自公連立政権は何をもたらしたかー大阪での時局講演会から(上)

参議院選挙の最中に、企業関係者が多数集ってくださった大阪での時局講演会(7-11)に私も、伊藤孝江参議院議員と共に出席、高橋光男支援を訴えてきました。主催者は、宮沢喜一元総理の後援会副会長を務めた 金光亮典氏(R.D.M.サポート21代表)。この日の同氏の講演は自民党と公明党の連立政権の歴史と背景を整理した上で、現時点における政治経済の状況を適確にまとめ、今後の国際政治の展望を述べる画期的な内容でした。加えて質疑応答の中で、膨張する中国の存在を前に、日米関係をどう捉えるのがいいかとの観点での重要な問題提起もなされるなど、大いに刺激的な内容で、出席者からは大変に勉強になったとの賞賛の声が聞かれました。

このうち、私が強い関心を持って聞いたのは、自公連立政権の役割と、米中対決の狭間で日本はこれからどう生きるか、との二つの点でした。ここでは金光氏の講演をベースに、私の考え方も織り込んで上下二回に分けて整理・再現してみます。(これは金光氏にも確認していただきましたが、文責は全て私にあります)

まず、自公連立政権の評価については、ズバリ「政治の安定」をもたらしたことに尽きます。昭和期最後の宮沢政権で、自民党単独政権は終焉し、細川政権から10代続いた自民党主軸の連立政権は、ひとたび麻生政権で潰えます。その後3代続いた民主党政権は、見るも無惨、聞くも呆れる体たらくで、「悪夢のような」政権と言わざるを得ませんでした。それが、安倍晋三第2期政権の誕生で、日本は立ち直り、今日までの約6年間は様々の問題ははらみながらも、政治経済は落ち着いてきたと云えます。

もちろん、平成の30年全体としては、「失われた時代」との指摘もなされており、それは経済だけでなく、政治にあっても同じと云えましょう。ただ、自民党政治の足らざるを補い、矯正する役割を担ってきているのが連立政権のパートナーとしての公明党だとは衆目の一致するところです。政治家の失言やら不始末が後を断たない事態が続きますが、それに苦言を呈し、あるべき方向を示唆してくれているのが山口公明党だと云えます。

日本の前途は楽観は許されず、問題山積です。自民党政治の中核で長く携わってきた金光氏と、公明党の私とは立場こそ微妙に違えど、宮沢喜一氏、市川雄一氏という類まれな政治家にそれぞれ秘書として支えてきた共通点があります。その二人が強く実感するのは、困難な中でも日本の地平を切り開いてきた自民党と公明党がこれからも手を携えて課題に立ち向かうしかないということです。

自公連立は20年を経て、益々確たるものになってきました。政権の構成に関して云えば、公明党はこれまで国土交通、厚生労働、経済産業行政などの分野で力を発揮してきました。あの東北大震災に関連して起きた福島の原発事故の処理にあっても、公明党所属の副大臣や政務官らの目覚ましい働きは特筆に値するものです。

自公連立政権で安定した政治をさらに充実したものへと改革することが今求められています。それには「小さな声を聞く政治」を続けている公明党の役割が重要です。「大衆福祉の実現」を掲げて55年前に誕生したのが公明党です。福祉が求められる領域が、学校教育の現場や家庭のただなかでのいじめや引きこもりなど、こころの病へと広がってきています。これに立ち向かって、課題解決への道筋を立てることこそ今公明党に求められている大きな問題だと思われます。(2019-7-16)

 

