「安保法制騒ぎ」とは何だったのかー5年が経ってその中身を整理する(中)

安保法制の制定から5年。それまで禁じられていた「集団的自衛権」を容認することになったとの捉え方が一般的です。前回に見た、米国での陸上自衛隊の日米軍事演習も、その対応に備えるものと見る向きもあるやもしれません。しかし、両方とも正確を欠いた早とちりです。いわゆる集団的自衛権はー同盟国への攻撃を自国へのものと同一視して、共同で対処するー依然として完全な形では行使できないのです。また、陸上での日米合同軍事演習は、いわゆる集団安全保障の範疇の問題です。仮に中東での紛争に日本が後方から支援する場合に円滑にできるようにするためのものです▲安保法制以前における日本の武力行使の条件は、❶我が国に対する急迫不正の侵害❷これを排除するために他の適当な手段がない❸必要最小限の実力行使ーの三つでした。そのうち❶の記述が長くなりました。「我が国に対する武力行使が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」となったのです。❷と❸はほぼ同じです。これらは「武力行使の新3条件」と呼ばれます。これを集団的自衛権を容認したものと見るか、制限を付けただけで、従来からの個別的自衛権の域を出ないと見るかが、「騒ぎの淵源」でした▲全面的に集団的自衛権を認めるーつまり他国を守るために武力行使をするーのなら、そう書けばいいし、認めないなら従来通りの記述で変えなくともいいわけです。それを新たに変えたということは、「制限付きで容認した」ということでしょう。日本が位置する北東アジアの安全保障環境ー朝鮮半島や台湾をめぐる情勢ーが、今まで通りの対応を許さなくなったからです。つまり、日本の周辺で何が起ころうが我関せずの「一国平和主義」が通用しなくなったとの認識です。ざっくりいうと、自公の政権与党はその認識は一致しましたが、野党との間ではくい違ったのです。更に、自公の間でも、全面容認か制限付き容認かでは対応が分かれ、最終的に公明党の意向が認められたといえるのです▲この問題の最大のポイントは、国際法と日本国憲法との間での考え方の相違をどう調整したか、ということです。国際法では、自国を守るためには勿論、親密な関係にある他国を守るためでも、武力行使は認められています。一方、日本国憲法では、あくまでも日本を守るためにだけしか武力行使は許されないとの立場です。国際法に合わせようとする人たちは集団的自衛権を全面的に解禁しようとし、日本国憲法にこだわる公明党は後者の姿勢を貫き、制限を厳しくつけたのです。敢えて言えば、「日本を守るため」の中身を整理した、といえると思います。(2021-3-6 この項続く)

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自衛隊が体験した軍事のリアルー日米合同軍事演習の密着取材の放映から(上)

一連の安全保障法制が成立してから5年半ほどが経ちます。様々な意味で日本の防衛にとって、大きな転換点となったはずですが、表面上は何事もなく推移していて、その変化は一般市民には感じられません。「軍事」をめぐる議論は、日本ではややもするとタブー視される傾向が強く、あの騒ぎも当時はともかく、今や遠い過去の出来事で何事もなかったかのように思われます。そんな状況下、先日NHK(BS1)で放映された『自衛隊が体験した軍事のリアル』は、軍事紛争と日本、対米関係などについて大いに考えさせられました▲米国にある世界最大の軍事演習場・ナショナルトレーニングセンター(NTC)で行われた軍事演習に、一昨年1月に初めて日本の自衛隊員330人(陸上自衛隊第72戦車連隊=北海道北恵庭駐屯地)が参加したのです。2週間にわたって、米軍(4500人)と、実戦さながらの訓練がなされる場面を密着取材したものが放映されていました。中東の砂漠地帯にある架空の国に駐留する米軍ーそれを敵国のゲリラ部隊が襲うという想定の中で、側面から支援する自衛隊の動きがリアルに写されていたのです。なかなか見応えある内容でした▲この番組で注目されたのは、田浦正人・前陸上自衛隊北部方面総監と、柳澤協ニ・元内閣官房副長官補(防衛省元官房長)がそれぞれインタビューに答えていた発言の中身です。米軍と一体化した軍事演習だと見られるのではないか、との聞き手の懸念に対して、田浦氏は「演習の指揮系統は分けられており、米国の大義のために動いていると見られぬよう、長い歴史をかけて積み重ねてきているものだ」と、キッパリと否定。その上で、「自衛隊は軍事演習に行きたいわけでも、行きたくないわけでもない。しっかりした法の中で、国民に行ってこいと背中を押されて行きたい。そのために、準備するのがプロとしての誇り」と、慎重に自衛隊の立場を明らかにしていました。一方、柳澤氏は、この演習は果たして日本の国土防衛に繋がるものなのか、との疑問を投げかけると共に、「武器を使えば相手も撃ち返してくる」として、「自衛隊部隊の安全と日本の参加がどう受け止められるか、両面から考える必要がある」と、懐疑的な立場を吐露していました▲制服組と背広組のトップ近くにいた二人が異質の答えをしていたことがとても印象的でした。柳澤氏と私はお互い現役当時から懇意で、今では同じ一般社団法人「安保研究会」に属しています。こういう発言をする元背広組はほぼ皆無なだけに、退任直後の彼の発信には波風穏やかならぬものがありました。私には自衛隊幹部の言い分も、建前としてよく分かりますし、柳澤氏のスタンスも本音として首肯できます。それだけに、彼が番組の最後で「この問題は一から十まで政治の問題です」と述べたのがグサリと刺さりました。(2021-2-28 この項続く)

