ある庭師との出会い。地区の最前線で奮闘(43)

創価学会に入会以来、学生部、男子部、高等部担当などの活動を続けてきましたが、昭和60年の秋には壮年部へ進出することになりました。39歳の年齢では当然です。女性の場合、結婚と同時に婦人部になるのですが、男性の場合は40歳前後まで若い連中と付き合い続けるわけです。関西から中野区に戻って3年ほどが経っていました。地元の鷺宮・大和町地域のある地区を担当することになりました。

それはもう緊張しました。老いも若きも男も女も、みんなまとめて面倒みなくてはなりません。それまでのように、広範な地域での若い男性だけの激励に走っていた段階からすると、全くの様変わりです。お年寄りの悩みや、ご婦人たちとの呼吸合わせなど、何もかもが初体験なもので、正直言っておっかなびっくりでした。どうすれば、この100人ほどになんなんとする人たちをまとめ、皆に信仰の喜びを味わってもらえるか。池田先生のご指導を地域の隅々にまで行き渡らせるにはどうしたらいいか。悩みました。

どんな人たちが自分の担当地区に所属されているかを把握するために、まず聖教新聞を配達する婦人部の皆さんと一緒に、一軒一軒回ることを思いつきました。3人の配達員と一日づつ、とりあえず三日に分けて、配達区域を回るのです。昔予備校時代に新聞配達をしたことを思い出しながら、拠点のお宅の前で、早朝の時間帯に待ち合わせました。その時の気分はまさに、舞台に初登場する役者のように、緊張したものです。その結果、どこにどういうひとがおられるかが朧げながらわかるようになり、また、今度の地区部長はやる気満々だとの評判もたちました。一石二鳥の効果があったのです。

そういう地域のなかに、鈴木明という昭和7年生まれの壮年がいました。当時53歳。私より13歳上。顔中皺だらけの小柄な人でした。植木職人の棟梁でしたが、若い時から酸いも甘いも味わい尽くした苦労人です。この人は信仰歴こそ浅かったのですが、いきなり目の前に現れた私のような新米地区部長を文字通り〝可愛がって〟くれたのです。

実に多彩な趣味の持ち主でした。少し前まではバイクを乗り回したり、馬の調教にも関わったといいます。いわゆる男が心得ておくべき嗜みの諸事万般に、一家言も二家言もある人でした。中野新橋で若い頃に鳴らしていたとかいうだけあって、私が知らない世界に滅法明るい人でした。それでいて、堅い世界にも関心があって、色んな分野の本も読んでいたのです。徳子さんという奥様も不思議な魅力を湛えた小柄で優しい人でした。鈴木さんと知り合って、ある意味で私の人生観に、微妙な変化が来し始めたかもしれません。ともあれ、彼は、庭師の棟梁というものは顧客のお宅の縁側で庭の木を見ながら、その家の奥様とあれこれ話をするのが大事な仕事なんです、と言ってたことが遠い記憶の底から蘇ってきます。

地区にあって、どう壮年部員を逞しくするかについて悩んだ挙句、私は彼を軸にして壮年懇談会を毎週開くことを思いつきました。夜9時から、二人がテーマを決めて対談する方式で、会合を進めるのです。時に時事問題であったり、日蓮大聖人の御書を通じての教学研究など多岐に話題は広がりました。その場に、未入会の壮年部員や普段会合にでたがらない方々を、婦人部の皆さんに連れ出して貰うことにしました。その時々の話題に応じて、スペシャルゲストスターをお招きして、話題に加わって貰いもしました。

中野区に住む旧知の薬科大学の教授や小学校の先生、知り合いのお医者さんや弁護士さん、また先輩幹部もお招きして、普段聞けない色んな話を聞かせて貰ったのです。この企画を通じて、ひとりの人が立ち上がれば、次々と人材は奮い立つとの原理を改めて確認出来た思いがしました。

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