私の講演への徳島商ビジネス部の皆さんからの感想

さる12月25日に徳島県海部郡美波町コミュニティホールで私が講演した内容については、すでに2回にわたって紹介しました。実は主催者の一般社団法人『雪花菜工房』の東丸慎太郎代表が、終了後に参加した高校生たちに感想を求めており、それが29日に手元に届きました。私は知らなかったのですが、あらかじめ伝えてあったことのようで、高校生たちが熱心に聞いてくれていた理由もわかりました。講演者冥利につきることで、嬉しい限りです。

●時代の変化をどう見るか

私は、講演で❶今が明治維新からほぼ150年で、75年前の敗戦と合わせて三たび目の一大転機であること❷その転機は新型コロナ禍の襲来によってもたらせられており、これをどう受け止めるかは極めて重要❸東京一極集中からの分散が大事で、既にその動きが始まっている❹そういう時代の観光は以前のようにただ海外からの訪問者を受け入れるだけではない。自分の住む地域の歴史と自然環境をよく知ったうえで、インバウンド客を受け入れることが大事で、それこそが観光のあり方だ。一例としての日本熊森協会の取り組みを紹介ーといったことを述べました。

それに対して、高校生たちは、「2020年が大きなターニングポイントだと思いました。75年ごとに歴史の転機を迎えているから、将来の75年後の2095年も大きく変わっていると思います」(3年女子)「未来にだけ目を向けるのではなく、過去の出来事にも注目することが大事だと感じた。そして時代の流れを後世に伝えていくべきだと思った」(3年女子)ーとの感想を述べてくれました。歳の差がほぼ60という、孫に向かって爺さんが語る場面なので、苦労しましたが、ちょうど今75歳の私が生まれたのが日本が米欧と戦争をして負けた年だということであり、そのまた75年前が明治維新だったと繋げることによって関心を持ってもらおうと思ったしだい。いささか難しい分析だったかもしれないが、関心を持ってくれて嬉しい。

●ウイルスは鬼と同じとのたとえ

現在のコロナ禍をどう受け止めるかについては、今年大流行した映画『鬼滅の刃』に関連づけたのは、案の定受けたようで、多くの高校生たちが「どこに現れるかわからない鬼とウイルスは同じかも、とよくわかった」(1年女子)「若者にもわかるように『鬼滅の刃』を持ち出してくれて、わかりやすかった」(1年男子)「『コロナ滅のワクチン』とは面白い」(3年女子)という風に。また、「これからは『寄らば大樹の影』ならぬ『寄らばサイトの影』の時代であり、『集中から分散へ』の時代に、『禍転じて福となす』との格言は心に響きました」(3年女子)との反応には、こちらが感激しました。

●熊森協会や奥山保全トラストの試みに強い関心

「今まで森林保全はあまり詳しく知らなかったけれど、赤松先生の話を聞いてより詳しくわかりました。とても驚いたのは、『クマと人間とどちらが大事か?』と聞かれたら『どちらも大事』と答える、と言われたことです。もし、自分が聞かれたら、『人間が大事』と答えます。けれど、この答えは、動物のことを全く気にせずにいることだと気づきました。人間中心に考えてきたから、広葉樹林を伐採して動物の住む場所を奪ってきたんだと思いました。自分が住んでいる地域に山がなく、いつも『森林保全』という言葉を身近に感じませんでした。けれど、今日詳しく聞き、森林保全の大切さがわかりました」(2年女子)「人工林が杉の花粉を増やし、川の氾濫や土砂崩れもたらすことに繋がると知り、怖いなあと思いました。熊森協会や奥山保全トラストが凄いことをしているとよくわかりました」(1年女子)「森がダメになっていることをクマが知らせてくれていることを初めて知った」(2年女子)ー高校生にとって、熊森協会や奥山保全トラストなる団体は初めてに違いなく、その動きを知って率直に驚き、関心を持ってくれたことは有り難い。

最後に私が述べた「使命を自覚する時、才能は急速に伸びる」との箴言について、「変化する時代の中で生きるために意識していきたい」(3年女子)とか、「自分にもいろんな可能性があることを実感した」(3年男子)との反応には満足できるものがあった。(2020-12-29)

 

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歴史と自然環境の再発見ー徳島美波町で「自然と観光を考える」会での講演(下)

●首都圏から自然環境豊かな地方への流れ

コロナ禍が蔓延する中で、ビジネスの変容ということに関連する大きな流れの変化が見過ごせません。それは東京一極集中から地方への転換です。建築家の隈研吾さんが、自分の設計事務所を田舎に移した話を日経新聞に書いていましたが、大変に興味深い内容でした。富山の山の中に酒蔵を建てるプロジェクトの担当者たちが、住まいを首都圏から仕事場に移したというのです。

隈さんは、人類が歩んできた建築空間の歴史は、「集中へ」という一言に要約できるとし、野っ原を駆け巡って、狩猟採集に明け暮れていた人類はやがて集まって定住を始め、ハコの中に詰め込まれて労働を強制された。それが効率的、経済的で幸福だと信じ込んで、集中への坂道を転がり続けたといいます。その結果は、「平面的に見れば『都市化』であり、立体的にみれば『高層化』」で、その行きついた先が高層オフィスビルであり、その閉じた箱で働くことが社会のヒエラルキーの上位にいることを意味し、誰も疑わなかったというのです。それがこの度のコロナ禍によって、地方に脱出する機縁を掴み、「集中」から反転した先の「分散」の状況下で、セルフメイドの道が開け、空間を人々が自分自身で作る道が開けたと強調しています。

既に淡路島北部に、パソナの南部靖之氏が東京からの移住を実行する構想を表明しています。淡路市西海岸を中心に、いたるところに同社の観光客を意識した建築物やレストランなどがその姿を見せていて話題を呼んでいます。一昨年でしたか、私が徳島商業高校ビジネス部の皆さんと初めて会ったのは淡路島でしたが、いかにしてこの地を観光振興させるかと熱心に取り組む姿に感動を覚えたものです。これに思いをはせる時、淡路島振興に先鞭をつけたのは少しオーバーにいうと、恐らく徳島商のみなさんだといえましょう。

●熊森協会の取り組みに見る自然保護の究極

私は一般財団法人「日本熊森協会」の顧問を務めています。衆議院議員の現職時代からですから、もう20年を超えています。熊が人里に現れるのは、彼らが森に棲めなくなっているからです。現在の杉やヒノキの針葉樹林の森を、ぶなやならの広葉樹林に変えていかないと、森がダメになってしまうということです。初めの頃は殆ど理解をされませんでしたが、ようやく昨今は耳を傾ける人たちが増えてきました。

