾向は根強い。テロよりもむしろ北朝鮮の核弾道弾ミサイルの標的になる可能性についての問題の方が、国民の危機意識は大いに煽られる。しかし、テロへの対応を放置したままでは奈落の底に突き落とされる可能性は高い。2020年の東京オリンピックが標的になるかもしれないと、随所で真剣に囁かれている。いつなんどき我々の住む地が悲劇の主舞台になるかもしれないのである。近隣国家による軍事力攻撃にも、見えない敵の理不尽なテロ攻撃にも、双方に備える対応力が今強く求められているといえよう。(2018・1・27=一部修正1・29/2・5)

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時代の下り坂をどう変えて上り坂にするか

23年目の「1・17」がやってきて、足早に過ぎ去った。あの時、私は衆議院議員に当選して1年半ほどが経とうとしていた。それ以来の日本の来し方を振り返るとまことに感慨深い。一言で言えば、あの震災で弾みがついたかのように、どんどんと時代は下り坂を転がる一方だということである。この数年あまり私は「40年日本社会変革説」や「80年周期日本危機説」を取り上げ、自分なりにそれへの処し方を考えてきた。ここでは、そういった議論の説明を繰り返さないが、論壇における未来展望の貧困さが気になる。例えば、1月15日付けの神戸新聞に掲載された文芸評論家の斎藤美奈子氏の「識者の視点ー近代の限界」である。この人は、あれこれと過去の具体例に触れた後、「経済は低迷、思想は戦前回帰、大地は揺れて科学技術の安全神話に疑問符がつく。近代にもさすがに限界が来たのか」と述べ、「次の40年をどんな形で上向かせるのか。2度目のどん底が来る(?)2025年の前に私たちは考えておくべきであろう」と結ぶ。おい、おい。貴女はどう考えるか、述べずに逃げるのかと問いたくなる■昨今の様々な論稿にうかがえる特徴として、この人のように、肝心のこれからどうするかを述べず(他のところで述べているかどうか寡聞にしてしらない)に、問題提起だけで終わるものが極めて多い。終りの数行を冒頭に持ってきて、そこから議論を始めてほしいものである。恐らくは誰しもその主張に決定打を欠き、世に問うだけの自信がないものと思われる。私の見るところ最近最も輝いている佐伯啓思氏でさえ、「矛盾をはらんだ日本の近代」(異論のススメ=朝日新聞)との論考で「福沢を後継する『新・文明論之概略』はでてこず、彼の危惧した『独立の気風』の喪失も問題とされない」風潮を嘆いている。阪神・淡路の大震災、東北の大震災の犠牲者の真の意味での追悼は、これからの日本をどう上り坂にするのかとの大議論を巻き起こすことだと、私は思う■これまで、私は日本の新しい国家目標を定めるべきだと主張してきている。明治の「富国強兵」、昭和の「富国強経」に代わる、平成の「富国強芸」とでも言えるものを、と。「強経」とは経済至上主義を指し、「強芸」とは芸術に力を注ぐことを意味する。尤も昨今の社会的状況は芸術ではなく芸能に傾きすぎてる感が強い。年末年始のテレビを観ていると、芸人のオンパレードでよくもまあとの感が強い、と思うのは私だけではあるまい。勿論芸術オンリーというわけではない。しっかりとした経済力と他国の侵略を許さない軍事力を背景に、したたかな外交力と成熟した文化を持つ、芸術に勤しむ国民、国家といったイメージである。勿論、これには異論があろう。私の尊敬する評論家の山崎正和氏も「国家目標などいらないでしょう」と、先年に私が持論を持ちかけた際にやんわり諭されたものである。確かに国家が人間の内面に関わることを目標として掲げると碌なことはないものと思われる。ただ、一つの方向としてはあっていいのではないか。その意味で、安倍自公政権が「一億総活躍社会」を掲げていることは興味深い。ただ、何でもって活躍の手だてとするかについてはあまり議論された形跡がないし、聞こえてこない。皆が元気で豊かに頑張れる社会作りということでは、政界に特有の当たり障りのないキャッチフレーズと同様に思われてしまう■最近になって”悪友”・飯村六十四(医者)と健康について語り合った。これまで、健康には食事、運動、笑いの三つが大切」(高柳和江との電子書籍鼎談『笑いが命を洗います』)というのが結論だったが、彼は、それに「音楽を加えよう」という。私も音楽、絵画など芸術に我を忘れて熱中することがいかに人間にとって重要かを考えてきただけに、もとより異論はない。というように、これからの日本の在り様に芸術志向を組み込むことは大切だ。音楽こそ民族、国境を越えて、言語、人種の違いを乗り越えて、平和のカギを握ると強く意識しているからだ。勿論、その背景には健全な思想の興隆(ワーグナーとナチスドイツとの関わりを想起するまでもなく)が欠かせない。過去の二回のどん底期(明治維新と昭和維新=斎藤さんは一回分を見損なっている)に勃興したナショナリズム、皇国思想がまたぞろ蠢いているとの感がぬぐえないだけに、なおさらそう思う。(2018・1・19)