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公明党は中道改革路線の初心を忘れないー森元首相の発言をきっかけに(下)

森発言をきっかけに、日本の政治の今をもたらしている背景について考えてきました。小池都知事の一撃が見事に炸裂。辞任を決意せざるを得なくなった森氏は、後継者指名の模索まで表沙汰になる失態を重ね、「密室好き」の実態を曝け出したのです。こうなると、もはや喜劇。晩年を汚す哀れ極まる姿に、人の出処進退を考えさせる機会を与えてくれたことに感謝するべきかもしれません。

●平成の30年はいったいなんだったのか

平成政治史の30年を振り返る時に、見逃すことの出来ないことがあります。著名なジャーナリストが「平成の政治」についての、政治学者との対談で、政治改革の嵐に始まって、自民党の崩壊から政権交代を経て、結局は元に戻ったと発言しているのです。政党の分布図を見ると、かつての社会党が立憲民主党に代わり、民社党が国民民主党に看板を変えただけで、あとは大筋一緒だというのです。しかし、平成の始まる時点で野党だった公明党が与党に姿を変え、20年も続いていることや、日本維新の党の誕生が見逃されていることをどう考えればいいのでしょう。

公明党のこれまでの懸命の努力を無視されて異議を唱えないことは私には不可解に思えました。直ちに、旧知のこの方にメールで抗議しました。事実認識が間違っている、と。残念ながら曖昧な反応で、納得はいきませんでした。公明党の与党化が自民党の変革を妨げていると、正面から批判されるのならまだしも、その影響についての是非を全く吟味しない態度は、政治評論の名に値しないと思います。対談相手の名うての政治学者には、異論を差し挟んで欲しかったのですが、同意されるに留まっており、残念なことでした。

ただ、それほどまでに、公明党の存在が注目されていないことには考えこまざるを得ません。自民党政治の変革に取り組むために、内側に入り込んだものの、結局はミイラ取りがミイラになってしまってるのかもしれないのでしょうか。当事者の意思はともかく、客観的に見て公明党への評価がお座なりなものに終始しているのは認めざるを得ないのです。

●見えない公明党の〝政権戦略〟

こんな状況の中、尊敬する元外務官僚のN氏とのやりとりで、こんな質問を頂きました。「かつて59議席も獲得(1983年)したことがある公明党が、停滞を続けているのは何故か。退潮に歯止めをかける鍵はなんだと思うか」との問いかけです。この質問を頂いて正直恥ずかしい思いを抱きました。ほぼ40年前に公明党が衆議院60議席に手がかかる寸前だったことを忘れかけていたからです。

中選挙区から小選挙区比例代表制への変化が根源にあるとはいえ、確かに平成の30年を概観すると、公明党は議席数の上でも、獲得投票数においても「停滞」と言われてもやむを得ません。一方、この時代の幕開けの頃には退潮傾向だった自民党が38年続いた「一党独裁」の座からひとたび下野したものの、結局元の位置に返り咲いています。ただし、「自公連立」の名の下に、です。

この間に両党が得たもの、失ったものをあげつらうことは避けます。党利党略的視点ではなく、日本の政治がどう変わったか。庶民大衆にとってどうか。改革の名に値するものかどうかで見ると、残念ながら「連立政権の20年」は、及第点には遠いと思われます。安倍第二次政権誕生前後で比較すると、混乱から安定を勝ち得たとの自己評価が自公両党にはあるのでしょう。この8年でここまできたのだから、これからが〝改革の本番〟だと見る向きが好意的な捉え方でしょうか。