それは、昨今大雨が降ると、すぐに川の氾濫を招くことが示すように、山の土壌が弱体化し、保水力を無くしているからです。人工樹林を日本中の山に戦後日本が国策として、植えまくったことが、今頃になってマイナスの効果を発揮してきました。陽の当たらぬ人工樹林の山の荒廃、すなわち森の枯渇を何より証拠づけているのが、熊が人里に降りてくることです。彼らは好物のドングリなど食べるものがないから、それを求めて降りてくるのです。人間はそれを恐れて熊を殺す方向に走り、やがて熊は絶滅することが懸念されています。

熊は好き好んで人里に現れるのではない、餌がないほど山が荒れているからであり、餌が豊富になり、豊かな森になれば、熊は降りてこない。熊の出没は森の悲鳴なんだと私がいうと、多くの人は、熊と人間とどっちが大事だと反論してきます。人間に決まってるだろうと。しかし、そのつど、私は人も熊もどっちも大事、大型野生動物との共生が大事だと言ってきました。これからの日本を考える、つまりコロナ禍後の日本を考える際に必要なのはまさにこの熊と森に代表される自然環境と人間の共生、共存が大事だと気付くことだと思います。

その視点に山間地域のみなさんたちが立って、日本全体に押し広げることが地域活性化、日本再興にとって欠かせないことだと思われます。こうした観点に立つ人々を育てることの大事さはいくら強調してもしすぎることはないのです。地域振興に取り組むにはまず、それに携わる人々の「人間振興」が大事だとは私の信念です。コロナ禍後の世界は、地球上に住む人々が国を超えて民族の壁を乗り越えて、連帯感に立つ必要があります。「地球民族主義」とでも言うべき理念の共有が欠かせません。

コロナ禍によって、これまで分断の風の前に風前の灯であった世界が、同じ地球上に住む人類としての連帯感を取り戻すことができたら、文字通り「禍を転じて福と為す」ことになります。いままさに、そうなるか、それとも一国主義的ナショナリズムの前に分断を加速させて、破滅への道を転がるかの瀬戸際だといえましょう。その時に、これからを生きる若いみなさんが、それを成し遂げる使命は我にありと立ち上がるなら、前途は大いに開けます。私の好きなある哲人の箴言に「使命を自覚する時、才能の芽は急速に伸びる」というものがあります。この言葉を若い皆さんに送ることで、今日のお話の締めとさせていただきます。(2020-12-24  12-29  2021-1-13一部修正)

 

 

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明治維新後150年の今ー徳島美波町での「自然と観光を考える」会での講演(上)

昨年(2020年)の暮れも押し迫った12月25日に、徳島県海部郡美波町のコミュニティホールで「自然と観光を考える」と銘打った勉強会(一般社団法人 徳島雪花菜工房主催)が開かれました。私も招かれ、スピーカーの一人として講演しました。タイトルは、「自然と共存する山間地域の活性化」。参加者は地元の関係者と徳島商業高校のビジネス研究部の生徒たちです。

●今我々は何に直面しているのか

75年前の日本。1945年を想像してください。その年に何があったか。日本が米国をはじめとする欧米先進国家群と太平洋や東南アジアを舞台に戦争をして負けたんです。そこに至る過程では、中国をはじめとするアジア各国地域を戦場に、人々を悲劇の底に追い込みました。その敗戦以後、それまでの天皇中心の中央集権国家から、国民主権による自由と民主主義を謳う国家へと変わって行きました。実は私はその年の11月に兵庫県姫路市で生まれています。戦後日本は丸々私の人生そのものと重なります。

その年からさらに75年遡ると、1870年です。この年日本では何が起こっていたでしょうか。明治維新の只中です。ペルーが率いる米国の艦船4隻の来航で、それまで鎖国状態にあった江戸幕府は、一転開国を迫られ国中上を下への大騒ぎになりました。それまでの日本は将軍を中心にした封建主義の国家で、日本人同士で争っていましたが、明治維新以降、西洋文明の流入のもと、欧米列強に追いつき追い越せとばかりに、軍事国家、植民地国家の道をひた走りました。その挙句が75年後の敗戦に繋がります。

75足す75は150。明治維新から150年、昭和の敗戦から75年が経った今、令和2年2020年が暮れようとしています。その年が大きな世界史における分岐点、分かれ道になろうとしていることに、私たちは気づく必要があります。我々の前にあるのはどういう道でしょうか。一つはアメリカファーストという名前に象徴される自国第一主義というナショナリズムです。もう一つは、世界各国の連帯をベースにしたグローバリズムです。前者は、トランプ米大統領が登場した2016年前後から顕著で、彼の進退に関わらず大きな潮流になっています。

実は第二次世界大戦の終わった後のこの75年の間も、ナショナリズムとインターナショナリズムとの争い、あるいは自由民主主義と社会共産主義との戦いといった形で続いてきました。具体的には米ソ対決という形で世界を恐怖に陥れてきましたが、今では米中対立の様相にとって代わっています。

21世紀に入って20年。世界は依然として地球上のあちこちに火種を抱えている中で、「分断」と「連帯」がつの突き合わせる事態が生まれてきていました。まさにその時に、新型コロナウイルスによる感染症の蔓延が起こったのです。この一年あっという間に世界中に犠牲者は広まりました。このウイルスの怖さは神出鬼没というか、いつどこに現れるかわからないということです。人が密集するところだけが危ないかというと、そうではありません。未知の脅威が広がっているのです。

●ウイルスを滅ぼす刃はいつ現れるか

この年子供たちの間で爆発的に人気を集めた漫画、アニメ映画がご存知、『鬼滅の刃』です。この私も映画を見ながら、家族を殺し、妹の禰津子を半分鬼にしてしまったものは、新型コロナウイルスではないかと思いました。切っても切っても断ち切れず、あちらと思えばまたこちらと現れる鬼とウイルスは似ている、と。主人公炭治郎の修行の姿に、ついウイルスを撲滅するためのワクチンの製造に躍起となる人類を連想してしまったのです。一概に荒唐無稽とはいえない類似性を感じてしまいます。「鬼滅の刃」に対比させて「コロナ滅のワクチン」と言いたいです。

