先細る一方の日本と3人子政策に転じた中国の人口比較ーこの国は何処に向かうのか(中)/6-6

●日本より出生者数減が激しい中国

日本と中国からほぼ同じ時期に人口にまつわるニュースが公開された。日本では、昨年の人口動態統計(4日発表)が約84万人となり、前年より2万5千人ほど減少した。合計特殊出生率は1.34で前年に比べて0.02ポイント下回った。今年は新型コロナの影響もあり、80万人を割る可能性もあり得るという。日本の出生数が100万人を割ったのは5年前、この間にほぼ20万人減ったことになる。

一方、中国については、これまでの原則2人という出産規制を緩めて、3人目を認めるとの方針を定めたというもの。この背景には、5月11日に発表された2020年の調査で、同国の出生数が約1200万人だったことが挙げられている。前回の国勢調査(2016年)では約1800万人だったというから、5年間で600万人ほど減ったことになる。中国の出生数をめぐる問題については、2016年にそれまで30年以上続けられてきた「一人っ子政策」が改められ、2人まで出産を認めることになった経緯がある。それが効果を見なかったことから、今回の方針転換になったようだ。

単純に日中両国における出生数比較をすると、日本のほぼ14倍も人口を持つ中国の方が出生減は大幅なことになる。それだけ激しく見えるのに、中国政府が出生数制限を解除せず、「3人まで」との枠を維持したのは何故か。かつて一人っ子政策をとった時と同様に、増え過ぎを気にしたのか。あくまでコントロールに拘り段階的に取り組もうとするところに、この国の知恵を見るような気がする。

●中国の凄まじい進展を見たこの8年

中国という存在をどうも見誤っていたのかも知れないーと私が気付き、それまでの対中観を是正せねばと思ったのは、中国問題の泰斗・中嶋嶺雄先生(元秋田国際教養大学長)が、「現代中国論」から「大学改革論」へと主たる仕事を変えられたことと無縁ではない。それは、やがて「共産中国」は崩壊し、6つぐらいの連邦国家へと分裂するだろう、との見立てを私との語らい中で撤回された時期(2012年頃)と一致する。

中嶋先生がご逝去されて8年(2013年2月)。習近平氏が同国共産党総書記(2012年11月)となった直後だった。私には何だか奇妙な符合に思えた。この時から中国は怒涛の進撃を開始する。この間に、中国の台頭に抗する米国との間での〝米中戦争〟の機運が高まった。安倍晋三氏の2度目の政権維持の時間とも一致する。中国がこのような目まぐるしい変化を見せる原因となったものが三つある。一つは、中国が半導体生産で世界のトップに躍り出たこと。二つは、1億人を超える6つもの都市圏が、国家の枠を超えアセアン諸国との協調に発展していること。三つは、「中華民族の偉大なる復興」を実現する「中国の夢」を政権のスローガンとしたこと。

これらは、いずれも連関している。一言で言えば、「メイドイン・チャイナ」で質量ともに世界を圧倒するとの国家目標を掲げたということであろう。この8年は私が政治の現場から離れた時期と全く一致する。中国を社会主義国家だから、反民主主義国家であり、未だ未だ近代化から遠い国だからと思ってるうちに、あっという間に追い越された。ルール違反だ、やれ人権無視だと言ってるうちに、どんどん背中が遠くに見えるようになってしまった。こんなことを実感するのは私だけだろうか。(2021-6-6)

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この国は何処に向かえばいいのかー日中人口比較から(上)/5-31

●『戦争というもの』をめぐる会話

私が議員を辞職してから友人と一緒に、月一回やってきた異業種交流ワインを飲む会(88回目になる)を開催した時(5-28)のこと。コロナ禍の緊急事態とあって、参加者は普段の約半分の5人だけ。しかも間合いを十分にとり、厳重に予防体制をとった上での語らいだった。明石に住む著名な企業家でワインコレクターのYさん(80)と実りある話になった。きっかけは私がつい先ほど読み終え、ブログ『忙中本あり』に取り上げた半藤一利の『戦争というもの』。