日本の政治の安定のために、公明党の目指す改革を犠牲にしてきたというのが私の考える停滞の原因です。小さな声を聞くあまり、大きな意思が見えづらくなっているともいえます。更に言い換えると、自民党に合わせすぎるあまり、公明党の政権戦略、この国をどうしたいのかとの本音部分が隠れて見えないからだと言えるかもしれません。それが結果的に公明党の存在感を薄れさせることに繋がり、多くの有権者の皆さんに、期待を持ち辛くさせていると私には思われてならないのです。(この項終わり 2021-2-15一部修正)

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〝金権横暴〟の自民は変わらず、改革は未だしー森元首相の発言をきっかけに(中)

●「小池劇場」の再幕開けなのか

森喜朗元首相の「女性蔑視」発言を受けて、小池百合子都知事が東京五輪に向けての「4者協議」に欠席するとのニュースが流れました。この人らしい行動パターンに、思わずニヤリとしてしまいます。またも小池劇場の開幕か、とメディアが騒ぎ始めています。恐らく世論の動向を見ながら、森さんを揺さぶろうとの狙いでしょう。かつて彼女を「男にしたいいい女」と、セクハラまがいの言い回しで表現し、仲間に紹介した私としては、「やれやれ」(嘆息でなく)とけしかけたい思いです。小池さんといえば、細川護煕元首相との、日本新党デビューが今に印象に強く残っています。

その後の今日に至るまでの彼女の変遷はここでは敢えてふれませんが、平成政治史の裏面を飾るにふさわしいプレイヤーのひとりです。私とのご縁は、かつて小沢一郎さん率いる新進党の一員として、「住専問題」で自民党に抗議するすわり込みをしたことを思い起こします。あの頃は紛れもなく「自民党政治」を変えたいとの熱気に、私たちは包まれていました。その少し前に自民党を飛び出した小沢さんの「真意」に賭けた人々は、この国の中で、少なくなかったのです。

自民党の中心軸を占めた彼の思いが、政治家が本来の姿を見失い、官僚の欲しいままになっていることへの反発にある、と私は見ていました。ご本人自身が抱える問題を一時棚上げしても、その破壊力を利用しない手はないと思ったのです。外から自民党政治を変えようと長きにわたって悪戦苦闘してきた公明党ですが、内側から呼応する動きを見せた小沢さんとの「共闘」は、危険を孕見ながらも魅力溢れるものでした。その頃の市川雄一公明党書記長こそ、小沢さんとの「改革劇」の中心的な助演者だったことは言うまでもありません。

●安倍から菅への交替の背後には

その小沢さんが、刀折れ矢もつきた姿になっても、今なお共産党との共闘さえ辞さないスタンスをとっていることはまさに驚異の執念です。自民党政治を外側からでなく、内側から変えることに方針転換した公明党の一員として、その手法の是非は別として、初心を忘れぬ一念の強さだけは学びたいと思っています。「自公連立20年」の経緯の中で、パートナーの質を変えることを忘れてはならない、ということです。自民党はこの8年の第二次安倍政権で、すっかり昔の悪い性癖が頭をもたげてきています。いわゆる「森友、加計、桜を見る会」問題から、河井夫婦の〝金権選挙〟まで、これを往年の「金権腐敗」政治の復活と言わずしてなんでしょうか。

安倍晋三前首相はそのあたりの問題を何ら反省した風もなく、二度目の政権投げ出しとも思える態度で、ひとたび後衛に退いたかに見えます。後釜を選ぶ自民党総裁選に声を上げた三人のうち、一人は宏池会の流れを汲む岸田文雄氏、もう一人は一度は自民党を出たことのある元経世会の石破茂氏。そして金的を射止めたのは、安倍氏のこの8年を支え続けた〝女房役・番頭さん〟だった菅義偉前官房長官というのは中々示唆に富んでいます。雪深い秋田出身で、苦学したあげく地方政治家を経て代議士になったこの人に、就任直後の支持率が高かったことも、いかにも日本人好みで分かろうというものです。ようやく開かれた通常国会冒頭の首相演説。最後のくだりで政治家としての恩師が梶山静六氏だったことに触れ、受けた励ましの言葉を披露して話題になりました。

梶山氏とは、かつて有名を馳せた経世会7人衆の一人です。このことが何を意味するか。権力の主軸が、経世会から清和会へと移った平成政治史を、令和になって元に戻す機縁となるのか。清和会支配の中断を意味するのかどうか、未だその全貌は見えてきません。(この項続く 2021-2-13 一部修正)