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参院選の焦点の一つとしての「憲法9条」

参議院選挙が4日に公示となりました。この日はアメリカの独立記念日です。日本がアメリカを主たる相手として戦った戦争に負けてから70有余年。未だにその支配から完全に抜けきっていない被占領国であるとの自覚を、私はいつもこの7-4が来るたびに持ちます。特に理由はありませんが、1945年の8-15(終戦記念日)や、9-2(降伏文書調印式)や1951年の9-8(サンフランシスコ講和条約調印式)などの記念日よりも、こっちの日に感慨を抱くのです。若干の皮肉を込めてはいるのですが、やがていつの日か日本も本当の独立をせねば、と思うのが7-4なのです▼さて、平和な時代の「陣地取り合戦」たる国政選挙が始まります。様々な争点がありますが、一つは「憲法」をどうするか、です。安倍自民党は結党以来、憲法改正を真正面に掲げ続けてきた政党です。今回の選挙では、9条に自衛隊の存在を明記する項目を加えるとしています。それに対して、公明党は「多くの国民は自衛隊の活動を理解し、支持しており、違憲の存在とは考えていない」としており、わざわざ改めて明記せずとも、事足りるとの立場を鮮明にしています。つまり、9条改正に慎重で、出来るだけ多くの政党の合意形成が図られるように努めることが先決だとしているのです。主要野党は「維新」を除き、「安倍政権下での改憲」に反対する姿勢(国民民主は弱いですが)です。政党のこうした立ち位置は、私が現役だった頃と大筋は変わっていません。残念なことに憲法審査会での議論が遅々として進まないのです。日常的な予算にまつわる国会審議や法律制定の議論とは別に、憲法は国の根幹に関することですから、時々の政局に流されずに議論すべきなのに、頑なな与野党対決の姿勢が災いしているのです▼安倍自民党は全面改正を選挙公約には打ち出さずに、随分と殊勝な態度に見えます。本音をさらけ出して公明党との関係などが壊れては元も子もなくなるからなのでしょう。言うまでもなく憲法9条については、実に様々な議論や立場があります。冒頭に述べたように、日本は未だアメリカの実質的には支配下(独立国とは疑わしいような状態)にあり、首根っこを押さえられています。それが証拠に、「沖縄」を持ち出さずとも「横田空域」に見るように、首都の空さえ自由に飛べないままなのです。アメリカの大統領から、日米安保条約体制の不平等性をちらつかされ、「対等な関係」になろうと理不尽な脅かされ方をして、尻込みする国柄なのです。ここらを整理・整頓して、自前の憲法を持つことがない限り、いくら付け焼き刃的にいじくりまわしても、ダメだというのが恐らく公明党の本音であり、ここはじっくり議論をしようという立場です(いつまで経っても進まないのにさすがの私も苛々感が募りますが)▼ところで、話題の映画『空母  いぶき』を封切りと同時に観てきました。漫画家のかわぐちかいじ氏の原作をもとに作家の福井晴敏氏らの企画立案で出来た映画ですが、自衛隊という存在を的確に描いて見応えがありました。日本の領土・領海・領空の領域を保全するために、侵略してきた外部勢力を水際で防御するために現行憲法下で許される渾身の力と知恵を振り絞る場面。総理はじめ政府が憲法9条のもとに最小必要限の力を行使するべく、国連との連携をもとに腐心する姿。これらは、日本防衛のシュミレーションとして、大いに参考になります。国会議員も、普通の市民のみなさんも、自衛隊がいざという時にどう振る舞うかを事前に検証する役割を果たします。現実に、戦闘で人命を失ったことがない自衛隊ーこの映画では、自らも犠牲者をださず、敵にも出させないという、涙ぐましいまでの努力と思いが伝わってきます。たかが漫画、たかが映画という勿れ、ここには憲法9条議論のイロハが詰まっているように私には思われます。(2019-7-5)

 

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「政治の安定」に続くものは何か?