私は昭和20年11月生まれゆえ、母の受胎が戦争の只中であったことに触れ、父も母も戦争はやがて終わるとの底抜けの楽観論だったとしか思えないと述べた。戦争の終え方について彼は、原爆投下までに幾度か中断の機会はあったはずとして、東條英機の罪の大きさを強調した。戦後75年を生きてきた二人は、政治、経済から全ての現在の社会的風潮について、我々世代の責任の大きさを嘆くことで一致。団塊の世代前後が子供の躾、教育を、自分たちの親から受けたようには、してこなかったことが社会全体に及ぶ最大の失敗であるとの共通認識である。

●人口激減の日本のこれからの展望

尤も、二人の間で食い違いもあった。一つは明石市への子育て世代の日本でも顕著な転入増を、彼は行政から財政的支援を受けたいとする〝こじき根性〟の現れだとして非難するが、私はやむを得ないと見る点。もう一つは、私は恵まれた人生を送った人間は、その終焉で財産を基金として恵まれぬものに供与するべしとしたが、彼はそんなことをしても無駄に終わるだけとした点。自助努力を旨とする企業人と、公助、共助の組合せを貴重だとする政治家の立場の違いだろう。(※この点、京都大学が建築家の安藤忠雄氏とニトリホールディングスの似鳥昭雄会長らの約25億円の寄付で、返済不要の奨学金制度を創設すると27日に発表したとのニュースに接しました=31日付「毎日」=ことは、我が意を得た思いです)

ついで、これからの日本をどうするのかについて、中国との比較で語り合った。やがて中国の一都市圏よりも小さくなるのが不可避の日本の人口激減。コロナ禍で右往左往した後、やがてV字回復するものと信じるのは危ういとの認識で一致。成長神話に依拠して今まで通りの経済運営に頼る限り、日本に明日はないというのが共通した見方である。明治以来、ほぼ40年ごとの周期で浮き沈みを経験してきた日本は、少子高齢化のピーク・2025年が次のどん底期に当たる。それとは真逆に、「中国製造2025」を掲げる中国は、宇宙制覇まで射程に置き、米国に追いつき追い越せで、意気天を衝く勢い。日本は身の丈にあった中堅国家としてのこれからを考えるほかない、で二人の意見は一致した。

実はこの夜の語らいで、Yさんは我が亡父が生前尊敬して止まなかった大銀行家O氏の仲人でご結婚されたと知った。深いご縁を感じる人との熱い語らいで、とても嬉しくなった。(2021-6-1一部修正 続く)

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梅雨の晴れ間に、選挙「未来予想図」に思いを馳せる/5-24

5月23日昼下がり、古い友人たちとの電話にも飽き、自宅から20分足らず南下し、海岸を歩く。晴れ渡った青空に誘われた。異常に早い梅雨入り。その晴れ間ゆえ、「5月晴れ」の語感もそぐわない。というものの、陰暦でいう皐月(さつき=新暦6月)の梅雨の晴れ間を、〝さつき晴れ〟といったそうだから、これで「正解」かもしれない。うち続くコロナ禍も災いし、何もかも変に思われる日々が続くなかで、先行きの選挙に思いを馳せた▲兵庫県ではあと40日足らずで県知事選(7月1日告示)が始まる。5期20年の長きに渡った井戸県政の後を誰が担うか。当初は、金沢副知事への〝禅譲〟で決まりと思われたが、さにあらず。大阪府の財政課長の突然の〝参戦〟で一気に雲行きが怪しい。自民党県議団が分裂、割って出た片方に国会議員団が全部付くというからややこしい。「大阪維新」の季節(とき)ならぬ〝秋波〟も相俟って〝天下大乱〟の様相だ▲それより少し早くに東京都議選(6月25日告示)がある。4年前は「とみファ」なる〝小池旋風〟が吹き荒れ、都議会自民党が吹き飛んだ。今度はどうなるか。私の第二の故郷・中野区(定数3)では、その風で憂き目を見た自民が復活を窺い、立憲民主を共産が裏で支える〝野党共闘〟という奥の手に出た。風前の灯となった公明の高倉(職場と地域の後輩)を助けねば▲首都決戦の成り行きは、国政を占う格好の〝未来予想図〟である。自民党と公明党の20年余の連立政権を横目に、野党はただ指を加えて見てきた。政策・理念の根本的相違を乗り越え、仮初の大同団結をすれば、様相は一変しかねない。コロナ禍への後手後手対応に苛立つ無党派有権者の〝乱心〟が怖い。通常では考えられぬことが続発するご時世。覚悟を固めての準備を期す。(2021-5-24)