 

 

 

 

 

 

 

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経世会から清和会へ、自民党政治の30年ー森元首相の発言をきっかけに(上)

森喜朗東京オリンピック・パラリンピック組織委員会長(元首相)の、いわゆる『女性蔑視』発言を巡って、日本はおろか世界中で顰蹙をかっています。結論は、お辞めになることに尽きると思います。ただ、ここでは少し角度を変えて、自民党論から日本の政治について思うことに発展させてみます。

●安倍晋三前首相の森、小泉論議から

森さんと私の幾つかの出会い、思い出については既に「回顧録」に書いています。一言で言えば、〝軽口居士〟です。私も注意せねば、と自ら戒めてはいます。一点、今まで書いてこなかったことを披露します。かつて、安倍晋三前首相が赤羽一嘉代議士(現国交相)の応援に神戸市にやってきて応援演説をしてくれた時のことです。前首相は、自分が支えた二人の元首相(森喜朗と小泉純一郎両氏)を比較し、こんなエピソードを伝えてくれて会場は沸きました。

まず小泉さんについて。あの人は、人からものを贈られるのを嫌う。送ってきた人には、受取人払いで送りかえすのです。知ってる人はあの人にはものを送らないことにしています、と。一方、森さんは、懇談している際に「君のそのネクタイいいねえ。自分で選んで買ったの。それとも誰かにもらったの?」と訊いてこられるので、えーっと、誰だったかなぁと思案していました。すると、「それは、僕があげたもんじゃあないか。覚えておかないとダメだよ」と。以来、私は人から頂いたものは忘れぬようにしているのですが、と言われたと記憶しています。ただし、この最後の安倍発言は定かではありません。

●自民党の派閥抗争の淵源

実は安倍晋三、小泉純一郎、森喜朗の3人はいずれも自民党清和会に属します。かつての福田赳夫元首相率いる派閥の流れを組むグループです。3人に福田康夫元首相を加えた4人は皆同じ派閥出身ということになります。といっても、福田康夫さんは他の3人とは肌合いの違うところがありますが、ここでは深入りしません。森さんは就任当初は、3年ぐらい経ったら今の立場の後継には、安倍さんをと思っていた、と述べていたようです。かくまで長く首相をやるとは思っていなかったということでしょう。

ともあれ、21世紀を迎える直前に首相だった小渕恵三さんが最後のいわゆる経世会(田中角栄、竹下登の流れを汲む派閥)出身で、以後は、森、小泉、安倍、福田、第二次安倍内閣と、宏池会(池田勇人、大平正芳元首相ら)の流れに属す麻生太郎元首相を除き(勿論、民主党政権も)、ずっと清和会が自民党では主流なのです。

長々と自民党の派閥について述べてしまいました。私のような昭和40年代に新聞記者をしていて、平成の時になって暫く経った頃(西暦では90年代初め)に政治家になったものからすると、経世会の盛衰が見えてきます。政治改革の嵐が吹き荒れていた頃、自民党の人たちから、経世会の鬼子としての小沢一郎さんの怖さを聞かされることが少なくなかったのです。わかりやすく言えば、当時、角福戦争(経世会と清和会の抗争)の尾を引き摺って、虐げられてきた清和会の人たちを中心にした経世会への怨念のようなものが渦巻いていたのです。あれから30年ほどが経って、もはや表面上にはそんなことは見えません。しかし、底流には蠢いているような気がします。(この項続く 2021-2-8)

 

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日常的に議員の情報(質問力、仕事ぶり)を公開することの大事さ

