【125】市議8期32年、自治会長半世紀の先輩の〝壮絶な戦死〟/10-10

 つい先日、親しい先輩が亡くなった。伊藤孝さん。享年86歳だった。29歳の時に姫路市議に初当選していらい8期32年間もの間その職にあった。同時に、ご自身の住まわれた地域の自治会長も務め、勇退されてから20年ほどずっと続けていた。つまり50年、半世紀余を超えて地域住民の面倒を見続ける立場にあったのである。その人が秋祭りの準備の最中に自治会仲間と一緒に地域を回る中で不慮の死を遂げられた。地域住民の幸せのための戦いに従事しきったひとの〝壮絶な戦死〟だった◆亡くなられる10日ほど前に私は出会う機会があった。このブログ123に書いた石川誠医師の祝賀会で、同じテーブルを囲んだのだ。地域医療の発展に渾身の力を込めてきた石川先生と、同じく最前線の住民の健康維持に奔走してきた伊藤さんとは、深い信頼の絆で結ばれていたに違いない。私の席とは対面とはいえ、やや離れていた。後輩の国会議員や県議と隣りどおしの席だったが、談笑場面は見られず、笑顔がなかったのが妙に気にかかった。選挙間近しかもしれぬが、もっとこの場を楽しまれるといいのにと正直思った。死魔が忍び寄りつつあったのかもしれない。会場内を動きまわって挨拶に余念なく、伊藤先輩と私は目配りするだけで終わったことが悔やまれる◆私が伊藤さんと初めて会ったのは30年ほど前。衆院選に出馬するべく帰郷した時だった。いらい、幾たびもの共戦を重ねてきた。姫路の様々の地域の名士と会うたびに、友人・伊藤市議の名が出た。その都度、先輩の戦いの痕跡の広さと深さに驚き、尊敬の度を強めてきたものだ。思い出を辿るにつけ、どの場面でも笑顔が印象に残る。〝苦節足掛け5年〟の末に私が初当選をした時は、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれたものである。晩年は体調を崩された老妻の車椅子を押され、通院しておられたとも聞いた。その場面を直接見た太子町のKさんが、かつて創価学会の幹部として座談会で御書講義や信仰の指導をしてくれた伊藤さんの真面目で優しい姿についても語ってくれた◆というのも、偶々8日の日曜日に、コロナ禍前に私自身が自治会長を務めた(僅か2年だけ)地域で、秋祭りがあり、明石から遠路参加した。懐かしい仲間たちと昼ご飯を一緒し、屋台の練り合わせを見たのち、Kさんと姫路駅前で懇談する機会を持ったからだ。その際に伊藤さんの死を伝えたところ、悲しむと共に思い出話が堰を切ったように出てきたのだ。公明党の議員は地域住民の「息遣いや心音」を最も身近で見聞きして、懸命にその人たちの要望解決に動く存在だと確信する。伊藤さんは紛れもなくその最先端を歩き続けてきた。公明党は明年で結党60年を迎える。その日まで、〝勝利の連続〟で元気に生き抜こうと誓いあっていた。その矢先の〝悔しい中断〟は無念だ。しかし、水が流れるが如き、先輩のひたぶるな献身的姿を、残された後輩たちは継承しゆくしかない。(2023-10-10)

 

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【124】「改革の先送り・安住」は政権交代に直結/10-3