    通常国会が閉幕し、来月4日の参議院選挙の公示まで1週間足らずとなりました。この選挙では「政治の安定を!」が与党側から問いかけられています。それは野党主導の政治が間違いなく「政治の混乱」を招くに違いないことから当然と思われます。3年前の参院選には存在した民主党が自分たちのしでかした大失政を顧みず、今度は立憲民主党と看板を変えただけで、ほぼ同じ陣容のもとに今度の戦いに挑もうとしています。私は、与党に対立する健全な野党の存在は民主主義の政治にあって当然必要だと思います。しかし、立憲民主党主軸の今の野党共闘体制では「混乱の再生産」だけで、到底賛同出来ません▼では、我々は「政治の安定」だけ叫ぶことでいいのでしょうか。選挙戦略上の大方針としてはそれでいいと思いますが、同時に庶民大衆にはそれだけでは足りないと思います。私たちが「高橋みつお」候補を頼む闘いをしていく中で、相手と話し込むと必ず出てくるのは、安倍首相の一強政治に対する不満と、これからの私たちの暮らしに対する不安です。それに対して「政治の安定」を掲げることだけでは、今の政治の全肯定になってしまい、不満も不安も解消されないのです。もとより政治は「よりマシ選択」であって、「完全無欠な選択」はありません。今の「野党連合」よりも、自公政権の方が「よりマシ」であることは大方の人はわかってきています。問題はそこだけに終わらずに、次にこれからの政治が、経済が、社会がどうあるかを訴えていくことの重要性です▼私は「経済の安定」に加えて「社会の安定」を皆が待望していると思います。確かに安倍政権は近過去のどの政権よりも、経済をよりマシに運営してくれています。色々言い分はあっても、です。ただ、その一方で社会全体における貧富の差がそこはかとなく広がってきていることは認めざるをえません。(蛇足ですが、だから野党の方がいいとはならないことは強調しておきます)そのため、消費税上げへの不安や老後の生活にいくらかかるかといった問題に敏感にならざるをえないのです。その時に、野党の主張を頭ごなしに否定するだけでは十分ではありません。野党側が財政、金融、消費の全体像を見据えず、目先だけの問題にとらわれて、不安を煽ってることに対し、きめ細かく批判を加えることが大切です。老後の生活は一般論として豊かであるのがいいに決まっていますが、問題は千差万別であり、人の生き方とも関わる複雑な問題なのです。問題をすり替え、年金問題に不安の矛先を持って来ようとする野党の戦略の狡猾さを見定めることが重要でしょう▼そこで、強調したいのが政権与党としての公明党の役割です。今年は公明党が結成されて55年になります。早いものです。大衆福祉を、平和を掲げ、個人の幸せと社会の繁栄が一致する社会を目指しての歳月でした。今私たちの生活全般は、確かに55年前よりも、全体的にも個人的にも豊かになってきてはいます。しかし、同時に富めるものはますます富み、貧しいものはより貧しくなってきている状況は否定できません。また、社会福祉の面でもかつてはあまり浮上していなかった、心のやまい(引きこもりや小児虐待に見るような)に悩む人々がぐっと増えて来ているのです。こうしたことも含めて 新たな社会不安にどう対応するか。これこそ公明党の真価が問われるテーマだと思います。55年前の結党当時と本質的には全く同じ状況が我々の目の前に広がっているのです。〝今再び〟の公明党の本格的出番です。(2019-6-28)

 

 

 

 

 

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生き方の革命的転換こそーAKR兵庫支部会でのミニ講演から(下)

間違っていない自公政権の方向性

自公政権は、「一億総活躍社会の実現」を掲げる一方、人生再設計の必要性を強調しようとしていることは先に挙げた通りです。この方向はあながち間違っていないと思われます。言葉を変えると、こういう社会とは、国民一人ひとりが楽しく生き生きとした生活を目指すことに通じます。これは、音楽、美術など芸術や文化全般に親しむことを含め、人間力を磨くための教育の重要性なども視野に置いた国作り、人作りに向かうということをも意味するものと思います。かつてのような軍事力を優先させたり、経済的に社会を富ませることにばかりに国が力を注ぐのではありません。個人の充実、伸長に注視した国作りです。問題はその具体的中身でしょう。スローガンだけに終わらせないで欲しいものと思います。

それは例えば首都圏、東京一極集中ではなく、地方、田舎への分散、拡散を目指すものだと云え、あるいは、経済成長にのみ価値観を置くのではなく、人間の成長に価値観を置くと云うような、国民生活のシフト転換を意味します。

大型野生動物と人間の共生から

国民生活のシフト転換の例として、私がこれまで取り組んできた豊かな森林を取り戻す闘いをあげてみましょう。これは、日本の森林が荒廃している証拠として、森に棲めなくなった熊などの大型野生動物が里山に降りて来ているという問題と繋がってきます。この問題を考えるときに、つい「人間中心主義」という理念が妨げになります。人間を守るため動物の殺戮を許すのが「人間中心主義」でしょうか。それは誤りだと思います。それはむしろキリスト教を軸にした西欧近代の考え方で、日本は仏教を重んじる国柄として、人間と野生動物の共生を尊んできたはずなのです。それを勘違いする向きが多いのは、まことに残念です。

しかし、これは極端な考え方で、とても直ちに大向こうの賛同を得られるとは思いません。ですが、それぐらいの観点を持って来ないと、結局は人類のエゴで地球が破綻しかねないといえるのです。国益、人類益から動物、植物との共生を視野に納めた地球益を求めて、徐々に方向転換を図る必要があるのです。

