【117】維新代表の「第二自民党」論の真っ当さ加減/8-18

 少し前に維新の馬場代表が自分の党のことを「第二自民党」だと言って世の物議を醸した。与党自民党からも、野党からも「何を狙ってるのか」「(与党入りの)本心が透けて見えた」とか、悪評芬芬のていだった。当のご本人の思惑が那辺にあったか判然としなかったので、私もやり過ごしたのだが、大分時間も経ったので、ここいらでちょっぴり岡目八目的論評を加えてみたい◆私は自民党を公明党の「友党」というのなら、維新は「第二友党」と呼ぶべきだとの論及をしてきた。経緯はともあれ、公明党候補が出る衆議院小選挙区に自民党と並んで、維新も候補者を立てようとせず、正面からの争いを避けてきた党を友党と言わずして何と言えばいいのかと思ったからである。これまで、関西エリアにおいて、公明党が6小選挙区で勝利を曲がりなりにも得てきたのは、自民党、維新のお陰もあることは紛れもない事実だ。次の総選挙で維新が対立候補を出すからと言って、急に敵対視するのは大人気ないといわざるを得ない◆維新が大阪自民党から分かれ出てきたものであることは天下周知のこと。元を正せば、ルーツ、戸籍は自民党なのである。野党第一党の座を争うようになったからと言って、生意気にも、あるいは馴れ馴れしく「第二自民党」と名乗るのではない。氏育ちから言っても、正真正銘の第二自民党なのである。それが証拠に、「憲法改正」を目指すところを始めとして、自民党以上に保守の政治スタンスを隠さない◆恐らく馬場氏は自分の発言を観測気球のようなつもりで口にして、世の反応を伺って見せたものと思われる。というか、当たり前のことを言って見せて、みんながどう受け止めるかを探ったに違いない。「第二」とは、ご先祖・自民党に遠慮して言ったのだろう。いわゆる革新勢力やリベラル的なるものが公けには存在しなかった、戦前の日本の政党政治が「保守二党」が常態だったから、現在にあっては2番目の自民党だ、と。私には「新自民党」だと言わないところに、お顔の雰囲気に似合わぬ〝奥ゆかしさ〟を彼に感じる。勿論、このことと当面する政治課題や選挙で、自公両党と維新は相争う存在だということは、別けて考えねばならないということは当然である。(一部修正 2023-8-19)

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【116】「自公連立の今」に欠けている視点は何か━中北浩爾中大教授の分析に見る/8-9

 先日、中央大の中北浩爾教授への日経新聞論説フェローの芹川洋一氏のインタビュー番組(日曜サロン)「ギクシャクする自公関係」(8-6)を聞いた。さらに、その後直ぐ中国新聞に掲載(8-8)された同教授の署名入り記事「揺れる自公の信頼」を読んだ。共に、聞き応え読み応えある内容だった。この2つでの中身を要約すると、こうだ。自公政権に代わるもう一つの連立の選択肢が出来ることが最も望ましいとした上で、自公の枠組みの信頼関係の動揺がそれを促すか、それとも政治が混乱状態に陥るかの分岐点にあるという捉え方である◆中北氏は、自公政権に代わりうる選択肢は出来ないだろうとの見方であるが、この見立てに便乗して自公両党が、「安定か混乱か」との選択肢を国民有権者に提示する方向に進むことが想定される。確かに仮に野党による連立が成立したとして、待ち受けるものは混乱であることは火を見るよりも明らかだ。しかし、自公勝利が決して政治の安定をもたらさないこともまた、これまでの結果が証明している。「混乱」ではないものの、実は「停滞」をもたらしていることに気づく必要がある。ではどうすればいいのか◆私は、今この時期に総選挙をせずに、与党両党が政権運営における課題や国家の進みゆく方向をじっくりと協議し、合意を得て行く「政権基盤の強化」の努力をすべきだと考える。これまでは、双方がぶつかるテーマは深追いせず、棚上げしてきた傾向が強い。例えば「憲法改正」、外交安保政策における対中関係や軍事力増強さらには財政運営と消費税率問題、原発依存を含めたエネルギー問題などこの国のかたちに関わるテーマの数々である。右傾化する国の方向にブレーキをかけたり、国民生活向上に向けてどう仕組みを変えて行くのかについても双方が相手に忖度して躊躇するのも度を越すと、曖昧な政策選択の持続にばかり繋がり、長期停滞をもたらしてきていると言えないか。そうしたことの蓄積が日本の「失われた30年」の現実に直結していると言えなくもない◆こうした視点による「連立の強化志向」がないまま、安定ばかりを強調し、「選挙互助連立」に安住していると、長期停滞を免れない。維新がその間隙を突いて伸張しよういる。馬場伸幸・維新代表の「第二自民党」論に与野党とも冷淡だが一般有権者の受け止め方はどうか。その方向性に安心をもたらす意味で、好意的に受け止める向きも強いように思われる。自公連立に代わってのもう一つの選択肢としての「自公維連立」、あるいは「自維連立」へのデモンストレーションに、私には見えて仕方がない。(2023-8-9)