嵐のようなこの数日間は何だったのかー遠山清彦君が議員辞職したことが夢の出来事のように思われます。衆参両院議員を20年間にわたって勤めた彼が辞めるに至った経緯は周知の通りですが、心底残念なことに思われます。この間に、様々な論評が耳に入ってきましたが、気になったものを三つほど挙げます(大要趣旨だけ)。一つは橋下徹元大阪府知事のコメント。個人的には辞めるほどのことではないと思うが、辞職したのは潔い。だが、何か他に背景があるのではと思ってしまう。この人らしい勘繰りといえましょう▲二つ目は、立憲民主党の安住国対委員長。彼は世論の厳しい動向に追い込まれて辞めたのであって、決して自ら選んだのではなく潔くもなにもないというもの。このコメントは情け容赦がない典型です。こう言う時は敢えて優しく言うものです。三つ目は、ある政治評論家。公明党にも銀座の高級クラブに行く人がいるのには驚いたというもの。もっと顰蹙を買って当然の不祥事が残念ながら過去にあったのに、公明党をこのように清廉潔白な存在と見てくれる人がいるのだと言うことに却ってこちらが驚きました▲私が遠山清彦という政治家をいかに買っていたかは前回に書きました。それゆえ、今回の出来事は魔がさしたのか、と残念に思います。そこで、気になるのは、前々回に書いたように、公明党議員の与党化(自民党化)です。彼にもそれがうかがえていました。これは一時的な問題ではなく、20年間の蓄積のもたらすものと言えるかもしれません。昨日、ある党幹部と電話で様々なやりとりをしました。意見が一致したのは、野党経験がない公明党の若手議員の深刻な与党化問題です。彼は、「予定調和で、役所と事前に擦り合わせて、原稿を読むような質問ばかり。それじゃあ、野党議員は務まらないよと言ってますが、批判精神が薄弱です」とズバリ手厳しい一言がありました▲私は日本の衆参両院議員がピリッとしないのは、真実の意味で議員自身が「情報公開」に晒されていないからだとの持論を持っています。日常的に議員が有権者の厳しい眼差しに直面するには、質問の中身を常に査定されることが必要でしょう。かつてある新聞が試みようとしましたが、途中で挫折してまったようです。惜しいことです。恐らく議員、政党側から文句が届いたのだろうと推測します。与党の馴れ合い質問、野党の腰砕け質問を、新聞、週刊誌、月刊誌が恒常的に追えば、もっともっと政治は緊張するはずです。スキャンダルを追うばかりでなく、資産公開だけでもなく、日常的に「政治家の質問」「仕事ぶり」をチェックする必要があります。そこからは「選良としての値打ち」が見えるからです。中々基準作りが容易ではありませんが、そんなメディアよいでよ、との思いを今ほど強く意識することはないように思えます。(2021-2-4)

 

 

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九仞の功を一簣にかく後輩の失態に思うこと

コロナ禍の只中にあって、自民党と公明党の中堅幹部二人がそれぞれ銀座の高級クラブに深夜まで入り浸っていたことが26日に発覚しました。由々しきこととだと、厳しいご批判をいただいています。遠山清彦さんがその場所を訪れたのは22日金曜の夜といいます。衆議院予算委員会で質問に立つ(25日お昼前後)ので、テレビを見て欲しいと、彼から連絡が私のところに入ったのは22日早朝。察するに、質問の準備も終えて気分も爽やかに、その場所に誘われて行ったのでしょう。翌日、翌々日は土日ですから、小選挙区回りをしたはず。3現職が一議席を争う大激戦が予想される選挙区だけに応援する側もされる側も必死の戦いの最中です▲この失態について、山口代表が党の会合で厳しく本人を叱責したと報告し、国民の皆さんに深いお詫びの挨拶をされました。新聞報道で見る限り、自民党の議員の派閥の領袖である麻生太郎財務相のお詫びの挨拶より遥かに気合の入ったものでした。麻生氏は「関係者にご迷惑をおかけした。深くお詫び申し上げる」(毎日新聞29日付5面)と述べたとありますが、この場合の関係者とは誰を指すのか。また、その人たちへの迷惑に対してだけお詫びするのか、と思ってしまいます。この手の失態のケースで、一般的に、迷惑をかけたことに申し訳ないとお詫びするというパターンには違和感を持ちます。特定の関係者を意識しているのであって、それ以外の人には詫びていないように聞こえるからです。こういう時は「恥ずべきことをしてしまった」「恥ずかしい」と言って欲しいものです▲さて、遠山さんは、こういう場所にいつも行ってるのだろうかとの疑問が起きます。〝コロナ禍の厳戒令〟にあってこういうところに行くということは、恐らく普段からも行っているに違いないと思わざるをえません。ここで、銀座の高級クラブがダメで、場末の居酒屋だったらよかったのに、などというつもりはないのですが、公明党の議員も変わったなあと思うのです。先年、私の元の職場の仲間で参議院議員だった後輩がやはりこうした高級クラブに出入りした挙句、口にすることさえ憚れる恥ずべき行為をしたことが発覚して、議員辞職をしたことを思い出してしまいます。遠山さんについてはおよそそんなことはないと確信していますが、ついこれまでの行動に思いを馳せてしまうのです▲私は彼のことを強く推奨してきました。卓越した英語力を始め、課題の分析、調整力、そしてプレゼン力、何をとっても一級です。沖縄の離島に訪れた時に、彼を深く強く慕う人々に随所で出会いました。本当に熱い思いで地域の隅々まで繋がりを持ってることに驚きました。欠点は唯一、自己宣伝力が強すぎることかもしれません。現職時代に私は直接口うるさく注意してきました。本人もうるさく思っていたに違いありません。自信過剰なところが鼻につかぬと言えば嘘になるでしょう。25日の予算委員会でも、随所に言わずもがなの「ありがとうございます。いい答弁をいただきました」と述べていました。自分でそう言わずとも、評価してくれる人に任せればいいのに、と思ったものです。与党質問の典型だと危機意識を感じて、この欄の前号に書きました。あえて名前は伏せましたが。今度のことは、九仞の功を一簣にかく側面がありますが、いい薬にして這い上がって欲しいものです。公明党を支援してくれる無辜の民の思いを裏切ってしまいました。これを取り返す圧倒的な闘いに期待しています。(2021-1-29)