働き方の根源的なシフト転換

団塊世代は、別名〝食い逃げ世代〟とも云われます。経済至上主義時代の旨味を味わうだけ味わって、それなりの年金を貰って一線から消えようとしているからです。それに比してその子供たちの世代ー団塊第二世代ーは就職氷河期からバブル崩壊を経て、失われた30年を強いられてきました。

これからの令和の時代は、社会の下降線を上向きに変えねばなりません。そのためには国も個人も価値観の転換が求められているのです。教育期から仕事期を経て「定年後」を迎えるという決まり切った人生コースを後生大事に抱え込むのではなく、知恵あるフリーター、積極的な起業家、複数の仕事への関与などといった新たな生き方、働き方が求められているのです。そうした人生の価値への革命的大転換があってこそ、これからの時代に生き残れることを銘記するべきでしょう。

社会を停滞させてきた責めを負うべき政治家から、そんなこと言われたくないと思われるかもしれません。ですが、その反省もあり、これからの流れを変えたいと念じるが故の必死の提言だと思って聞いてください。

食品が新鮮さを保ち得てない、賞味期限切れだからといって、皆さんの職場でも平気に捨てています。そうなる前に少しでも消費者の食卓に届ける手立てがあるのではないか。一軒一軒ごとの消費者個人と、みなさんの市場をどう直結させるか。まさに革命的な市場のあり方の転換が求められます。これを考える時に、巻き返し策も見えてくると私は確信するのです。(2019-6-16)

 

 

 

 

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「ロス」社会の時代をどう生き抜くかーAKR兵庫支部でのミニ講演から(上)

神戸市東灘区にある甲南食彩館の会議室で、AKR兵庫支部(オール小売連合)のメンバーを前に、10日の午後、懇談的に話す機会がありました。以下それをもとに大幅に付け加えたものを記します。

失われた30年と食品ロス

今の30歳代半ばから40歳代半ばの皆さんはーちょうど私の娘の世代ですがー「ロストジェネレーション」と云われます。これはバブル崩壊後の「就職氷河期」に新卒採用のレールから外れ、安定した職場につけなかった人たちのことを指します。先日新聞を見ていますと、安倍政権の諮問会議は、先にこの世代を「人生再設計第一世代」と呼び、職業訓練などの支援策をまとめたといいますが、「失政の責任を個人に押し付けている」として、評判は良くないようです。

確かに、この30年の平成時代は、「失われた10年」から始まって、20年そして今や30年と、まるまる失敗した期間だと捉えられています。ちょうど同じ時期を政治家として過ごしてきた私としては反省するところ大なるものがあります。今日お集まりの皆さんは食品を消費者に提供する小売市場の最前線で働いておられるわけですが、そこでも「食品ロス」が今大きな社会問題になっています。食品と人間とを一緒にするな、と怒られそうですが、意外に関係しているとの話をしてみたいと思います。

「日本社会40年転換説」の迫真性

まず、私たちが生きている時代は、どういう流れの結果として今があるかを考えましょう。ここでは「日本社会40年転換説」なる一つの仮説を参考にします。これは、明治維新から約150年間の時の流れをほぼ40年づつに分けると、見事に興隆と下降とが、山頂型と谷底型として交互に表れてくるのです。維新から40年後に、明治日本は日露戦争に勝利して国力の増大ぶりをアジアに、世界に宣揚します。富国強兵政策の所産としてです。しかし、その後もその政策を続けた結果、40年後には無惨にも一国滅亡の憂き目に合ってしまいます。1945年のアジア太平洋戦争の敗戦という結果です。全てを失ってしまいました。

さて、それからの日本は軍事力を必要以上に持つことはやめ、それはアメリカに任せて、自国はひたすら経済の分野に邁進する方途を選択します。高度経済至上主義です。その結果、ほぼ40年後には世界第2位の経済大国にのし上がり、バブル絶頂の時を迎えます。しかし、それもつかの間、バブルは崩壊して今や経済においても中国に追い抜かれ、下降線を辿る一方です。この分だと、2025年ごろの少子高齢化のピークと云われる頃までその流れは続きそうです。つまり、経済至上主義を続けた結果、前半40年は良かったが、後半40年は真逆になってしまったというわけです。

さてどうするか。こういう仮説に立つとすると、あと6年ほど指をくわえて、落ちゆく先を呆然と見てるしかないのでしょうか。この流れを変えるには、今までと全く違った価値観を持って、国も個人も新たに立ち向かうしかないと云えると思います。自公政権は、「一億総活躍社会」なるものを掲げる一方、「人生再設計」を呼びかけています。私はこの方向は間違っていないと思います。(2019-6-12)

