「コロナ禍中の世界」を見極めることからの出発ー日韓関係の今を巡って(下)

●ある韓国専門家の落ち着いたまなざし

1960年代半ばに私は大学生活を送りましたが、当時は「中国文化大革命」華やかなりし頃でした。同級生に後に慶大教授になる小此木政夫がいました。彼は中国政治史の専門家である石川忠雄先生のもとで、学問の道に進むのですが、研究のテーマに「韓国」を選ぶように恩師から言われ、いささか面食らったと、後に述懐していました。正直言って我々クラスメイトの間でも「なんだ、小此木は中国じゃなくて、韓国をやるのか」と不思議がる雰囲気がないわけではなかったのです。所詮これも〝出来ない奴の嫉妬〟に過ぎなかったのですが、「地域研究」の分野でも差別意識がそれなりにあったことは認めざるを得ません。

彼はそんな状況のなか、大学院では大阪市大から招聘されたばかりの『朝鮮戦争』の著作で著名な、神谷不二教授の薫陶を受けます。しかる後、韓国・延世大学に留学し、その道の第一人者への道をひた走ることになりました。私が政治家への道に向けて悪戦苦闘している40歳台半ばには、もう押しも押されぬ韓国問題の専門家になっていました。当選後に外交安全保障分野の仕事をするようになって、しばしば勉強会に招いて講義をしてもらったり、情勢分析に耳を傾けたりしたものです。今から5年ほど前に二人で韓国をめぐる対談をして『隣の芝生はなぜ青く見えないのか』と題し、電子本として出版しました。手前味噌ですが、電子本の気安さもあって、二人とも個人的体験を大胆に述べて、興味深い内容になっていると自負しています。

小此木は、合意や約束を守ることが重視される日本と、その合意や約束の「内容が正しいかどうか」を問題にする韓国とでは真逆の対応をしばしば招くと指摘。その実例として、1910年の日韓併合を不法とする韓国は、1965年の「国交正常化条約」ではそれが認定されていないとして問題視し続けていることを挙げています。そういう文化を持つ国と、長きにわたって向かい合ってきたことを淡々と語るのですが、学者の真骨頂を見る思いでした。

●無視することの有用性

2019年に彼は『朝鮮分断の起源 独立と統一の相克』と題する著作で、第31回アジア・太平洋賞(大賞)を受賞しました。国際政治学者の五百旗頭真・兵庫県立大理事長も毎日新聞紙上で高い評価を下す読後感を述べています。単一の著作を殆ど彼は発表してきていないだけに、過去の研究業績をまとめたものにせよ、いきなりの大賞を得たことには、仲間と共に驚き、喜びあいました。日本での韓国を巡る論壇では、昨今、いわゆる保守派による韓国叩きが横行していますが、彼は中庸に位置する論考や分析をすることで定評があります。若き日より一貫して変わらぬ落ち着いた大人の佇まいで、韓国に対する見方もバランスの取れた位置を守っているように見えます。「反日」「嫌韓」の風潮が勢いを増す中で、彼のニュートラルな立ち位置が一層貴重に思えるのです。

「韓国の嘘つき文化は国際的に広く知れ渡っています」で始まる、李栄薫の『反日種族主義』ー昨今韓国内部からも厳しい批判の眼差しが向けられるようになりました。日韓関係も依然として真逆のスタンスのぶつかり合いが続いています。韓国に対しては「無視するのが一番」で「相手にしないのが最善」との見立てが通り相場です。しかし、それではことは一歩も進みません。ここは小此木がいうように、「リアリズムを土台にする外交が日韓の『戦略共有』を可能にし、創造的外交を促進する」ことになり、「それが定着すれば一世代後に日本人と韓国人の『意識共有』が可能になるかもしれない」(毎日新聞2020年10月8日付け『激動の世界を読む』)のです。朝鮮海峡を挟んで罵り合い、角突き合わせる状態が続くなかでの精一杯の展望予測に、楽観的に過ぎるとの評価は酷と言えましょう。

●韓国映画の凄さに驚く

日韓関係を思いやるにつけて、私が最近痛切に感じるのは韓国映画の凄さです。2020年のフランス・カンヌ国際映画最高賞などを受賞したポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』を観て、心底から感じ入ったのは私だけではないはず。日常的な格差と不条理という社会経済的課題を、ここまでエンタテイメント性を盛り込んで見事に描いた映画を今まで観たことがありません。要するに、笑いの中でどきどきハラハラさせるユニーク極まりない面白さです。韓国料理はいまいち苦手な私ですが、この映画の味には痺れました。後半の展開には首肯し得ないところ(無用な殺戮場面)があり、後味の悪さは否めないのですが、前半の痛快さ、面白さはずば抜けており文句なし。こんな映画を作れる国(他にもあげればキリないぐらいの秀作あり)を蔑んではいけないと思う次第です。

これより先に、日本の是枝裕和監督の『万引き家族』がやはり前年のパルム・ドールを受賞し、話題になりました。映画も勿論、人それぞれの好みで種々の見方があります。『万引き家族』への一定の評価はわかりますが、暗くじめじめした肌触りが特徴のこの映画に、私は高い得点を与える気にはなれません。「万引き」というテーマの選択に、生理的嫌悪感も感じてしまうのです。黒澤明、小津安二郎監督らから宮崎駿監督に至る、数多の感動的な作品を残してきた日本映画の歴史と伝統。これらを、真っ当に受け継いでいく作品が昨今極めて少ないように思われるのは残念です。

●コロナ禍への欧米と東アジアの対応から

新型コロナウイルスの突然の襲来で明け、蔓延する中で暮れようとする2020年は、後年恐らく人類にとって大きな転換の年に位置付けられるものと思われます。「破綻」への坂道を転がり堕ちるのか、「蘇生」へと濁流を泳ぎ切れるのか。その分岐の鍵を握るのは、「国際社会の連帯」です。人間相互の関係において、ソウシャルディスタンスをとり、密を避けることがコロナ禍を脱するための基本的対応ですが、今後の世界のあり様を想起すれば、皮肉にも相互に離れず接近することの重要性が求められます。つまり、コロナ対応は、個別、渦中には「分断」、全体、終焉後としては「連帯」の〝合わせ技〟しかないのです。

〝アメリカ・ファースト〟を呼号し「自国第一主義」を掲げたトランプ米大統領の登場から4年間、世界は振り回され続けました。その最終コーナーで、コロナ禍に足元を救われた感のするトランプ大統領は、政治的分断を煽る一方、マスクなしで〝密を容認〟するかのごとき振る舞いに見るように、〝合わせ技〟を取り違えてしまいました。

