Monthly Archives: 4月 2018

起業を目指す元気な若者たちとの出会い

いい大学を出て、潰れそうにない大きい会社に入るーひと時代前の若者の志向はこれだった。いや、ふた時代ももっと前のことかもしれない。いわゆる「親方日の丸」 的傾向に支配されていたのは。今やそうした憧れは全くといっていいほど見いだせない。かつての就職先の人気上位にあった銀行もメディアも今では斜陽産業。大きい企業だからいいということはなさそうだ。いやそれをいうなら国家官僚も弁護士業も歯科医も憧れの職業とは言い難くなってきている。そんな状況に呼応して新たな会社や業種を起こすという「起業」が若者たちの関心事であるようだ■先日、知人のNさんが主宰する、私にとってはなかなか珍しい会合(「コモンズくつろぎBAR」)に出席した。起業を目指す若い人たちが集まるので、何人か紹介したいので来ないかと誘われたのである。Nさん自身がまたユニークだ。事務所のシェア化を進めたり、モノを寄付する仕組みを作ったり、古民家活用を展開するなど旧来的な思考から逸脱した事業運営に幅広く取り組む女性だ。かねて私が親しくしているビジネスファーム研究所のKさんとはまた一味違う。今回の会合のお目当て、というか人寄せパンダ役は、渋沢健さん。「金融と社会課題の解決をつなぐ投信会社の会長」との見出しで、つい先日朝日新聞の「ひと」欄で紹介されたばかりの人である。ちょうど新聞にでた翌日にお出会いした。コモンズ投信株式会社の会長であるが、実は日本資本主義の父とうたわれる、あの渋沢栄一の高孫にあたる■社会全体にいま横たわる課題解決に向かって立ち上がる人々のために、必要な資金を循環させる流れを作ったという。毎年10月には社会起業家に事業内容と思いを語らせるフォーラムを開催している。また、成長のための資金を循環させ、利益を追求する営利活動とNPO やNGOなどが担う非営利活動をつないでいこうとする試みにも挑戦している。画期的な取り組みをされるひとにしては極めて穏やかで静かな雰囲気を湛えた好感度抜群の紳士だった。いつもながら一方的に喋ってしまう癖のある私の話を、しっかりと受け止めて頂いた。楽しい会話をすることができたが、早速数日後には渋沢さんの著名な「シブサワレター」なるものがメールで届いた。そこには、長期投資とは「未来を信じる力」です、との言葉が添えられていた■渋沢さんのお話の後で、少なからぬ若者たちと名刺交換したり、会話を交わしたが、なかでもS君という25歳の青年は実にパワフルで魅力的であった。台湾出身の整形外科医の父と歯科医の母のもとに京都で生まれた日本人。この3月に大阪医科大を卒業したばかりだが、予防医療普及協会の理事や医療ベンチャー協会の事務局の仕事もしながら、株式会社の代表取締役も務めるという。それでいて、名古屋の病院で勤務医をしているとか。まさに正体不明の”怪人”である。「これ読んでください」と『ロハス・メディカル』なる小冊子を差し出されたので、見ると、元参議院議員で医師の梅村聡さんと彼との対談「あの人に会いたい」が掲載されていた。その肩書には「チュージング・ワイズリー・ジャパン発起人」とある。いやはや驚いた。あれもこれもに首を突っ込んでいるエネルギッシュそのものの若者だ。これから長い付き合いになりそうな予感がする。(2018・4・29)

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空白区なくした候補者と支援者のあつい共闘ー神河町議選快勝を喜ぶ