 日本の政治をめぐって、かつての「55年体制」がいまに蘇ったとする議論は少なくない。しかし、これまでの論壇では、ここ10数年の維新、公明両党が果たしてきた役割を踏まえたうえでの旧、新2つの「55年体制」を論じたものはあまりなかった。しかし、境家史郎東大教授の『戦後日本政治史ー占領期からネオ55年体制まで』は、本格的に「新55年体制」に論及したものとして注目されている(私は未読)。1日付けの日経新聞「風見鶏」は、「政界を覆う新55年体制」と題して、その境家氏の議論を引用して展開している。このコラムの結論は「自民党が必要な改革を先送りして、『新55年体制』に安住すれば、政権交代を招くのも歴史の法則」としているところが見逃せない◆一言で「旧55年体制」というが、その実態は、公明党が野党の中核として本格的に登場する1980年代「以前」と「以後」とではかなり違う。「以前」では、与野党のイデオロギー対立から、特に安保論議は「不毛の対決」に終始したが、「以後」では第三の勢力・公明党の合意形成への努力のおかげで、PKO 論議の一部始終を振り返ると分かるように様相は一変したのである。一方、「新55年体制」では、維新が野党の中にあって、保守のスタンスを鮮明にしており、安全保障をめぐる対立が再来したとはいうものの、「共産党を含むリベラル勢力がまとまれなくなった」という現実がある。現状では、新旧55年体制の実態は、自民党の優位性において、〝非で似ているもの〟といえよう◆ここでは、そういった事情に自民党中心の政権が安住するかどうかのカギを握るのが公明党だと敢えて言っておきたい。公明党が過去20年余の間、自民党と連立を組んできて、どこまで改革の実を上げてきたかは、評価の分かれるところだが、安全保障分野においては、旧体制前期のような世界観の相違から一歩も議論が前に進まないということはなくなった。尤も、以前に比べて前に進むようになったことをつい忘れて、憲法の原理から逸脱しがちなのが自民党である。例えば、つい最近に麻生自民党副総裁が公明党代表らを「ガン呼ばわりした発言」は文字通りその典型と言えよう。安保法制における集団的自衛権の解釈をめぐって、自公両党は〝玉虫色の決着〟(両者の言い分を盛った)をしたことを、麻生氏は知っていながら、罵詈雑言めいたことを口にしたものでマナー違反と見られよう。これには「論評は差し控える」とした公明党代表の大人ぶりが光った場面だった◆私は公明党の人間として、冒頭に触れたコラムの結論における、「自民党」という活字をそっくり「公明党」と置き換えてみたい。政党の大きさにおいて格段の差はあれど、与党として国民への責任は全く同じであるからだ。改革を進めずして、政権に安住すれば、やがてその座から降りねばならぬということは自明の理だと強調しておきたい。政権交代あってこその民主主義である。公明党はこのところの選挙で、「衆院選は政権選択」の選挙だと位置付けてきて、「政権安定のために自公を」と主張してきた。それがもはや通用しないということを多くの国民が気付くにいたっている。政権選択ではなく、改革志向の選択が問われていることを見誤ると、近い将来の失敗に繋がりかねない。(2023-10-3)

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【123】友の友は新たな我が友を実感━━尊敬する医師の褒賞祝賀会に参加して/9-27

 兵庫県民間病院協会の会長を務めておられた医師の石川誠さんがこのほど瑞宝双光章と、日本医師会最高優功賞を受賞されたことを記念する祝賀会が神戸市内のホテルで開かれました。9月24日のことです。長年親しくお付き合いをさせていただいた私も喜び勇んで参加してきました。同先生のお人柄を反映して、医療分野を始めとして政財界など幅広い分野から、600人を越える人々が集まっての極めて楽しい集いでした◆この人の凄いところは多彩な趣味やら研究へのご関心です。ゴルフ、乗馬、囲碁を始め、思想、哲学、宗教、文学などに対する造詣の深さときたら、並の人の追従を許さぬ幅の広さと奥行きに計り知れないものがあります。私はこれまで幾たびとなく、座談の場に同席させて頂きましたが、その都度、古今東西の知の蓄積が無尽蔵というほど、その頭脳から泉のように湧き出てくるのに驚嘆したものです◆こんな凄い人と私が、なぜ知己を得るに至ったのか。同郷(姫路出身)ということもさることながら、公明党の大先輩・渡部一郎、通子ご夫婦とのご縁が大きいのです。このお二人は若き日に創価学会学生部、男子部長、女子部長として活躍された上、のちに衆議院議員、参議院議員として夫婦揃って数多い足跡を残されました。そのご夫婦の魅力がいかに石川さんを捉えて離さなかったかを、繰り返し私は聞かせて頂いたものです◆また、この日の会で、友人代表として挨拶された三木英一さんは、元高校の校長先生で、論語の研究で著名な方です。挨拶の締めに漢詩を吟詠されたお声は今も私の耳朶に印象深く残りました。詩吟っていいなあと強く思いました。5歳の年齢差を感じさせぬ、お二人の交友は互いのリスペクトが根底にあるものだけに、遅れて歩むものたちの模範という他ありません。石川さんの培われた〝人脈の渦〟の中を溺れぬように泳ぎまわり、数々の再会を重ねるうちにお開きの時間がきてしまいました◆終了後は私が数年前に石川さんにご紹介した作家の諸井学さんの高校時代の友人2人と一緒に、場を移して語らいあいました。友達の友はまた我が友です。新たなたくましい友がまた増えました。人の友好の輪は無限のように続きます。人の世は人間同士会って話すことで、より味わいを増し深めることをあらためて痛感した一日でした。(2023-9-27)