アメリカを先頭にヨーロッパ先進国家群が圧倒的な感染者数と死者数に喘いでいます。それに比し、中国、韓国、日本、台湾の東アジア各国は、内容に差異はあれ、比較的に被害数字は低い状態にあります。とりわけ、台湾、韓国はなかなか見事な対応ぶりだとの評価を受けています。先に述べた韓国映画の卓抜さに加えて、コロナ禍でのこの国の健闘ぶり(他にもAIの分野始め枚挙にいとまない)も特筆されるといえましょう。

赤と青に色別に区分けされた、米大統領選挙での獲得選挙人数分布図を見て、見事な〝分断の絵図〟に改めて驚きました。この国は南北戦争以来、表面上はともかく、隠れての分断が底流にあったのですが、それが中央部分の共和党の赤色によって、東西の青色の民主党が二つに分断されているように見えます。と同時に、東西ドイツの統一実現から30年経った今、38度線で南北に分けられた「朝鮮分断」の存在が際立っています。

福澤諭吉の「脱亜入欧」を挙げるまでもなく、日本は東アジアに位置し「極東」と言われながら、「極西」を志向してきたと言えなくもない近代史を持っています。視点を変えると、この75年、アジア大陸に隣接しながら、背を向け、目は太平洋の遠き彼方にあるアメリカに向け続けてきたといえるのです。そんな日本にとって、今回のコロナ禍直撃に唯一の効用があるとするなら、世界に対する目線を普通の状態に戻す必要を迫ったことかもしれないと、私には思われます。(2020-11-24一部修正 =敬称略)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「未来志向」という、ごまかしの背景ー日韓関係の今を巡って(上)

●赤羽国交大臣の発言騒ぎ

いささか旧聞に属しますが、一年ほど前に姫路に住む友人から、赤羽一嘉国交大臣が「韓国は日本に文化を伝えた恩人の国である」と発言したことについて、ネット上で非難轟々の抗議が上がり、炎上寸前だとの知らせがメールでありました。詳しい事情がわからなかったのですが、大臣発言のフレーズを聞くだけで、私はその背景は直ちに読めました。その友人は、どうして赤羽大臣はそんなバカなことを言うんだろう?韓国を持ち上げるのも程がある。こういう発言は利用されるだけ。韓国なんておよそ国家の名に値しない存在なのにーこういった「反韓」感情剥き出しで、文句タラタラだったのです。

事情を調べると、赤羽大臣は、東京で開かれたある会合に、外務省政務官や自民党の河村日韓議連幹事長らと共に出席して、挨拶の中で先の発言をしたと言います。私は、文句を言ってきた友人に、赤羽発言は本人の思いもさることながら、創価学会SGIの基本的な認識、捉え方であり、同大臣は強い確信のもとに言ってることは間違いないよ、と伝えました。併せて世界の歴史とりわけ東アジアの歴史を辿るなら、この認識はごく自然で当たり前のことを言ってるだけ、あなたの怒りは昨今の日韓関係の歪みに左右されすぎてますよ、とも。

仏教はインドから中国、朝鮮半島を経て日本に伝わってきたのであり、言語を始めとする文化一切も中国発朝鮮半島経由でのものが殆どだといえます。それに対する素直な捉え方を赤羽大臣が発言したことに、一部の人々が反発をしたことの背景には中々一筋縄では捉えられないものがあるように思われます。ここでは韓国と日本という〝近くて遠い〟両国関係の今についての私なりの考察を述べてみます。

●「未来志向」は先のばしの別名

日韓関係を巡っては、これまで日本政府は「未来志向」なる言葉を多用してきました。これは、未来に目標を定めて向かうこと、というのが本来の意味でしょう。ちなみに対中国関係にあっては「戦略的互恵」なる言葉がしばしば使われてきました。こっちの方は、政治における信頼関係を醸成し、互いに未来において相互に利益を感じる関係を構築するとの意味合いがあります。かつて第一次安倍晋三内閣(2006年合意)から福田内閣(2008年共同声明)にかけて日中間での取り決めでこの言葉が使われました。従って、より関係が成熟した二国間で用いられるニュアンスが強いのが「戦略的互恵」であり、「未来志向」の方は、過去に拘らずに前向きで行こうとの単純な意味合いが強いものと思われます。

かつて私は民主党政権時代に外務委員会の場(2010年)で、時の外相に日韓の外交関係における「未来志向」なる言葉の構成要件はなにかと問いかけたことがあります。「日韓併合100年」にあたっての「日韓図書協定」の批准についての質疑をした際のこと、その大臣が短い間に十数回も「未来志向」という言い回しを繰り返したからです。彼は答弁で「安全保障、政治、経済、文化の各分野での相互交流」というだけ。恐らくは、過去にばかり目を向けず、未来に向けて広範囲な分野で目標を定めて、交流に取り組むと言いたかったのだと思われます。しかし、現実には韓国の「過去偏重」とでもいうしかない姿勢の前に、なすすべもないというのが当時の日本の民主党政権下の対韓外交の実態でした。基本的には今もなおこれと大差ない状況を引きずっているようです。

●菅首相誕生で局面打開の期待

日韓関係は、従来からの「慰安婦問題」に加えて、元徴用工に関わる訴訟で日本企業に韓国最高裁が賠償を命じて(2018年)からというもの、一段と悪化してきています。菅義偉首相が誕生して、文在寅韓国大統領との間で、電話協議を20分間行ったことが、9ヶ月ぶりの首脳間協議だとして話題になる程、両国関係は冷え込んでいるのです。この関係を改善するには、「基本的な価値と戦略的な利益を共有する最も近い友人」(文在寅大統領)との認識を共有したうえでの、「対話の加速」化が求められます。両国関係は、これまでの経緯からして、理念的なるものが介在すると暗礁に乗り上げるのは必至で、ひたすらリアリズムに徹することが大事と見られています。

その点からいうと、理念が先行しがちだった安倍晋三前首相の後継者であるものの、より現実の損得勘定に敏感な面を持つ菅首相の登場は、二国間関係の変化をもたらすチャンスかもしれません。内政面において、菅首相は就任早々から携帯電話料金値下げなどの問題始め、「小さな声を聞く」公明党のお株を奪いかねないほどの庶民生活感覚に溢れた施策の展開を売りにしようとしています。一方、外交にあっても、ベトナム、インドネシア訪問を先行させるなど、手堅くしぶとい手際を見せており、次なる手は韓国との融和に向けての一歩が期待されるところです。

