突然の会長交代に驚きと無念さと (32)

昭和54年という年は個人的には入社10年目で、中野区青年部長として活躍出来た記念すべき年ではありましたが、一方では衝撃的なことが起こり、生涯忘れ得ぬ年ともなりました。それは、池田先生が会長を辞任されることになったのです。昭和54年4月24日付けの聖教新聞一面の所感を通じて、私たちは知るに至りました。そこには、「『七つの鐘』終了に当たって」と、あったのです。

「戸田前会長逝いて二十一年、私もおかげさまで会長就任から満十九年、あしかけ二十年に及ぶ長き歳月を、皆様方と共に苦難と栄光の歴史を綴り、今日にいたりました」との書き出し。「ここで大事なことは、広宣流布は、不断の永続革命であるがゆえに、後に続く人びとに、どのように、この松明を継承させていくかということであります。一つの完結は、次への新しい船出であります」と続けられ、「広宣流布は『大地を的とするなるべし』との日蓮大聖人の御金言を深く深く心に刻み、たゆまざる信行学の前進を再び誓い合っていきたい」と結ばれていました。

翌日付けの聖教新聞で、先生は名誉会長に、後任の会長には北条浩理事長が就任される、との発表がありました。先生は未だ51歳になられたばかり。会長職を退かれることには、宗門との軋轢があると見ざるを得ませんでした。ことここに至るまで、何やかやと不穏な動きがあったことはそれなりに知ってはいましたが、よもや先生が会長をお辞めになられるとは。不肖の弟子の一人として、ただただ自分の呑気さ加減に呆れ果てるばかりです。力の無さと、至らなさ、申し訳なさでいっぱいでした。

私としては、19歳の時に入会し、22歳の春に初めてお会いして、病気を治す力を頂き、就職の面倒まで見ていただき、折に触れ何かにつけて激励をいただくばかりの12年でした。ご勇退には深い意味があるとしか思えず、いや増して信心の力を奮い起こしてご恩返しをしていこうとの決意を強く抱きました。私の場合は前線の一幹部でしかなかったのですが、師匠のお心を慮ることの出来ないだらしない人間でした。後年になって、我々世代の至らなさを思うにつけ、身の竦む思いです。

私の身近なところで、池田先生に敵対していった恩知らずの幹部には、元教学部長のHと元弁護士のYがいました。前者は、高等部の人材グループである東京藍青会の御書講義を担当しており、私が副担当でした。後者は中野学生部の担当幹部として、幾たびか言葉を交わしたことがあります。不知恩の輩を横に見て、私が誓ったことは、高等部や学生部の後輩たちに、同じ道を歩ませないということでありました。自分こそ成長して、模範の先輩たろう、と。その熱い思いは今に至るまで続いています。

その頃、先生がご蔵書を整理されるにあたって、何人かでお手伝いをさせていただいたことがあります。膨大な本の数々が部屋の床のうえにところ狭しと並べられていました。ほんの少しだけ、足手まといのようなことしかできませんでしたが、嬉しい限りでした。二冊好きなものを持って行っていいと言われ、英書を頂いたことを思い起こします。

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