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【115】8-6広島原爆の日での岸田首相発言への失望と公明党への注文/8-7

 戦後78年目の8月6日「広島原爆の日」を迎えて、平和記念公園での式典が注目されました。G7の首脳が集結して行われた先のサミットで、各国首脳が被曝の実態を被曝記念館でつぶさに見たことに加えて、海外からの閲覧数が前年比5倍増(4-6月)になるなど、その発信力が高まってきているからです。私自身は個人的に、岸田首相が何を言うかに関心を寄せました。しかし、結論はゼロ。全く何も言わないに等しい体(てい)たらくでした◆むしろ、小学校6年生の男女2人の子どもたちのスピーチの方が聞かせました。何より2人は原稿を見ないで、暗唱して喋ったのです。例年そうなんでしょうが、式典の挨拶はノー原稿に限ります。原稿を読み上げるのは興味半減です。首相に全部原稿見ないでやれとはいいません。せめて冒頭部分だけでもそらんじて言って欲しかったと思うのです。彼は、テレビで見てる限り、式典のあいだ一貫して厳しい表情でした。そりゃあそうでしょう。聴く人たちの想いが分かってるだけに当然です◆「核抑止論は破綻した」との歯切れ良い広島市長の挨拶に比べて、何故にそうはいかないのかについて、G7の直後くらいはせめて弁明する率直さが欲しいと思ったのは私だけでしょうか。かの首脳声明での「広島ビジョン」に対する非難が強かったあとでの広島での挨拶だけに、何ら触れないのは全く情けないという他ありません。とりわけ、核兵器禁止条約の第2回締約国会議へのオブザーバー参加についてさえ、ノーコメントだったのには驚きを禁じ得ませんでした◆同じ日の記者会見では、「国の安全保障を万全にし、同時に現実を『核兵器のない世界』という理想に近づける。このロードマップ(行程表)を示すのが政治の責任だ」と反論したと伝えられているのですが、反論になっていないというべきでしょう。行程表なるものの一部でも明らかにし、オブザーバー参加がなぜできないのかを表明すべきだったと思うのです。さて、明後日の長崎での挨拶も同じなのでしょうか◆一方、山口那津男公明党代表は、同じ日の同地での会見で、核保有国と非核保有国の橋渡しをする役割を一歩一歩進めていくべきだと述べる一方、第2回締約国会議へのオブザーバー参加を目指すよう促しました。公明党も核廃絶はまさに党是とも言うべき生命線です。それを連立20年も超えているのに、相変わらず何も変えられないままというのは、情けない限りです。私自身2012年まで、その任(外交安保調査会長)にありながら、出来得なかったことを恥ずかしいと思っており、それを棚上げして、あえて仲間たちに注文をつけさせて貰います。(2023-8-7)

 

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【114】かつての発言の責任を痛感━━全国再エネ問題連絡会「第二回全国大会in兵庫」に参加して/7-26