●理由なき優越感と贖罪意識

実は私の父は1910年生まれでした。この年は日韓併合の年。以来35年後の1945年に私は生まれました。つまり、韓国の人々がいうところの「日帝35年」の時の流れがちょうど、我々父子の〝生命のリレー〟とダブります。それが影響したのかどうか。恐らく戦後生まれの日本人に共通するであろう、いわゆる対韓蔑視感情と贖罪意識がない混ぜになって我が体内に混在しています。それは「日清・日露」の戦勝をピークとする近代日本の形成の有り様に深く関わっています。占領国家・国民の優越性を自覚し、非占領下の民族を哀れむ感情と無縁ではないものと思われます。陰に陽に、家庭の中で、そして学校内で、これは培われていったのです。

これをいささか戯画化風にまとめてみます。明治期の最後に二つの大きな戦争を戦い、負けなかったことで、日本人は民族の優越性を、隣接する他民族との比較の中で実感しました。一転、第二次世界大戦での壊滅的敗北で、米国という新興・巨大国家に対する劣等感に打ちのめされたのです。私の幼年期に母が「上見りゃキリない、下見りゃキリない」とよく口ずさんでいました。日常生活の厳しさを、他者との比較ではなく、ありのままに受け止めるしかないと自らを戒め、子供達にも教えたつもりだったのでしょう。ただし、私には単なる生計の苦しさについてだけではなく、民族相互の見立てにも通じるかのような響きを持って聞こえ、印象深く記憶に残っています。

戦後民主主義教育は、戦前の日本がいかに隣接するアジア各国の民衆に残虐なことをしたかを教えました。遅れてきた植民地主義国家として、欧米列強の尻馬に乗って、いかに周辺国家を痛めつけたかということをも。そうした見方が同時にいかに一方的で、正鵠をいていない捉え方であるということを知るに至るのですが、それはまたずっと後のことです。その結果、私たち戦後世代の中には、いわゆる〝対韓贖罪意識〟が抜けきれないところが未だにあるといえましょう。(以下、つづく 2020-11-17 )

 

 

 

 

 

 

 

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「大阪都構想」敗退と、米大統領選の結末とーこれからへの影響

二度目の「大阪都構想」を問う住民投票が、約2万票の差を持って結末を迎えて数日が経ちました。選挙投票日直前に、私はその構図を「維新、公明」対「自民、共産」という、大阪をめぐる新旧の政党の枠組みによる争いと規定し、日本政治への影響少なからぬことを発信しました。前者が勝てば、つまり大阪都構想が実現すれば、当然ながら『維新』の中央政治に及ぼす影響も大きくなろうと見たのです。しかし、結果はノートと出ました。松井一郎大阪市長は任期を終えたのちの政界引退を表明、近く党代表も降りる方向を示唆しています。最初の住民投票の敗北で橋下徹氏、二度目は松井氏が引退をすることになり、もう三度目はないといいます。この躓きで『維新』はどうなるのか、大いに注目されるところです▲菅義偉首相誕生後の最初の国会での予算委論戦を観ました。率直な印象は立憲民主党の迫力の無さです。日本学術会議問題を主たるテーマにした4日の枝野幸男党首の質問も精彩を欠きましたし、元党首の岡田克也氏は、北朝鮮問題や核廃棄問題を取り上げたのですが、「老いたり」という他ない寒々とした内容でした。それに先立つ2日の衆議院の質問の江田憲司、今井雅人氏らから、5日の参議院の蓮舫氏に至るまで、次々と同じ問題を取り上げる質問戦略には首を傾げざるを得なかったのは(蓮舫氏は「一般社団法人問題」など、本来の〝予算審議〟に時間をもっと割くべきだった)、私だけでしょうか。私個人としては、辻元清美氏の変わらぬ歯切れのよさと、「学術会議」を取り上げなかった玉木雄一郎国民民主党代表に新鮮味を感じた次第です▲国民民主党と日本維新の会の接近が取り沙汰されていますが、これは日本政治における必然の流れのように思われます。小池百合子都知事や前原誠司氏らによる「希望の党」の騒ぎの際にも、感じたのですが、自民党ではないもう一つの保守政党の台頭を待望する底流は、日本社会にあって否定できない流れと思われます。こうした動きを、単なる数合わせとか、権力闘争お決まりの離合集散と切り捨ててしまうだけではならないと思います。公明党も口の悪い向きから「自民党山口派」などと揶揄されることがママありますが、〝本家中道主義の党〟としての矜持を持ちたいと強く思います。「学術会議」問題でも、納得できる説明を求める程度では弱すぎるという他ありません▲他方、米国の大統領選挙の決着が注視されています。日本時間の6日朝現在、民主党のバイデン氏が優勢と伝えられていますが、この選挙戦を見ていてつくづく米国社会の〝分断の深刻さ〟を感じます。「二大政党制」に憧れる向きが日本にもないわけではありません。つい数年前までは、「自民党対民主党」の構図が米国の「共和党対民主党」のそれに擬せられることが一般でした。今や悩める民主主義の実態に世界中が呆れ、脅威を抱いているといっても過言ではないといえましょう。米国にも第三の党があるとのこと。殆ど数量的には意味をなさないのでしょうが、このままの〝不毛の激突〟を見せられるより、もう一つの流れに期待をしたいと思います。日本にとって、この米国の事態は、〝宗主国の内乱〟とばかりに、対岸の火事視するだけではいけません。独立した「自主・自立国家」への今後を切り開くいいチャンスと捉えて、対応を急ぐ必要を痛切に感じます。(2020-11-6)