コロナ禍がもたらす社会経済への影響は計り知れませんが、「観光」が巨大な損失を受けていることは言うまでもありません。医療崩壊が現実のものになっているのに、経済危機を恐れる日本政府はゴーツートラベルへの期待止みがたく、躊躇したあげくに中止に追い込まれゴーツートラベルならぬゴーツートラブルに苦しんでいます。これは「観光」に大いなる依存をしてきた結果でしょう。コロナ禍の襲来の前に、日本の観光地は、中国、韓国、台湾をはじめとする世界中からのインバウンドに嬉しい悲鳴さえあげていたのですから。

闇雲に外国人観光客を呼び入れ、経済成長の起爆剤にしてきた日本政府の姿勢を嘲笑うかのごとき、コロナ禍の蔓延は何を意味しているのでしょうか?ワクチンの早期登用でコロナウイルスを退治して、何事もなかったように、元のインバウンド拡大に精を出すということで、いいのでしょうか?私にはそう思えないのです。これを機に、「観光」のあり方を見直し、新たな挑戦をすることが求められていると思います。(2020-12-23 12-29  2021-1-13大幅修正

 

 

 

 

 

 

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与党内野党としての公明党の頑張りに期待

●75歳以上2割の窓口負担の「自公合意」に快哉

政権与党としての座につくこと20年余ー公明党の存在感はこのところ急速に脚光を浴びている様に見受けられます。注目すべき動きは二つあります。一つは、75歳以上の医療費の窓口負担を2割に引き上げるとの制度改正をめぐって、単身世帯で「年収200万円以上」にすることで合意したことです。当初は「170万円以上」とする自民党と、「240万円以上」とする公明党との間での食い違いがあり、気を揉ませた場面がありました。しかし、大ごとになる前に、双方痛み分けで折り合ったことは、喜ばしいことと思われます。

足して二で割る答えの出し様に、なんだか出来レースのように見る向きもないわけではありませんが、高齢者の生活を守るための努力として、ここは素直に受け入れたいものです。医療費の負担をめぐっては、種々の課題があります。年収ラインの線引きなどといった問題だけではなく、根本的に膨張する一方の医療費をどう抑制するかについては、知恵の限りを尽くす必要があります。新型コロナ禍という予期せぬ出来事の登場で、一層複雑で困難な解決への高次の方程式が浮上して来ているだけに、単純な問題にいつまでも拘泥しておれない背景もあるといえましょう。

与党の中での切磋琢磨があってこその公明党の存在価値があろうというものです。

●広島3区に斉藤鉄夫副代表擁立にも快哉

もう一つは、衆議院の小選挙区広島3区に公明党が斉藤鉄夫副代表を候補者として立てることを決めたことです。昨年の参議院選挙での広島選挙区で当選した河井案里氏及びその夫の河井克行氏(広島3区衆議院議員)のしでかしたことはおよそ常軌を逸しています。公職選挙法違反の罪に問われて自民党を離党していますが、同党が次回総選挙で単純に候補者を差し替えて、今度はこの人で行きますからよろしく、とは言えるはずがありません。だからといって、野党にみすみす議席を譲るわけにもいかず、ここはパートナーの公明党から出すのが一番相応しいと思われます。もちろん、一般有権者からすれば、公明党にも連帯責任が皆無といえないではないかとの声もあるでしょう。しかし、より増し選択の最たるものと思われます。

長きにわたる安倍政権におけるおかねにまつわる問題に、多くの国民有権者はうんざりしています。いわゆる「もり、かけ、さくら」の問題対応には、公明党の支持者の中から、もっと山口公明党も反自民の姿勢を明確にして欲しいとの声が専らです。特に、「さくら」については、テレビで安倍前首相と並んで山口代表の姿が映るたびに、気が気じゃない思いになります。直接関係がないとはいえ、ああいう映像を見せられると、なんらかの弁明と共に、安倍首相との差異を表明して欲しいと思うのは私だけではないと思います。

そういう意味で、広島3区に公明党が独自候補を出すことは、適切な選択だといえましょう。兵庫県では、1区と8区で自民党の支援を受けて公明党の候補が立っています。その苦労たるや筆舌に尽くし難いものがあり、自公両党の関係者の辛さもわかります。それだけに、広島自民党の岸田前政調会長の系列の皆さんの反発も理解できます。ただ、今回の不祥事は弁明の余地なく、もし、ここで公明党が声を挙げなければ、野党を利するだけでした。

ここでも公明党らしさの発揮を期待する有権者の声に応えねば存在が問われるところなのです。(2020-12-12)

 

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親しい友が犠牲にー身近に迫ってきたコロナ禍の恐怖

●上京する機会が次々とキャンセルに

新型コロナが猛威を振るうなか、2020年も師走を迎えてしまいました。例年なら、年末恒例の東京での仲間の会を中止にしたり、あるいは不参加にならざるをえないのは残念です。昨年までのものを数えてみると、慶大44年卒政治学科G組クラス会、姫路出身の在京メンバーの会(姫人会)、安全保障研究会の忘年懇談会、私の甥っ子たちとの会(おいとこ会)、高等部担当幹部の会と5つもあります。一回の上京でこれらを全てこなすのは勿論難しいので、はしごしてみたり、2、3回上京したりしたものです。十分に予防をし抜いていけば大丈夫だとの思いはあるのですが、過去にさまざまな疾患を経験した高齢者とあっては躊躇せざるをえません。

また、私がかねて強い関心を持ち続けてきた日米地位協定改定をめぐる問題について、元沖縄海兵隊幹部だったロバート・エルドリッジ氏を公明党の会合に招いて講演をして貰う企画を立案しながら、私は参加を断念せざるを得なくなりました。現役時代から彼とは、沖縄で、そして神戸で論争し続けてきました。この欄でも一度ならず取り上げてきましたし、回顧録にも詳細に書いてきました。ようやく公の場で論争の経緯と、彼の知られざる戦い(9日実施の中身については後日明らかにします)を聞けると思ったのに、残念無念と言う他ありません。妻の反対で行けないと伝えると、彼曰く「我が家では妻は財務大臣ですが、赤松家では総理大臣なんですね」と、皮肉を言われる始末。ここは、一本取られました。

●友人夫婦が感染、瞬く間に重症化そして‥‥

一方、東京、大阪の巨大都市圏を中心に感染者が増え続けるなかで、とうとう私の親しい友人(顧問先の専務理事)の中から重症患者が出てしまいました。この8ヶ月というもの、身の回りには不思議に陽性の人はいなかったのですが、ついにという感じです。10月18日にご本人から電話があり、妻が感染し、入院する羽目になった、ついてはその病院は遠いので近くの県立医療センターに移させてもらえないだろうか、という内容でした。直ちに県議に連絡をとると、コロナ禍にあっては該当保健所の指示に従って頂くしかありませんし、第一、同センターは重症患者しか受け入れないのです、との返事。

