中国・大連の迎賓館での〝怖い夜〟(41)

若き日より新聞社の海外特派員になることが私の夢でした。それが曲がりなりにも、ついに叶うことになったのです。昭和59年(1984年)のこと、党の第12次訪中団の随行記者に選ばれたのです。団員の一人に市川さんが入っておられました。北京から天津、大連、上海、杭州、深圳という6都市を飛行機で10日間ほどをかけて飛ぶ豪華な旅でした。国会議員は市川さんのほかに、5-6人。秘書、カメラマンも含めて10人ほどの構成メンバーでした。

北京では中南海で、胡耀邦主席(後に総書記)に会って、豪華な食事をご馳走になりました。懇談の際に、私が神戸で育ったというと、胡耀邦氏はナイフとフォークを片手に併せ持ち、それを振りかざして、私は神戸に行ったことがある、と大げさな手振りで親しげに語ってくれたことがとても鮮烈な印象で焼き付いています。のちに彼が失脚してしまったことは残念でした。また、周恩来夫人の登頴超女史の邸に、案内していただいたことも大事な思い出です。ともあれ、中南海は日本で言えば、皇居と、総理官邸を合わせたようなところとでも言うべき場所で、公明党への温かい配慮が伺えました。

この旅の主たる目的は中国の経済特区として、初めてデビューした深圳の状況を視察することでしたが、この最終到着地までの各都市ではとても大歓迎を受けました。なかでも大連は未だ飛行場が建設に至る前の段階でしたが、『アカシアの大連』を彷彿とさせる街並みと、古くからの港街の雰囲気が印象に残っています。そして、そこで宿泊したのが、清の時代からの避暑地の名跡として知られた棒垂島飯店という名の素晴らしい迎賓館でした。

海辺で鬱蒼とした林の中にある建物。一人で歩くと迷ってしまうようなとても広くて入り組んだ佇まいです。宿泊したある夜のこと。市川さんから、夕食後に、自分の部屋で懇談しようと、誘われました。広々とした部屋で、ソファに向かい合って座って話をしていました。そのとき、どこからともなく、風がふわっと吹いてきて、カーテンがざわっと揺れたのです。

「おい、なんだか怖くないか」「えっ、怖い?単なる風ですよ」「こうも静かなときに、気味が悪いなあ」「そうですか?」「怪奇小説に出てくる場面でこんなのあったなあ」「小説読みすぎですよ。どちらかっていうと、私は人の方が怖いです」「いやあ、俺は人間は怖くない。怖いのは幽霊とか、おばけの方だ」ーそれまでもまれに、少年のような茶目っ気たっぷりの振る舞いをされ、笑ってしまうことがありましたが、この夜のできごとも印象深いシーンです。

この旅では、公明党の当時の委員長、副委員長、政審会長ら最高幹部たちと一緒でしたが、いわゆる「二階堂擁立構想」なるものが影を忍ばせていました。この構想とは、1984年に中曽根首相続投阻止のために、福田赳夫、鈴木善幸氏らが野党をも巻き込んで、自民党の二階堂進副総裁を担いでの政争を目論んだとされるものです。当時の私など知る由もなかったのですが、幹部たちは遠く中国にあって、永田町の状況が気になったと見え、情報キャッチに余念がなかったようです。同構想は結局不発に終わるのですが、党中枢への出番を待っていた市川さんにとっては、いささか気になる場面であったと推察できます。それを踏まえて、あの夜の「人は怖くない」との発言は、のちのち私には意味深長に聞こえてきたものです。

【昭和59年 (1984年)1月 全閣僚の資産一斉公開 4月 日米牛肉・オレンジ輸入割当交渉決着 8月健康保険法改正 10月 インド、ガンジー首相暗殺 11月第二次中曽根改造内閣 】

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