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外交安保分野での論議点検から着手をー「国会改革」の前に(下)/5-17

国会の論戦といえば、かつては外交安保分野が注目されました。野党第一党の日本社会党の中で「安保7人衆」などと呼ばれる議員たちがいました。「日米安保条約」の対応をめぐって政府を追及する場面が大いに賑わせたのです。また、政治家のスキャンダルについて取り沙汰されるケースは少なくなく、予算委員会が擬似裁判所のような様相を示すことは常態となってきています。この際、事の是非は置くにしても、前者も後者も、野党の追及の見せ場として話題の的となってきたことは否定できません▲一方、与党の側は、閣僚の座につくものだけが、良しにつけ悪しきにつけ脚光を浴びますが、大部分の議員は華々しい議論の埒外に追いやられています。国会の仕組みでは、政府提出の法案の是非をめぐる本格的な議論は、与党内の政調の各部会で行われています。いわば裏舞台での〝丁々発止の見せ場〟は一般の人々の目には触れません。委員会論議の表舞台だけがテレビ放映に晒されるのです。衆議院予算委でのテレビ放映場面で出席している議員はただ座ってるだけ。質疑者の背後にいて画面に登場する(カメラ位置から)のは、ほぼ与党議員ばかり。その昔、テレビに映りたいがために、官僚の指定席に座った議員もいましたが、その心音の賎しさに哀れを禁じ得ませんでした▲一般に「与党質問」といえば、政府追及や批判ではなく、その政策展開を称賛、追従することが多いのはやむを得ぬことかもしれません。ただ、それをひたすら聞かされるのは地元支援者以外には耐え難いところです。尤も、「野党質問」にも、揚げ足取りや的外れの質問でうんざりすることも多く、どっちもどっちの側面があるかもしれません。その昔、私の大先輩が、「政治家は言葉で勝負するものであって、図表やグラフなど目で見せるものを使うのは邪道だ」と言われたものです。昨今はフリップ花盛りで、言葉のみを操る論客はあまり見かけないのは寂しい限りです。与党からの政府批判、追及は勿論あってよく、野党からの要望、提案も、中身があって聞かせるものは大いに歓迎です。ともあれ、聞いている有権者を唸らせる質疑が待望されます。最近の大相撲が突き押し一点張りで、四つに組む場面が見られないのと同様に、国会論戦も一方的に詰ったり、淡白そのもののお伺い・お尋ね質問が多いのは残念なことです▲閣僚が入れ替わる時に、辞める大臣の業績を査定するグラフが新聞メディアに使われます。政策力、発信力、統率力などといった観点から、それぞれの閣僚の採点をしているものですが、これを応用して、国会での質問を採点してみるのはどうでしょうか。誰がそれをやるのか。元新聞・通信社記者、元官僚らが適任かもしれません。また、元国会議員や元地方議員もいいかもしれませんし、国会内の調査室や委員部のOBも、候補たり得ます。あるいはOBばかりでなく、現役の弁護士、公認会計士や税理士、そして普通の市民でも関心のある向きはどうでしょうか。ともあれ、国会議員任せでなく、今の議論を活性化させたいと思う民間人が立ち上がって、議員たちの議論を監視することが重要だと思います。全ての委員会で、というわけにもいかないでしょうから、まずは予算委員会や外交安全保障分野などから着手してみては、と提案します。(2021-5-17)