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【122】「国家と個人」を考える糸口──TVドラマ『 VIVANT』を観て思うこと/9-21

 〝いい大人〟を惹きつけるテレビ放映が滅多にない民放だが、時にとても面白いのをやる。ついこのほど終わった『VIVANT」(TBS)は中々だった。広大なモンゴルの大草原を舞台に、山あり谷ありの筋立て。国家・社会と個人・家族との相剋、仲間うちの忠誠やら裏切りを盛り込み、公安、警察を主軸に、政治に軍事・外交を絡めた壮大なスケール。生命の危うさと尊さを存分に曝け出し、めくるめく展開を次々と見せた挙句の末のどんでん返し。噂を聞いて私も途中から参入。ダイジェスト版の助けを借りて漸く最終回まで辿り着いた。人気俳優の力演もあり、それなりの満足感に浸っている◆このドラマの中で活躍したのが「別班」という名の組織。共同通信が10年前に報じたところによると、陸上自衛隊の秘密情報部隊で、軍事・政治・治安情報の収集にあたる極めて優秀な人材集団という。〝別の班〟とは、とって付けたネーミングで、味もそっけもない。言葉の響きはダサく、リアル感はない。10回分のドラマが終わった後、同テレビ局は『報道1930』で、専門家3人を揃えて詳しい解説をしていた。その番組で石破茂元防衛相がかつてその存在の有無を週刊誌記者から問われて「存在している。してなきゃおかしいだろう」と答えておきながら、つい最近の「国会トークフロントライン」では「あるともないとも言えませんがね」と、トーンダウンした発言場面が放映されていた。実は、菅義偉元官房長官は2013年に「これまで存在してないし、現在も存在していない」と全否定しており、歴代の首相も防衛相も知らないことになっている◆2007年に防衛庁が防衛省になり、それに先立つ10年前の1997年に情報本部が作られた。内閣情報調査室、いわゆる「内調」と呼ばれる組織体など、警察をベースにしたものが国内を主に担当する一方、防衛省・自衛隊が国外における諸々の情報を取り扱うのだろうと漠然と思っている人は多い。今回のテレビ放映をきっかけに、政府は「別班」の存在を改めて明確にすべきだろう。でなければ、その危うさがかえって印象深くなるだけだ。戦前の日本が、昭和の冒頭20年の間に、いわゆる「軍部独走」を許し、国家消滅に至ったことは、今さらいうまでもない。今NHKで再放送中(10回放送予定)の司馬遼太郎の『雑談「昭和」への道』を観ると、改めて古傷が痛み出したという人は少なくないと思われる◆ウクライナ戦争は、始まって1年半がとっくに過ぎ、終結の兆しは見えない。それどころか、ロシアと北朝鮮の急接近やG20各国(G7を除く)の親露傾向など、世界情勢は崩れた積み木を粘土で急ぎ固定化するかのような動きが垣間見える。戦後78年が経ったとはいえ、いまだに日本は、真っ当な意味で自主・独立した国とは言い難い面があることは、拙著『77年の興亡』『新たなる77年の興亡』で示唆してきた通りだ。先の「別班」をめぐる議論での結論は、「シビリアンコントロール(文民統制)を逸脱させるな」だった。国家の基本を揺るがす事態に対応するための情報収集が他国任せであってはならず、自前のものでなければならぬことは当然だろう。その意味で『VIVANT』が提起したテーマは、娯楽番組の域にとどまらせてはならず、皆で大きな問題を考える糸口にしたい。(2023-9-21)