 

 

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兵庫はなぜ全国一の最激戦区なのかー参院選公示前1ヶ月

このところ東京に住む友人から次々と電話をいただく。中身はもちろんそれぞれ違うのだが、共通しているのは高橋みつお候補の挑戦する兵庫選挙区ってどんなに大変なのか、離れているとイマイチわからないので、教えて欲しいというものです。中にはそんなに大変なら立候補させなければいいのに、などという方もいます。その辺りを踏まえて、兵庫発の選挙区事情を述べてみたいと存じます▼兵庫選挙区は前回の選挙(平成28年/1916年)から定数が1増えて3になりました。それまで24年もの長きにわたって、定数2では立てることが出来なくなっていたのです。そこに立った伊藤たかえ候補(現参議院議員)は唯一の女性・弁護士候補の利点を生かし、それまで永年の公明党参議院兵庫選挙区の悲願だった50万票を大きく超える542090票を獲得して2位の当選を果たしました。この勝因は、一つは自民党・保守層の支援協力。二つは民進党の地盤沈下。三つは全国からの支援活動が挙げられると思います。自民党の兵庫票は70万から80万票を優に超える力を持っているのに、前回は64万票に留まりました。末松信介氏が自公選挙協力に異議を唱え、周辺に憤懣をぶちまけたとの話もむべなるかなと思いました。私は当時、これまでの24年間の公明党の下支えへの理解を示して欲しいものだと述べはしましたが、自民党県本部はおさまらなかったと記憶します▼3年前と今回で情勢が違うのは、民主党から民進党へと、低迷を続けた野党第一党候補が落選したのに比して、今回は上り調子の立憲民主党と名を変えて女性・アナウンサー出身の新人が出ることです。唯一の女性候補は強みです。兵庫はかつて河上丈太郎、河上民雄、土井たか子といった社会党の領袖たちがいて、日教組とは一味違う兵教組の力もあり、立憲民主を支える層はかなり強力です。前回落選したとはいえ、42万票も取っており、決して侮れません。さらに、大阪維新の会の候補は唯一の現職です。6年前に初当選した著名な元アナウンサーです。この党は、3年前にも53万票を取って、新人(元NHK記者)を当選させており、兵庫での議席を指定席のようにしつつあります。しかも、この現職は非常に人当たりのいい爽やかな青年政治家で、敵にするとかなりの強者との印象です▼こう見るとわかるように、自民、維新、立憲で3議席は決まりという感じが強くします。では、これらの他党候補に弱点はないかというと、ないわけではありません。そこが付け目です。まず、自民党候補は、これまで長田区選出の兵庫県議会議員でした。ガッツのあるパワー溢れる地方議員の典型ですが、五国と言われる広大な兵庫県の隅々まではとても名が通っていません。自公双方合わせて120万票ほどと見られる保守中道票を分け合うチャンスだと思います。双方が競い合う中でお互いに当選することを目指すべきでしょう。維新は、素晴らしい候補ですが、この6年の実績は見るべきものはありません。存在感は弱く、風の噂では、本人自身が今回の当選は難しいと口走っていたと言われます。維新への風次第というところが強みでも弱みでもあるのです。立憲民主は、完全な落下傘候補で、しかも未だ公認されて数ヶ月しか経っていないのです。いかに党への追い風があるとはいえ、無名の新人は厳しいとはいえます。このように、欠点はそれぞれ持っています。そこをしっかり突いてこそ、高橋みつお候補を押し上げることは可能になるものと思われます。公明党の兵庫選挙区での通常の力は37万(前回衆院選比例区獲得票)前後しかありません。それでは当選ラインまで17-8万票足りないという現実を見据えて、懸命の努力をするしかないのです。(2019-6-5)