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議員からは出てこない質疑チェック機関の設置ー「国会改革」の前に(中)/5-10

国会を改革しようとの声は随分前からあり、様々な提案がなされてきています。近過去で話題になったものでは、2018-6-27に小泉進次郎(現・環境相)氏らによる『2020年以降の経済社会構想会議』がまとめたものがあります。この中で、注目されたのは、国会の議論の場を「一車線から三車線に」変えることでした。現状では、政権に何らかの疑惑が生じると、国会の本来の仕事である予算案そのものや政策追求がそっちのけになってしまうので、それを変えたいということが主眼でした。国家ビジョン、法案・政策、スキャンダルと三つに分けようというものです▲これは、従来からの党首討論や予算委員会の場とは別に、特別調査会的なものを作って議論しようという構想で、いかにも自民党サイドのご都合主義が見え隠れしています。当時は森友、加計学園や桜を観る会等の問題で国会が紛糾していたため、こうしたアイデアが改めて浮上したものです。これより少し後に(2018-7-17)、立憲民主党も、国会改革提言を発表しています。ここでは、「強すぎる行政府」の暴走を抑えるために、立法府の行政監視機能を強化する必要があるとして、第一に議員提出法案の審議活性化を挙げていました。政府提出の法案が優先される従来の与党ペースを変えたいとの、野党本位の目論みです▲実はその5年前の2013年11月18日に、与野党がそれぞれの案を持ち寄る場面があり、自公両党案がまとまっていました。その中核は、与野党間の討論機会を増やすために、党首討論の充実や衆議院に「国家基本問題調査研究会」(仮称)を提案したりしていました。現状よりも議員相互の討論を増やそうという狙いでした。ともあれ国会の現状は硬直化していて、型通りの議論の横行は否めないというのが最大公約数的印象でしょう。しかし、結局はこの8年ー私が引退してからの時間とダブルのですがー何も変わっていないのです▲これらの一連の改革案を見て、欠落していると思われるのは、私が前回に述べたような、議員の質問の評価チェックをする機関を作ろう、という提案です。それはそうでしょう。自らの首を絞めるようなものを議員が作れるわけはありません。これまで議論の対象になってきた国会改革は、仕組みの見直しでした。それも勿論大事ですが、これは今も見たように、どうしても与野党各党の党利党略的思惑が先行してしまい、中々まとまらないのです。私はその前に、議員そのものの資質を問うチェック機関を作ることが重要で、気づいた民間人が立ち上がって作る方が早いと考えます。これによって、結果的に改革の第一歩を促すことに繋がると思うのです。(この項続く 2021-5-10)

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国会議員の仕事ぶりを点検、吟味する機関の必要性についてー「国会改革」の前に(上)/5-4