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【121】総選挙の影に振り回されず国家戦略構築の議論の場を/9-15

プロ野球・阪神タイガースの優勝に大手がかかった14日午後6時過ぎの神戸ホテル・オークラは、衆議院議員・赤羽一嘉を激励する会の参加者でごった返していた。ドンピシャで甲子園球場の試合と重なってしまい、登壇者は次々に「アレのかかった日に‥‥」を口にした。18年ぶりの優勝だけに阪神ファンならずとも気になる対巨人戦だった。この日のスペシャルゲストのひとり河野太郎デジタル担当相は、自分は巨人ファンだがと前置きし、祝意を匂わせつつ話の口火を切った。来る衆議院選挙での「赤羽の勝利」に向けて自公結束の強さを見せつける重要な場面に、「阪神優勝」も花を添えたようだった◆前日の組閣で岸田首相は、重要6ポストの留任を軸に、ベテラン、新進取り混ぜた5人の女性大臣、11人のフレッシュな新入閣者を配置し、盤石の体制を作ったと見られている。この日もビデオで、同期当選の赤羽氏の活躍に期待する首相メッセージが披露された。岸田第二次再改造内閣の力量はこれから試されることになるが、「変化を力にする」との首相の言い回しは分かりやすいとはいえない。次々と変化する内外の情勢に押し流されず、的確な対応をするという意味だと捉えて、見守るしかなかろう。まずは、いっときの猶予も許されぬ経済対策に期待したい◆いかなる内閣も、改造直後はいわゆるご祝儀の意味合いが込められて、支持率はアップするのが相場だ。現今の政局を判ずる各種メデイアの展望や予測を眺めると、最も早くて、10月22日の補欠選挙(衆議院長崎4区と参議院徳島・高知選挙区)との同日投票を第一想定案として、11月から12月初旬にかけての総選挙の可能性があると睨むものが多い。これらはまた、首相自身は自民党内の勢力地盤が弱いため、来秋の総裁選挙に向けての基盤強化が第一の目標だとの見方で一致する。その上で、総選挙を今秋にするか、それとも明年の総裁選挙前にするかは、いつにかかって支持率アップを始めとする世の空気が大きく影響するということだろう◆ただ、私はこういう見立てそのものに、疑問をいだく。衆議院は4年任期であるものの、ほぼ3年で総選挙になり、しかもその時期は首相の恣意的判断に委ねられる。これまで戦後77年半、時の権力の〝生命維持操作〟の具に供されてきた。これから国をどういう方向に持っていくかの戦略的議論もいい加減なまま。目の前の政策課題に右往左往するのが精一杯という他ない様相が展開されてきたのである。現実政治の采配はもちろん大事だが、それと同時並行で長期戦略を時の与党勢力が考えずに誰が考えるのか。「常在戦場」は結構なことだが、総選挙の影に政治家も有権者もいつも振り回され大事な議論がその場凌ぎに終わることはごめん被りたい。自公両党のリーダーは、選挙互助のためだけの連立政権であってはならないことを強く銘記してほしい。(2023-9-15)

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【120】「日本壊滅」のリアル━━関東大震災100年と南海トラフ大地震を前に/9-8