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「大阪都構想」での公明、維新の合意を読み解く

「大阪都構想」を巡って、公明党と大阪維新の会(以下、「維新」と略す)がこのほど合意をしたというニュースを聞いて、遺憾に思う人は多いようです。これまでの経緯を振り返れば無理ないことと思います。あれだけ公明党は反対し、維新とはぶつかってきたのですから。ですが、ここは冷静になって、ことの本質に思いを巡らす必要があるのかもしれません。一言で云うと、政治とは合意形成への道筋に尽きるということでしょう。ただ、それはそうだとしても、タイミングというものがあります。この両党間の合意に反対する人は、ついこの間まで公明党は都構想に反対し、「維新」をなじっていたのに、なぜ今手のひらを返すように、態度を変えるのか。維新から例によって大阪での衆議院小選挙区での「非協力→激突」をほのめかせられて動揺したのか、との疑念を持たれるのも無理ないことです▼確かに、これまで公明党は「維新」の掲げる大阪都構想には反対でした。対立のポイントは、「維新」案がひとたび大阪市を解体して五つの特別区にし、大阪府のもとに東京23区のように所属させようとするものなのに対して、公明党案は、大阪市を生かしたまま総合区を作ろうという考え方でした。煎じ詰めれば「大阪市解体の是非」が焦点でした。自らの意思をごり押しする「維新」は、政治の私物化に繋がるものだと私も批判しました(「浪速の〝ロシア風〟とりかえばや首長選」3-16)。住民投票と首長選挙の結果は違うんだとも強調しました。それを首長選挙で敗退したからといって、妥協するのはいささか早計に過ぎるではないかとの懸念です▼ただ、首長選挙に示された民意をどう見るかは、そう単純ではないとも言えます。賛否が拮抗しているとは言え、結果を全く無視して今まで通りの主張にこだわるのか。それとも賛成が上回った事実をどう勘案するか。無視して、従来通りの姿勢を貫くと、一貫性という面でつじつまは合いますが、もう一度住民に意見を聞く際に示される選択肢に、膨らみがなくなり、不毛の選択が続くだけになってしまいます。そういう意味で、歩み寄る態度を公明党が示したということは、民意をどう現実に反映させるか、という政治の柔軟性の発露の顕在化を意味します。合意形成で失うものと得るものの両者を天秤にかけたうえでの重要な判断だったと言えましょう▼今回の両党の合意では、公明党は、賛成するとの基本姿勢を定めた上、❶市民サービスを低下させない❷特別区の設置コストを最小限に抑える❸現行24行政区の窓口の機能を維持する❹全特別区に児童相談所を設置するーといった要請を踏まえての制度案(協定書)の作成を提案しています。つまり、合意形成に向かっての努力をこの4条件の実現に凝縮させようというわけです。このように言ったところで、所詮は、総選挙での「維新」の恐喝に屈したのだろうとの見方は根強いものがあります。それは勿論否定出来ません。選挙という現代の〝国取り物語〟で多少とも自らに有利になるように動くことは当然だからです。総選挙をまじかに控えたタイミングだからこそのディール(駆け引き)的側面はあり、双方のプラスマイナス両面の結果としての選択だったとは言えましょう▼さらにここで見逃し得ないことは、日本におけるもう一つの保守勢力の台頭を国民が望んでるのではないかとの視点です。つまり、現在のような自民一強ではなく、また立憲民主のような旧革新的な勢力を伸ばして先祖返りするのでもない。さりとて中道の公明党でもないという選択。それこそ、大阪における「維新」の持つ根強い人気をどう考えるかとの見方と関係があります。これを大阪の特別な事情と見るか、それともこれからの日本政治の方向性を先取りしていると見るか。この辺りは極めて重要な判断を要します。今後10年、20年先の日本を考える時に、日本の政治の安定的発展のために何が課題かを考え、複合的判断を下すのも大切です。その際に、政党間における友党関係は一つに限らない、二つあってもいいというのが私の大胆な見立てです。公明党はこれまで臨機応変に合意形成に知恵の限りを尽くしてきました。それこそ変幻自在の対応をする存在としていきてきましたが、これが中道主義の真骨頂なのかもしれないのです。(2019-6-2)