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コロナ禍の中での国会論戦から何が見えるか

ようやく国会での質疑が始まっています。先週の衆参本会議から今週の衆議院予算委員会での補正予算審議へと舞台は移りました。菅首相の喉、咳をめぐっての懸念は、週刊誌報道で知りましたが、テレビを見て聞いている限り、益々疑問が高まります。ご本人は野党委員から問われて、大丈夫だと言っていたものの、かすれた声を聞くにつけ疑念は残るのです。また、棒読みやら、答弁を差し控えるとの発言が110回を超えて、安倍前首相の虚偽答弁に迫る多さというのも気になります。コロナ禍という未曾有の国家的危機の中だからこそ、政府も与野党議員も健康管理に気をつけて、しっかり対応して欲しいものです▲閉会中審査で、議員運営委員会でのやりとりを先日テレビで見聞しました。首相欠席で衆参午前と午後に分けて、西村康稔経産相が答弁に立っていたのですが、およそ衆議院の方は追及に迫力がなかったのが気になりました。とくに質問者に枝野幸男立憲民主党党首がいながら、なんともしまらなかったのです。他党は中堅議員ばかりなので、余計に惨めに見えました。そこへいくと、参議院は自民党の質問者は医師出身らしく切れ味鋭い内容でしたし、立憲民主党の女性議員は極めて聞き応えがある追及質問でした。我が公明党の質問者は僅か5分という質疑時間が可哀想でしたが、精一杯やっていたのが印象に残りました▲この国会質疑における〝参高衆低〟という評価視点は、私の勝手な見立てですが、あながち荒唐無稽ではないのではと、思い込んでいます。それは一にも二にも衆議院への対抗意識がなせるものだと思います。最近は少しなりを潜めていますが、自民党のN氏はおよそ与党議員とは思えぬくらいの迫力ある追及型の質問で、しばしば驚かせられます。また、先日の本会議質問でも地方議員出身の自民党議員が独自の切り口で質問をしていましたが、それなりの努力を伺わせる背景を実感しました。参議院の方が公明党の山口那津男代表始め各党とも論客揃いと思われます▲衆議院を見ていると、野党第一党の立憲民主党に所属するベテランたちが最近は音無しの構えのように見えるのは不思議です。というのも、往時の役者たちが自民党に鞍替えしたり、希望の党から国民民主党へと移動していることと関係しているのかもしれません。一言でいうと、衆議院の野党が元気がないのです。その分、公明党が頑張ればいいのですが、残念ながら、ピリッとしない寄り添い型の与党質問ばかりに見えます。政府答弁にいちいち「ありがとうございます。いいお答えいただきました」などという必要などないのに、いう議員が散見されるのは聞き辛いといえましょう。第一日目の質問者はこれまで切れ味鋭い質問をする後輩で高く評価してきましたが、今日は与党的過ぎて失望を禁じえませんでした。河野太郎行革担当相のワクチンをめぐる発言問題など、格好の追及材料なのに、逆に「運び屋」だとか、「突破力」云々と持ち上げるだけ。聞いている有権者は敏感です。公明党の態度に手加減、匙加減はないのかどうか。与党であっても言うべきは言うとの姿勢を貫いて欲しいものです。(2021-1-25)

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心に残った発言を探すー新年各紙のコメントから(下)

松のうち(1日〜7日)の全国紙5紙を読んで、私の心に響く、興味深かった識者の発言を次に挙げてみます。私の独断ですが、なかなか面白いと思えるものを5つ選びました。ぜひ、それぞれの新聞を図書館ででも読んでいただければ、と思います。