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これからの日本政治を占うー「大阪都構想」住民投票の行方

二度目になる大阪都構想の住民投票の投開票まであと一週間をきりました。賛否の世論はほぼ拮抗しており、行く末は全く予断を許さない状況です。前回の住民投票は5年前。この時には反対が多数を占めて、大阪市を廃止して4つの特別区を作るといった「都構想」はひとたび後衛に退きました。しかし、その後も推進に執念を燃やす「大阪維新の会」の捨て身の取り組み(府知事と市長を入れ替えての選挙戦)などが功を奏し、今回の運びになったものです。前回と大きく違うのは、公明党が賛成に回ったこと。どうして反対から賛成に回ったのでしょうか。ここでは詳しいことにはあえて触れませんが、中道主義公明党の真骨頂が垣間見えるとだけ指摘しておきたいと存じます▲その背景を探ると、公明党という政党の本質が見事にうかがえるといえましょう。ひとことで言えば、住民本位に立ち、固定観念に縛られないというものです。大阪市に住む住民の利益に繋がらないから前回は反対しました。その辺りの構想の持つマイナス面を「維新」の側に解消させ、住民サービスが後退せず、二重行政の欠陥もなくせる中身に変えさせたが故に、一転賛成することになりました。そこには、先の市長選挙や府知事選挙を通じての有権者の意向が色濃く反映されたとの認識があります▲去る23日にNHK総合テレビ『かんさい熱視線』で放映された関係政党による討論会は見応えがありました。ここで改めて興味深く思ったのは、賛成派が「維新」と公明、反対派が自民と共産という組合せ(立憲民主、国民民主は姿なし)であったことです。要するに、現状打開政党と現状維持政党の色合いが濃い二組の対決のように見えたのです。もちろん、中央政治では、自民と公明が政権を支え、「維新」と共産が野党側です。野党第一党は立憲民主です。しかし、地方自治を進めていく上での現状の弊害を変えようとする大阪が舞台となると、一転組み合わせが変わります。立憲民主や国民民主といった旧民主党グループの姿が薄いのは、いかにも関西風、大阪的といえるかもしれません。現状打開派と現状維持派の色合いのはっきりした4つの政党による「対決の構図イン大阪」はなかなか面白く写って見えます▲私のように、長く日本の政治を外から内から見つめ、かつプレイヤーとして生きてきた人間からすると、大阪の公明党のこの立ち居振る舞いの中にこそ、中道主義の本質が反映していると見えるのです。「維新」の提起してきた課題を時に打ち壊し、また巧みに修正させるー〝有権者の利益のために変幻自在〟というところに真価があるように見えるからです。「維新」は元々自民党を形成していた人たちによって作られた、ある意味内側から自民党を壊し、外側から修正を迫ってきている政党です。公明党は外側から自民党を壊す戦いを続け、今は内側から改革を迫る政党にほかなりません。このあたりの自民党をめぐる虚々実々の駆け引き、戦いが極めて示唆に富んでいるように思われます。大阪が生み出した特異な政党がこれからどう進化、成長していくのか。同じくこの地域を金城湯池としてきた公明党がどうこれから生き延びていくのか。二つの小さいが個性豊かな政党が、どうお互いの〝存在をかけた衝突〟に折り合いをつけていくのか。中央の政治の今後を占う意味でも興味津々の成り行きです。最終ゴールまで残された期間を大いに注目したいものです。(2020-10-26)

 

 

 

 

 

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現場の声が聞こえない「コロナ禍後の考察」に見る陥穽

●コロナ禍で医療崩壊寸前だった神戸中央市民病院

コロナ禍第一波の只中のことです。兵庫県神戸市にある中央市民病院が医療崩壊の危機に瀕しているとの報道に接しました。いったいどうしたものかと案じていた矢先に、同病院に勤務する友人の医師から現場の実情を聞く機会がありました。それによると、同病院の最高首脳が新たに代わったことから、司令塔に不都合をきたしている、医療崩壊の危険があるので何とかして欲しいとのことでした。内部告発と捉えられることでもあり、私も十分注意しながら、県知事や市長に注意を喚起し、迅速な対応を要請したのです。県知事は市の専管事項だからとするだけ、市長は市長で同病院は適切に対応が出来ており、問題はないというものでした。しかし、現場の医師は「上層部は全く実情がわかっていず、このままではコロナの不安に怯える患者や陽性症状患者の受け入れでベッドは溢れてしまう。コロナ以外の重症患者への対応ができなくなりつつある」といった危機を訴え続けたのでした。

実際のところが判然としないまま時間が経ちましたが、つい先頃NPO法人「地域医療・介護研究会J APAN」(略称LMC=邊見公雄会長)が発刊した本『新型ウイルスとの闘い』が届けられ、目次を追っていくうちに、神戸市立医療センター中央市民病院の木原義樹院長の名前を発見、急ぎ読んでみました。「グレタの涙」というタイトルで、なかなか読ませる内容でした。尤も、同氏は文章の書き方が上手いというだけあって、中身は巧みに病院側の不手際の弁明をしていると読めるものでした。これは私個人の見方ではなく、先の医師を始めとする同病院の現場を預かる医師の一致した見立てのようです。病院の最高幹部とその下での医師たちの関係は、テレビ映画『ドクターX』ほど極端でなくとも、色々と「不都合な真実」が常態であると言わざるを得ないのかもしれません。。

●地方病院発を強調する邊見公雄さんの慧眼

邊見公雄氏といえば、一般社団法人・全国公私病院連盟会長を務め、今は前線をひかれたとはいうものの、このLMCなどを基盤に今回のコロナ禍でも積極的に行動し、発信し続けている人物です。前述した本は、LMCと株式会社ヘルスケアシステム研究所(中西一夫代表)との共著で、いわば邊見氏の監修になるものです。同氏は先に『令和の改新』なる極めて興味深い提言を含む本を出版され、私も『忙中本あり』で取り上げ紹介しました。その邊見先生がこの本の序文「第一次コロナ戦争覚え書き」で、この人独特の「過激すぎる」発言を展開、なかなか読ませます。

「オスプレイやイージス艦など重厚長大、大艦巨砲という先の大戦の轍を踏み、マスクや消毒液を中国に委ね‥‥といった事例は数えきれない。コロナ禍中、京や浪花で300年続いた老舗の経営者達は、有識者会議を〝成金会議〟とか〝一発屋会議〟と揶揄している」と、政府の対応をバッサリ斬ったあと、返す刀で民間病院にグサリとさしこんでいるのです。「今まで公立病院は非効率で不要論を唱えていた民間病院だが、これらの病院で今回のコロナ患者や有熱者の救急車を断っている所も多くある。平時は厄介者扱いで、困った時だけ公立頼み」と、手厳しい。

こういう批判ばかりでは勿論なく、随所に事の本質をつき、これからの対応への具体的提案が読み取れます。なかでも、医師の偏在解消、感染症専門医の育成、電子カルテの統一などを強調されているのは、当然ながら一刻を争う緊急テーマだろうと思われます。

●いささか過激な安倍政権批判

ただ、この書物で気がかりなのは、サブタイトルに「現場医師120日の記録」とあるにもかかわらず、よくよく目を凝らしてみても、登場しているのは、病院の院長や部長、医大の学長や教授、団体の会長や理事長ら現場から遠い幹部ばかり。現場医師の姿は殆どありません。辛うじて、「現場からみたPCR検査の実態」とのタイトルで、臨床検査技師が書いたとされるものだけ。しかし、それもなぜか名前はなく「Y」とイニシャルだけとは寂しい限りです。これでは看板に偽りあり、と言われるのではないでしょうか。実際に現場で闘った医師の声を聞きたいとの声に応えられていないのは、恐らく彼らはそれどころじゃあなかったのでしょうが残念という他ありません。