このところ、国会議員の犯罪や不祥事がメディアを賑わせています。今に始まったことではなく、昔からあるよという向きも多いかもしれません。ここで私が指摘せざるを得ないのは、政治家全体の劣化という問題です。その原因については、小選挙区比例代表並立制の導入にあるとか、戦後民主主義の帰結だとか指摘することができるかもしれませんが、ひとまず置きます。無為に過ごしているかに見える政治家をどうすれば、シャキッとさせられるのか。勿論懸命に使命を果たしつつある有為の人材もいますが、全体のトーンとして政治家の価値の低下は否めない事実だと思われるからです▲これについて、私は経験者の立場から、かねてひとつの持論があります。それは、国会の委員会での質疑を点検し、吟味する機関を作ることです。今一般人が家庭で、国会の審議を見ようとしても、全閣僚が出席する予算委員会の総括質疑か、大きな問題が浮上した時の集中審議くらいしかNHKテレビでは中継してくれません。インターネットでは国会質疑の状況を見ることができますが、中々これを常に追うことは、よほどの暇人か好事家でないと、無理でしょう。しかし、この質疑の一部始終について、仮にあれこれチェックする機関が存在して、世に提供してくれれば、政治家を巡る状況は一変すると思います。みんな緊張するからです▲今でも一部の新聞社が、時々の質疑の中から、注目されるものをピックアップして、紙面化しています。これは極めて大事な試みだと私は高く評価するのですが、ほんの時たまだけしか目にすることが出来ません。現状ではビリッとも変わりません。これが常時行われるようになれば、きっと変化が起こると思うのです。ただ、質疑状況を流すことも、議事録を公開することも大事ですが、それに何らかの評価を加えるのです。その仕組み作りに英知を結集することは決して無駄ではないと思います▲いったい、どういう基準で評価するのだ、恣意的になってしまわないかーなどという疑問、批判が出てくるのは当然です。しかし、難しいからしないというのでは、ことは何も進まず、現状のようにいい加減な国会議員がのさばる事態も改善されません。私は議員時代に自分が懸命に質問をしてもうまくいかず、自己嫌悪にしばしば陥ったものでした。常にそれが人の評価に晒されるということになると、恐らく緊張のため神経がやられたかもしれません。しかし自分が辞めた今となっては、それくらい政治家を緊張させ、苦しめないと、日本の政治は向上しないと思うのです。(2021-5-4 見出し修正5-9)

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「熊森協会」の総会に出席、市議選支援にもー三度目の緊急事態宣言前後/4-28

●緊急事態宣言前夜に異業種交流会へ

三度目の緊急事態宣言を前に、友人と共に共催する異業種交流会をやりました。23日の金曜日のことです。場所はいつも通りの友人の事務所。緊急事態宣言前夜とあって、参加者も極度に制限して、共催者の二人の他に3人だけです。このほど研究社からマーケティングの本を出版した某私大I准教授と、国際関係論で著名な国立大のH教授。この二人は大学の同窓。私の共通の友人。Iさんは慶應大学院も出ているので、広い意味では私の後輩でもあります。ささやかな出版祝いでした。この日は、もう一人約20年の英国生活から帰国した汽船会社の若手幹部も参加。国際通の集まりで、自ずと話題は英国文化論に集中。楽しい会話で時の経つのも忘れるほどでした。

●2年ぶりの熊森協会総会に出席

翌24日は、日本熊森協会の定期総会。去年はコロナ禍の第一次緊急事態の只中で、中止の憂き目を食らったものでした。今回は辛うじて中止は免れましたが、人数は大幅に制限して、リモート参加との併用になりました。顧問を代表して挨拶に立った私は、かつてイデオロギー華やかなりし頃に青年期を過ごした者の観点から、「人間主義の起源」のようなことについて語ってみました。「イデオロギー偏重から人間中心の政治へ」との流れは、勢い余って、現在は人間以外の生きとし生けるものものへの配慮を欠いてしまっていることを述べたのです。つまり、人間偏重の政治の弊害が満ち溢れている現状を憂えたのです。

これは私の持論ですが、先日読んだ本の中での山口公明党代表の発言がきっかけにもなりました。すなわち、同代表はこう述べています。「公明党は結党当初から、すべてのイデオロギーを超越した平和を追求してきました。人間の生命だけが一番尊いわけでもありませんし、人間以外の動物や地球環境を犠牲にし続けることは許されません。そういう生命観が根底にあるから、公明党は結党以来ずっと「平和」「福祉」「環境」 を重視してきたのです」と。「人間以外の動物を犠牲にし続けることは許されない」とは、まさに我が意を得た思いだったのです。よほどこのくだりを読み上げてみようかと思ったのですが、いささか「我田引水」が過ぎるかも、と避けてしまいました。

