【50】憲法論点整理、イラク対応などこなし参院選勝ち抜くー平成16年(2004年)❸

●公明党の憲法についての「論点整理」がまとまる

参議院選が近づくにつれて、憲法の論点整理を急ぐべきだとの空気が各党の間で加速してきました。6月16日に開かれた党憲法調査会で、我が公明党もまとめることが出来ました。以下に大事なところに絞って抜粋します。

〈前文〉敗戦直後の歴史的背景を色濃く反映しすぎているとし、前文としてふさわしいか、疑問視する向きがある。日本語らしからぬ表現も多く、書き直されるべきだとの指摘もある。その際にあらためて憲法三原則を明確に盛り込むべきとの主張がある。

〈天皇〉象徴天皇制は維持していく。国事行為については現行に異論はない。女性天皇については認める方向で検討したい。

〈戦争の放棄〉9条の現行規定を堅持すべきとの姿勢を覆す議論にはいたっていない。集団的自衛権の行使は認めるべきではないとの意見が大勢。個別的自衛権の行使について明確に示すべきではないか、自衛隊の存在を認める記述をおくべきではないかとの意見がある。ただ、違憲と見る向きは少数派であるゆえ、あえて書き込む必要はないとの考えもある。

〈国民の権利及び義務〉環境権、プライバシーの権利、知る権利を積極的に明示すべきとの主張がある。

以上を、太田座長が中心になってまとめてくれました。質量ともにいささか不満足は否めませんでしたが、多様な意見がありますから、仕方ありません。私個人としては様々な媒体で、積極的に発言を重ねていきました。かなり露出度は高かったと思いますが、そんな中で特筆できたのは、『週刊金曜日』の「憲法激論」シリーズで、行動する哲学者・高橋哲哉さんと対談(7月2日号に掲載)したことです。

高橋さんは、「憲法論議で何もタブーを設ける必要はないが、加憲や論憲の立場は限りなく改憲派の流れに取り込まれていって」しまうとの立場で、繰り返し私を攻め立ててきました。それに対して、私は「憲法を何も改革しないというところからは、何も生まれないという確信がありまして、必ず、僕の考えている方向に日本国は行く」し、「今に生きる僕らがこの憲法をどうするのかということを真剣に議論することから、日本のこれからが拓けていく」と言い切っています。この辺りについては今もなお変わらぬ私の確信です。

●参議院選で民主党が大躍進するも、与党が安定多数確保

陸自のイラク派遣、年金制度の抜本的な改革など一般的に与党側に受けの悪い課題が取り沙汰される中、参議院選挙が行われたのは7月11日。しかも、この選挙直前に、年金保険料の未納問題が発覚したのです。先に述べたように、福田康夫官房長官は保険料未納の責任をとって辞任するのですが、実は民主党の菅直人代表も最初は批判の急先鋒だったのに、自らも未納だったことが判明し、代表を辞任する羽目になりました。また遅れて、小泉首相も年金未加入期間があったことやら、議員になる前に、勤務実態のない会社から年金保険料を納付してもらっていたという厚生年金違法加入の事実も指摘されました。

国会議員相互の間で、後ろ指をさしたり、さされたりする一方、最高首脳が正面から指弾される事態となって、まさに上も下へもの大騒ぎとなりました。そんな時に、小泉首相は、島倉千代子の歌謡曲『人生いろいろ』をもじって、「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と答弁の中で発言しました。当然ながらこれは、はぐらかし、開き直り答弁と見られて、世の顰蹙を買いました。

これより少し前に、イラクに陸上自衛隊が派遣される際に、野党から安全な地域はどこかと聞かれて、「そんなこと、俺がわかるわけないだろ」と答えたものです。この時に限らず、答弁の際にこのように開き直る総理大臣は、長く国会で取材したり、議員としても多くの人を私は見てきましたが、小泉さんがまさに初めてです。しかし、この人は妙に憎めないところがあって、それ以上に問題が拡大しないのです。この参議院選挙でも自民党は改選51議席に対し、49議席とマイナス2に留まりました。

公明党は選挙区3は完勝、比例区でも過去最高の862万票を獲得して8人が当選して、合計11議席となって改選議席に1議席上乗せしました。一方、民主党は菅氏に替わった岡田克也代表のもとで、3年前の前回にとった26議席から、ほぼ倍増の50議席を獲得しました。また、共産党は改選前の15を大きく割り込んで4に、社民党も13から2に激減しました。こうした数字だけを見ると、じわり二大政党制に近づく結果となったのです。

●イラクから帰国した第一次派遣の自衛隊員を前に挨拶

8月10日に東京・市谷の防衛庁で、イラク復興業務支援隊第一次要員帰国報告ならびに慰労会が開かれました。わたしは自民、民主、公明の約20人ほどの議員と共に参加して、党を代表して挨拶に立ちました。そこでは、二つの点から以下のように話したのです。

一つ目は、13年前の第一次湾岸戦争ともいうべき戦いに、日本は多国籍軍に参加すべしとの動きが高まり、国連平和協力法案という法案が出されました。公明党はこれは武力行使と一体化する危惧があるとして、反対したのです。しかし、13年経った今度のイラク戦争(第二次湾岸戦争)では、後方の非戦闘地域に限定して、自衛隊を参加させる法案(イラク人道復興支援特別措置法)に、公明党は賛成を(後に中身はそのままで、形として多国籍軍参加へ移行することも容認し)しました。政党として、唯一公明党だけが(武力行使には)反対から、(後方支援には)賛成へ、と変化したのです。実はこれは、ずっと賛成の自民、ずっと反対の民主とは違うと言いたかったのです。

二つ目は、今年(2004年)は、自衛隊が誕生して50年の佳節ですが、同時にあの木下恵介監督の名作映画『二十四の瞳』が世に出て50年とのことです。あの映画の中で、小学校6年に成長した男の子5人に高峰秀子さん扮する大石先生が将来の希望を訊く場面が出てきます。昭和8-9年あたりの時代設定ですから、男の子たちは口々に軍人になりたいといいます。それに対して、先生はなんで軍人になんかなるの?家業の米屋さんや漁師を継げばいいのに、と嘆くわけです。恐らく、死に急ぐことはないとの思いからだったと思います。

あれから50年が経ち、今回のイラク復興支援という大きな仕事を無事に成し遂げて帰ってこられた皆さんのおかげで、恐らく今の学校現場では、子供たちが「自衛隊に入りたい」と言っても、先生たちは反対しない(むしろ、大いに国際社会で役立つ仕事をする自衛隊員になりなさい)ものと、私には思われます。50年経って、自衛隊を取り巻く環境もこのように変化してきたのです。皆様のご努力、ご苦労に、深い敬意を表するものです。

このように挨拶を致しました。今振り返ってもいい挨拶だったと思う次第です。なお、この時の隊員たちのリーダーは、ヒゲの隊長こと、現在参議院議員の佐藤正久さんでした。(2020-6- 7  公開 つづく)

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