衆議院初質問とその余波ー平成5年 1993年【10】

褒め言葉と厳しい指摘と

初めて国会で私が質問する機会を得たのは、衆議院政治改革特別委員会。質問を終えたところに二人の大物議員がやってきました。一人は伊吹文明氏。もう一人は鹿野道彦氏。共に自民党のベテラン議員(鹿野氏は後に離党)です。のちに衆議院議長になる伊吹氏ですが、同じ委員会(税制特別委員会)に所属して海外視察に同行するなどご縁が色々と出来ました。この時をきっかけに随分と大事にしていただいたものです。また、鹿野氏とも様々なご縁があり、憲法調査会に同時期に所属して種々御指南をいただきました。

このお二人は、要するに「君の質問は良かったよ」と言ってくれたのですが、言われた本人は緊張していただけで、何が何やらわからずじまい。ただ、大物に褒められたということだけが残りました。一方、実はこの初質問で、党内の、しかも兵庫の先輩からビシッと注文をつけられました。冬柴鐵三さんです。私が「間断なく」と言ったがそれは、間違いだと。まだんなく、ではなく、かんだんなく、だと。これは指摘されるまで、全くずっと気がついていませんでした。新聞記者出身として顔から火の出るほど恥ずかしい思いをしました。

国会リポートを葉書で毎週発行

初当選した時から私は国会リポートという名目でハガキ通信を出すことにしました。選挙中に❶どこまでも普通の人間でいく❷どこまでも勉強し続けたい❸国会の現状を面白く解説したいーこの三つを自分の政治信条として支持者の皆さんにお約束したこともあり、ハガキで国会活動をリポートすることはその意味で重要な役割を果たすものでした。加えて週一回の駅頭演説も実施していきました。地元事務所は市内岩端町にあった叔父の古い家を借り受けました。この叔父は、先の大戦に少年航空兵に志願するなど筋金入りの軍国少年でしたが、従軍中に右腕を肩から失う大怪我を受け、傷痍軍人となっていました。しかし、持ち前の闘志で人生の舵取りに成功。姫路でも有数の資産家になり、傷痍軍人会の地元の会長もしていました。その事務所には先輩の新井彬之氏の秘書をしていた瀬川典也君が常駐してくれました。新米代議士を支える秘書として、東京の国会事務所の小谷伸彦君と共に、抜群の力を発揮してくれました。ありがたいことでした。

細川護熙内閣の誕生

選挙後の新政権樹立のキャスティングボートを握ったのは、日本新党(1992-1994)と新党さきがけ(1993-2002)でした。両党主導による小選挙区を含む並立制の提案に対して、公明党は不本意ながら(「連用制」で合意)、非自民政権の樹立による政治改革の実現を優先させ、細川連立政権の成立を推進したのです。8月6日の衆参本会議の首相指名投票で、細川日本新党代表が河野洋平自民党総裁を破って第79代の首相に就任したのと、衆議院議長に憲政史上初の女性議長に社会党の土井たか子氏が選ばれた時の議場の興奮は、今なお忘れがたいものがありました。

このあとの組閣で、公明党から石田幸四郎(総務庁長官)、神崎武法(郵政相)、坂口力(労働相)、広中和歌子(環境庁長官=のちに民主党に移動)の四人の大臣が入閣。政務次官には山口那津男防衛政務次官ら五人が就任したのです。この時に市川書記長の口をついて出た言葉が私には忘れられません。「形はどうあれ、我々はついに天下を取ったのだ」と。公明党の第一世代の一人として、恐らく感慨無量のものがあったのだと思われます。

各党の大物たちと同じ誕生日と分かる

そんなおり、私は政治改革特別委員会で、委員席に座って国会議員名簿を見ていますと、あることに気づきました。私の前に座っていた社会党の左近正男氏と私の誕生日が同じ11月26日だということがわかったのです。しかも、ついでに名簿をくっていくと、自民党の柿澤弘治(故人)、新生党の奥田敬和(故人)、民社党の中野寛成といったような大物政治家が皆同じ誕生日なのです。びっくりしました。その結果、合同誕生会をしようという話になり、それを聞きつけた小沢一郎氏からケーキと花束が届くというハプニングがありました。新人議員のくせに大物たちに混じっての誕生会となり、こそばゆい思いを抱いたものです。

細川内閣は政治改革内閣を旗印にしたのですが、その後なかなかことははかどらず苦労を重ねます。12月の国会リポート第4号にはこう書いています。

「政治改革」に明け暮れた一年だったにもかかわらず最終的な決着がつかないまま越年することは大変に残念なことです。関連4法案が衆議院を通過したことがせめてもの慰めかと思います。小選挙区比例代表並立制と政治家個人への企業・団体献金の禁止を盛り込んだ今度の改革案こそ、腐敗政治と決別するための重要な一歩と私は深く確信しています。それにつけても、審議入りの引き延ばしをした参議院自民党をはじめとする守旧派とでもいうべき勢力の根強さには、ほとほとあきれてしまいました。

初当選後の半年はこうして暮れて行きましたが、翌年からは、まさに疾風怒涛の時代が始まり、国会議員一年生の私も百戦錬磨の大物たちにもみくちゃにされていくのです。(つづく)

 

 

 

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