兵庫県神崎郡神河町は、姫路からJR播但線に乗って約40分ほど北上すると寺前駅に到着しますが、このあたり一帯の森林に囲まれた田園地帯にあります。北に隣接する生野峠を越えるとそこはもう但馬地域。神河町は旧大河内町と神崎町が合併してできた人口14000人ほどの町です。数年前に話題になった増田寛也元総務相による『地方消滅』という本において、2040年には「消滅する可能性が高い」523自治体の一つに挙げられています。私が現役のころには大河内町には中島さんというベテラン町議がいましたが、この人が引退し、二町が合併してからというものずっと公明党所属の町議は不在でした■兵庫県下で唯一の公明党議員がいない町ということで、周辺地域の議員がカバーするとはいうものの、支持者の皆さんは何かと悔しい思いをしてきました。この地域に今回の町議会選挙(22日投票)で初めて候補者を擁立することになり、昨日の開票の結果、新人の小島義次さんが549票を獲得して5位で初当選(候補者16人)しました。投票率が79%を超え、新人が6人も挑戦する中での激戦を勝ち抜いたことは特筆に値します。定数12で政党公認は一人だけということも注目されましょう。農村部では無所属が殆どで公明党を名乗ることは何かと障害があることも否めません。ここでの勝利はなんといっても候補者の人柄であり、この地域における人としての足跡だと思われます■小島さんとは、私が初めて挑戦したころから交流があり、何かと意見交換をしてまいりました。小学校の教員を長くされ、最終的には校長職に。地域の皆さんに尊敬され愛される存在であった人で、私も畏敬の思いを抱いてきました。町議候補の推薦を受けて挑戦されると聞いて、電話をしたところ、この歳(昭和25年生まれ)になって議員に出させていただくことになるとはまさに青天の霹靂だと言っておられたのが印象的でした。功なり名を遂げられて、普通なら隠居の身ですが、改めて地域の最前線に立たれることは大いなる決意が必要だったと思います。これからの活躍を大いに期待してやみません■人生の総仕上げの年齢で、生まれ育った地域で、庶民大衆の皆さんのために汗をかき、力を尽くすって凄いことですよね、といって激励をさせていただいたものです。実は投票日の前日の21日に朝来市和田山町で、但馬、丹波に在住する元公明党の市町議経験者の会がありました。私はその責任者として駆けつけましたが、集まった13人のメンバーは異口同音に議員引退後の日々を元気で明るく戦ってる喜びを語ってくれていました。私はそれぞれの皆さんとの共戦の日々を思い起こし、そのご家庭を訪問させていただいたことを懐かしく思いだしたものです。82歳の方を始め皆大先輩ですが、それぞれいや増してお元気なことは頼もしい限りです。神河町の小島さんは70歳を目前にして、これから議員活動をされるわけだから、先輩の自分たちも負けてはおられないと奮闘を誓いあいました。ともあれ「ひと」の大事さを改めて痛感した次第です。(2018・4・23)

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池上彰氏の底力ーBS5夜連続対談を見ての感想

池上彰という人ほど毎日の如くテレビに出ているひとはそうざらにはいない。勿論、いわゆるお笑い芸人と称される人を、連日連夜のごとくテレビでお見かけすることも少なくない。しかし、池上氏は2時間ほどもの長時間にわたって様々な時事問題を解説するといった登場の仕方で、その影響力たるや右に出る人はいないものとさえ思われる。その彼がBSの5局、しかも5夜連続で各界の売れっ子と対談するというので、ビデオに録ってみた。一人2時間だから合計10時間は、見るだけでもなかなか大変。このほどようやく見終えたので、そこで感じたことをざっと取り上げてみたい。その5人とは、橋田壽賀子、美輪明宏、磯田道史、久米宏、ビートたけしという面々■橋田壽賀子さんは『安楽死で死なせてください』というタイトルの本を出しており、それが対談のきっかけとなった。番組の中に実際に安楽死が認められている国での、「服毒自殺」の瞬間が放映され、かなり衝撃的だった。ただ、彼女は安楽死を本当に今望んでいるというよりも、元気で生きている間はいいが、まじかに死を意識するようになったら、安楽死を選択したいという程度のものであった。印象的であったのは、彼女が池上さんの書いた本よりもテレビでの話が面白いといっていたところ。本業は文筆家であると自負する彼としてはいささか不本意そうだったが無理もない。三輪明宏さんはご存知元丸山明宏。絶世の美男子として一世風靡した人だが、その一代記はあまり知られていない。この度の番組で知り、その波乱万丈ぶりは興味深かった。作家三島由紀夫の愛人だったのでは、ということはあまねく知られている。そこいらを訊かれてさらりとかわしておられたのは、味わい深いものがあった。昨今は黄色い長髪をたびかせて妖艶さを漂わせている。池上氏が最後の解説のところで三輪さんのことをしきりに「彼女は」といっていたが、「彼」ではないのかと気になった■磯田道史さんは、若い歴史学者。この人も昨今よくテレビに登場する。最初の頃はメガネをかけていたのに、今はかけていない。コンタクトなのだろう。もっと書くことに専念されたら、などと余計なことを考えてしまう。『陰謀の日本中世史』の著者・呉座勇一氏などと比較し、少々書くものが軽いと思うのは私だけだろうか。久米宏さんは我々世代の「テレビ世界」の寵児だった。池上さんとの掛け合いは、新旧のテレビ解説の裏舞台を垣間見せてくれ実に面白かった。ビートたけしさんは妙におとなしく感じられ、普段の凄みがなかったように思われる。昨今のトラブルが影響したのかと勘ぐったりもしたのだが■池上さんの様々な場所での講演は実に多彩で、ただただその知識の深さ、幅広さに驚く。現代世界史の講義や経済をめぐる解説など色々と彼の「作品」を私はCDで持っている。以前にノート片手にそれを観たり、聴いたりしたものだが、実に勉強になる。尤も、分量が多くただ見るだけでも大変である。先年、姫路にこられた時に、会場別室で数人の方々と一緒に色々とお話を伺う機会があった。何時ものテレビでの印象と全く変わらぬ気さくな印象で、好感が持てた。くだらないテレビが多いと思われる時代状況で一層この人の果たす役割はおおきいものと思われる。(2018・4・15修正)