 風力発電や太陽光発電などの再生エネルギーの開発を進めようとする動きが、各地で自然破壊を起こしつつある。これに対して、住民たちがもっと反対の声を強く上げようと、全国再エネ問題連絡会がさる22日に兵庫県西宮市の夙川公民館で、「第二回全国大会in 兵庫」を開きました。私が顧問を務める「日本熊森協会」をはじめ、全国49団体が加盟しているもので、私も参加してきました。オンライン配信が同時にあり、現地に集ったひとは、そう多くはありませんでしたが、北は北海道石狩市から、南は九州・熊本・水俣市まで全国7箇所の報告もあり、大いに充実した集会でした◆基調講演は、鈴木猛康山梨大名誉教授による『増災━日本列島崩壊に至る再エネ開発━』。鈴木氏は、今進みつつある再エネ事業は、内外の投資家への利益誘導で、水源の森を大伐採して進められており、二酸化吸収源として気温を緩和する働きを持つ森林を破壊する、まるで新たな災害を増やす事業だと、その本末転倒ぶりを糾弾しました。また、同連絡会の共同代表である室谷裕子・日本熊森協会会長は、「国の再エネ規制はどう進んだか?」と題して、国有林、緑の回廊など、国の手で守られるべき緑の源泉がむしろ、次々と壊されている現状を的確に解説。「再エネ規制」の名の元に、悪い方向に進む実態を明らかにする一方、こうした現状を今の法律では止められないとして、❶法規制を求める動き❷孤軍奮闘する住民、地域の連携と支援が必要だと訴えました◆こうした講演を受けて、参加した宮城・加美町、京都府・京丹後市などの現地報告や、共闘する国会議員からのビデオメッセージや動画が披露されました。このうち、公明党からは、私の後輩である東北比例ブロック選出の庄子賢一衆議院議員の農水委員会での発言が紹介されました。緑の回廊への対応が経産省と林野庁とが相反する現状であることに強い懸念を表明し善処を要求していたことは、強く印象に残りました。他にも自民、立憲民主、日本維新の会の衆参両院の議員たちの映像が見られたのですが、多くが日本熊森協会の顧問たちだったことは、強い共感を得られました◆この会合に参加した私の胸に去来したのは、ほぼ10年ほど前に、衆議院予算委員会の場で、原発に代わって再エネの利用を強く主張したことです。あれから、再エネ増への道が開けてはきたものの、却って緑を破壊する方向が露骨になっているのは残念です。緑豊かな地域で自然破壊を増幅させることを伴わない形での再エネ増を模索するべく動かねばなりません。そうせねば、かつての私自身の発言が無責任になると、痛感したしだいです。(2023-7-26)

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【113】「公明党赤穂浪士論」のゆくえ━━安倍晋三元首相の狙撃死から1年/7-15

 安倍晋三元首相が奈良県で参議院選挙の街頭演説中に狙撃され、亡くなっての1周忌から、一週間が経った。あの当時、突然の死に驚愕すると共に、当然ながら私の思いはまさに複雑だった。衆院当選〝同期の桜〟のあまりに無念な散り方に、「〝臨終只今にあり〟との覚悟、我にありや」との問いかけが胸中にまず浮かんだ。その一方で、安倍との私的交流の幾つかの場面が思い出され、胸掻きむしられる思いに苛まれた◆私と彼とは「新学而会」という名だたる学者と自民党保守派政治家の私的勉強会で席を同じくした(公明党からは私だけ)のだが、太田昭宏元代表や赤羽一嘉前国交相らとは違って、あまり親しく付き合う機会はなかった。私は引退してから10年、つくづく自らを政治家ではなく、新聞記者出身の評論家だと思う。常に政治家を観察し、評価する傾向が強かった。もちろんそれは今も続いて飽くことがない◆彼の政治家としての業績への判定はひたすら光と影のコントラストが強く、国民的評価はまさに真っ二つに分かれよう。私のような公明党の結党直後に大学生党員になり、卒業後に公明新聞記者になって、40歳過ぎて政治家に挑戦した者からすると、「自民党を変えるかどうか」しか政治、政党への判断基準を持ち合わせていない。私の公明党衆議院議員生活20年のうち、前半は野党、後半は与党だったが、今なお、公明党の与党化が本当に良かったのかどうかは、恥ずかしながら確信が持てないでいる◆自民党の中でひとり激しく同党批判を続ける村上誠一郎氏と懇意な関係にあったり、立憲民主党の野田佳彦元首相の「安倍晋三観」に共感するところなど、自らを非自民党的体質が強い人間だと思わざるを得ない。自民党との与党共闘に苦労する山口那津男代表や、石井啓一幹事長への慰労の思いは十二分にありながらも、ついつい注文が先立つ。こういう思いを我が体内に確立させたのは、紛れもなく安倍晋三元首相の振る舞いにあったことは間違いない。かつて、「公明党赤穂浪士論」(中道政治確立に向けて、身をやつし時を待つ)を唱えてきた私としては、安倍亡き後の日本の政治は、まるで討ち入り前に、「大石」も「吉良」も死んでしまった「忠臣蔵」のようなもので、拍子抜けしてしまい、観ていて全く面白くない。(2023-7-15)