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四国・剣山次郎笈に熊の痕跡を求めて

どこまでも果てしなく澄み渡った青空のもと、5月26日の早朝に四国の徳島県と高知県の県境にそびえる剣山次郎笈中腹に登ってきました。これは一般財団法人・日本熊森協会の主催で、「剣山のクマ生息地を見に行こう! 四国クマ生息地ツアー」と銘打たれたもので、同法人の森山まり子名誉会長、室谷悠子会長を先頭に、30人を超える人たちと一緒でした。集結場所の四季美谷温泉からさらに車で登ることニ時間あまり。剣山スーパー林道を走って「奥槍戸 山の家」に到着したのはお昼前。標高1500mほどの場所から、壮大な眺めを眼にしながら、藤田恵元木頭村村長(現・熊森協会顧問)の鬼気迫る〝今昔話〟を聞きました。「拡大造林」こそ諸悪の元凶であると強調されたことがとても印象に残っています▼藤田元村長の話を改めて聞くまでもなく、戦後の日本はこの拡大造林政策によって、広葉樹林が皆伐されてしまい、山々の奥地に至るまで林業用のスギやヒノキの単一針葉樹林に変えられてしまったのです。クマたちは、広大な生息地を失いました。クマはこれら人工林の木の皮を剥ぐ害獣として、一頭30万円の懸賞金がかけられるなど、徹底した駆除が行われたのです。その結果、四国のツキノワグマは、四国自然史科学研究センターによると、現在は剣山(1955m)の頂上付近にある、狭いブナ・ミズナラ帯で菜食をして、人間に見つからないように、ひっそりと生息しているのではないかとみられています▼今回行った山地の近くに位置する高知県香美市の石立山南の地域の人工林を熊森協会はトラスト地として所有しています。実はそこを調査した際に、クマの皮剥跡を発見したことから、一度この辺りを徳島県側から皆で見に行こうということになりました。尤も、この日昼過ぎから二時間ほどかけてブナ林を歩きましたが、クマの生息している痕跡は全く見られませんでした。というより急な崖道が殆どで、この場所はクマが生息するには相応しくないという他ありませんでした。私の拙い経験では兵庫と岡山の県境にある若杉原生林の方がクマの生息地と感じさせる多くのものを持っていると言えます。クマの生息地を探すという狙いも、また天然林を見るという意味でもいささか的外れな場所であったという他ありませんでした▼実は、この5-2に毎日新聞の「発言」欄(「放置人工林の天然林化を」)に続いて、この日5-26には、神戸新聞のオピニオンのページ「見る 思う」欄に、拙稿が掲載されました。タイトルは、「豊かな森を取り戻すために」というものです。人工林と天然林を比較して見る機会が私の自然観を根底から変えてしまったとの書き出しで始めました。長く熊森協会や奥山保全トラストの活動に私は取り組んできましたが、政府も政治家も関心を寄せる向きは少なく、残念な状態が続いてきました。森が大事だとは皆口にするのですが、森の荒廃がクマを象徴とする大型野生動物の里山への出現に予兆として現れているということに気づかないのです。公明党の仲間たちからでさえ、「クマやイノシシ、シカなどと人間とどっちが大事なんや」と罵声を浴びせられてきました。今回「森林環境税法」や「国有林改正法案」などの審議で、少し森に関心が高まってきてはいますが、まだまだ緒についたばかりです。ましてやクマと森の関係に気づく政治家は未だ少数です。これから本格的に活動を始めねば、との意を一層強めています。(2019-5-28)