●宍粟市議選の応援で懐かしい地に

ついで25日は、兵庫県の西北部の宍粟市に。市議選告示日とあって、二人の公明党候補者の「事務所開き」に向かいました。姫路に住む旧友の車に便乗していったのです。午前中は一宮町へ。伊和神社の裏にある自宅兼事務所は超懐かしいところでした。30年前ほどによく通った家だったのです。当時町議会議員だった人の長男が候補として出馬しました。若かったお互いの昔を思い肩を叩き合ったものです。そこでは、懐かしい面々との出会いが次々とありました。初当選前の約5年、当選後の20年合わせて四分の一世紀というもの、お世話になった人たちが集まっていたのですから。

終了後は波賀町へ。原リンゴ園を訪れ、近況を聞く中で陳情を受けました。コロナ禍での窮状を訴えられたのですが、善処を約束して後ろ髪引かれる思いで、別れました。お昼も取らずに、午後は、山崎町へ。もう一人の候補者のところに。終了後は、町内の知人宅を4軒ほど回ったのです。留守宅が多かったのですが、S元町長とは久闊を叙する出会いが出来ました。更に、安富町にも足を伸ばしました。ここは山崎町に住む著名な木材建築業者の仕事場。同町に住む親友の奥方も共通の友人とあって来てくれていたのは感激でした。短い時間だったのですが、旧交を温めることができました。

●あっけない、拍子抜けの幕切れ

25日にはコロナ禍による緊急事態宣言が出たとあって、選挙戦もそれを意識して握手も出来ず、グータッチ。マスク越しの久しぶりの出会いで、相手の顔がしかと分からず、ついつい外して喋りがちになってしまいました。何はともあれ、朝家を出たのが7時半。夕方姫路市内に戻ったのが5時。10時間ほどの慌ただしい〝北帰行〟でした。十分な手応えと猛烈な空腹を感じつつ、夕食をとるべく馴染みの和食店に足を運んだところに、電話が。「立候補者が定数を超えず、無投票当選です」とのこと。「‥‥」。勢いこんでの一日が空振りになってしまいました。

応援する側は悔しい思いをしましたが、候補者は拍子抜け、家族はホッとする気持ちだったのではないか、と推察しました。「ともあれ選挙は終わった、さあ乾杯だ」と、「ビールを」と、お店の親父さんに呼びかけると、「酒類の提供は出来ません」との連れない声。「うーん」ーさてさて、その後はどうなったか、ご想像にお任せします。(2021-4-28)

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公明党の中から議論が聞こえてこないー「米中人権論争」余波【下】/4-25

●「親中一辺倒」ではない山口氏の対中観

田原総一朗氏との対談では国内政治について、「今はコロナの問題など協力し合わねばならないテーマがありますので、日中の両政府が、あらゆる対話の機会を設けて、それぞれの課題解決に力を尽くすべきです。対立する両国の世論を政治家が煽ってはならない、そう考えています。むしろ両国の首脳が往来できる環境を整えていく努力が大切です」と、習近平国家主席の訪日を阻止すべく世論を煽る一部の政治勢力を意識しつつ、冷静な対応を求めている。

以上でわかるように、山口氏の対中スタンスは、決して「親中一辺倒」ではない。同代表にとって、外交安全保障分野における至上命題は、公明党の結党以来の理念である「地球民族主義」の実現にあると思われる。世界中の各国が偏狭なナショナリズムに陥ることなく、世界平和に向けて協調していくことが最も大事で、それに向けての障害を一つづつ取り除いていくことに腐心しているのだろう。中国を「人権侵害」の国だと指弾し、いたづらに刺激することは、「百害あって一利なし」と見ているに違いない。

●中国の対外姿勢に賛否両論は当然

今回の一件で、わたしが危惧するのは、公明党内での議論が外に聞こえてこないことについてである。代表が見解を述べて、「はい終わり」ではいけない。中国の対外姿勢について、いろんな意見があって当然である。山口代表は、もはや経済的側面で、中国の存在は世界の中で頭抜けており、単純に「嫌中の感情」だけで、人権を巡る中国の態度はけしからんという態度は避けるべきだとの意向であろう。発言に批判の声があることを私が伝えると、同代表からは、「今や日中の経済密着度は欧米の比ではなく、仮に政治的摩擦が深刻の度を増すと、中国からいいように経済的締め付けや、反発を受けかねない。経営者や市民、労働者がまるで、人質に取られているようなものだ」といった主旨の認識が返ってきた。