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【112】映画『難病飛行』試写会での爽やかな感動/7-5

 映画の試写会に行くのは実に久しぶりのことだった。兵庫県三田市の会場には100人を超える観客でほぼ一杯。神戸市北区の蔭山照夫さん(83)から、息子の武史が書いた(センサーとパソコンによる)自叙伝『難病飛行』をもとにした映画(八十川勝監督)ができたので、観に来て欲しいと言われたのは今年の初め頃。さる6月24日に三田市に住む友人と共に観に行ったが、心から感動する映画であった◆武史さん(2021年45歳で死亡)は、小学校低学年頃から、転倒しやすいという身体の異常を感じていたが、やがて筋ジストロフィーによるものと判明する。小学校卒業と同時に養護学校へと進む。そこでの級友たちとの心の交遊が描かれていく。ゆったりとした時間の流れの中で、優しく力強い家族の介護や淡い恋ごころの芽生えが胸を打つ◆彼の周りにはご両親と姉さんの素晴らしい家族3人を始め、多くのサポーターがいた。映画の中で、全身の筋肉が萎縮し、やがて死に至るというこの病の実態を本人が知るくだりで、母親が「どこまでもずっと母さんが付いているからね」と口ずさむシーンには、胸揺さぶられ、涙させずにおかなかった。また静かで単調になりがちな展開に、折り込まれたバンドコンビ「ちめいど」(兄弟のサポーター)の音楽がとても印象的で、暑い日の午後窓際でさえずる小鳥のように爽やかだった。◆私が蔭山さん一家を知ったのは、地元公明党市議から難病と戦うご家族を支援して欲しいとの声を聞いたことがきっかけ。家族の皆さんで立ち上げたNPO 法人「もみの木」のメンバーと、厚労省への要望に幾度か同席もしたことがある。母親も本人も映画の完成を待たずに亡くなったのは無念だが、クラウドファンディングの力で集まったお金をもとに出来上がった映画によって、さらに多くの人の心に生き続けるに違いない。いい映画はいいなあ──当たり前の言葉が自然に口をつく。(2023-7-5)

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【111】通常国会の閉幕と、気になる内外重要課題あれこれ/6-23

 通常国会が幕を閉じた。気になる課題を挙げてみる。国内的には、マイナンバーカード(マイナカード)をめぐるトラブルの多発と、健康保険証の廃止という問題である。マイナンバー法が成立して10年。マイナカードを使ったコンビニでの証明書発行サービスで、住民票などの誤交付が相次ぐ事態が明らかになった。さらに、マイナポイント事業で、別人にポイントを付与するミスがこの約1年で、90自治体で113件あった。また、公金受け取り口座をマイナカードにひも付ける際に、家族や同居人などの口座を登録するケースが約13万件もあったというような混乱が多発している。〝デジタル立国〟と言いながらも、お粗末な実態にウンザリする◆そんな時に現行の健康保険証を廃止してマイナカードに統一させようと急ぐのは、時期尚早だとの意見が強い。首相は「マイナンバー情報総点検本部」をデジタル庁に設置して、総点検を指示したようだが、この国の弱点を改めてさらけ出したようで、いかにも侘しい。立憲民主党などはかつての年金騒動の時のように、此処を先途と攻めたててこよう。腰を落ち着け、じっくりと対応するしかない◆一方、自公政権の「防衛装備移転3原則」とその運用指針の見直しを議論してきたワーキングチーム(WT)が国会最終日に開かれた。議論の結果、結論は秋以降に持ち越されることになった。「装備移転」とはまやかし表現。要するに「武器輸出」のこと。ウクライナ戦争の継続の中で、従来通りに、殺傷能力のあるものは排除すべきとのスタンスの公明党と、救難、輸送、警戒、監視、掃海といった「5類型」に限定することは廃止して、案件ごとに判断し、緩和すべきだとの立場の自民党とが、ぶつかっている。政権与党内部で意見の食い違いが大きいテーマの一つがこれだが、〝行き詰まったら先延ばし〟の定石通りになった◆公明党が歯止め役に徹しなければ、この種の問題はどんどん進む。つまり、戦争加担の流れが加速する。平和構築のために必要なことに限定すればいいのに、軍備拡大に貢献する道をも歩みたいとするのが自民党政治である。これを阻止するのは、まさに、平和の党・公明党の生命線とも言うべきものに違いない。いくら議論しても埒が開かない、だから、国会が閉じたら議論もお休みにしようという風になりがち。ここは、こう着状態を打開するためにどうするかの議論も抱き合わせてやるべきだろう◆安全保障分野だけでなく、同時に外交分野で平和攻勢をどう進めるかの議論をすればいい。先日もNHK テレビ番組の『ヒューマンエイジ「人間の時代」』で「戦争」と「平和」をめぐるイメージについて興味深い指摘がなされていた。「戦争」を思わせる実例は現実に数多満ちているが、「平和」を連想させるイメージは極めて少ないとの指摘であった。「平和」という言葉だけはあっても、その実態に定まった観念は確かにない。例えば、自公の外交安保を専門とする議員が国会閉会中に、「平和」に限定して、皆が持つイメージを徹底的に討論すればいい。議論が進まないか。それとも?それなりに実りあるものになるかもしれない。(6-23)