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共同「仕入れ・配送」で買い物弱者を守る営みに誇り

私が顧問をこの15年ほど勤めている一般社団法人「AKR共栄会」の総会が今年も23日午後大阪市内で開かれました。AKRとは「オール小売連合」の略で、弱小小売市場を守るために、京阪神地域を中心に50社ほどが参入している小さな団体です。私が選挙に出た30年ほど前は姫路市内にも公設の小売市場はあちこちにありましたが、今では殆ど見られません。巨大資本によるスーパーの進出で軒並み潰されてきました。これを救いたいとの思いで、共同で仕入れ、配送し、そして共同で保険をかけるという仕組みを作ったのが河田正興さん。ビジネスファームの代表ですが、AKRの専務理事をしています。毎日新聞の記者だった大学同期の成相幸良(元大阪毎日ビル社長)の紹介で、知り合いました。私たちはこの仕事こそ中小零細の市場を助ける一方、買い物弱者を守る大いなる営みだとの誇りを持っています▼今回の総会ではその河田さんが、AKRモデルについて説明を改めてしてくれました。彼は、まず「中小食品スーパーのボランタリーチェーン」と云うのが一般的な規定づけであることに触れました。出発の時点でお金もなく人も小人数しかいなかったので、既存機能を活用し、変動費型運営で、設備投資ゼロというところから出発したと強調。取引信用保険や中小企業倒産防止共済など多様なリスクヘッジ をして、国の助成制度をも活用してきた結果、18期連続で黒字の上、無借金という偉業を成し遂げてきたと誇らしげでした。また、組合員優先を重視してきたAKRだからこそのメリットが多いとして、具体的に❶組合幹部保証負担ゼロ❷共同保証による取引先の信用力❸大手卸との取引交渉力❹組合員負担(賦課金)への倍返し❺共同一括配送による荷扱い手助け負担軽減❻毎日配送による在庫負担の軽減❼組合員の出資金・保証金の最小限化❽組合員への購買割当負担なしーといったものを挙げていました▼このように発足以来18年で、タテ軸は見事に整ったことを強調するとともに、これからの10年に向けて①ボランタリーチェーン化の強化・充実②配送と決済に絞った中小食品スーパーのための地域安定供給システムの構築③消費者の信頼・利便向上策の展開を目標として掲げていました。つまりはヨコ軸の整備です。このあと、全日食の平野実社長が『小商圏時代における全日食の生き残り戦略』と題して講演。これはまた非常に示唆に富む話で、参加者は大いに刺激を受けていました。特に後半は、消費税増税についての対策を述べられ、軽減税率やポイント還元事業の複雑さにどう対応するかの問題を具体例を通して語られました▼この中で、スマホによるキャッシュレス決済の時代がもう目の前に来ていることを改めて私も認識しました。IT化に中途半端な対応で遅れている高齢者層にとっては脅威ではありますが、使いこなせば大いなるチャンスでもあります。定例総会終了後の懇親会ではそのあたりも含め、活発な意見交換が行われました。毎年一回の会ですが、私はこの場で知り合った人間関係を大事にしてきました。この日も新たな出会いとともに、多くの古い友人と関係を深めることができました。加えて、神戸で月一回やっている異業種交流会に誘って、次なる関係の発展に繋げる努力をするつもりです。(2019-5-25)

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あの中西先生と一緒に映画『チャイナ・シンドローム』を観る

「令和」の名付け親・中西進先生と月に一回、映画を観る機会があるってみなさん知ってますか?この試みはすでに100回を超えています。中西先生は、京都市の右京区中央図書館で一般参加者と一緒に映画を観て、終了後にその感想を語ってくれています。10年ほども続いてるのですから驚きです。私が専務理事を務める一般社団法人『瀬戸内海島めぐり協会』の代表が、実は中西進先生なのです。この法人は出来て未だ3年ほど。ということで、時々中西代表に会う必要性があると、京都まで出向いて、映画を観ることにしています▼17日の午後。今回の映画は『チャイナ・シンドローム』。ジェーン・フォンダとジャック・レモン、マイケル・ダグラスらの名優が出ていて、話題をかっさらった原発告発の映画(題名はいささかこじつけ気味ですが)です。もう随分前のもの(1979年)ですが、ある意味で今だからこそのリアルさが強く伝わってきました。最初はいささか退屈気味。「事実は映画より奇なり」ではないか、と高をくくっていました。福島の惨状に比べたらこんな映画なんか、と。しかし、終盤にきたって、原発事故の真相を語ろうとする職員を亡き者にすべく魔の手が忍び寄り、壮絶なカーチェイスが始まります。そしてテレビを通じて実情を発信する段階にまで漕ぎ着けながら、警察の手で結局は葬られてしまう残酷さ。その非情さの中で、辛うじて真実を述べる友情の発露にホッとする場面もあったり、とグイグイ引き摺り込まれていきました▼ともあれ福島第一原発の事故を経験してしまった私たちにとってもまことに切実なテーマであり、迫真性に富む内容でした。映画が終わって、中西進先生は、原発を巡っての立場の違いを超え、純粋に客観的に見られる観客の喜びを感じますね、と笑いを誘ったあと、原発というものの存在の危険性について、私達はあらためて正面から捉えていかねばなりませんと熱っぽく語っていました。時代の名付け親として何かを語られるか、と期待しましたが、それは特にありませんでした。先生はそんな時流めいたものにおもねる人ではないからでしょう▼終了後、若干の懇談の機会を持たせていただきました。私は原発を段階的にゼロにするとの公明党の政策立案に関わった人間です。原発は、喉元過ぎれば熱さ忘れるの喩えどおり、また元に戻る危険性があり、既にその兆候は出ています。これを覆すには「原発無用論」を明確に樹立する必要があります。日本経済にとって、あるいは文明の発展にとって、原発は必要なんだという牢固とした考え方から脱却することが大事です。この一点で、中西先生と私の意見は全く同じであると発見できたことは、この日の大いなる収穫でした。(2019-5-18)

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