そう伝えると、友人は不承不承「じゃあ重症になったら頼みます」といいつつ、自分もPCR検査を今日受けることになっているとのことでした。ご夫婦ですから、危ういなあと思っていましたら案の定、陽性。直ちに奥さんとは違う病院に入院。ところが、数日経って、県立医療センターに転院することになったとのメールが届いたのです。重症化したのでしょう。当初は特に体調が思わしくないわけではなさそうでしたが、みるみるうちに厳しさが増して、集中治療室入りとなってしまわれました。

感染ルートについて問うた際に、恐らく京都の大学に通う孫娘ではないかと思うとのことでしたが、詳細はわからないままです。現役時代から様々なことでサポートをしたり、されたりする仲(アマゾンから共著の電子本あり)で、今も月に一回は大阪にある彼の事務所での会議に参加してきています。従業員は検査の結果全員陰性だったとのことですが、10月は21日に会議があり、そのときに私も接触しています。お互い高齢だから(私より1年歳上)、注意しないとね、と会話を交わしたものでした。(残念ながら彼は7日に帰らぬ人となりました)

●大阪モデル、初の赤信号

全国レベルでゴーツートラベルが右往左往する状況の中、大阪では非常事態を示す赤信号が初めて点灯することになりました。重症者の病床使用率が数日のうちに、独自の基準である「大阪モデル」による指標としての70%を越える可能性が強いと言うのですから仕方ないでしょう。4日から15日まで全府民に可能な限りの外出自粛を要請するといいます。コロナ禍にあって、東京の小池知事と並んで、なにかと話題になってきた吉村府知事ですが、このところ苦戦を強いられ、次第に打つ手なしの状況に追い込まれつつあります。

8日現在、感染者数(死者数)において、大阪23058人(371人)に対し、兵庫は6700人(102人)。人口比から、なんでも大阪府の半分が兵庫県という傾向が通り相場ですが、共に三分の一以下というのは、一応低く抑え込んでいると言えるでしょうか。なにかと対比され、メディアの「意図的中傷の餌食」にされたと言えなくもない井戸知事の盟友としては、大袈裟かもしれませんが、いささか溜飲を下げたというところです。尤も、京都2947人(39人)に比べれば、兵庫も多いと言え、そんな比較をしている場合ではないでしょう。

ともあれ、年末までの三週間あまりで、なんとか第三波の勢いを食い止め、穏やかな状況下で新年を迎えたいものです。そんな状況下で待望されるのは、ワクチン開発。2日に英国が米ファイザー社のワクチンを西側諸国で初めて承認し、来週から接種することとなりました。12月中には米国やEU当局でも承認される見通しだといいます。中国、ロシアでも急ぐ方向のようですが、果たして効力はどこまでか。開発優先はわかるものの、明確な治験を伴わぬ”速さ第一〟だけでは、副作用や後遺症などの懸念もあり、禍根も残しかねません。尤もこの分野では慎重居士で定評のある日本は発言する資格はないかもしれませんが。(2020-12-9 一部修正)

 

 

 

 

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「コロナ禍中の世界」を見極めることからの出発ー日韓関係の今を巡って(下)

●ある韓国専門家の落ち着いたまなざし

1960年代半ばに私は大学生活を送りましたが、当時は「中国文化大革命」華やかなりし頃でした。同級生に後に慶大教授になる小此木政夫がいました。彼は中国政治史の専門家である石川忠雄先生のもとで、学問の道に進むのですが、研究のテーマに「韓国」を選ぶように恩師から言われ、いささか面食らったと、後に述懐していました。正直言って我々クラスメイトの間でも「なんだ、小此木は中国じゃなくて、韓国をやるのか」と不思議がる雰囲気がないわけではなかったのです。所詮これも〝出来ない奴の嫉妬〟に過ぎなかったのですが、「地域研究」の分野でも差別意識がそれなりにあったことは認めざるを得ません。

彼はそんな状況のなか、大学院では大阪市大から招聘されたばかりの『朝鮮戦争』の著作で著名な、神谷不二教授の薫陶を受けます。しかる後、韓国・延世大学に留学し、その道の第一人者への道をひた走ることになりました。私が政治家への道に向けて悪戦苦闘している40歳台半ばには、もう押しも押されぬ韓国問題の専門家になっていました。当選後に外交安全保障分野の仕事をするようになって、しばしば勉強会に招いて講義をしてもらったり、情勢分析に耳を傾けたりしたものです。今から5年ほど前に二人で韓国をめぐる対談をして『隣の芝生はなぜ青く見えないのか』と題し、電子本として出版しました。手前味噌ですが、電子本の気安さもあって、二人とも個人的体験を大胆に述べて、興味深い内容になっていると自負しています。

小此木は、合意や約束を守ることが重視される日本と、その合意や約束の「内容が正しいかどうか」を問題にする韓国とでは真逆の対応をしばしば招くと指摘。その実例として、1910年の日韓併合を不法とする韓国は、1965年の「国交正常化条約」ではそれが認定されていないとして問題視し続けていることを挙げています。そういう文化を持つ国と、長きにわたって向かい合ってきたことを淡々と語るのですが、学者の真骨頂を見る思いでした。

●無視することの有用性

2019年に彼は『朝鮮分断の起源 独立と統一の相克』と題する著作で、第31回アジア・太平洋賞(大賞)を受賞しました。国際政治学者の五百旗頭真・兵庫県立大理事長も毎日新聞紙上で高い評価を下す読後感を述べています。単一の著作を殆ど彼は発表してきていないだけに、過去の研究業績をまとめたものにせよ、いきなりの大賞を得たことには、仲間と共に驚き、喜びあいました。日本での韓国を巡る論壇では、昨今、いわゆる保守派による韓国叩きが横行していますが、彼は中庸に位置する論考や分析をすることで定評があります。若き日より一貫して変わらぬ落ち着いた大人の佇まいで、韓国に対する見方もバランスの取れた位置を守っているように見えます。「反日」「嫌韓」の風潮が勢いを増す中で、彼のニュートラルな立ち位置が一層貴重に思えるのです。

「韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています」で始まる、李栄薫の『反日種族主義』ー昨今韓国内部からも厳しい批判の眼差しが向けられるようになりました。日韓関係も依然として真逆のスタンスのぶつかり合いが続いています。韓国に対しては「無視するのが一番」で「相手にしないのが最善」との見立てが通り相場です。しかし、それではことは一歩も進みません。ここは小此木がいうように、「リアリズムを土台にする外交が日韓の『戦略共有』を可能にし、創造的外交を促進する」ことになり、「それが定着すれば一世代後に日本人と韓国人の『意識共有』が可能になるかもしれない」(毎日新聞2020年10月8日付け『激動の世界を読む』)のです。朝鮮海峡を挟んで罵り合い、角突き合わせる状態が続くなかでの精一杯の展望予測に、楽観的に過ぎるとの評価は酷と言えましょう。

●韓国映画の凄さに驚く

日韓関係を思いやるにつけて、私が最近痛切に感じるのは韓国映画の凄さです。2020年のフランス・カンヌ国際映画最高賞などを受賞したポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』を観て、心底から感じ入ったのは私だけではないはず。日常的な格差と不条理という社会経済的課題を、ここまでエンタテイメント性を盛り込んで見事に描いた映画を今まで観たことがありません。要するに、笑いの中でどきどきハラハラさせるユニーク極まりない面白さです。韓国料理はいまいち苦手な私ですが、この映画の味には痺れました。後半の展開には首肯し得ないところ(無用な殺戮場面)があり、後味の悪さは否めないのですが、前半の痛快さ、面白さはずば抜けており文句なし。こんな映画を作れる国(他にもあげればキリないぐらいの秀作あり)を蔑んではいけないと思う次第です。

これより先に、日本の是枝裕和監督の『万引き家族』がやはり前年のパルム・ドールを受賞し、話題になりました。映画も勿論、人それぞれの好みで種々の見方があります。『万引き家族』への一定の評価はわかりますが、暗くじめじめした肌触りが特徴のこの映画に、私は高い得点を与える気にはなれません。「万引き」というテーマの選択に、生理的嫌悪感も感じてしまうのです。黒澤明、小津安二郎監督らから宮崎駿監督に至る、数多の感動的な作品を残してきた日本映画の歴史と伝統。これらを、真っ当に受け継いでいく作品が昨今極めて少ないように思われるのは残念です。

●コロナ禍への欧米と東アジアの対応から

新型コロナウイルスの突然の襲来で明け、蔓延する中で暮れようとする2020年は、後年恐らく人類にとって大きな転換の年に位置付けられるものと思われます。「破綻」への坂道を転がり堕ちるのか、「蘇生」へと濁流を泳ぎ切れるのか。その分岐の鍵を握るのは、「国際社会の連帯」です。人間相互の関係において、ソウシャルディスタンスをとり、密を避けることがコロナ禍を脱するための基本的対応ですが、今後の世界のあり様を想起すれば、皮肉にも相互に離れず接近することの重要性が求められます。つまり、コロナ対応は、個別、渦中には「分断」、全体、終焉後としては「連帯」の〝合わせ技〟しかないのです。

〝アメリカ・ファースト〟を呼号し「自国第一主義」を掲げたトランプ米大統領の登場から4年間、世界は振り回され続けました。その最終コーナーで、コロナ禍に足元を救われた感のするトランプ大統領は、政治的分断を煽る一方、マスクなしで〝密を容認〟するかのごとき振る舞いに見るように、〝合わせ技〟を取り違えてしまいました。

アメリカを先頭にヨーロッパ先進国家群が圧倒的な感染者数と死者数に喘いでいます。それに比し、中国、韓国、日本、台湾の東アジア各国は、内容に差異はあれ、比較的に被害数字は低い状態にあります。とりわけ、台湾、韓国はなかなか見事な対応ぶりだとの評価を受けています。先に述べた韓国映画の卓抜さに加えて、コロナ禍でのこの国の健闘ぶり(他にもAIの分野始め枚挙にいとまない)も特筆されるといえましょう。

赤と青に色別に区分けされた、米大統領選挙での獲得選挙人数分布図を見て、見事な〝分断の絵図〟に改めて驚きました。この国は南北戦争以来、表面上はともかく、隠れての分断が底流にあったのですが、それが中央部分の共和党の赤色によって、東西の青色の民主党が二つに分断されているように見えます。と同時に、東西ドイツの統一実現から30年経った今、38度線で南北に分けられた「朝鮮分断」の存在が際立っています。

福澤諭吉の「脱亜入欧」を挙げるまでもなく、日本は東アジアに位置し「極東」と言われながら、「極西」を志向してきたと言えなくもない近代史を持っています。視点を変えると、この75年、アジア大陸に隣接しながら、背を向け、目は太平洋の遠き彼方にあるアメリカに向け続けてきたといえるのです。そんな日本にとって、今回のコロナ禍直撃に唯一の効用があるとするなら、世界に対する目線を普通の状態に戻す必要を迫ったことかもしれないと、私には思われます。(2020-11-24一部修正 =敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「未来志向」という、ごまかしの背景ー日韓関係の今を巡って(上)

●赤羽国交大臣の発言騒ぎ

いささか旧聞に属しますが、一年ほど前に姫路に住む友人から、赤羽一嘉国交大臣が「韓国は日本に文化を伝えた恩人の国である」と発言したことについて、ネット上で非難轟々の抗議が上がり、炎上寸前だとの知らせがメールでありました。詳しい事情がわからなかったのですが、大臣発言のフレーズを聞くだけで、私はその背景は直ちに読めました。その友人は、どうして赤羽大臣はそんなバカなことを言うんだろう?韓国を持ち上げるのも程がある。こういう発言は利用されるだけ。韓国なんておよそ国家の名に値しない存在なのにーこういった「反韓」感情剥き出しで、文句タラタラだったのです。

事情を調べると、赤羽大臣は、東京で開かれたある会合に、外務省政務官や自民党の河村日韓議連幹事長らと共に出席して、挨拶の中で先の発言をしたと言います。私は、文句を言ってきた友人に、赤羽発言は本人の思いもさることながら、創価学会SGIの基本的な認識、捉え方であり、同大臣は強い確信のもとに言ってることは間違いないよ、と伝えました。併せて世界の歴史とりわけ東アジアの歴史を辿るなら、この認識はごく自然で当たり前のことを言ってるだけ、あなたの怒りは昨今の日韓関係の歪みに左右されすぎてますよ、とも。