これについては、公明党内にも賛否両論があろう。かつての公明党なら、特に外交安全保障分野では百家争鳴さながらに、激論を戦わせたものである。PKO(国連平和維持活動)論議でも、イラク戦争への自衛隊派遣においても。また、対中関係についても、例えば、日本の政治家が彼の地に行って、日本政府批判をするのはマナー違反だとして、私は自公両党のトップの親中姿勢を嗜める発言を衆議院委員会の場でしたことがある。さらにまた、政務調査会の会議の場で、ある党幹部の原発容認姿勢を咎めるべく、喧嘩腰で議論をしたこともある。

●メディアに軽く見られていないか

今の公明党内にも当然ながら種々の意見、主張があるはず。中国の「一帯一路」戦略には「インド太平洋構想」で対抗すべきであるとか、対中封じ込め路線に加担せよとの主張もあろう。また、対中慎重路線に与して、山口代表を孤立無援にしてはならぬとの声もあるかもしれない。加えて、習近平という今の指導者が永遠に続くわけでなく、対立する勢力の存在を考えれば、「対中融和」はかけがえのない〝未来への投資〟になるとの声もあっておかしくない。しかし、それらが一向に聞こえてこないのは、いったいどうしてなのだろうか。

恐らくは、メディアが取材対象に公明党を積極的に選ばないからだと見られる。20年余の連立与党生活のなせる業だろうか。独自の個性的な発言がなりを潜めてしまっているかのように思われる。冒頭に述べた参議院決算委員会での素通り質疑も気にかかる。所詮そういう政党だとの認識がメディアに定着しているとしたら、これははいささか怖いことである。(2021-4-24)

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山口公明党代表の対中国観ー「米中人権論争」余波【中】/4-21

●「これでは票が逃げる」という声

先の記者会見の報道と相前後して、ネットでは、同代表の中国テレビ局の過去のインタビュー場面が流れた。中国の「一帯一路」構想への理念に賛同し、協力したいとの意向を表明したもののようである。私の知人らからは、「これでは公明党への票が逃げる」という山口批判の声が届いた。

対中関係について世論は、同国の経済力の拡大や国際法を無視するかの如き振る舞いが顕著になるにつれ、厳しく批判する向きが強い。私自身も中国の「傍若無人」と見ざるを得ない姿勢には苦々しく思うことがしばしばである。「一帯一路」礼賛と見られかねない山口発言にはいささか驚いた。もう少し発言に陰影を加えてもよかったのでは、と正直思った。

ただ、先のアラスカでの米中詰り合い外交対決に接して、改めて「どっちもどっち」との印象を持つに至っており、中国への人権批判を口にするなら、同時に対米批判も忘れてはならないとの視点も持つ。そうした意味で、要らざる国際的摩擦に繋がる対中批判を煽るべきではなく、米中融和に向けて、日本が積極的な役割を果たすべしとの山口代表の態度は理解出来なくはない。

●佐藤優氏との対談本に見る中国観

公明党は周知の通り、日中国交正常化に尽力し、長きにわたって、両国の友好促進に向けての役割を果たしてきた。同代表もその伝統の上に立って、野党外交から更に拡張させた与党外交の一翼を担ってきている。では、具体的な課題解決にあたって、どのような中国観のもとに臨んでいるのか。最新の話題の著作のうち、まずは佐藤優氏との対談本『公明党 その真価を問う』から、拾ってみた。

例えば、「コロナ禍」を巡っては「中国が新型コロナ蔓延の発生源であることは、紛れもない事実です。その困難を克服するために、中国が先に経験した記録や知識、技術をどんどん世界に役立ててもらわなければなりません。ワクチンや治療薬の開発という部分でも、中国の知見は重要です。(中略)中国が世界と共に手を携えて歩む。その姿勢をしっかり保てるように、日本は中国と行動をともにしていくべきなのです。」と、良識的な見方を発信している。