それともう一つ。初動の遅れから始まって、ダイヤモンド・プリンセス号への不首尾、水際対応の不手際など、首相や厚生労働省始め政府当局の失敗をあげつらうことは当然だとしても、それがいささか過ぎて見えるのは首を傾げざるを得ないのです。これでは、床屋政談、井戸端会議の域を出ないのではと、安倍晋三首相ら政権中枢が気の毒になってしまいかねないくだりもあるのです。

とりわけ、中西一夫さんが、安倍首相が「学歴コンプレックスを持っている」とか、「豪邸で犬を抱いている」と述べて、心ない批判をしている第3章の「リーダーシップ」の文章は酷いと言わざるをえません。長く同僚議員として近くで安倍さんを見てきた私は彼が学歴コンプレックスなど持ってると感じたことはありません。また、安倍さんが犬を抱くのは、子供がいず、したがって孫にも恵まれていない彼としては、そうすることで安らぎを覚えるに違いないと思うのです。国家的リーダーのこととはいえ、そのような批判は、個人的な日常を慮れない非情な言葉に思えます。首相批判は自由ですが、するなら、ステロタイプ的な個人攻撃や政権批判ではなく、コロナ禍対応の事実に即した批判をして欲しいものです。

コロナ禍がひと段落ついて、今この本のように次々と政権の対応を批判する論考が雨後の筍のように目の前に出てきていますが、実際の現場の声に根差すものが意外に少ないように思われます。

●それでも聞きたい、最前線の医療従事者の声

私の友人が老人ホームで一緒に住む濃厚接触者の中に、PCR検査で陽性と判定された人がいたことはこのブログでも報告しました。そのため彼自身は陰性であるにも関わらず、40日間にもわたって、ステイインルームで、ほぼ一歩たりとも部屋の外にすら出してもらえない状態が続いたと言います。先日、ようやくその禁が解けて、普通の生活に戻れた喜びを聞く機会に恵まれました。その際に、彼が同ホームの住人で、近くの市民病院を訪れた人が当時の病院がさながら野戦病院の如く悲惨な状態であったと語ってくれたことを、聞かせくれました。その病院において医師、看護師が文字通り阿修羅の如く、必死の仕事をしていて、近くにいるだけでいたたまれない思いになったと言います。

私は高嶋哲夫さんの『首都感染』での、鬼気迫る恐怖の場面を思い起こすぐらいしかないのですが、コロナ禍ピーク時の全国、全世界の医療現場はまさに目を覆いたくなるほどの悲劇の連続だったと思います。そうした場面を経験した現場医師たちの生の声、本当の苦労談を聞きたいと思うのですが、なかなかお目にかかれません。現場ではない、少し遠いところにいる管理者や監督する立場からの政権批判ばかりが聞こえてくるのは少々残念な気がします。(2020-10-17  一部修正=10-18)

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コロナ禍とベーシックサービス導入への胎動

●10万円一律給付がもたらした波紋

コロナ禍の中で注目され、多くの国民から喜ばれたのは10万円の一律給付でしょう。当初は所得制限付きの30万円給付が検討され、実施寸前まで事態は進んでいたのですが、自民党内の政治力学の変化や、公明党の乾坤一擲の闘いによって、急転直下変更となりました。ごく一部の人にしか恩恵をもたらさない部分給付よりも、一律給付が望まれたのはある意味で当然のことでしょう。この背景には、古今未曾有ともいえるこの疫病蔓延によって、従来なら頭をもたげる財政的障害が一気に吹き飛んでしまったことが大きいといえます。結果として今まで、出ては消え、消えては出てきた、貧困対策としてのベーシックインカム(BI)構想の政策実験的様相を呈してきていることは否定できないようです。

政府の現金給付は、これまでならバラまき給付として悪評芬々(ふんぷん)たるものとして片付けられがちでした。しかし、今回ばかりは違います。これをきっかけに、むしろ現代における生活保障はいかにあるべきかという議論に発展していく可能性が見えてきています。つまり、財政的制約に拘束されがちな政府与党が、想定外の自然発生的外圧によって伝統的くびきから自由になって、政策的実験を試みたといえるかもしれません。

日本では、この手の政策提案は従来は野党から提起されてきました。3年前の2017年に当時の民進党が所得税の減税に現金給付を組み合わせた「給付付き税額控除」を柱とする「日本型ベーシックインカム」構想の関連法案を国会に提出しました。その勢力の一部によって構成された「希望の党」がBIを公約に掲げていたことも記憶に新しいものがあります。しかし、構想の主体を成した政党の衰退と相まって、議論はひとたび終息を余儀なくされました。それが今、コロナ禍によって、これまであまり関心を示してこなかったと見られる自公政権が、関心を持たざるを得なくなったと言えるのは皮肉なことと言えましょう。

●コロナ禍における諸外国のBI導入への実験的試み

BIとは、全ての国民一人一人に、無条件で生活に必要な最低限のお金を定期的に給付する制度のことで、貧困によって生活を破壊されるのを防ごうという仕組みです。これには、「生活保護」が世間体を巡っての課題やら、労働意欲をもたらすかどうかの問題など、種々の難問を惹起している現状の中で、常に対立軸の位置を占めてきました。しかし、実施するとなると、膨大な予算を必要とする(仮に10万円支給だと、年間約150兆円)ことから、議論は沙汰止みになる運命なのです。

諸外国でも同様で、現在世界中で、実際に完全な形でのBIを導入した国はありません。かろうじてフィンランドだけが、2017年から2年間実証実験を行ったといいます。無作為に選んだ失業者2000人を対象に、過去の収入などの如何に関わらず、毎月560ユーロ(約7万円)を支給しました。

一方、コロナ禍の影響で、スペインでは、この5月から低所得者を対象に、単身生活者で月額最大462ユーロを給付する所得保障制度を導入したといいます。また、米国では今年6月にカリフォルニア州ロサンゼルス市など11都市が合同でBIを推進する団体「収入保証のための市長連合」を設立しています。既にそのうち5都市で試験的導入が始まっているとのこと。さらにドイツでは、明春から120人を対象に、1ヶ月1200ユーロを3年間無条件で給付する予定といいます。いずれも規模は小さいし、およそBIとは言い難いものの、努力と工夫はうかがえます。それらと比べても日本の場合がダントツでBIに近いスタイルだといえましょう。