仏教はインドから中国、朝鮮半島を経て日本に伝わってきたのであり、言語を始めとする文化一切も中国発朝鮮半島経由でのものが殆どだといえます。それに対する素直な捉え方を赤羽大臣が発言したことに、一部の人々が反発をしたことの背景には中々一筋縄では捉えられないものがあるように思われます。ここでは韓国と日本という〝近くて遠い〟両国関係の今についての私なりの考察を述べてみます。

●「未来志向」は先のばしの別名

日韓関係を巡っては、これまで日本政府は「未来志向」なる言葉を多用してきました。これは、未来に目標を定めて向かうこと、というのが本来の意味でしょう。ちなみに対中国関係にあっては「戦略的互恵」なる言葉がしばしば使われてきました。こっちの方は、政治における信頼関係を醸成し、互いに未来において相互に利益を感じる関係を構築するとの意味合いがあります。かつて第一次安倍晋三内閣(2006年合意)から福田内閣(2008年共同声明)にかけて日中間での取り決めでこの言葉が使われました。従って、より関係が成熟した二国間で用いられるニュアンスが強いのが「戦略的互恵」であり、「未来志向」の方は、過去に拘らずに前向きで行こうとの単純な意味合いが強いものと思われます。

かつて私は民主党政権時代に外務委員会の場(2010年)で、時の外相に日韓の外交関係における「未来志向」なる言葉の構成要件はなにかと問いかけたことがあります。「日韓併合100年」にあたっての「日韓図書協定」の批准についての質疑をした際のこと、その大臣が短い間に十数回も「未来志向」という言い回しを繰り返したからです。彼は答弁で「安全保障、政治、経済、文化の各分野での相互交流」というだけ。恐らくは、過去にばかり目を向けず、未来に向けて広範囲な分野で目標を定めて、交流に取り組むと言いたかったのだと思われます。しかし、現実には韓国の「過去偏重」とでもいうしかない姿勢の前に、なすすべもないというのが当時の日本の民主党政権下の対韓外交の実態でした。基本的には今もなおこれと大差ない状況を引きずっているようです。

●菅首相誕生で局面打開の期待

日韓関係は、従来からの「慰安婦問題」に加えて、元徴用工に関わる訴訟で日本企業に韓国最高裁が賠償を命じて(2018年)からというもの、一段と悪化してきています。菅義偉首相が誕生して、文在寅韓国大統領との間で、電話協議を20分間行ったことが、9ヶ月ぶりの首脳間協議だとして話題になる程、両国関係は冷え込んでいるのです。この関係を改善するには、「基本的な価値と戦略的な利益を共有する最も近い友人」(文在寅大統領)との認識を共有したうえでの、「対話の加速」化が求められます。両国関係は、これまでの経緯からして、理念的なるものが介在すると暗礁に乗り上げるのは必至で、ひたすらリアリズムに徹することが大事と見られています。

その点からいうと、理念が先行しがちだった安倍晋三前首相の後継者であるものの、より現実の損得勘定に敏感な面を持つ菅首相の登場は、二国間関係の変化をもたらすチャンスかもしれません。内政面において、菅首相は就任早々から携帯電話料金値下げなどの問題始め、「小さな声を聞く」公明党のお株を奪いかねないほどの庶民生活感覚に溢れた施策の展開を売りにしようとしています。一方、外交にあっても、ベトナム、インドネシア訪問を先行させるなど、手堅くしぶとい手際を見せており、次なる手は韓国との融和に向けての一歩が期待されるところです。

●理由なき優越感と贖罪意識

実は私の父は1910年生まれでした。この年は日韓併合の年。以来35年後の1945年に私は生まれました。つまり、韓国の人々がいうところの「日帝35年」の時の流れがちょうど、我々父子の〝生命のリレー〟とダブります。それが影響したのかどうか。恐らく戦後生まれの日本人に共通するであろう、いわゆる対韓蔑視感情と贖罪意識がない混ぜになって我が体内に混在しています。それは「日清・日露」の戦勝をピークとする近代日本の形成の有り様に深く関わっています。占領国家・国民の優越性を自覚し、非占領下の民族を哀れむ感情と無縁ではないものと思われます。陰に陽に、家庭の中で、そして学校内で、これは培われていったのです。

これをいささか戯画化風にまとめてみます。明治期の最後に二つの大きな戦争を戦い、負けなかったことで、日本人は民族の優越性を、隣接する他民族との比較の中で実感しました。一転、第二次世界大戦での壊滅的敗北で、米国という新興・巨大国家に対する劣等感に打ちのめされたのです。私の幼年期に母が「上見りゃキリない、下見りゃキリない」とよく口ずさんでいました。日常生活の厳しさを、他者との比較ではなく、ありのままに受け止めるしかないと自らを戒め、子供達にも教えたつもりだったのでしょう。ただし、私には単なる生計の苦しさについてだけではなく、民族相互の見立てにも通じるかのような響きを持って聞こえ、印象深く記憶に残っています。

戦後民主主義教育は、戦前の日本がいかに隣接するアジア各国の民衆に残虐なことをしたかを教えました。遅れてきた植民地主義国家として、欧米列強の尻馬に乗って、いかに周辺国家を痛めつけたかということをも。そうした見方が同時にいかに一方的で、正鵠をいていない捉え方であるということを知るに至るのですが、それはまたずっと後のことです。その結果、私たち戦後世代の中には、いわゆる〝対韓贖罪意識〟が抜けきれないところが未だにあるといえましょう。(以下、つづく 2020-11-17 )

 

 

 

 

 

 

 

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「大阪都構想」敗退と、米大統領選の結末とーこれからへの影響