また、米中関係についても、「トランプ政権の4年間を通じて米中関係が冷え込む中、21世紀の『第二の冷戦』の当事者になるようでは、中国自身も生き延びていけません。周辺諸国に協調を呼びかけ、中国が『この指止まれ』でリードしても、みんなが中国側になびくこともないでしょう。国際社会の中でやるべきこと、みんなが求めること、みんなが納得することを、理解を得ながらやっていく。そうした行動と振る舞いが、これからの中国にとって大事です」と、これまた普通の穏健な見方を示している。

では、何かにつけてうるさい評論家・田原総一朗氏との対談本『公明党に問う この国ゆくえ」ではどうか。次に見てみよう。(2021-4-21)

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「米中人権論争」余波ー公明党の対中態度を巡って【上】/4-16

●米中外交論争と参議院決算委での公明党議員の質疑

米国バイデン大統領の誕生後、初めてとなる米中両国の外交担当者によるアラスカ・トップ会談が3月18日に行われた。ここでの衝突ぶりは、ある意味世界史上初の対決とも言えるもので、その報道に接して実に面白かった。戦争は御免被るが、論争は大歓迎だ。とりわけ「人権」を巡っては、この両大国共に脛に傷を持つ以上の弱みがあるだけに、非難の応酬は大いに興味をそそられた。

それから約3週間後の、さる4月5日の参議院決算委員会。公明党議員の質疑をNHK テレビの放映で見ていて、訝しく思わざるを得ない場面があった。予定される日米首脳会談に関連して、同議員が「人権問題」に言及したので、当然ながら米中の対立に踏み込み、日本政府のスタンスを確認するものと期待した。ところが、さにあらず。彼は、「すべての国に人権は守る義務がある普遍的な規範である。ミャンマーだけでなく、日本の近隣諸国を含めてすべての国はこの規範の下にある」と当たり前のことを一方的に喋っただけ。ウイグルにまつわる中国にも触れず、ましてや人種問題の米国にも言及はなく、質疑がなかったのである。

●日本での「マグニツキー法」への動き

このテーマを巡っては、日本版マグニツキー法(深刻な人権侵害を行った個人や団体に対して、資産凍結や入国制限を可能にするロシア発の制限法)を作ろうとの動きが国会内にある。3月30日には、偶々超党派の会合が持たれた。年初の結成準備会には公明党からも発起人が出席していたが、この日は参加者はゼロだったという。これについては後日、ほぼ同主旨の別の議員連盟が結成され、それには公明党から代表者が出たようだが、舞台裏の動きは詳らかとしない。

実は山口那津男公明党代表が同じ日の記者会見で、「人権を巡る欧米と中国の対立」について記者から訊かれて、以下のように答えている。(公明新聞3月31日付けから転載)

1)米国との同盟関係を強固にするために基礎を固めると共に、交流の厚い中国との関係も十分に配慮しながら、国際社会での摩擦や衝突をどう回避するかが重要だ。国際的な緊張の高まりを回避、または収められるよう積極的な対話を日本が主導すべきだ。

1)(日本政府の対応について)人権の保障には対応しなければならない。外国の人権侵害については、日本が制裁措置を発動するとなれば、我が国が外国の人権侵害を認定できる根拠と基礎がなければ、いたずらに外交問題を招きかねない。慎重に対応する必要があるのではないか。

1)(国内で提起されている人権侵害制裁法「マグニツキー法」について)日本政府に海外の人権侵害の状況を調べさせ、制裁措置を発動できるようにする法律だと受け止めている。慎重に検討すべきだ。

この山口代表の発言の捉え方への賛否の見解の披歴もなく、先の公明党の質疑が終わったのは妙に気になって仕方がない。(2021-4-16 以下つづく)

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