●BIよりもBS(ベーシックサービス)の提供を、との主張

BIについては効用もさることながら、財源問題以外に「社会保障切り捨て」に繋がるといった懸念も取り沙汰されます。そうしたことからBIよりもベーシックサービス(BS)の方が大事だと主張する学者がいます。慶應義塾大学の井手英策教授です。同教授によると、BSとは、「すべての人に現金をわたすのではなく、すべての人が税を負担しながら、生活に欠かせない基本的なサービスを保障し合う」仕組みだといいます。これなら、財源はBIほど要らず、安上がりだともいえる、と。

この人は、これまで『分断社会を終わらせる』『幸福の増税論』『今こそ税と社会保障の話をしよう』などといった著作を読むと分かりますように、リベラル派の理論的主柱として、知る人ぞ知る存在です。「医療や介護、教育、子育て、障害者福祉に関する分野をBSとし、みんなで負担することで、出来るだけ多くの人を受益者にし、安心して暮らせる社会をつくりたい」と、彼は述べています。その著作を読むにつけ、私はかつての草創の頃の公明党が抱いた「大衆福祉」への情熱に近い、激しいものを感じるのです。この人の学問上の師は、神野直彦氏(東大、関学大教授経て、社会福祉事業大学長)とのことですが、公明党も政策立案過程で種々の影響を受けたことも思い出します。

公明党は、21世紀に入る直前に自民党と政権与党を組んで以来、小渕政権から今日の菅政権まで20年が経ちました。中道主義路線から保守・中道路線へと、かなり右寄りに、その歩む道が逸れてきていることは否めません。それによって得たものは多いのですが、失ったものも少なくないのです。かつてなら政治と金をめぐる問題に敏感に反応してきたのに、昨今いささかその追及の手が緩い場面が見受けられます。

これでは、自民党の公明党化を目指してきたのに、気がついたら公明党の自民党化が進んでいたと言われないでしょうか。「安定」を望むあまりに、「改革」が疎かになっていないでしょうか。「小さな声を聞く」のに熱心なあまり、大きな方向性を見誤っていないでしょうか。アベノミクスを擁護する誘惑に駆られ、新自由主義的傾向と付き合う中で、公明党本来の良さを発揮する動きが弱まっていくことを懸念せざるをえないのです。

ところが、そうした懸念を吹き飛ばすかのように、9月末に新生公明党が掲げた政策集の中にBSの導入を見出したことには快哉を叫びました。党として本格的にこの問題の実現化に取り組む姿勢だとしています。このところ、公明新聞の若手記者や政調関係者、地方議員を中心に井手教授と接近する向きがあったと聞いていましただけに、なるほどと首肯する思いです。一段と関係が深まることを期待したいと思っています。(2020-10-3一部修正=10-7)

 

 

 

 

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ゴーツートラベル第二弾は川崎を経由し東京、横浜へ

●「危険な上京に反対」の声を押し切って

ゴーツートラベルの対象から「東京発着」が外れていましたが、ようやく10月から取り扱われることになりました。その新たなゴーサインが出る直前の17日に、私は神奈川県川崎市に一泊して、東京、横浜を動き回ってきました。北海道旅に続く第二弾です。コロナ禍の上京には危険が伴うではないかと、家人は厳しく反対しましたが、それを振り切ってのものでしただけに、注意に注意を重ねての用心深い旅となりました。

なぜ、行き先に「川崎」を選んだのか。理由は三つ。一つは東京発着を避けてなお、ゴーツートラベルを利用して東京に行くとなると、一番近い隣接地はここ川崎になるのです。第二に、私が尊敬してやまない後輩・遠山清彦衆議院議員がこのほど小選挙区に鞍替えした地域・横浜市(旭区、保土ヶ谷区)に近いからです。第三に、ここは私がかつて秘書をしていた市川雄一元公明党書記長の選挙区であり、懐かしく忘れられない地域だからです。こうしたことがあって、行こうと決めたら、私はいつものことながら、仕事絡みや趣味もどき、昔馴染みの友人との出会い、選挙支援など全部まとめてスケジュールに組み込みました。以下その概括的報告です。

●「安保研」定例会から国交大臣への要望。そして友人と野球観戦

第一日目。朝、西明石駅を出て新幹線で東京に着いたのは午前11時。正午から内幸町の日本プレスセンター9階で開かれた「安保政策研究会」の9月定例会に出席しました。コロナ禍の影響で久方ぶりの開催。浅野勝人理事長を中心に、寺田輝介、柳沢協二、登誠一郎、山崎力、星野元男、宇田信一郎氏ら12人のメンバーが侃侃諤諤の議論を展開、何時もながら大いなる刺激を受けました。時節柄、話題は菅義偉新政権の動向に集中したことはいうまでもありません。午後3時からは、国土交通省に赤羽一嘉大臣を訪ねました。目的は、観光人材育成をめぐるかねてからの提案についてや、大阪湾ベイエリア構想にまつわる要望などを行うためです。新しい組閣で留任になった同大臣は、前日からの疲れもものかわ、積極的な意見交換に応じてくれました。夜は、大学同期の友を、実に十数年ぶりに呼び出して、後楽園東京ドームへ。親しい友人から頂いたチケットを使って、「巨人・阪神戦」を観戦しました。厳重なコロナ対策下。観戦中は飲食もままならぬというので、ドーム手前のレストランで事前に喉を潤し、味の濃い洋食をつつきました。試合はなんと、私の遠来の応援の甲斐あってか、11対0で阪神のボロ勝ち。前日までの対巨人戦東京ドーム8連敗を吹き飛ばす〝珍事〟に、大いに溜飲を下げました。帰りに近くの書店で新刊の橘木俊詔『阪神VS巨人』を求めました。そんなこんなで宿泊先の川崎日航ホテルに着いたら22時でした。