●毎日新聞の連載『コロナで変わる世界』(5日付け)ー社会学者・大澤真幸さん「世界共和国の契機に」

コロナ禍は今後どう推移するか、とインタビュアーに聞かれて、大澤さんは、大要以下のように答えています。

【地球レベルで経済とコロナ対策がトレードオフ(相反関係)にあるとの3段階の認識を経て、コロナによって、社会の仕組みや生き方が問われているといえます。「人間とは何なのか」ということを含めた、政治と精神が一緒になった問題だと、そこで初めて気づくのです。21世紀を超えて、人類が繁栄出来ているとすれば、今から何世代か後には、「世界共和国」に向かう、コロナ禍がそのきっかけだったと思えるようにしなければならないでしょう。世界はひとたび、米国におけるトランプ政権を経験したことによって、米国中心に物事を考えるという習慣が消えました。トランプ政権はひどかったけど、そのおかげで世界は多元化する、それは「世界共和国」にとって、必要なプロセスだった、となるのが一番良いシナリオなのです。】

これは、いわゆる「世界連邦」の具現化とも言えます。また、創価学会の第二代会長の戸田城聖先生が掲げられた「地球民族主義」の理念とも共通するものだと言えましょう。楽観的に過ぎるとの批判は当然つきまといますが、むしろそうならない世界は滅びる、と見れば一気に現実味を帯びてきます。

●朝日新聞連載『日曜に想う』(3日付け)ー編集委員・曽我豪「60年ぶりの年 壁を突破できるか」

今年は60年ぶりの「辛丑」の年であることから、昭和36年(1961年)の出来事を、人物中心に曽我さんは振り返っています。取り上げられているのは、ケネデイ、池田勇人、ガガーリン、江田三郎、坂本九の5人(人間以外にベルリンの壁も)。このコラムで私が注目したのは、「公明政治連盟の発足」に触れていることです。「前年に社会党分裂で誕生した民社党に続き、社会的弱者層を引きつけて公明党が台頭し野党が多党化してゆく。その前身である公明政治連盟を創価学会が結成したのも同じ61年秋のことであった」と。

コラムの最後には「60年前の『主役』たちのその後を記」していますが、公明政治連盟を誕生させた創価学会の会長だった池田先生にはなぜか触れていません。これでは画竜点睛を欠くのではないでしょうか。その動きの主役だった同先生がご健在であることに触れて欲しかったと思います。

●日本経済新聞連載『核心』(4日付け)ー論説フェロー・芹川洋一「2021年から始まる日本」

芹川さんは、日本の近現代史においてある種の「循環」が存在することを取り上げています。代表的なものとして「15年周期説」や「25年単位説」に触れています。前者では、1931-45年→軍国主義 46-60年→戦後民主主義 61-75年→高度成長 76-90年→低成長 91-05年→経済停滞 06-20年→再生模索といった具合です。一方、後者については、1920-45年→経済恐慌と戦争 1945-70年→復興と成長 1970-95年→豊かさと安定 1995年-20年→衰退と不安 としています。これらを「新しい時代はやってくるか」とのタイトルで一覧表にしており、なるほどと思わせます。じっくり眺めてみてください。いかがでしょうか。

実は私はかねてから「40年周期説」を支持してきました。1865-1905→ 軍国主義の台頭 1905-1945→軍国主義崩壊 1945-1985→ 戦後民主主義と経済成長 1985-2025→経済破綻から少子高齢化社会 という仕分けです。こっちの方が明治維新から今に至るまで、スパンも長く、面白いと思うのですが、どうでしょうか?

●産経新聞連載『宮家邦彦のWorld Watch』(7日付け)ー内閣官房参与・宮家邦彦「2021年に起きないこと」

宮家さんは今年、「何が起きるか」ではなく、「何が起きないか」を予想するとして、❶中国は米国に屈しない❷露は諜報戦争をやめない❸北朝鮮は暴発しない❹東南アジアは結束しない❺印は対米同盟を組まない❻中東は安定しない❼EUは分裂しない❽トランプは引退しないを挙げています。「ないない」尽くしは面白いのですが、読みようによっては、この8つそのものが起きないこととして、あがっているように見えます。慌てて読むのは危ないです。尤も、それぞれの逆、つまり、中国は米国に屈する、露は諜報戦争をやめる、北朝鮮は暴発する‥‥といったことが起これば、耳目を集めるのですが。結局は何も変わらないということを言っているように思われます。