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同時代を別世界で生きた同年代ー星野仙一の「逆算」

新年早々に、元プロ野球選手(中日、阪神、楽天で監督)の星野仙一さんが亡くなったとのニュースが流れた。各紙の評伝は「熱血と愛情の闘将」「反骨の闘将」「燃える男」「厳しさの裏に厚い情」と異口同音に熱い響きで褒め称えた。万人共通の印象を私も抱いていた。彼とは生前に一度だけだが話を交わしたことがある。私が厚生労働副大臣時代。某製薬会社のパーティに招かれた。その会社のイメージキャラクターとしてイチロー選手と星野さんが来ていた。イチローさんとは別室でツーショットに収まり(その写真は今も私の机の片隅を飾っている)、星野さんとは同じテーブルを囲んだ■昭和40年代初頭、慶大で4年間を過ごした私はご多聞にもれず、六大学野球のとりこになった。春と秋の神宮球場に足を運び、手を叩き声をからした。当然ながら矛先は専ら早慶戦。当時の慶応には我がクラスメイトの藤原真、早稲田には谷沢健一、荒川堯らがいた。一方、法政には田淵幸一、山本浩二ら。そして明治には星野。後にプロ野球の世界で綺羅星のごとく輝いた連中だ。星野さんとは束の間だったが、当時の思い出を、共通の友人をあれこれと語った。さして興味を惹かなかったはずだろうに、彼はにこにこと相槌をうってくれそれなりに応じてくれた■かねて子どもの世界では「巨人・大鵬・卵焼き」が人気の定番とされてきた。が、反骨ならぬへそ曲がりの私など、南海(阪神でないところがミソ)や柏戸贔屓だった。要するに強いもの、皆が祭り上げるものに抵抗したい傾向があった。後に、「巨人・東大・自民党」に反発する思いから、就職先に公明党機関紙局を選んだのも無縁ではなかった気がする。この辺り大いに星野さんと軌を一にするものと自賛している。尤も、今や巨人に昔年の面影なく寂しい限りではあるが■星野語録で最も共感するのは、「阪神タイガースの監督を引き受けた時から優勝を大前提にし、何をやっていくかを考えた」(平成16年2月の大阪市内でのセミナー)というものだ。目指すゴールから逆に今なすことを考える方式だ。実は私の政治家としての大先輩である故市川雄一氏も、選挙の世界での「逆算方式」の大事さを何時も語っていた。当選するには何票必要かを目標として立て、そこから一切を逆に組み立てていくというやりかたである。当たり前のことに思えるが、これがなかなかに難しい。自身の一念に未来の結果を強く、深く、刻印してから、その後の具体的戦略と戦術を実行することなのだ。同時代を別世界で生きてきた同世代の死。見事な生き方を前に、我が逆算の答は未だ出そうにない。(2018・1・15)

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