●神奈川6区の遠山清彦氏の支援に

第二日目。宿泊先のホテルのある川崎市は我が青春最後期の仕事場。9時半に、市川事務所の気鋭の後輩であり、今は地元川崎市で活躍する浜田昌利市議を呼び、様々の情報交換をしました。11時には、横浜市旭区二俣川にある遠山清彦事務所を訪問。近くに住む後輩をその場に招き、嶋林秀一秘書から地元衆議院神奈川6区の選挙情勢を二人で一緒に聞きました。現職3人による〝三つ巴の大激戦〟に大いに身を引き締めたしだいです。終了後、その後輩の家に立ち寄り、夫人を交えて、束の間懐かしい話の花を咲かせました。午後は二度電車を乗り換えて、1時に再び川崎市の鷺沼駅へ。ここで、前日の大学同期の友人と、昔の職場の同期・平子滝夫元川崎市議と合流。駅前にある著名な蕎麦屋で、絶品の天せいろに舌鼓をうちながら、3人で旧交を温めたのです。その後、平子氏いうところの〝高齢者用クラウン〟で移動。若き日〝レーサー平子〟の異名を欲しいままにした彼の穏やかな運転を味わいつつ。新横浜駅から新幹線車中の人になったのは午後4時過ぎ。西明石へと3時間ほどの帰路に着きました。このように実り多いゴーツートラベル第二弾となりましたが、さて、これから2週間は家人による、〝家庭内隔離のお仕置き〟が始まります。(2020-9-19)

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無表情の背後に潜むものをめぐっての不気味さ

安倍晋三首相が辞意を表明して2週間足らず。次期総理・総裁を目指す3人の候補者による選挙戦が展開されています。結果的に日本のトップを選ぶことになる選挙戦が、自民党の国会議員と地方議員の一部代表だけで行われ、一般有権者はおろか、同党の党員すら関われないという現実は、大いに問題と言わざるを得ません。米国のようにおよそ一年もかけて、国を挙げての大統領選をせよと言わないまでも、もう少し違った手立てはないものかと嘆く向きは少なくないでしょう。加えて、選挙戦開始と同時にほぼ結果は決まったと見られていることも摩訶不思議な流れと言えます■菅義偉官房長官で決まり、との自民党内力学はどこから起こるのでしょうか。老練な実力者・二階俊博幹事長がその流れを作ったと言われていますが、石破茂元幹事長の同党内国会議員における不人気や、地味な岸田文雄政調会長への信頼感のなさも大きく作用しているものとみられます。先日の選挙戦開幕に当たっての、演説会並びに合同記者会見をつぶさに見て聞いた限りでは、それほどの差が三者にあるようには見えませんでした。むしろ、演説のうまさ、政策展開の巧みさでは、石破、岸田両氏の方が菅氏を上回っていたと見る向きは少なくないのです■ただ、官房長官としての実績が安心感を与えたとは言えるでしょう。秋田県の片田舎から高卒で集団就職のような上京経験やら、幾つかの職業遍歴の末に代議士秘書、市議会議員を経て、今の地位を築いたサクセスストーリーはそれなりに耳目をそばだてるものがあります。昨今良く見聞きする二世、三世議員や、高学歴のエリート政治家にない、いわゆる叩き上げの魅力を持つ人だと言えましょう。安倍総理が一貫して、岸田氏に禅譲するかのような姿勢を見せながら、土壇場で心変わりをしたかの如き態度をとったことも、菅官房長官への流れを決定付けました。私と石破氏は、かつて新進党時代に同じ釜の飯を喰った仲間です。これまで同じ外交防衛畑に身を置いた人間としても親しみを感じ、改革力は一番だと確信しますが、惜しむらくは政治家の現場力とでもいうべきものが足りないのかも■さて菅という人は、これまで7年8ヶ月もの間、安倍首相の女房役をやってきたのですが、喜怒哀楽をあまり顔に出さず、どちらかと言えば無表情。公的発言は必要最小限だけ。その上、好きな歴史上の人物が「マキャベリ」と聴くと、さもありなんと思えます。冷酷非情な決断を持って物事を処するのではないか、との憶測を呼ぶ、一言で言えば不気味さが漂っています。安倍首相とは裏表の関係。安倍路線を踏襲するということは、いわゆる「官邸主導の政治」の裏だった部分が、するっと、表に出るということに他なりません。それで良いのかどうか。しかも、大臣になったばかりに不祥事が浮上して、世間を騒がせている、菅原一秀氏や河井克行、案里夫妻らとの関係が不鮮明です。その説明責任が未だ充分でないことは、最大のウイークポイントだと指摘せざるを得ません。出来ることなら、彼の過去の日本のリーダーにない側面が良い方向で発揮され、大化けすることを望みたいものです。(2020-9-10  一部修正=9-11/12)

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コロナ禍中、ゴーツートラベルで北海道を行く

●宿やホテルも喜び、客も満足

コロナ禍の第二波が懸念される中、この25-27の二泊三日で北海道へ行ってきました。もちろん、「ゴーツートラベル」を利用して。伊丹空港から、札幌市内泊を経て、洞爺湖畔泊、そして豊浦町への行程で、半分は仕事、半分は友人との交流。もちろん、半年前のコロナ禍第一波ではかなり感染者を出した地域でしたので、十分に注意をしました。その結果、まことに楽しく有意義な、そして涼しく爽やかな時を過ごすことができました。以下、簡単な報告を。まずはゴーツートラベルの印象から。

洞爺湖畔の宿では、布団を自分で敷くという経験を初めてしました。コロナ禍のためというのですが、もう一つ理由が不明。サービスカットに思えました。従業員に聞くと、ゴーツートラベルのお陰で、連日満員とのこと。宿泊費減にも関わらず、収支はプラスで、コロナ前よりもグンといいと、満足そうでした。温泉の湯舟で出会った、神奈川県小田原市と川崎市からの父子連れ客に聞くと、2組とも安く来ることが出来たと、喜びいっぱい。まずは旅館に関しては、ウインウインの関係のようです。私自身も通常の料金よりも17000円ほど安く行け、大いに助かりました。一緒に行った仲間は、地域おこしに長年携わる勝瀬典雄氏(関西学院大講師)ら学者と企業人の二人で、それぞれ徳島と千葉からの参加です。

●観光人材育成と陸上養殖で町おこしを期す

今回の旅の第一日目は、午後2時半に国交省北海道運輸局に行き、新任の加藤局長に会いました。この人はついこの間まで、観光庁審議官として、私たちが取り組む高校生版・観光人材育成をサポートしてくれてきました。昨年、徳島商業で行われた全国高校観光サミットに駆けつけてくれ、懸案の観光人材育成のための仕組み作りとしての協議会設置に協力してくれています。同省内人事異動で、北海道に転勤になったことから、今回の旅を活用して、直接的に連携をとることにしたものです。私とは、約一年ぶりの再会で、旧交を温めると共に、今後の課題を確認し合いました。