●読売新聞『語る』連載2(4日付け)ー元自民党総裁・谷垣禎一「党内で疑似政権交代」

自民党が野党に転落した時に、同党総裁だった谷垣さんは、10年は野党暮らしが続くと覚悟したとのこと。三年ほどで復帰するとは思わなかったと言います。で、野党がどこにいるのかわからなくなって、大平元首相の言った「楕円の理論」ー中心は一つではいけないーが大事だと思うようになったと言います。この理論でいけば、次は宏池会(岸田派)や竹下派が頑張らないといけないというわけです。

自民党風に言えばそういうことなのでしょう。ただ、この勢力に期待できるかどうか。私に言わせると、公明党こそ楕円のもう一つの中心に座れば面白いのに、と思います。昔風に言うなら、公明党は野党に戻って、他野党を束ねよということなんでしょうが、もはやそれは想定しがたい。ならば、と思うのですが、それもまた難しい。所詮叶わぬ初夢でしょうか。(2021-1-12)

 

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鬱陶しい2021年の幕開けに光明を探すー各紙の報道記事から(上)

新たな年も早いもので、七草がゆも終わり、鏡開きとなります。例年なら新年互礼会などに顔を出す頃ですが、今年はそうはいきません。新型コロナ禍による緊急事態宣言が首都圏に続き、大阪、兵庫、京都の近畿圏にも及び、巣篭もりの鬱陶しい幕開けとなりました。新年の元旦号から7日付けまでの、全国紙5紙の記事を追って見ました。

元旦号のトップ記事は各紙の報道の基本的姿勢が伺えて面白いことはいうまでもありません。コロナ禍中なので、これ一色かと思いきや、コロナ禍にまつわるものを取り上げたのは、『毎日』だけでした。「中国『闇』ワクチン日本へ」との見出しで、未承認のワクチンが中国から持ち込まれ、企業経営者ら一部の富裕層の18人が接種を受けていることが分かったというものです。昨年からの連載「コロナで変わる世界」の第二部のはじまり「パンデミックと社会」です。

中国がらみは、『読売』が「中国『千人計画』に日本人」との見出しで、取り上げました。彼の国が海外から優秀な研究者を集める人材招致プロジェクト(2008年から実施)に、少なくとも44人の研究者が関与していたというのです。日本政府から多額の研究費助成を受け取った後に、中国軍に近い大学で教えていたケースもあり、日本政府は情報流出を恐れて規制強化をする方針を固めたと報じています。

一方、『産経』は、新年からの連載で『自由 強権ー21世紀の分岐点』をスタートさせ、その1回目として、「中国型の権威主義、南太平洋で猛威」と題し、「民主主義が消えていく」実態を描き出しています。「コロナ禍で加速した世界の軋みに対峙して、21世紀の形を決める分岐点」だとの現状認識のもと、露骨さを増す中国の横暴な振る舞いを追おうという企画でしょう。「米国一強」が揺らぐインド太平洋で、日本は自ら先頭にたち、自由と民主主義を守る行動と覚悟が問われていると、煽っているのです。

国内政治に目を向けたのは『朝日』だけです。自民党の衆議院議員で、農水相だった吉川貴盛氏が、既に明らかになっている計500万円を受領した疑いのほかに、1300万円を受け取っている可能性が高いことを報じています。これは、鶏卵生産・販売大手の「アキタフーズ」の前代表が東京地検特捜部の任意聴取に際して供述したもの。特捜部は合計1800万円を2015年から5年間に14回に渡って吉川氏が受け取ったと見ています。農水相就任前からというわけです。

経済がらみは例年通り『日経』だけです。「第4の革命 カーボンゼロ」と題して、世界が脱炭素の主役として競い始めたことを、連載で明らかにしようとしています。日本も2050年までに、二酸化炭素(Co2)など温暖化ガスの排出を実質ゼロにすると宣言していることは周知の通り。日米欧中で8500兆円もが動く競争を追うことになります。この中で注目されるのは、排出削減の国外出願特許で、日本は約15000件で、2位の米国の2倍近くもあること。この10年間連続の首位にあることを「日本なお先行」と誇らしげです。

こうみてきますと、各紙の特徴とともに、今の日本社会における課題が浮き彫りになってきます。キーワードは、「恥を知る」ことだと、私は見ています。このあと、正月一週間の新聞記事から、注目される内容のものを追ってみます。(2021-1-9  以下つづく)

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