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【110】〝品格もパワーのひとつ〟を忘れてないか━━国会最終盤の風景から/6-17

 国会が最終盤になると、いつも見る風景が今回もあった。内閣不信任案の提出をめぐるドタバタ劇だが、今度のは岸田首相がいかにも解散権を弄んだ風が露骨に出ていた感が拭えない。言葉の言い回しを変えて見せて、周りを慌てさせるというやり方は、〝いかにも〟だが、その時の顔つきに〝含み笑い〟が窺えたように見えたのは私だけろうか。あまりに品がないと言わざるをえない◆先日のNHK の『日曜討論』では、各党幹事長クラスが出ていたが、残念ながらどの党の顔も風格に乏しいと言わざるを得なかった。自民党は幹事長ではなく、幹事長代理だったうえ、公明党はその場ではなく、どこか別の中継場所からのライン参加だった。主役コンビ不在に何となく今の自公関係がかぶさって見えさえしたのである。野党側も立憲幹事長に往年の冴えは見えないし、維新幹事長のよそよそしさに、野党の迫力は微塵も感じられなかった◆いつの日からか、政治家に畏敬の念を抱くことがなくなってしまったように思われてならない。昭和の時代の与野党の政治家にはそれなりに砂塵を巻くかのような迫力に満ちていたのだが。今は、パワハラ、セクハラにハラハラしどおしといった実態が目に余る。選挙制度が中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に代わったことが大きいと思ってきたが、それだけでは無いように思われる◆そんなことを考えていた折に、塩野七生の映画評論『人びとのかたち』を読んでいると、『パワーと品格と』というイタリア映画の傑作『山猫』の評論に出くわした。シチリアの社会が何故に「2500年もの長い間他民族の植民地であり続けてきた」のか、との疑問に、塩野氏が気づいたというのである。答えは簡単、シチリアでは、「誰が支配者になろうと状態は変わらないことを、民衆の端々に至るまで知って」おり、「一部の人の情熱ではどうにもならない状態にまできている」からだという。塩野氏は「品格もパワーの一つに成りえることを忘れていると、社会はたちまち、ジャッカルやハイエナであふれかえることになる」と結論づけているが、なんだか、日本の社会にも当てはまるように思われてならない。(2023-6-17)

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【109】福田康夫元首相への「直撃インタビュー」──前議員会での束の間の語らいから/6-10

 