 さる9月1日は「関東大震災」から100年が経ったということで、様々の媒体が特集を組んでいました。その中で、とりわけ注目されたのは2日にわたるNHK による『関東大震災100年』の放映(前・後編)でした。残っている記録映像をカラー化したり、専門家の手で日時や場所を特定する作業によって、これまで不明だったものが鮮明になったことは大きな収穫でした。もちろん、「陸軍被服廠跡」での大惨事や「朝鮮人虐殺」、橋の上の大混乱などの詳細な映像はありませんでしたが、緊急時にも関わらず、惨事直前に映っていた人々のゆとりある表情がものの見事に捉えられていました◆一点、気になったのは、川に架かった「橋」についてです。映像では当時の住民が逃げる先を求めて、墨田川に架かった橋に両方から殺到したため押し潰されたり、川に飛び込んでの溺死を大量に生み出したとしていました。当然でしょう。ところが、一方で水天宮近くに架かった橋ではそうした惨事を免れたというのに、そこは全く触れられていませんでした。1日付け毎日新聞の1面コラム「余滴」では、警察の誘導による見事な美談が残っており、感謝の石碑の存在まで建てられていることに触れています。総じて、巨大都市にあってはむしろ「逃げないこと」が大事だというのがポイントかもしれないでしょうが、その辺りも未消化のままでした◆一方、私が注目したのは、南海トラフ大地震がこの30年内に発生する危険性が70〜80%あるとの予測の上に立ったドラマ『南海トラフ巨大地震』です。時間差で襲ってくる「半割れ」の恐怖を描いていました。ドラマの見応えは十分でしたが、エンディングにはいささか失望しました。鉄工所経営に失敗した主人公の1人が震災を機に思い直し、缶詰めの生産に取り組むというのですが。あまりに普通過ぎて夢がない、ギャグの変形のように思えました。翌日にはドラマに登場した男女2人の俳優と学者による第二部「最悪のシナリオにどう備えるか」が新企画で興味深い内容でした。尤も、気象庁職員を演じたヒロインが現実における自分の防災意識のなさを正直に話したため、微妙な失望を禁じ得ませんでした。現実での俳優の発言とドラマでの振る舞いのギャップは程々にしておかないと、「幻想が崩れる」という勝手な私的感想です◆100年前の実録と30年以内の未来予測とを合わせ観て、私の胸に去来するのは「日本壊滅」のリアルです。阪神淡路大震災と東日本大震災の二つを超えるような巨大地震がほぼ同時に日本を襲うという想定は、いかに楽観的で呑気な人でも戦慄を覚えざるを得ないと思われます。有史以来日本列島は一定の間隔をおいて、着実に大震災に襲われてきましたが、その都度不死鳥のように立ち直ってきたとの事実があります。しかし、今度はもはや希望的観測は成り立たないと思われます。河田恵昭京都大名誉教授も「(これを機に)日本の衰退が始まる」との警鐘を鳴らしていますが、私も同感です。私がこだわる『77年の興亡』は新たに第3のフェイズに入りました。2099年のゴールまでに必ず迎える事態にどう対応するかの構想を練る必要があります。国土交通省のトップをこの10数年連続して輩出してきた公明党は、この任に当たる責務があると思われてなりません。(2023-9-8)

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【119】江田島で日本防衛の「歴史と伝統」に触れる/9-2

 猛烈な暑さが続くこの夏の終わり(8月25日)に、広島の江田島に行って、旧海軍兵学校跡地にある海上自衛隊幹部候補生学校と第一術科学校を訪問すると共に、旧海軍以来の歴史を「教育参考館」で学んできました。私がここにお邪魔するのはこれが2度目。初めて行ったのは今から25年ほど前で、衆議院安全保障委員会の一員としての視察でした。その時の強烈な印象忘れがたく、改めて大学同期の友人たち3人と一緒に行ってきました◆広島といえば、原爆資料館が有名で、先のG7広島サミットの際にも、各国の首脳が被曝の実態を記憶に刻んだことは周知の通りです。私はそれと共に、江田島の旧海軍兵学校跡地に行って、この国を守ることの「歴史と伝統」をつぶさに見ることも大事だと思ってきました。「戦争」を考える上で、ある日突然に無惨にも被爆死した市民と、特攻隊員などで覚悟の出撃で逝った若き兵士たちとを同時に捉える必要があると思うからです◆海軍兵学校は、1869年(明治2年)に東京築地に創設され、1888年(明治21年)に広島・江田島に移転しました。江田島は、アメリカのアナポリス、イギリスのダートマスと並んで世界三大兵学校の所在地として、その名を轟かせてきました。敗戦と共に、海軍兵学校は幕を閉じ、各施設は連合軍の支配下におかれましたが、1956年(昭和31年)1月に返還され、当時横須賀にあった術科学校が江田島に移転(のちに第一術科学校に変更)、その翌年、幹部候補生学校が独立開校したのです。この日は、両校の学校長に大講堂、赤レンガ(通称)などを案内していただきました。私は冒頭のご挨拶で、かつてこの地を初訪問した際に、生徒たちの規律正しい姿勢に感動し、教育参考館で強い衝撃を受けたことなどを述べる一方、自衛隊の憲法上の位置付けについて、公明党、私自身の努力してきた経緯についても紹介しました◆教育参考館で17-18歳の青年たちが詠んだ「山桜 散り行く時に散らざれば 散り行く時は すでに去りゆく」などといった辞世の句に初めて接した友人は、しばし涙していました。すべての視察を終えて帰ろうと校庭を歩いていたときに、校内放送が鳴り渡り、「総短艇」と呼ばれる競技の場面に遭遇しました。これは日常的な実習とは関係なしに突然行われるもので、放送直後に建物のあちこちから生徒たちが寸秒争うように、飛び出してきました。海岸沿いのダビットに吊られたカッターを降ろして飛び乗り、沖にある2つのブイを回って帰投する速さを競うというのです。この説明を広報係長から聞くにつけ、千載一遇のチャンスに巡り合った運の良さを感じた次第です。(2023-9-2)