二度目の「大阪都構想」を問う住民投票が、約2万票の差を持って結末を迎えて数日が経ちました。選挙投票日直前に、私はその構図を「維新、公明」対「自民、共産」という、大阪をめぐる新旧の政党の枠組みによる争いと規定し、日本政治への影響少なからぬことを発信しました。前者が勝てば、つまり大阪都構想が実現すれば、当然ながら『維新』の中央政治に及ぼす影響も大きくなろうと見たのです。しかし、結果はノートと出ました。松井一郎大阪市長は任期を終えたのちの政界引退を表明、近く党代表も降りる方向を示唆しています。最初の住民投票の敗北で橋下徹氏、二度目は松井氏が引退をすることになり、もう三度目はないといいます。この躓きで『維新』はどうなるのか、大いに注目されるところです▲菅義偉首相誕生後の最初の国会での予算委論戦を観ました。率直な印象は立憲民主党の迫力の無さです。日本学術会議問題を主たるテーマにした4日の枝野幸男党首の質問も精彩を欠きましたし、元党首の岡田克也氏は、北朝鮮問題や核廃棄問題を取り上げたのですが、「老いたり」という他ない寒々とした内容でした。それに先立つ2日の衆議院の質問の江田憲司、今井雅人氏らから、5日の参議院の蓮舫氏に至るまで、次々と同じ問題を取り上げる質問戦略には首を傾げざるを得なかったのは(蓮舫氏は「一般社団法人問題」など、本来の〝予算審議〟に時間をもっと割くべきだった)、私だけでしょうか。私個人としては、辻元清美氏の変わらぬ歯切れのよさと、「学術会議」を取り上げなかった玉木雄一郎国民民主党代表に新鮮味を感じた次第です▲国民民主党と日本維新の会の接近が取り沙汰されていますが、これは日本政治における必然の流れのように思われます。小池百合子都知事や前原誠司氏らによる「希望の党」の騒ぎの際にも、感じたのですが、自民党ではないもう一つの保守政党の台頭を待望する底流は、日本社会にあって否定できない流れと思われます。こうした動きを、単なる数合わせとか、権力闘争お決まりの離合集散と切り捨ててしまうだけではならないと思います。公明党も口の悪い向きから「自民党山口派」などと揶揄されることがママありますが、〝本家中道主義の党〟としての矜持を持ちたいと強く思います。「学術会議」問題でも、納得できる説明を求める程度では弱すぎるという他ありません▲他方、米国の大統領選挙の決着が注視されています。日本時間の6日朝現在、民主党のバイデン氏が優勢と伝えられていますが、この選挙戦を見ていてつくづく米国社会の〝分断の深刻さ〟を感じます。「二大政党制」に憧れる向きが日本にもないわけではありません。つい数年前までは、「自民党対民主党」の構図が米国の「共和党対民主党」のそれに擬せられることが一般でした。今や悩める民主主義の実態に世界中が呆れ、脅威を抱いているといっても過言ではないといえましょう。米国にも第三の党があるとのこと。殆ど数量的には意味をなさないのでしょうが、このままの〝不毛の激突〟を見せられるより、もう一つの流れに期待をしたいと思います。日本にとって、この米国の事態は、〝宗主国の内乱〟とばかりに、対岸の火事視するだけではいけません。独立した「自主・自立国家」への今後を切り開くいいチャンスと捉えて、対応を急ぐ必要を痛切に感じます。(2020-11-6)

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これからの日本政治を占うー「大阪都構想」住民投票の行方

二度目になる大阪都構想の住民投票の投開票まであと一週間をきりました。賛否の世論はほぼ拮抗しており、行く末は全く予断を許さない状況です。前回の住民投票は5年前。この時には反対が多数を占めて、大阪市を廃止して4つの特別区を作るといった「都構想」はひとたび後衛に退きました。しかし、その後も推進に執念を燃やす「大阪維新の会」の捨て身の取り組み(府知事と市長を入れ替えての選挙戦)などが功を奏し、今回の運びになったものです。前回と大きく違うのは、公明党が賛成に回ったこと。どうして反対から賛成に回ったのでしょうか。ここでは詳しいことにはあえて触れませんが、中道主義公明党の真骨頂が垣間見えるとだけ指摘しておきたいと存じます▲その背景を探ると、公明党という政党の本質が見事にうかがえるといえましょう。ひとことで言えば、住民本位に立ち、固定観念に縛られないというものです。大阪市に住む住民の利益に繋がらないから前回は反対しました。その辺りの構想の持つマイナス面を「維新」の側に解消させ、住民サービスが後退せず、二重行政の欠陥もなくせる中身に変えさせたが故に、一転賛成することになりました。そこには、先の市長選挙や府知事選挙を通じての有権者の意向が色濃く反映されたとの認識があります▲去る23日にNHK総合テレビ『かんさい熱視線』で放映された関係政党による討論会は見応えがありました。ここで改めて興味深く思ったのは、賛成派が「維新」と公明、反対派が自民と共産という組合せ(立憲民主、国民民主は姿なし)であったことです。要するに、現状打開政党と現状維持政党の色合いが濃い二組の対決のように見えたのです。もちろん、中央政治では、自民と公明が政権を支え、「維新」と共産が野党側です。野党第一党は立憲民主です。しかし、地方自治を進めていく上での現状の弊害を変えようとする大阪が舞台となると、一転組み合わせが変わります。立憲民主や国民民主といった旧民主党グループの姿が薄いのは、いかにも関西風、大阪的といえるかもしれません。現状打開派と現状維持派の色合いのはっきりした4つの政党による「対決の構図イン大阪」はなかなか面白く写って見えます▲私のように、長く日本の政治を外から内から見つめ、かつプレイヤーとして生きてきた人間からすると、大阪の公明党のこの立ち居振る舞いの中にこそ、中道主義の本質が反映していると見えるのです。「維新」の提起してきた課題を時に打ち壊し、また巧みに修正させるー〝有権者の利益のために変幻自在〟というところに真価があるように見えるからです。「維新」は元々自民党を形成していた人たちによって作られた、ある意味内側から自民党を壊し、外側から修正を迫ってきている政党です。公明党は外側から自民党を壊す戦いを続け、今は内側から改革を迫る政党にほかなりません。このあたりの自民党をめぐる虚々実々の駆け引き、戦いが極めて示唆に富んでいるように思われます。大阪が生み出した特異な政党がこれからどう進化、成長していくのか。同じくこの地域を金城湯池としてきた公明党がどうこれから生き延びていくのか。二つの小さいが個性豊かな政党が、どうお互いの〝存在をかけた衝突〟に折り合いをつけていくのか。中央の政治の今後を占う意味でも興味津々の成り行きです。最終ゴールまで残された期間を大いに注目したいものです。(2020-10-26)

 

 

 

 

 

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現場の声が聞こえない「コロナ禍後の考察」に見る陥穽

●コロナ禍で医療崩壊寸前だった神戸中央市民病院

コロナ禍第一波の只中のことです。兵庫県神戸市にある中央市民病院が医療崩壊の危機に瀕しているとの報道に接しました。いったいどうしたものかと案じていた矢先に、同病院に勤務する友人の医師から現場の実情を聞く機会がありました。それによると、同病院の最高首脳が新たに代わったことから、司令塔に不都合をきたしている、医療崩壊の危険があるので何とかして欲しいとのことでした。内部告発と捉えられることでもあり、私も十分注意しながら、県知事や市長に注意を喚起し、迅速な対応を要請したのです。県知事は市の専管事項だからとするだけ、市長は市長で同病院は適切に対応が出来ており、問題はないというものでした。しかし、現場の医師は「上層部は全く実情がわかっていず、このままではコロナの不安に怯える患者や陽性症状患者の受け入れでベッドは溢れてしまう。コロナ以外の重症患者への対応ができなくなりつつある」といった危機を訴え続けたのでした。