夕刻には、札幌市内のM建設札幌支社に立ち寄り、支社長と面談、衆議院北海道10区の稲津久議員へのこれまでの支援を感謝すると共に、更なる支持拡大を依頼しました。稲津議員は私が深く信頼する後輩。前回531票差での辛勝だったため、次なる勝利に向けて早々に立ち上がったものです。夜は、かねて私が尊敬する北海道創価学会のリーダーと会いました。この人は縄文文化の研究でも知られ、環境考古学の権威・安田喜憲先生の親友でもあります。私もご紹介頂き、深い交流を重ねてきています。この日は、創価学会北海道文化センター内を案内していただき、三代会長にまつわる貴重な展示物などを拝見。心底から感動しました。

第二日目は、朝10時に北海道庁に赴き、金崎水産局長らと道における陸上養殖の現状と課題について意見交換をしたり、要望を行いました。これには公明党の横山信一参議院議員(現・復興庁副大臣)も同席してくれました。この人は元道庁で水産分野の仕事に従事するなど、この道の専門家です。午後には、彼の紹介で、室蘭にある地方独立行政法人の栽培水産試験場に向かいました。ここはマツカワの養殖などに取り組む重要な拠点で、1時間ほど佐藤場長らの案内で、じっくりと見学をさせていただきました。夕刻には洞爺湖畔に到着。ここは、今から10年ほど前に、太田昭宏前党代表と共に、全道の議員研修会に来た場所。懐かしい思い出に浸りました。

第三日目は、早朝から隣接する豊浦町に行き、株式会社裕雅を訪問しました。この会社は、30年ほど前からホタテ貝のエキスを煮込んで調味料などを生産しています。実はここの社長の高柳雅保氏は、地域おこし、町おこしのために、この地で陸上養殖の発展拡大を期したいとの願望を持っており、村井豊浦町長と連携を取りつつ検討を加えてきました。数年前から勝瀬氏のアドバイスのもと戦略を立て、様々に取り組みを強めてきたのです。私もその過程で相談にのってきました。

●観光も、もちろん選挙支援も忘れずに

このたびはようやく、そのプロジェクトを担う主体としての養殖企業組合TRYが道の認可を受け、発足したため、豊浦町長に会うべく、訪問したしだいです。同町役場に11時に赴き、1時間あまり今後の展望をめぐり侃侃諤諤の協議をしました。午後には、千歳まで列車、そこからは空路で帰路につきましたが、爽やかな天候に恵まれ暑さを忘れた素晴らしい三日間でした。おまけに、企業組合の丹田理事の姉上が北海道10区滝川市にお住まいということを聞き出すという、〝特別なおみやげ〟まで頂きました。〝動けば宝に当たる〟を実感した次第です。

仕事の合間に、束の間の観光も忘れてはいません。札幌で印象に残ったのは旧北海道庁舎の荘厳なたたずまい、街中に森林と共にある北海道大学の勇姿、そして藻岩山から見た札幌市内の壮大さ。それから、千歳空港内で林立するサッポロラーメン店で喰ったチャーシューメンの豪華さ。西一条の蕎麦屋「たぐと」での「とりトマトせいろ」はまた実に美味かったぁ〜。豊浦町の居酒屋「初ちゃん」のホタテのフライや宗八、ふっくらたまご焼きなどもねぇ〜。心残りは、食べるのと話に夢中で、湖上での花火を見損なってしまったこと。

コロナ禍で大打撃を受ける観光の立て直しと、新たなる創造の努力での町おこしをどう進めるか。ゴーツートラベルいん北海道で、いっぱいヒントを得ました。それと、ステイホームからの気分転換も。(2020-8-28 一部修正=8-30)

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ついに身近な友人がコロナ感染のクラスター渦中に

コロナ禍吹き荒れるこの半年の間にあっても、身近なところでは感染者はおろか、友達の周辺でも陽性の人はゼロだという人は少なくないと思われます。誰もが知ってる有名人が感染して、どうにか危機の実感を味わうというのが関の山かもしれません。つまり、コロナ禍といっても、私も多くの人々も、その影に怯えているというのが実際のところです。今の状況は感染の二波か、それとも一波の続きかなどといった詮索も、もどかしいけれど今ひとつピンと来ないというのが現実でしょう。ところが遂にというべきか。関西圏に住む私の親友が、コロナのクラスター状況の只中に巻き込まれてしまったのです。▲彼は、先年愛妻に先立たれ、一念発起して全てをたたんで、高級老人ホームに入居しました。私も二度ほど訪問しましたが、コンシェルジュ付きの瀟酒なホテル風の素敵なところです。居住空間こそ少々狭いのですが、食堂やらお風呂場、娯楽室やトレーニングルームなども整っています。気分は上々だと満足していました。ところが、です。つい2週間ほど前に遂に居住者から感染者が出てしまい、あっというまに、入居者のうち、半数近くが感染し、職員と合わせてかなりの人が陽性という、クラスター状況が起こってしまったのです▲私の友人は、感染第一号のかなり高齢のご老人と濃厚接触者でありながらも、PCR検査で異常なしの陰性。それはそれでいいのですが、このホームでは当然ながら、全員に検査を施し、その結果、陰性の入居者は全て封鎖状態。当面9月中旬まで、ホーム外はおろか、部屋の外にさえ出られなくなってしまいました。三度の食事(宅配業者によるもの)は各自の部屋に運ばれ、シャワーの代用となる生活必需品めいたものなども配布されるようですが、色々不都合なことばかりです。常日頃は、ウオーキングやサイクリングを楽しんでいたのに、外に出られなくなり、狭い部屋でテレビを観ることや読書するぐらいしかすることがありません。それでも彼はパソコンでユーチューブを活用して、かねて関心を持っていた「気功」などに取り組んでいるとのことです▲こんな状況を私にメールで知らせてくれましたが、想像するだけで、胸塞がれる思いです。友人はこんな状況でも、他の高齢同居者を気遣いながら自分は大丈夫だと言っています。数日ならともかく、1週間、2週間いや一カ月と続くと、気が滅入ってしまい、精神のバランスに異常をきたすのではと、不安になります。全て保健所の差配でしょうが、いささか過剰防衛だと思うのは暢気な部外者の浅はかさでしょうか。これまで何らかの事情で獄に繋がれた人たち(政治家や企業人ら)の中には、収監中に本を読み、勉強を続けて、出獄後に本を出版したという豪の者も結構います。君も頑張れと激励してあげるくらいしか思いつきません。恐らく、彼は「余計な心配するな、自分はこの事態を自分なりに楽しんでいくから」というでしょうが。(2020-8-20 一部修正=8-21)

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