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【118】どこと組み何をするのか━━国民民主党の党首選挙と路線選択/8-25

 国民民主党の党首選挙が9月2日投票に向けて今、真っ盛りだ。先日民放テレビで放映された1時間半ほどの玉木雄一郎代表と前原誠司代表代行との対論はなかなか見応えがあり、聞きがいがあった。その中身たるや、自民党を中心とする連立政権との距離感をめぐる路線論争の展開といえる。新進党との合流騒ぎの30年前、自公連立に踏み切った20年前、再び与党に返り咲いた10年前━━過去の10年刻みの歴史にまつわる個人的感慨を、まるで医者から古い血液検査表を見せられたかのように、呼び覚まされた◆日本のこの30年間の国際社会における国力の凋落ぶり。この主因は結局、自民党政治にありとし、それに代わりうる新たなる「非自民、非共産」の連立政権の枠組みを作り、政権交代を目指すしかないとの前原氏のスタンスは明解である。「(維新、立憲の中核メンバーと共に)これからの日本をどうするのかをめぐってこの3年ほど議論してきている」(趣旨)との前原発言は、我が耳朶に残る◆大胆に要約すれば、自公連立に国民民主党が新たに加わる「自公国」連立を目指すのか、それに対抗して「立維国」連立の流れをを起こそうとの選択だと思われた。この対立を衆参合わせて26人ほどの勢力しかない野党第3党における〝コップの中の嵐的対立〟と見ることは容易だ。だが、沈みゆく日本の立ち位置を何としても変えたいとの2人の気概は疎かにされてはならない◆顔を紅潮させ、激しく挑みあう2人の姿をテレビ画面で見ていて、危うさと羨ましさが交錯する感情を抑えがたかった。代表選挙後に何が起こるのか。果たしてノーサイドとなるのかどうか。人間存在を可能ならしめる社会基盤を根源から揺さぶるAIの台頭や気候変動。戦後78年は、新たなる戦前とならないのか。明治維新から77年をへた国家滅亡(昭和の敗戦)の時から〝77年プラス1〟が経ったいま、大事なことは、この国をどの方向に持っていくかの大論争ではないのか。(2023-8-25)

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【117】維新代表の「第二自民党」論の真っ当さ加減/8-18