 6月6日から3日間、上京してきました。きっかけは、衆議院前議員会が久しぶりに開かれた(7日開催)ためです。コロナ禍前までは、ほぼ毎年一回、講演会付きで行われてきましたが、今回は議長公邸での懇親会のみ(120人ほどが参加)。わたし的には、福田康夫元首相との懇談を始め、実に実りある機会となりました。衆議院細田議長と島村前議員会会長)の型通りの挨拶のあと、各テーブルごとに雑談をしたのですが、私は現役時代に数々の思い出がある福田元首相と話しました。話題は3つ。一つは、対中国観。彼が中国習近平主席を高く評価する発言を、かつて「淡路島のフォーラム」で聞いたことがあり、印象深かったので、今も変わらないかどうか改めて訊きました。同氏は「変わらないよ」と言った上で、「(習主席は)日本の悪口は言わないね」とのことでした。私は、「池田思想研究所」が中国各地の大学に併設されていることを、ご存知かどうか聞いたところ、勿論だとの返事。このため、池田先生と周恩来元首相との関係と並び、福田元首相と習近平主席との固い絆も日中関係にとって極めて大事だと思う、と伝えたしだいです◆2つ目は、かつて、私の地元での「励ます会」の講師として、官房長官当時の福田元首相に来てもらったことについて話題が及んだ際に、「あの時は姫路に行って本当に良かった」と言われたのです。同市手柄山にある第二次大戦での全国空爆死没者慰霊塔に立ち寄られた時のこと。日本に戦没者を弔うための中心的施設がないので、ぜひ姫路の慰霊塔を援用すべきと私が主張したことを覚えておいていただいたのです。その願いは叶わなかったのですが、福田氏は「(あの視察は)いい勉強になったよ」と懐かしそうに言って下さったのには、こちらが驚きました◆3つ目は、御子息の福田達夫前総務会長のことについて。私が、彼は将来の首相有力候補であり、親子3代の首相も夢でないですねと、持ち上げました。尤もそれに続いて、先の統一教会問題で、不用意な発言をされたことは残念でしたと、痛いところを突く話題を投げたのです。福田氏は、彼は何にも知らないのだから、よせばいいのに(余計なことを言って)ねぇ、と率直な反応でした。好感が持てる発言でした◆最後に、私が出版した『77年の興亡』について、遅ればせながら送るので読んで欲しいという一方、近く続編めいたものを出版するので、その推薦文をお願いしますと頼み込みました。色良い返事だったので、届け先は?と迫ると、息子のところに、とのこと。うーん。さて、どうなることやら。ともあれ、束の間ながらの充実した「直撃インタビュー」ではありました。(2023-6-10)

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【108】「自公のパイプ論」の中身について立ち入る/5-29

  このところ、10増10減の小選挙区割りに伴う候補者選びで、自公間で揉めているとのニュースが散見される。またか、の思いは禁じ得ないが、気になるのは、両党間に亀裂が生じているとの解説である。自公間のパイプが細くなっていることが原因の一つというのだが、果たしてどうだろうか。ことの是非はともかく、両党の関係を見る際に、メディアが直ぐ持ち出す「パイプ」なるものの正体を考えてみたい◆ここで持ち出されているのは、以前は誰がいて相手の誰々と親しかったがゆえに関係が強かったという人間関係論である。政策については日常的課題として議論の対象になっているが、もっと大事なのは国のあり方をめぐる議論の深化ではないか。自公両党が連立を組むようになって20年を越えている。この間に、日本をどういう方向に持っていくのかについては、あまり議論されたとは聞かない◆自公両党間で「パイプ」なるものが機能しているとしたら、それは「選挙」に関するものだけかもしれない。それだからこそ、利害得失でグラッとくると、すぐ大騒ぎになる。かつて、自民党の兵庫選出の大物参議院議員の応援演説をした時のことを思い出す。私は、彼とは出身高校、大学、気質、人間性などいかに違っていても、自由と民主主義を守る、共産党や民主党(当時)とは相容れないという一点で共通すると、大見えを切った。ところが、その直後に2人きりになった時に、彼はニヤリとしつつ「あんたはあんな演説したが、あんたとわたしじゃあ憲法観が違うよ」と言われた。もう随分前のことだが、忘れられない◆彼は私の弁説のあと、自身の演説の最後に「創価学会の人、公明党の人おるか」と、声を張り上げて呼びかけ、「あんたらに応援して貰わんでええで、わしひとりで通ったるから」と言ったものだ。彼は憲法観と言ったが、それだけではなかったと思う。彼の議員会館の執務室には、よくわからなかったが、拝むべき対象のようなものが祀ってあり、蝋燭の火も灯っていたからである。自民党にも十人十色で様々な人がいる。当たり前のことだ。私はそれ以来、連立を両党が組み続けるなら、憲法9条をめぐる「戦争と平和」観、宗教観という人間の根幹にまつわるテーマについては、難しいことだろうが機会を見つけて、語り合う大事さを痛感している。(2023-5-29)

 

 

 

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