実際のところが判然としないまま時間が経ちましたが、つい先頃NPO法人「地域医療・介護研究会J APAN」(略称LMC=邊見公雄会長)が発刊した本『新型ウイルスとの闘い』が届けられ、目次を追っていくうちに、神戸市立医療センター中央市民病院の木原義樹院長の名前を発見、急ぎ読んでみました。「グレタの涙」というタイトルで、なかなか読ませる内容でした。尤も、同氏は文章の書き方が上手いというだけあって、中身は巧みに病院側の不手際の弁明をしていると読めるものでした。これは私個人の見方ではなく、先の医師を始めとする同病院の現場を預かる医師の一致した見立てのようです。病院の最高幹部とその下での医師たちの関係は、テレビ映画『ドクターX』ほど極端でなくとも、色々と「不都合な真実」が常態であると言わざるを得ないのかもしれません。。

●地方病院発を強調する邊見公雄さんの慧眼

邊見公雄氏といえば、一般社団法人・全国公私病院連盟会長を務め、今は前線をひかれたとはいうものの、このLMCなどを基盤に今回のコロナ禍でも積極的に行動し、発信し続けている人物です。前述した本は、LMCと株式会社ヘルスケアシステム研究所(中西一夫代表)との共著で、いわば邊見氏の監修になるものです。同氏は先に『令和の改新』なる極めて興味深い提言を含む本を出版され、私も『忙中本あり』で取り上げ紹介しました。その邊見先生がこの本の序文「第一次コロナ戦争覚え書き」で、この人独特の「過激すぎる」発言を展開、なかなか読ませます。

「オスプレイやイージス艦など重厚長大、大艦巨砲という先の大戦の轍を踏み、マスクや消毒液を中国に委ね‥‥といった事例は数えきれない。コロナ禍中、京や浪花で300年続いた老舗の経営者達は、有識者会議を〝成金会議〟とか〝一発屋会議〟と揶揄している」と、政府の対応をバッサリ斬ったあと、返す刀で民間病院にグサリとさしこんでいるのです。「今まで公立病院は非効率で不要論を唱えていた民間病院だが、これらの病院で今回のコロナ患者や有熱者の救急車を断っている所も多くある。平時は厄介者扱いで、困った時だけ公立頼み」と、手厳しい。

こういう批判ばかりでは勿論なく、随所に事の本質をつき、これからの対応への具体的提案が読み取れます。なかでも、医師の偏在解消、感染症専門医の育成、電子カルテの統一などを強調されているのは、当然ながら一刻を争う緊急テーマだろうと思われます。

●いささか過激な安倍政権批判

ただ、この書物で気がかりなのは、サブタイトルに「現場医師120日の記録」とあるにもかかわらず、よくよく目を凝らしてみても、登場しているのは、病院の院長や部長、医大の学長や教授、団体の会長や理事長ら現場から遠い幹部ばかり。現場医師の姿は殆どありません。辛うじて、「現場からみたPCR検査の実態」とのタイトルで、臨床検査技師が書いたとされるものだけ。しかし、それもなぜか名前はなく「Y」とイニシャルだけとは寂しい限りです。これでは看板に偽りあり、と言われるのではないでしょうか。実際に現場で闘った医師の声を聞きたいとの声に応えられていないのは、恐らく彼らはそれどころじゃあなかったのでしょうが残念という他ありません。

それともう一つ。初動の遅れから始まって、ダイヤモンド・プリンセス号への不首尾、水際対応の不手際など、首相や厚生労働省始め政府当局の失敗をあげつらうことは当然だとしても、それがいささか過ぎて見えるのは首を傾げざるを得ないのです。これでは、床屋政談、井戸端会議の域を出ないのではと、安倍晋三首相ら政権中枢が気の毒になってしまいかねないくだりもあるのです。

とりわけ、中西一夫さんが、安倍首相が「学歴コンプレックスを持っている」とか、「豪邸で犬を抱いている」と述べて、心ない批判をしている第3章の「リーダーシップ」の文章は酷いと言わざるをえません。長く同僚議員として近くで安倍さんを見てきた私は彼が学歴コンプレックスなど持ってると感じたことはありません。また、安倍さんが犬を抱くのは、子供がいず、したがって孫にも恵まれていない彼としては、そうすることで安らぎを覚えるに違いないと思うのです。国家的リーダーのこととはいえ、そのような批判は、個人的な日常を慮れない非情な言葉に思えます。首相批判は自由ですが、するなら、ステロタイプ的な個人攻撃や政権批判ではなく、コロナ禍対応の事実に即した批判をして欲しいものです。

コロナ禍がひと段落ついて、今この本のように次々と政権の対応を批判する論考が雨後の筍のように目の前に出てきていますが、実際の現場の声に根差すものが意外に少ないように思われます。

●それでも聞きたい、最前線の医療従事者の声

私の友人が老人ホームで一緒に住む濃厚接触者の中に、PCR検査で陽性と判定された人がいたことはこのブログでも報告しました。そのため彼自身は陰性であるにも関わらず、40日間にもわたって、ステイインルームで、ほぼ一歩たりとも部屋の外にすら出してもらえない状態が続いたと言います。先日、ようやくその禁が解けて、普通の生活に戻れた喜びを聞く機会に恵まれました。その際に、彼が同ホームの住人で、近くの市民病院を訪れた人が当時の病院がさながら野戦病院の如く悲惨な状態であったと語ってくれたことを、聞かせくれました。その病院において医師、看護師が文字通り阿修羅の如く、必死の仕事をしていて、近くにいるだけでいたたまれない思いになったと言います。

私は高嶋哲夫さんの『首都感染』での、鬼気迫る恐怖の場面を思い起こすぐらいしかないのですが、コロナ禍ピーク時の全国、全世界の医療現場はまさに目を覆いたくなるほどの悲劇の連続だったと思います。そうした場面を経験した現場医師たちの生の声、本当の苦労談を聞きたいと思うのですが、なかなかお目にかかれません。現場ではない、少し遠いところにいる管理者や監督する立場からの政権批判ばかりが聞こえてくるのは少々残念な気がします。(2020-10-17  一部修正=10-18)

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