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「都をどり」の歴史を通じて観光の極意を知る

私は現役時代にC型、B型肝炎に悩む人たちに様々な角度から接触してきました。党の肝炎対策プロジェクトチームに関わってきていたからです。引退してからも、地域で肝炎に悩む知人を肝炎訴訟弁護団に紹介したこともあって、より一層綿密な関係が生じています。一昨年からは、弁護士、患者、厚生労働省の担当者らと懇談の機会を得ることができました。のど元過ぎれば熱さ忘れる、といった例え通りに肝炎問題は問題山積ですが、風化しがちです。改めて自分の今の立場で支援をしなければならないと痛感したしだいです■先日はそのメンバーたちと、旧交を温めると共に、「都をどり」を観てきました。京都の春を彩るこの催しに参加したことは過去にもありますが、観光を通じて地域おこしに今関わっているものとして、あらためて大いに刺激を受けることが出来ました。京都は観光地の王者の風格があります。京都駅はもとより四条通りはじめ、外国人客で市内のどこもかしこも大賑わいでした。従来の舞台は祇園甲部歌舞練場。しかし、ここは震災対策に着手するため一昨年の10月から休館となっており、去年に続き今年も京都芸術大学春秋座に舞台を移しています。ここでも観客席の一角は外国人で埋められていました。六景仕立ての演舞は「続洛北名跡巡」と題して洛北の美しい山や川、ゆかしい寺庵をめぐるものでしたが、つくづくと京都の奥深さを満喫できました■六景のうちで、印象深かったのは三景の「盂蘭盆会五山の送り火」です。かつてテレビで詳細な「送り火」の風景を観たことがありますが、現地に足を運んだことはありません。尤も、祇園祭も葵祭も観たことがないのですから、何をかいわんやですが。借りたイヤホンを通じての解説を聞きながら観ていて、つくづく京都の文化のもつ味わいを感じました。これまで京都の祭りは人ばかり多くて、と尻込みしてきた自分を大いに恥じた次第です。四季折々の風景を現地で味わうべきであったな、と。四景では、「詩仙堂紅葉折枝」と題して秋の詩仙堂の紅葉が登場、これまた惹きつけられました。詩仙堂とは、江戸初期の漢詩人・石川丈山によって建てられた山荘です。この人は徳川家に仕えた武人ですが、後に退隠の志を持ち、仏門に入り、学問に精進し詩作に励みました。90歳で亡くなるまでの30年程を詩仙堂で過ごしたと言います■実は京都好きの友人に勧められて、先年にこの詩仙堂に行ったことがあります。紅葉の季節ではなかったこともあり、訪れる人は殆どなく、まことに静謐そのものでした。中国の漢や晋、唐、宋の詩人36人の肖像が4隅の壁に掲げらていたのが思い起こされます。庭に出て散策した際に、流れる水が竹筒を動かす”鹿威し”の音に驚いたほどでした。かつて、丸谷才一さんと山崎正和さんが対談本『日本の町』で「京都は文化を売り物にしているが、金沢は文化の中に生活している」と述べていたのを読み、なるほどなあと思ったものです。しかし、静寂そのものの詩仙堂にいると、改めて京都はいいと感じ入りました。恐らく秋に行っていると、また感想は違っていたかもしれませんが。ともあれ、兵庫・淡路島へのインバウンドに今取り組む身からすると、やはり文化を売り物に出来る地はいい、と思ってしまいます。(2018・4・10)

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