 少し前に維新の馬場代表が自分の党のことを「第二自民党」だと言って世の物議を醸した。与党自民党からも、野党からも「何を狙ってるのか」「(与党入りの)本心が透けて見えた」とか、悪評芬芬のていだった。当のご本人の思惑が那辺にあったか判然としなかったので、私もやり過ごしたのだが、大分時間も経ったので、ここいらでちょっぴり岡目八目的論評を加えてみたい◆私は自民党を公明党の「友党」というのなら、維新は「第二友党」と呼ぶべきだとの論及をしてきた。経緯はともあれ、公明党候補が出る衆議院小選挙区に自民党と並んで、維新も候補者を立てようとせず、正面からの争いを避けてきた党を友党と言わずして何と言えばいいのかと思ったからである。これまで、関西エリアにおいて、公明党が6小選挙区で勝利を曲がりなりにも得てきたのは、自民党、維新のお陰もあることは紛れもない事実だ。次の総選挙で維新が対立候補を出すからと言って、急に敵対視するのは大人気ないといわざるを得ない◆維新が大阪自民党から分かれ出てきたものであることは天下周知のこと。元を正せば、ルーツ、戸籍は自民党なのである。野党第一党の座を争うようになったからと言って、生意気にも、あるいは馴れ馴れしく「第二自民党」と名乗るのではない。氏育ちから言っても、正真正銘の第二自民党なのである。それが証拠に、「憲法改正」を目指すところを始めとして、自民党以上に保守の政治スタンスを隠さない◆恐らく馬場氏は自分の発言を観測気球のようなつもりで口にして、世の反応を伺って見せたものと思われる。というか、当たり前のことを言って見せて、みんながどう受け止めるかを探ったに違いない。「第二」とは、ご先祖・自民党に遠慮して言ったのだろう。いわゆる革新勢力やリベラル的なるものが公けには存在しなかった、戦前の日本の政党政治が「保守二党」が常態だったから、現在にあっては2番目の自民党だ、と。私には「新自民党」だと言わないところに、お顔の雰囲気に似合わぬ〝奥ゆかしさ〟を彼に感じる。勿論、このことと当面する政治課題や選挙で、自公両党と維新は相争う存在だということは、別けて考えねばならないということは当然である。(一部修正 2023-8-19)

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【116】「自公連立の今」に欠けている視点は何か━中北浩爾中大教授の分析に見る/8-9

 先日、中央大の中北浩爾教授への日経新聞論説フェローの芹川洋一氏のインタビュー番組(日曜サロン)「ギクシャクする自公関係」(8-6)を聞いた。さらに、その後直ぐ中国新聞に掲載(8-8)された同教授の署名入り記事「揺れる自公の信頼」を読んだ。共に、聞き応え読み応えある内容だった。この2つでの中身を要約すると、こうだ。自公政権に代わるもう一つの連立の選択肢が出来ることが最も望ましいとした上で、自公の枠組みの信頼関係の動揺がそれを促すか、それとも政治が混乱状態に陥るかの分岐点にあるという捉え方である◆中北氏は、自公政権に代わりうる選択肢は出来ないだろうとの見方であるが、この見立てに便乗して自公両党が、「安定か混乱か」との選択肢を国民有権者に提示する方向に進むことが想定される。確かに仮に野党による連立が成立したとして、待ち受けるものは混乱であることは火を見るよりも明らかだ。しかし、自公勝利が決して政治の安定をもたらさないこともまた、これまでの結果が証明している。「混乱」ではないものの、実は「停滞」をもたらしていることに気づく必要がある。ではどうすればいいのか◆私は、今この時期に総選挙をせずに、与党両党が政権運営における課題や国家の進みゆく方向をじっくりと協議し、合意を得て行く「政権基盤の強化」の努力をすべきだと考える。これまでは、双方がぶつかるテーマは深追いせず、棚上げしてきた傾向が強い。例えば「憲法改正」、外交安保政策における対中関係や軍事力増強さらには財政運営と消費税率問題、原発依存を含めたエネルギー問題などこの国のかたちに関わるテーマの数々である。右傾化する国の方向にブレーキをかけたり、国民生活向上に向けてどう仕組みを変えて行くのかについても双方が相手に忖度して躊躇するのも度を越すと、曖昧な政策選択の持続にばかり繋がり、長期停滞をもたらしてきていると言えないか。そうしたことの蓄積が日本の「失われた30年」の現実に直結していると言えなくもない◆こうした視点による「連立の強化志向」がないまま、安定ばかりを強調し、「選挙互助連立」に安住していると、長期停滞を免れない。維新がその間隙を突いて伸張しよういる。馬場伸幸・維新代表の「第二自民党」論に与野党とも冷淡だが一般有権者の受け止め方はどうか。その方向性に安心をもたらす意味で、好意的に受け止める向きも強いように思われる。自公連立に代わってのもう一つの選択肢としての「自公維連立」、あるいは「自維連立」へのデモンストレーションに、私には見えて仕方がない。(2023-8-9)

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